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芸術論『死と優美ーー十八世紀ロココ様式の美学的構造』、政治論『政治的無力ーー「来るべき民主主義」批判』の二冊を出版しました。どうぞよろしくお願いします。 

† 著作 †

かばー

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【内容紹介】

十八世紀前半のフランスに花開いたロココ様式。
財務総監ジョン・ローが招いた史上稀に見る金融バブルの中、貴族階級を中心に優美な文化様式として黄金時代を築き、その後フランス革命が始まる前に儚くも衰微していった。
これまで堕落したアンシャン・レジームの象徴として、ボードレールが「栓の抜けた香水瓶」とまで冷笑したロココは、二十世紀に入ってようやく国内外の文化史家から新たな再評価が進み、これまでにない輪郭を浮かび上がらせつつある。
本書はそんなロココ研究の新たな局面の成果を踏まえ、当時の絵画、音楽、彫刻、宝飾品、室内装飾、庭園――さらには恋愛観、死生観、宮廷社会の私生活までを徹底的に解剖した渾身の十八世紀論。
ラカン派精神分析から今日のオブジェクト指向存在論までを視野に据え、十八世紀フランスが持つ文化的な射程圏を限界まで引き出す試みである。
さらに当時を知るための貴重なカラー図版73点を掲載。

【本書に登場する主な哲学者、美学者、文化史家】

ジャック・デリダ、ポール・ド・マン、エリー・デューリング、ジョルジョ・アガンベン、ジャン・スタロヴァンスキー、ワイリー・サイファー、エーゴン・フリーデル、ミシェル・テヴォー、サラ・コフマン、ノルベルト・エリアス、ピエール・ブルデュー、フリードリヒ・ニーチェ、ドニ・ディドロ……
谷川渥、徳井淑子、窪田般彌、野口榮子、大野芳材、長野順子、飯塚信雄、岡田暁生、松本卓也、渡辺一夫……

【本書の構成】

目次

まえがき 5

序論 「様式」概念の批判的再構成

1 「眼」の生産 16
2 システム外への逃走 22
3 雲から墜落するマリア 27
4 「お喋りな宝石」の麗しき消滅 32

第一章 ロカイユ 

1 貝殻・蔓草・野菜 39 
2 貝殻=箱への梱包 52
3 形態の削除 60
4 太陽の二つの顔 65
5 「魔法の島」とその空隙 70
6 「鏡を備えつければ、boudoirは更に甘美なものになるかもしれない…」 74
7 「夜の女王」の戴冠、あるいはオペラ宗教 78
8 劇場空間のスコピック・レジーム 80
9 縮約の二つのモデル――実在論的/観念論的 83
10 メタバシス――没落のためのレッスン 89

第二章 ロココと精神分析     

1 死の禁止 92
2 「対象a」=ロカイユ――この繊細な線状の生き物 98
3 あるものによって「別の何か」を代理する 104
4 「女になる」(fait la femme) 107
5 彼は死にかけていた、「自分を騙して死を忘れたいと願う」ほど 114
6 原抑圧と表象不可能なもの 131
7「ラングルの刃物職人ドニ・ディドロ」 137
8 十八世紀の「オブジェクト指向絵画」(object-oriented picture) 147
9 創造と生成――諸状態の強度的な「重なり合い」(superposition) 150
10 処刑とオルガスム 162

第三章 ロココ式恋愛の源流    

1 タルタロスと共に生まれし神 173
2 クピドの親指の傷――アプレイウス『黄金の驢馬』 174
3 「宮廷風恋愛」の系譜――オウィディウス、イブン・ハズム、アンドレアス・カペルラヌス 182
4 「人間の舌で語ることのできないほどの快楽」 184

第四章 ヨーロッパ庭園史における「愛の園」の系譜

1 はじめに島があった 192
2 「愛の木」――ヨーロッパ中世庭園 194
3 「愛の迷路園」――バロック庭園 197
4 「アモールとヴィーナス」――ロココ庭園(ⅰ) 200
5 「シテール島」――ロココ庭園(ⅱ) 202
6 フラゴナールの「愛の園」 209
7 フラゴナールとニンファ 213

第五章 ロココ・ファッションの世界

1 貴婦人の私室 226
2 デザビエか、ネグリジェか――あなたのお好きなように 230
3 十八世紀フランス・ファッション史 235
4 Black Rococo ≒ Gothic fashion 242
5 「ケーキのように可愛い」プリンセス 246

第六章 オペラのアレゴリー    

1 セリアの内部にブッファを、ブッファの内部にセリアを 253
2 「夜の女王」と異種混淆性 255
3 フリーメイソンと《魔笛》 257
4 言説と音楽の齟齬――この一体の戦慄すべき小鳥 259
5 審美的サディズム――芸術の源泉としての「残酷さ」 268
6 パパゲーノとカーニヴァル 271

第七章 宮廷機械         

1 宮廷機械の諸形態 278
2 宮廷機械の亡霊的回帰 282
3 無意識にまで浸透し、絶えず我々を責め苛む、千のNoblesse oblige 283 
4 証券取引所に捧げるディヴェルティメント 286
5 むかしむかし、王様は… 289

終章 美と傷           

1 「美には傷以外の起源はない…」 294
2 美的体験とそのアリバイ 302

補論 ロココ化するラヴホテル 314

あとがき 320
参考文献 324
掲載図出典一覧 328

装幀 門倉ユカ


カバー

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【内容紹介】

後期デリダの政治的、倫理的な言説において重要な地歩を占める「来るべき民主主義」(une démocratie à venir)を、「主体がデモスのクラトスを遂行する一切の可能性を持たないデモクラシー」(ランシエール)という観点から、「実践性(practicality)の欠如」として批判的に読むデリダ主義者によるアンチ・デリダ論。
カール・シュミット、丸山眞男、ブルーノ・ラトゥール、アネマリー・モル、ロベルト・エスポジトらを横断しながら「実践性なき倫理」の欺瞞を炙り出す。

【本書の構成】

目次

はじめに
1章 「実践性」としての倫理

1 アネマリー・モルの「複数形の善」について
2 倫理は不可避的に「不和」に巻き込まれる
3 「実践性」としての倫理
4 倫理と宗教――デリダの「メシア的なもの」について
5 religioの語源学的解釈
6 後期デリダにおける倫理概念の構成
7 『名を救う』における「武器の放棄」について
8 デュットマンのシュミット論
9 不安をもたらす他者の存在――「友愛」と「敵対」をめぐって

2章 デモスのアクラティア――「来るべき民主主義」の政治的射程

1 「狼のノモス」恐怖症
2 ランシエールによるデリダ批判
3 宮﨑裕助「自己免疫的民主主義とはなにか」について
4 リチャード・ローティによるデリダ批判
5 「来るべき民主主義」とハイエクの「カタラクシー」
6 「政治の美学化」について
7 緊迫する国際情勢の中で

3章 国家主権と免疫系

1 多田富雄の免疫論/クレール・マランというPatiente
2 デュットマンのシュミット論の問題点
3 シュミットと免疫系
4 シュミットの「決断主義」からモルの「多重性」へ

4章 テロリズムと自己免疫疾患

1 エスポジトとデリダの免疫論
2 歓待論の問題点
3 コムニタス/イムニタスという隘路
4 コスロカヴァールのテロリズム論

5章 庭仕事とメタ・ポリティーク

1 政治哲学の三つのカテゴリー
2 民主主義の擬制形態
3 パラ・ポリティークとしてのブルデューの近代国家論
4 政治界のcompétences
5 行政機関と「事由」の概念
6 法治国家の罠
7 グローバル資本主義による民主主義の衰退
8 丸山眞男と福田歓一の民主主義論
9 polīticusの起源――庭仕事とメタ・ポリティーク
10 「感性的なものの分有」とその課題

あとがき
参考文献

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10/19のツイートまとめ 

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afterfinitude01

メイヤスーがそのマラルメ論で述べる「神々の唯物化」やミサの「実体変化」への着目も、神秘的なものを超越論的主観に帰属させるのではなく、すなわちデリダの論稿「送付」における「表象」概念ではなく、reを抜いたprésenceの秩序において神学を実在論へと包摂することにその核心があるだろう。
10-19 23:10

以下の体験談は、私の書棚からラカンのセミネールを何冊か取り出せばそれらしい解釈を与えられるし、ジェイムズの宗教論にも類似したエピソードは山のように散見される。それは神秘主義的である。だが、「神秘的な」という言葉では収まりきらない「実在」の一端が垣間見えた出来事として受け止めたい。
10-19 23:01

この「温度」は、実は朧気ながら可視化されている。非常に薄く分かりづらいものだが、聖母を照らしたあの光と同じ質だと私は感じる。この「なにかそこだけ妙な感じがする」瞬間が決定的に重要だ。ここで本当に主客関係を忘れて、街路-自然-宇宙へと内在の眼を広げること。そして温度に集中する。
10-19 22:44

私はその時、樹木に内在するものに注意を向けた。それは樹木の物質性ではなく、樹木の魂や意思、思念などといった表現のいずれでもない。ただ樹木が私にとって「そこにある」ということと、私の存在が樹木にとって「そこにある」ということの「交点」には「温度」があるということである。
10-19 22:36

私が感じた実在の温かな層は、カメラのブレで言えば、この中の暖色系がその対象の持つ「体温」として、離れたところでも「間近で抱かれている」ように感覚される。つまり私のある感覚様態に対して、樹木の持つ感覚的対象が何らかのアクセスを試みており、それは共感覚的な重なり合いに近い。 https://t.co/igE64lB0zW
10-19 22:31

騎士会に入会する半月ほど前にも、何気ない街路樹から何か呼ばれているような温かさを感じて、思わず樹上を見やったことがあった。私の内的な眼は、そこに小さな複数の生まれたての天使たちがいるのを感じた。樹上で天使たちが泉のように湧いていた。だからその周りだけ実在の持つ層が違っていた。
10-19 22:23

光は柔らかいオレンジ色で、江國香織なら「柑橘系の匂い立つような」とでも表現しそうな美しい夕陽だった。左頬に強烈に陽が当たり、マリア様は眩しさと不安の中で泣いていた。でも、その光の温かさは私にも伝わった。やがて聖母に笑顔を与える力を宿した光だったから。
10-19 22:15

最近、実は幻視を体験した。早朝六時過ぎ頃になぜか目が覚め、三十分後くらいに突然、聖母マリア様が燦爛と光を浴びているビジョンを目の当たりにした。マリア様は涙を流していて、唇をきゅっと噛み締めながら何かを熱心に祈っている御様子だった。おそらく受胎告知前の出来事だったのだろう。
10-19 22:08

山本先生や山内先生のような研究者と同時代を生きているということほど、「今の時代にクリスチャンとして生きる」上で勇気と励みを与えられる事実はないだろう。
10-19 21:02

RT @yamauchishiro: 「大事なのは、彼(メシア)が来るか来ないかではない。彼の到来は、何日、何時という仕方では現わすことができない。重要なのは、彼が必ずいつか来る、そしてどの日に来てもおかしくない、という前提でことが進められているということである」(内田樹による…
10-19 20:46

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10/18のツイートまとめ 

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afterfinitude01

そういえばヴィスコンティ論でも書いたのだが、『熊座』がなぜ全ての物語が終幕した後の廃墟のような寂れた城館を舞台にしていたのか──これを『イノセント』ないし『家族の肖像』の「事後性」として読み直すことはやはり必要かもしれない。全ての作品は熊座の悲劇に流れ着くのだ。
10-18 23:30

RT @Situations01: 「もしも私の意図が成功しているならば、『熊座の淡き星影』は、今日考えられている以上にますます、私のこれまでの映画に類似し、かつ私が二十年あまり前に始めた論証の延長線を構成していくものでしょう」ルキノ・ヴィスコンティ
10-18 23:24

おそらく『アンジェロの朝』ほどヴィスコンティの信仰心あるいはカトリック的なものへの親和性が表出している作品は他にない。彼がこれをあえて映画化しなかったという点も、映画を文学やオペラに比して二次的な表象芸術とみなしていた彼らしい判断だと思う。
10-18 23:20

RT @Situations01: 「僕の村の教会のどこが好きだったか、知ってるかい? 椅子の立てる音だよ。香部屋係が椅子を床に並べたり、積み重ねてあるのを外したりする時に音がするだろう。あの音と、ミサの間中、皆が教会の前の陽の当たる広場に出るまで待っているのも好きだった」ルキ…
10-18 23:16

私見では、石岡良治のような例外はあるが表象文化論でも東大で学んだ研究者には現実意図主義的なアプローチを取るタイプが非常に多かったように感じる。清水の研究はこういう観点から見ると非常に粗雑なモザイク画のような印象を与える。ある時点から私も彼をまったく評価できなくなった。
10-18 21:29

これはキャロルが立脚する現実意図主義とは対立する立場である。こちらは一次、二次資料の精緻な探査を前提に、著者のテクストに内在的な帰結以上の結論を提起しない。エックハルトが禅に近接しているからといって、安易に双方の「意図」を恣意的に接続させない。解釈の制限という厳格なルールがある。
10-18 21:21

『実在への殺到』は仮説意図主義的な言説であると判断できる。この立場は比較的自由度が高い仮説同士を横断的に接続させ合い、それらを折衷した統合的な解釈項を最終的に提起する。換言すれば、それは客観的な資料分析に基づく著者の「意図」から推測され得ること以上の言説を述べようとする。
10-18 21:15

ある命題においてその真偽を判断することは常に可能である。例えば、最近問題になっている「自殺したら負け」という発言は、該当する命題にどの解釈項を与えるかでその真偽を策定できる。「自殺」することにゲーム的な勝敗の規則を付与可能な体系を真理化した行為者の観念においてはこれは真である。
10-18 21:00

真理についての最終確定説などは存在しない──あるのはそれぞれの個別具体的解釈だけだとする一般論に対して、ノエル・キャロルが提示する「事実性の観点における真偽の判定は常に可能である」とする見解は非常に重要だ。
10-18 20:52


10/15のツイートまとめ 

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afterfinitude01

常に死に対する準備として、いつ到来するかも定かではない私の一回限りの死に対する備えとして、先人に学ぶこと。イエスは今の私と同じ年齢で既に残すべきものを残し、己の生を全うした。キリスト者として、いつ召されても「私は十分に神の愛のさなかを生きた」と胸を張って言えるように。
10-15 00:34

安息日は自分にとって、今後おそらく決定的に重要になっていくであろう神学者の本に出会った。海の神秘体験以来考え続けてきたこととまったく同じ内容を、既に彼は驚くべき密度で展開していた。この発見自体を私は聖母マリア、そして主キリストに感謝したい。最終章のテーマがようやく見えてきた。 https://t.co/SR5AtMM8Ge
10-15 00:28


10/13のツイートまとめ 

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afterfinitude01

RT @0anamnesis1: 秋空に映える https://t.co/VB1yfG5jpV
10-13 23:29

土曜日は朝九時から午後三時まで論文を加筆(主にドゥルーズにおける物自体の概念について)。夕方から鶴見緑地までサイクリングして園内を散策した後、アディダスに立ち寄って新しいランニング用シューズを購入した。 https://t.co/urda9lRbx0
10-13 21:21


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