【御知らせ】メイヤスー論『事実論性の展開――思弁的実在論についての試論』、小説『人形』発売中です 

† 著作 †



鈴村智久からのお知らせです。
ほぼ一年間に渡って執筆していた作品二本がAmazonでKindleにて発売中です。
一本目の『事実論性の展開――思弁的実在論についての試論』は、カンタン・メイヤスーの『有限性の後で』、及びその他の諸論稿を軸にして思弁的実在論(SR)について考えた評論(400字詰原稿換算で200枚ほど)です。
メイヤスーを軸にして、ハーマン、ブラシエ、ヴィヴェイロス、近藤和敬、入不二基義…といった現代思想の論客についても考察しています。
本作は、私が書いた評論としてはイタリアの映画監督ルキノ・ヴィスコンティ論(『ヴィスコンティの美学』)に続いて二作目になります。
二本目の『人形』はSRをテーマにした小説(こちらは100枚ほど)になります。
これまで同様、カバーレイアウトは門倉ユカに依頼しています。
どちらも読んで絶対に損をさせない密度ある作品に仕上がったと自負していますので、どうぞよろしくお願いいたします。

speculative-realists.jpg
(左からイアン・ハミルトン・グラント、グレアム・ハーマン、カンタン・メイヤスー、レイ・ブラシエ)


事実

『事実論性の展開――思弁的実在論についての試論』


 本書は思弁的実在論(Speculative realism)を代表する論客の一人であるカンタン・メイヤスーの『有限性の後で』、及び論稿「減算と縮約」、「潜勢力と潜在性」、「亡霊のジレンマ」、「思弁的実在論のラフスケッチ」などで提示される諸概念を考察したものである。メイヤスーの思想をより深く理解するために、オブジェクト指向存在論、新しい人類学、ドイツ観念論、超弦理論など、様々な視点から分析を試みる。本書の目的は『有限性の後で』第三章で展開される中心的概念である事実論性の原理(principe de factualité)の分析と、その応用である。(本書「序」より)




1. 「能動的生成」と「横断的シャーマニズム」――メイヤスーとVdCにおける「生成」をめぐって
2. ブラシエの「事後性」、あるいはユクスキュル、ドルーアンにおける「非人間的なもの」
3. 「物自体」に対するガブリエルとメイヤスーの差異
4. カヴァイエスの「数学的経験」と「事実論性の原理」
5. オブジェクト指向存在論における「亡霊」の問題
6. 理論物理学におけるメイヤスーの位置――「余剰次元」における時間/空間のコンパクト化
7. 楕円状か、箱状か――入不二基義における「排中律」とメイヤスーの「無矛盾律」について
8. バルザックはメイヤスーを読んでいたか?――『セラフィタ』における「天使」の地上的生成


あとがき



人形カバー

『人形』

【CONTENTS】

・Speculative Aesthetics(思弁的美学)への文学的アプローチ――『人形』のための序論
・『人形』(Ⅰ)
     (Ⅱ)
     (Ⅲ)
     (Ⅳ)
     (Ⅴ)


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『終末のメルヘン』、『出来杉英才の青春』、『エルサレム』(装訂/門倉ユカ)の御紹介と、これまでの販売ランキング発表 

† 著作 †

終末のメルヘン/S/K Studio

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今、前衛文学にはいかなるエクリチュールが可能か?
数学や哲学を横断しながら小説の臨界点を模索した五つの先鋭的な作品群を収録。


「内容紹介」

鈴村智久による前衛的な実験作品五篇を収録した新しい文学のための羅針盤。
今まさに作者によって書かれつつある島からの脱出を図る少女の物語「終末のメルヘン」、少年時代に恋した年上の女流詩人との交流を描く「海鳥の数は」、ギリシャ神話のイカロスの墜落の過程を無限に遅延させ続ける「ゆっくりと、落ちてくる」、著者が十代の頃にマックス・エルンストに触発されて制作した「〈流/C〉」、エクリチュールの頓挫、失敗を逆手に取った「(>_<、)の描かれた空虚な海辺までの果てしなき彷徨」の五作を収める。
小説とは根源的に何なのか、その「制度」そのものへの懐疑なくして新しい現代文学は誕生しないと感じる全ての読書家への真の応答がここにある。【装訂/門倉ユカ】




出来杉英才の青春/S/K Studio出版

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ドラクエ、ポケモン、ドラえもん——少年時代に楽しんだレトロゲームや漫画の世界を、思弁的(speculative)に遊び直すために書かれた著者最新の短編小説集。

「内容紹介」

学校でも常に一目置かれる模範的優等生、出来杉英才はある日、のび太と静香が結婚するという未来は実はひとつの可能性に過ぎず、未来は別様なものへと変化させられることに気付く。はたして英才は静香を振り向かせることができるのか……? メイヤスーの「事実論性の原理」を『ドラえもん』の世界に応用した表題作「出来杉英才の青春」。
むかし遊んだ『ポケットモンスター』で、死んでしまったヒトカゲをトキワの森に埋葬した記憶を持つ少年は、大人になったある日、現実世界の川縁で奇妙な化石を発見する……。ゲームと現実の奇妙な交叉配列を描く「ヒトカゲの化石」。
ルイーダの酒場で少年が出会ったのは、かつて勇者と崇められた盲目の老人アルスだった。『ドラゴンクエスト』の世界を舞台に、ゲームの内部でゲームそのものが自己解体される過程を描いた「老いたる勇者はかく語りき」。
少年時代に熱中して楽しんだレトロゲームや漫画の世界を、思弁的(speculative)にもう一度遊び直すために書かれた著者最新の短編小説集。




Jerusalem: エルサレム/S/K Studio出版

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「闇はどこまでも深く、暗い樹液のように街路のそこかしこを覆い尽くしていた。」——現代を舞台に、神に見放された者たちの不安を克明に描いた著者渾身の恐怖小説集。

「内容紹介」

「最も恐るべき歓喜は、ある神が死ぬことでなければならない」——マルティン・ハイデッガーの『跳躍』を通奏低音に、厳格な神学校で起きた少年たちの殺戮劇を描く《Ω╪Ω》、とある会社員が帰宅途中に突如として命懸けの逃走を強いられる《Killing Night》、神に完全に見放された青年の秘められた大罪を描く表題作など、六篇の中短編を収録。
神に見守られた安穏なるZuhause-sein(我が家にあること)を唾棄し、徹底的にUnheimliehkeit(不気味さ)による衝撃によって「原初の開示」を追求した来るべき時代の黙示録。【装訂/門倉ユカ】

【CONTENTS】

《Killing Night》
《Gloomy Sunday》
《Jerusalem》
《Romanian bat》
《mysterious disappearance》
《Ω╪Ω》






【鈴村智久の小説売上げランキング】



◆1位『私たちの存在の墓で』◆


At The Grave Of Our Existence: 私たちの存在の墓で/S/K Studio出版

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「内容紹介」

Dieu n'existe pas encore(神はまだ存在しない)――現代思想において世界的注目を集める現代フランスの哲学者クァンタン・メイヤスーによる神についての重要論稿「来るべき喪、来るべき神」(2006)に対して真正面から文学的応答を試みた表題作の他、
夜のプールで泳ぎながら生と死のイマージュを重ね合わせる《Sacred precinct of water》、敬愛するシスターとの死別を描いた《Memory with a sister》など、聖性を主題化した六篇の中短編を収録。
キリスト教の枠組みを越えて、人間の生と聖なるものとの関わりを描出したポスト・ボルへス時代の新しい文学。【装訂/門倉ユカ】

【CONTENTS】

At The Grave Of Our Existence
私たちの存在の墓で

Memory with a sister
シスターとの想い出

Blind boy
盲目の少年

deep in meditation
瞑想に耽って

Night of a bonfire
夜の焚き火

Sacred precinct of water
水の聖域





◆2位『聖アントニウスの誘惑』◆


聖アントニウスの誘惑/S/K Studio出版

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「内容紹介」

Web2.0以後の高度に先鋭化したネット社会の「黄昏」を舞台にした鈴村智久の初期作品集。
Page Not Found(ページは見つかりませんでした)という画面から召喚される悪夢を描いた表題作の他、ありとあらゆる事物が記号表現化した仮想世界で〈創造主〉を探し求める旅を続ける少年と少女の巡礼譚「MOTHER Ω」、無人化したプログラム世界の夕暮れの廃墟に存在する謎の知性との接触を描いた「デイノン」など――Web社会の「盲点」から現代人の名状し難い孤独を炙り出し、存在論とメディア論の新たな地平を描出した来るべき時代の黙示録。【装訂/門倉ユカ】

【目次】

1―――『MOTHER Ω』
2―――『デイノン』
3―――『聖アントニウスの誘惑』
4―――『4 0 4』
5―――『ヨースター島の迷宮』





◆3位『ヴィスコンティの美学』◆


ヴィスコンティの美学/S/K Studio出版

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「内容紹介」

「あらゆる芸術家の中で、およそ彼ほど“貴族的な頽廃”を見事に描出した人間はいない」――すべての芸術愛好者に捧げられたヴィスコンティ研究の集大成が、お求め易いKindle版で初登場。

20世紀ヨーロッパ映画界のみならずオペラ、演劇界に決定的な影響を及ぼし、後世の文化人に未だ深い感銘と陶酔を与え続けるイタリアの名門貴族の血を引くルキノ・ヴィスコンティ。その美的原理は、実はヴィスコンティが重視していた「ギリシア悲劇」にこそあった。
最重要作品八作を、近年世界的な注目が高まる現代ドイツを代表する美学者ヴィンフリート・メニングハウスや、「芸術の皮膚論」で名高い谷川渥、更にワーグナーのオペラなどとの相関を探りながら分析し、ギリシア悲劇の構造を示したアリストテレスの『詩学』へと結び付ける刺激的なヴィスコンティ論。
Niedlich(優美)、Tragisch(悲愴)、metabasis(メタバシス)など、本書によって初めてヴィスコンティの美学がダイナミックに暴き出される。
ヴィスコンティ愛好者のみならず、ヨーロッパ貴族階級の「美意識」、「恋愛観」の本質について学びたい読者に必携の書。

【目次】
 
・前書き――アリストテレスの『詩学』から始める
・一章――ヴィスコンティ家の歴史、あるいはルキノ・ヴィスコンティ評伝 
・二章――『ベニスに死す』に関する美学的考察
・三章――『ルートヴィヒ』から、初期ワーグナーの『さまよえるオランダ人』へ
・四章――『白夜』にみる愛のアモルフ
・五章――愛の甘美と不毛の極地を描いた『夏の嵐』
・六章――『家族の肖像』における「家族神話の崩壊」
・七章――『イノセント』における「永遠」と地上的な愛憎の計り知れぬ距離
・八章――「我を守りし星よ、その永遠なる領域へいつの日に、我を迎えるか」/『山猫』
・九章――現代のオレステスとエレクトラの「禁断の愛」/『熊座の淡き星影』
・最終章――ヴィスコンティ美学における二つの定式



◆4位『黒アゲハ』◆



黒アゲハ: BLACK SWALLOWTAIL/S/K Studio出版

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「内容紹介」

飽くことなき女色に耽った十八世紀英国の放蕩貴族ロチェスターに我が身を仮託しつつ、果てしなくセックスを繰り返す青年の日常がポップに描かれた《BUTTERFLY SEX》。
名門カトリック女子高を素行不良から退学し、初めてポルノに出演することになった少女の卑俗な言語を媒介にして描出される性の宴《BLACK SWALLOWTAIL》。
性愛にのみ聖性の回復を企てる青年が出会った女との忘れられない一夜《LINGERIE HEART》の三篇を収録。
卑俗かつ挑発的な言語を大胆に駆使した「露出症」的エクリチュールの極北。
【装訂/門倉ユカ】

【目次】

1《BLACK SWALLOWTAIL》
2《BUTTERFLY SEX》
3《LINGERIE HEART》


03/26のツイートまとめ 

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afterfinitude01

lassen,laisse,laisserは同じ意味を巡るのだが、ハイデガーはエックハルトに言及した『放下』の中でGelassenheitを「物が物として生起する」位相への接近として解釈する。肯定も否定もせず、大自然の草花も大都会のビル群も全て同じオブジェクトとして委ねられる。
03-26 20:01

続いて後期デリダの代表作『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』を読み始めたが、驚くべきことに前半の創世記論で、神はアダムを「放っておく」、動物たちを名付ける自由を「委ねる」の部分をデリダはlaisseで表現している。これは『名を救う』と繋げて読むと面白いことになりそうだ。
03-26 18:08

『名を救う』で論じられるP.S.(追伸)の概念はクリプキのウィトゲンシュタイン論やルーマンとも関係するだろう。つまり、行為は観察によって「事後的に」意味を持ち、行為の瞬間には不確定に留まるのである以上、あらゆるécritureは本質的にポスト・スクリプトゥムである。
03-26 16:48

アウグスティヌスの『告白』をP.S.の代表例として挙げるデリダのセンスには本当に魅了される。神はアウグスティヌスの告白内容を既に知っているので、彼は実は神に向けてというより、明確に「読者」に向けて書いていた——すなわち告白の言語化は常に既に「追伸的」であらざるをえない。
03-26 16:04

この観点で「神は与え、奪う」のような、贈与が同時に剥奪の次元と結合する旧約的な表現も解釈できる。「不可能なところへ赴くこと、それはあなたに可能だ」、「私とは私であり、私ではない何かである」、「神は愛であって、愛ではない」etcも否定神学的な文彩として神を指示し、かつ指示しない。
03-26 15:52

デリダがヘーゲルの弁証法を批判的に相続するかたちで展開する否認(dénégation)は文学的にはブランショの文体——というよりジャベスにも通底するユダヤ的な砂漠(désert)の思考を地下水脈にしている。単なる否定/肯定の対立でなく、否定がそのまま肯定に等しくなる特異な運動。
03-26 15:40

「全てをそのままに(lassen)しておかねばならない。全てのあるもの(quelque chose)を神の愛によってそのままにしておかねばならない」(p94)——たとえ母が、私が彼女の息子であることを忘れたとしても。特定宗派への「帰属なき帰属」を表明する彼の倫理感の深さを感じる。
03-26 15:26

後期デリダがハイデガーも注目したエックハルトのGelassenheit(放下)の概念にこれほどシンパシーを感じていたことを知ったのも収穫だった。この語は動詞lassen(捨てる、そのままにする)の過去分詞から作られた名詞形で「平穏さ」とも訳される。放棄することは平穏さを生み出す。
03-26 15:13

『名を救う』はデリダによる神秘主義論、神論としても注目される。シレジウスの他、エックハルト、クザーヌス、ベーメ、タウラー、ディオニュシオス・アレオパギテス、ロイスブルーク、アウグスティヌス、プロティノスに目配せが行われるだけでなく、ハイデガーやマリオンについても言及される。
03-26 15:07

息子の名を忘れた母ジョルジェットの看病をしつつ『ケルビムのごとき旅人』を読んだ後期デリダのシレジウス論『名を救う』読了。最近読んだ中では『信と知』と並ぶ好著。否定神学の運動であるapophase、dénégation、余白と並ぶpost-scriptumなど重要概念が展開される。
03-26 14:58


03/25のツイートまとめ 

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afterfinitude01

RT @yomutokaku: 「信じる」の対義語は「疑う」である。辞書にはそう書いてある。受験勉強まではそれでよい。だが実人生は違う。疑う者は、心のどこかで信じることを望んでいることがある。「信じる」の対義語は「知る」だろう。本当の意味で信じるとは、知り得ない何かの前に立った…
03-25 17:05

RT @yomutokaku: 一杯のコーヒーをゆっくり飲む時間がない毎日もよくないのだろうが、一冊の詩集をなでるように読む、そんな時の流れが生活にないのも、きっと、誉められたものではないのだろう。若い時は、何かを学ぶために詩を読んだ。今は、それを愛したくて読んでいる。むしろ、…
03-25 17:05


03/24のツイートまとめ 

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afterfinitude01

キリストの洗礼を画題にした絵の中で——というより、洗礼者聖ヨハネを描いたものの中で私が最も大切にしている作品。Andrea del Sarto《Life of John the Baptist: the Baptism of C… https://t.co/cSG5Zjeg6C
03-24 23:35

@junichi_abe ちなみに、私はランニングしている村上春樹がかなり好きです。彼は三島のような自己懲罰的な身体酷使ではなく、もっと垢抜けたトレーニングの手段と精神性を身に付けている気がします。走ることと書くことが無意識の中で連合しているのかもしれません。
03-24 18:20

@junichi_abe 以前、知人の一人が彼はユングからけっこう影響を受けていると言っていました。反復、変奏されるテーマなどがあるのでしょうか。現代文学をポスト村上的な状況として捉えた時、abeさんが抱いている問題意識や相続への意志は私も興味深いです。
03-24 18:08

高山右近の列聖と同時代になり得るとすれば、私は今の時代にも希望、支え、快復を見出せるような気がする。聖ジャンヌ・ダルクの場合、1920年にベネディクト15世が列聖するまで列福から11年だったので、右近も今世紀前半に列聖され、今後多くの人が彼を洗礼名に持つことになっていくだろう。
03-24 16:12

RT @h2ropon: 6. 何年先かはわからないが、高山右近は列聖されるだろうと今日確信した。「殉教者」の信仰に優劣はない。しかし彼は他の福者、聖人にない、日本の迫害のカリスマとなりうる諸条件が揃っている。意外と早いかもしれない。その時は、中浦ジュリアンやペドロ岐部、金鍔次…
03-24 15:55

RT @mikunino_ie: 昨年マザー・テレサが列聖されたあと、三位一体のエリザベットが列聖されましたね。エリザベットの神の神殿となるという言葉と高山右近の列聖と沈黙の映画が皆繋がっているように思います。特に三位一体のエリザベットの列聖には大きな意味があるように感じており…
03-24 15:55

@junichi_abe 私はabeさんほど読んでいないのですが、彼の最近の文体は美しい気がします。老いることで、若い頃に開拓した様式が更に磨かれることもあると思います。逆にどんどんピュアになっていく人も。一人の作家を総体的に読むこと、追い続けることは今の時代に必要だと思う。
03-24 15:14

以前、神父から聞いて以来ずっと調べもせず謎のまま記憶に保管されている『マルコによる福音』に実はマルコ自身が記されている(イエスが捕縛された際、あまりの恐ろしさから衣服を全て脱ぎ去って逃げた臆病な男=マルコ)という説。自分を最も弱い存在として自画像的に書き込む準-私小説の試み?
03-24 08:43

20代前半の頃、私は一人称でしか私小説を書けなかった。実際に私小説は三人称でやった方がはるかに面白いし得るものが多いと気付いたのは、ジェイムズの三人称視点人物と、プルーストの一人称の意識の流れが互換性において極めて高いことを知った(中村真一郎の評論を経由して)からだと思う。
03-24 08:26

初対面で強烈に引き寄せられ、すっかり魂の奥底まで魅了した異性が、往々にして最も残酷な苦しみを主人公に与える。ヴィオネ伯爵夫人がその典型だったので、おそらくマダム・ド・モーヴにも一癖あるのではないかと考えている——ジェイムズが初登場時に審美化する人物にはたいてい裏がある。
03-24 08:17

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