【  2010年12月  】 更新履歴 

ヴァレリーの、スピリチュアルな瞑想論のテーマは、「自分の木」を認識すること、にあるが、この思想的背景には、どうやら、北欧神話の神樹崇拝が、あるようである 

† 現象学  †


 ヴァレリーは、『樹についての対話』の中で、一つの、瞑想論を、提示している。これは、ルクレティウスと、ティティルスによる、対話篇であるが、神話論的、かつ、宗教的な、意義も、濃密に帯びている作品である。ヴァレリーが彼ら二人に語らせているところによれば、我々の、この身体の中には、少なくとも、一本の木がある。この木を、仮に、「自分の木」と、呼称する。この自分の木は、我々の精神や、感性の影響作用のもと、また...全文を読む

ポール・ヴァレリーの芸術論は、不完全であり、彼の「主体性」についての考え方も、最早、現代的に通用、しない 

† 現象学  †


 ポール・ヴァレリーの『エウパリノス』を読んだ。『エウパリノス』ここで、ヴァレリーは芸術の中で至上のものが、「建築」であると規定している。これには彼なりに三つの理由がある。1、建築は、実用的である。つまり、身体にとって2、建築は、美である。つまり、魂にとって3、建築は、持続である。つまり、時間にとってそして、建築の創設は、人間が「無限」の空白を回避するために行われてきたものであると謳歌している。この...全文を読む

聖書の、parergonality(余白性)について、グノーシス文献『この世の起源について』から、考える 

† キリスト教神学 †


 聖書は、旧新約を含め、この世界に起きる、一切の現象の、原型―アーキタイプ、として、ある。聖書の原文は、これまで数知れない言語に、翻訳されてきたわけであるが、しかし、未だ、全く、誰も、翻訳していない箇所が、一箇所だけ、存在するのである。それを知る、手掛かりとなる文献が、ナグ・ハマディ文書『この世の起源について』に、ある。この本は、典型的な、グノーシス文献の、一冊として名高いのであるが、ここで、神の創...全文を読む

創世記は人為的に編纂されたものである以上、10章と、11章に見られるような、時系列の逆転が、発生しうる 

† キリスト教神学 †


 創世記を、注意深く読んだことのある読者なら既に知っているかもしれないが、これは時系列に沿って書かれたわけでは、ないのである。その証拠に、10章と、11章は、明らかに、順序が逆である。もともと、創世記とは、一人の作者が書き上げたものではなく、古代イスラエルに存在していた、数多くの創世神話を、多くの編者たちが、編み上げた―練成した、ものなのである。ちなみに、学術的な観点からおおよその成立年代も算定され...全文を読む

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