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鈴村智久の研究室

表象文化論、美学の研究者鈴村智久です。哲学・思想ブログランキング総合2位。

10/24のツイートまとめ

Posted by 鈴村智久 on   0 comments   0 trackback

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ヴェルフリンによれば、全ての芸術的直観は常に何らかの認識論的「形式」に拘束される。絵画を「観る」とは、ある何らかの「形式」によって「観る」こと、すなわち「制度的な眼」を媒介にすることを意味する。同様に、あらゆる芸術作品は例外なく何らかの「様式」の枠内に帰属される。
10-24 22:46

ブルデューは文化的なlégitimité(正統性)を、「自然的差異として誤認されるに至った社会的差異、無根拠な根拠」として定義する。ノブレス・オブリーシュやナショナリズムは「正統化」された「ドクサ(臆見)」、すなわちortho-doxie(正統ドクサ)であり、本質的に幻想である。
10-24 22:41

ブルデューは『美術愛好』で「眼は文化的産物である」という定式を提示しているが、これは「視点が対象を創造する」というソシュールのテクストを敷衍したものである。同様の見解は、ヴェルフリンの『美術史の基礎概念』結論部の認識論とも一致する。
10-24 22:36

modus operandi(作り出す方法)をハビトゥスとした場合、opus operatum(作り出された作品)とは行為者の諸特性、生活様式である。ハビトゥスが我々行為者の慣習行動を生み出す〈生成母胎〉=〈方法論〉であり、いわば行為者は〈ハビトゥスの作品〉という図式が成立する。
10-24 22:31

フランス語の有名な諺“Chassez le naturel, il reviendra au galop.”(本性を追い払ってみよ、すぐさま舞い戻ってくるであろう➡人の本性は容易に変えられない)は、「ハビトゥス」が「存在」にいかに決定的な影響を与えるかを如実に物語っている。
10-24 22:26

現代文学の通奏低音たる「書くことの不可能性」について、ド・マンはlinguistic predicament(言語的な苦境)と表現している。「ポール・ド・マン・ルネサンス」である現在、その思想的営為は、今後新しい文学の可能性を開く全ての書き手にとって豊穣な収穫を齎すだろう。
10-24 22:21

文化的に何が「正統的」であるかというこの問題は、常に〈界〉内でのclassement(分類=階級付け)の操作を通して行われる。「R・シュトラウスは世俗的だがバッハは正統的である」、「P・ハイスミスは大衆的だがH・ジェイムズは純文学的である」などの「印象/効果」はここから生まれる。
10-24 22:16

distinguerの過去分詞であるdistinguéが形容詞になると、「上品な、気品ある」という意味になる。différences(差異)、différenciation(差異化)、discrimination(差別)もdistinctionの概念的な射程範囲にある。
10-24 22:11

ブルデュー社会学の基礎概念であるdistinctionは「他者から自己を区別して〈際立たせる〉こと」を意味する。「区別、弁別、識別」、AとBの差異、その差異の認識である。これは元々、フランス語特有の代名動詞であるse distinguer(自分を他者と区別する)の名詞形である。
10-24 22:06

六つの特徴は「読書のスタイル」や「絵画の審美眼」などの「美的性向」においても共通するため、行為者の「ハビトゥス」を顕在化させる。goûtが「趣味」だけでなく「味覚」を意味するのはこのためである。生活上の必要性から最も距離を置く行為者はより「ゆとり」があり、貴族的である。
10-24 22:01

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