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鈴村智久の研究室

表象文化論、美学の研究者鈴村智久です。哲学・思想ブログランキング総合2位。

04/17のツイートまとめ

Posted by 鈴村智久 on   0 comments   0 trackback

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いずれにしても、私は青春とは何かを今後も文学と手を取り合って考えていきたい。ひとは井戸の底で長く暮らしている時には辺りの暗さに気付かない。今は、もう少し「青春的なもの」(行動原理、心理的メカニズム)を扱いやすくなった気がする。ひとつの時代が終わると、その編纂の時代が始まる。
04-17 23:08

でも今、そういった垣根は少しずつ消尽されつつある。プルーストですらあれほど悲愴で孤独な作家だった。私は『見出された時』のあの自信なげな内的独白を読みながら、実はそこにドストエフスキーの『地下室の手記』に似たものを重ねていたのかもしれない。
04-17 23:00

おそらくその分水嶺として、ドストエフスキーが存在している気もします。私は長く彼の優雅ではない性格に反撥していた。自分の中にある暗黒を見透かされるような気がして、最初は湿疹を起こしてでも無理に私の中での優雅さのシンボルであるプルーストの世界に入ろうとしてきた。
04-17 22:55

私が以前よりも楽に生きれるようになったことは、青春が化石化しつつあるポジティブな側面だと思います。ただ、以前よりも直感的に「嵐」や「竜巻」に身を任せることが少なくなった代償として、綴る言葉から切実さ、過酷さ、死に物狂いさが消えてしまったようにも思う。
04-17 22:49

老年でも青春(精神的な身振りとしての)を謳歌できるけれど、人は確実にある年代を過ぎると青春の齢ではなくなる。その時、明確に彼らと自己の差異を認識する。郷愁を求めて青春を演じ続けるか、青春から意識的に脱皮するか、それとも折衷的に自然に振る舞うか、私の人生は今、静かに試されている。
04-17 22:45

『地下室の手記』はニーチェも高く評価していますが、個人的な読書遍歴として、高校時代に両者に出会ったということもあって、私の中では長く「青春の思い出」にしまわれてきた。でも今、私の中で「青春」をどう決算するかという問題が生まれていて、その過程として本書の再読が重要な意義を持ちます。
04-17 22:38

あと、亀山郁夫訳のドストエフスキー『地下室の手記』(新潮文庫で読んできたけれど、あまりにもボロボロになってしまったので)を買い直しました。これは今、私が新たに執筆している小説を続ける上でも読み返す必要が生まれたもの。
04-17 22:30

詩によって護られる、という感覚があります。社会的、個人的な苦境から、鳥の巣のように護られる、言語的に。だから仕事が終わって部屋でひと息ついた後に、詩集をめくれるひとはきっと幸せなんだと思う。詩人たちは血の滲むような鍛錬の末に卵を産み落とすけれど、読むときにはそれらに護られる。
04-17 22:24

最近、詩集を読んで自分が使う語彙体系をアップグレードしたい気持ちになっていて、先日、小笠原鳥類詩集を購入したのもその一環だったのですが、今日は蜂飼耳、野村喜和男、瀬尾育生の詩集を書いました。瀬尾さんの詩集は『アンユナイテッド・ネイションズ』以来。言葉の世界を鮮烈に受け止めたい。
04-17 22:18

イク顔と、哀しみの極致の悲痛な顔の類似。あたかも、単なる即物的なセックスでは悲劇的末路にしか到達しないかのように。イク瞬間の顔の皺の分だけ老いゆくかのように。なぜセックスには精神的な愛が必要かを物語っている。 https://t.co/SAsCbFyC2s
04-17 17:18

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