FC2ブログ

鈴村智久の研究室

表象文化論、美学の研究者鈴村智久です。哲学・思想ブログランキング総合2位。

11/27のツイートまとめ

Posted by 鈴村智久 on   0 comments   0 trackback

afterfinitude01

換言すれば、「解く」ことも可能だからこそ人は強固に何かに「結ばれる」のかもしれない。ここでベルナルドゥスの『恩寵と自由意思について』のテーマが現代に鳴り響く鐘のように前景化してくる。
11-27 22:57

『悔悟者』では、一度形成した家族との結び目を主人公が自由に解く。繋がりを解除する。切断する。切断の後には、必ず何らかの新しい「結び目」が生じる。この心理的過程が、アメリカからイスラエルへの空間的移動として精緻に描き出される。だからこの物語の真のタイトルは『出発』でもある。
11-27 22:42

同じユダヤ人でも、アルジェリア出身のデリダは『信と知』のreligioの語源学的な解釈において、宗教とは「結び合わせる」ものであると同時に、自由に「引き離す」ことも可能なものとして、いわば「リボンの結び目」(髪結い)のようなものとして位置付けていた。シンガーのテーマはまさにこれだ。
11-27 22:37

『悔悟者』には、ニューヨークもテルアビブも世俗の毒で満ち溢れている点で何も変わらないとある。どこに行っても、内面がユダヤ性と深く結合していなければすぐに綻んでしまう。「文学ほど私を苦しめたものはない」という言葉は、おそらくシンガー自身の最も大胆な告白でもあっただろう。
11-27 22:33

シンガーとル・フォールは、おそらく私が「文体」というものにあまり関心を寄せなくなったからこそ出会えた作家なのだろう。むしろ信仰を持ちながら書く行為を通してその道を模索している人にこそ、強い魅力を感じ始めたのだろう。これは二十世紀を生き抜いたこの二人の共通点だと思う。
11-27 22:27

私は十代後半から二十代前半まではボルヘスに、後半はジェイムズに影響を受けてきた。特にジェイムズの『使者たち』のあの三人称視点人物をベースにした意識の流れの文体は私の中で最重要のスタイルだった。そして今年、三十二歳になってそろそろ新しい作家と長く付き合いたいと思っていた。
11-27 22:20

シンガーについて、『ショーシャ』、『悔悟者』と読み終えたところで感想を。カトリックの私にとって、彼が描くユダヤ教徒の生は心から親近感と深い信頼を寄せられるものだった。もし信仰で人知れず悩みを抱えている人に私が何か推薦できるのだとすれば、この作家をおすすめしたい。 https://t.co/5njX4iAC8I
11-27 22:06

スポンサーサイト



11/25のツイートまとめ

Posted by 鈴村智久 on   0 comments   0 trackback

afterfinitude01

この三連休は大阪万博が決定したり、京歩きをしたり、夜更けまで枕頭の書の岩下壮一『信仰の遺産』を読み耽ったり、修道女の像を作ったりしているうちに、あっという間に過ぎていった。その中でも両親がミムネットを飼い始めたことが、やはりここ一番のニュースだった。 https://t.co/9Botvpcju3
11-25 23:36

現代でもアミュレットの持つ力は心理的な次元だけでなく実在的な観点から世界各地で信じられている。最近の私はこのような信が形になったものに関心がある。正確に言えば、私自身が今この時期に何らかの「キリスト教徒として生きた形」を文字とは異なる媒体において残しておく必要性を感じている。
11-25 20:16

キリスト教のアミュレットの歴史には、ペストから守護する魔除けとしてスイスやスペインで17世紀まで実際に用いられていた「ペストのクッション」という代表的なものがある。カバラカ十字架、ネズの小枝、赤い紐2本、聖人画を赤い布で包み込み、これを常に携帯するというもの。
11-25 20:07

昔から聖ヒエロニムス(と聖アントニウス)は洗礼者聖ヨハネの次くらいに好きな男性の聖人で、ライオンの棘を抜いてあげたり、荒野に隠棲して読書に耽るエピソードなど諸々含めて、私の中の聖人像のオーソドックスになっている。アトリビュートは伝統的にライオンと髑髏。 https://t.co/SgbsHADRJJ
11-25 19:47

けがれなき聖母の騎士会入会後、内的な必要に応じて作った石粉粘土製のアミュレットたち。左上から右に聖ジャンヌ・ダルク、聖ヒエロニムス、洗礼者聖ヨハネ、神の印章、アンク型十字架。 https://t.co/eWJB1TpAPg
11-25 19:28

裏面のラテン語は「あなたたちは主の道を準備しなさい、彼の通る道々をまっすぐにしなさい」(マタイ3:3)というヨハネの言葉より。《INRI》の印章はユリウス・ライヒェルト『護符実践術』(1676)にも記載され、レンブラントも使用していた形式(「ユダヤの王ナザレのイエス」の略称)。 https://t.co/AG3MOGpkcu
11-25 19:16

石粉粘土で洗礼者聖ヨハネのアミュレットを作ってみた。モデルにしたのはクリステヴァの『斬首の光景』のカバーにも下絵が使用されいるアンドレア・ソラリオによる《洗礼者聖ヨハネの首》(1507)。 https://t.co/Z4zDkblMhl
11-25 19:10

11/24のツイートまとめ

Posted by 鈴村智久 on   0 comments   0 trackback

afterfinitude01

暮れなずむ竹林の最後の光、そして夜の謐かな鴨川の畔。 https://t.co/MPESv1cqcY
11-24 20:04

今回、特に素晴らしかったのはやはり水路閣。淡い夕陽がレトロな赤煉瓦の壁に木々の影を映し出していて、時の経過の中で朽ちていくものと新たに再生していくものの見事な調和を感じた。 https://t.co/Y5Ti4V0uUA
11-24 20:01

イノダコーヒ本店のチョコレートパフェ。弟の結婚式の時に立ち寄った京都駅店でいただいたフルーツサンドも美味しかったが、こちらも生クリームの質からして違う。 https://t.co/pilDbdiTwY
11-24 18:35

燃えるような鮮やかさ。足下には石畳を緩やかに流れる水音。今も昔も変わらない古都の姿。 https://t.co/A9iJ8iglPD
11-24 17:27

紅葉といえば京都では南禅寺の庭園。雅な風情に心から癒やされた。 https://t.co/h8yZ9rncb0
11-24 17:22

三連休の中日だけあり、京都は賑わいを見せている。ここ哲学の道界隈は以前、父と二人で歩いたこともある想い出の場所。 https://t.co/5PGdDNR77w
11-24 17:17

11/23のツイートまとめ

Posted by 鈴村智久 on   0 comments   0 trackback

afterfinitude01

付記すると、トレスモンタンは生誕年をB.C.7〜A.D.5と見積もっており、その場合、イエスが磔刑に処された年齢も25〜㊲と幅が広がる。私はサンダース説を採用して32歳頃とみなしてきたが、やはり研究者によって若干の違いがあるようだ(これはイメージとしてのキリスト表象にも影響を与える問題)。
11-23 15:47

㉚年頃にイエスの死を置くのはサンダースの歴史的イエス論と共通するのだが、少なくともその五、六年後にマタイの原型が成立したとすると、「復活」の記述はそれを体験した人の生の記録(口述含む)を部分的に保存している可能性さえ出てくる。少数派だが、やはり驚くべき仮説だと思う。
11-23 13:56

共観福音書の成立年代について、私はこれまで二資料仮説(マルコ+Q資料)を採用してきたし、神父もマルコが最古だと言っていたが、トレスモンタン『ヘブライ人キリスト』によれば、最古は実はマタイであり、ヘブライ語版の成立年はなんとA.D.㊱年以前だという。
11-23 13:52

書きながら改めて、力は弱さにおいて最大化されるというパウロに思いを馳せていた。なぜ王侯貴族でも律法学者の家系でもなく、子は貧しい大工の息子でなければならなかったのか。栄光を否定する過酷な受難がなぜ選ばれたのか。こういう問題について、シェリングはかなりクリアな道筋を与えてくれる。
11-23 12:06

しばらく寝かせていた論文を加筆(四千字程度)。後期シェリング『啓示の哲学』における三位一体論と受肉論をベースにして、改めて潜勢態/現勢態について考えていた。基本的にはドゥルーズのスコトゥス論について書いた部分と重なるけれど、もう少し史的イエスに沿って言及できた気がする。
11-23 11:56

11/22のツイートまとめ

Posted by 鈴村智久 on   0 comments   0 trackback

afterfinitude01

RT @afterfinitude01: 谷川渥『肉体の迷宮』の「芸術の皮膚論」で言及される「襞」の彫刻の代表例。・ジュゼッペ・サンマルティーノ《ヴェールに包まれたキリスト》(1753)・アントニオ・コラディーニ《ヴェールに包まれた女性の胸像》) (1717-1725) h…
11-22 15:06

マデルノは刀傷から流れ出て凝固した血液までさり気なく表現している。特徴的なのは手の形で、左手の人差指は洗礼者ヨハネの絵画にあるように「神の子羊」を暗示していると考えられる。 https://t.co/NmrS3YF7dF
11-22 12:39

本日は音楽の守護聖人である聖セシリアの記念日。ローマのサンタ・チェチリア教会にある名高い彫像(1600)はステファノ・マデルノが棺を開けた姿のままに制作したとされるもので、谷川渥の皮膚論との関係でも注目される。グイド・レーニの絵画(1606)では演奏する眼差しが印章的だ。 https://t.co/eKuzMFtFUy
11-22 12:30

11/21のツイートまとめ

Posted by 鈴村智久 on   0 comments   0 trackback

afterfinitude01

私はあなたに会いに来るために、ここを訪れたのだと思う。周りに仲間が誰ひとりいない中、たった一人きりでも輝いていた。あなたにはどこか、かつてカルワリオを歩まれたあのお方に似た清らかさがある。 https://t.co/gUNe9Mn1nr
11-21 22:00

https://t.co/JWrgUl0PfW
11-21 21:49

安息日に訪れた緑地公園の円形花壇。とても空気が澄んでいて植物たちの息吹を感じた。かつてここには古墳があったようだ。 https://t.co/IzHz6IaCBj
11-21 21:48

11/19のツイートまとめ

Posted by 鈴村智久 on   0 comments   0 trackback

afterfinitude01

RT @nhk_news: 安土桃山時代 キリシタンが描いた絵か「受胎告知」など墨で #nhk_news https://t.co/tRpPnmhKSK
11-19 12:11

11/18のツイートまとめ

Posted by 鈴村智久 on   0 comments   0 trackback

afterfinitude01

ベンスーサンを読みながら否応なく想起してしまうのはレヴィナスの「顔」の概念、とりわけ「顔は涙を流す孤児として到来する」というあの決定的に「カトリック的な」(デリダ)一文なのだが、だとするとメシアは過去に私が出会った特定の他者として再来するのだろうか。
11-18 12:39

ベンスーサンがシェリングやヘーゲルの時間論を再検討しながら展開する「メシア的現在」は、決定的に新しい何かがある日突然、自然の斉一性を破壊するといった意味での「事実論性」(メイヤスー)あるいは「最深潜在性」には属さない。メシアはむしろ「浅い潜在性」から、過去の総合から訪れる。
11-18 12:34

神秘的な実在がもし厳密な科学的検証に耐え得るものであるならば、そこには最早「神秘」はない。神秘的なものは、いわば「メシア的なもの」として未来へと繰り越されなければならない。メシアは既に到来したとみなすキリスト教の場合、来たるべきものとは「来臨のキリスト」をおいて他にないだろう。
11-18 12:28

ディーが経験したとされるのは、天使ないし死者との対話であり、これはキリスト教神学に輪廻転生の概念を接合したカルデックの『霊の書』の成立過程に類似している。ただ、双方の対話は外部に表出した科学的実在としては経験されていない。根拠は常に経験した主体の「記述」の次元に留まる。
11-18 12:20

印章には往々にして«AGLA»(Atha Gebir Leilam Adonai)「主よ、あなたは永遠に強大である」などといったラテン語が刻まれていたが、ディーのこうした体験を厳密に「外からの到来」として解釈すべきかどうかについては更なる検討の余地がある。
11-18 12:13

『啓示の哲学』における「超-存在」的なものを実際に実体化しようと企図した神秘主義者は西洋にも多く存在しているが、16世紀のイギリスで活動したジョン・ディーの場合、水晶、水、鏡、印章などを用いて現実的に「天使との接触」を可能にしたという記録がある。
11-18 12:09

11/17のツイートまとめ

Posted by 鈴村智久 on   0 comments   0 trackback

afterfinitude01

むしろ内在的な滅却とは「頓挫」ないし「中断」されることそれ自体の審級ではなかったのか。滅却の停止、超越との切断において各人が担う十字架が初めて可視化される。だからこそ神は実在的なものとして一度は歴史に介入する必要があったのではないか。
11-17 13:44

穿ったことをあえて言えば、エックハルトやポレートが本当にこの世俗において「自己滅却」に達することが可能だと考えていたのかを一度は問い直しても良いはず。修道院、砂漠、在俗といった場に関わりなく人は必ず外在する事物、他者からの干渉を受け、関係性に巻き込まれることで生きているからだ。
11-17 13:36

一方で、キリスト教と仏教で共通する部分を探し出し、「根は一つ」として同一性に還元してしまう安直さを回避するためにも、キリスト教において真に固有のものとは何かを自覚しておく必要性を感じる。内在とは独立して神的な出来事(受肉/復活)が実在的に生起したという観点がやはり前景化する。
11-17 13:30

洗礼者聖ヨハネによる、彼(キリスト)は栄え、私は衰えなければならないという名高い言説も、ポレート的な「自己滅却」に結び付けて捉えることは可能だろう。この場合、衰えるものとはポレートの文脈に直せば自己の「理性」であり、理性的に神を獲得したとみなす自負心に他ならない。
11-17 13:22

11章で展開される「愛の至高の自己滅却」の教えに代表されるように、ポレートは確かにエックハルトと通底するところが多い。つまり内在から超越を志向しつつこれと合一するベクトルであり、最終的にはテオーシスへ達する。これは『臨済録』にも見られる内在原理で、仏教との互換性は極めて高い。
11-17 13:15

12月に村上寛氏の『鏡・意志・魂──ポレートと呼ばれるマルグリットとその思想』が刊行されることもあり、改めて当時異端の根拠とされつつも、現在は神秘神学の重要な古典である『空しくされ、ひたすら愛の意欲と欲望のうちにとどまる単純な魂の鏡』を読み直していた。https://t.co/fWzqUNIB3c
11-17 13:04

RT @Iwanami_Shinsho: サントリー学芸賞(思想・歴史部門)を受賞した山本芳久『トマス・アクィナス 理性と神秘』も帯が変わります。 https://t.co/zRsGRHC4Zi
11-17 07:54

RT @201yos1: 宇野重規先生が書いてくださった、『トマス・アクィナス 理性と神秘』のサントリー学芸賞の選評は、拙著の選評としてのみではなく、トマス・アクィナスが現代において持ちうる意義を浮き彫りにした文章として、私自身にとっても非常に啓発的でした。お読み頂けますと幸い…
11-17 07:54

11/15のツイートまとめ

Posted by 鈴村智久 on   0 comments   0 trackback

afterfinitude01

今日、遂にル・フォール著作集一巻が届いた。ゲルトルート・フォン・ル・フォールは二〇世紀ドイツを代表するカトリックの女流作家。本書には主著『ヴェロニカの手巾(ハンカチ)』全編が収録。一冊の小説のページを開くことに、これほどの幸せを感じる日も珍しい。https://t.co/Fo5Z9QrN1R https://t.co/e5jGlL5rxv
11-15 22:29

11/11のツイートまとめ

Posted by 鈴村智久 on   0 comments   0 trackback

afterfinitude01

湯葉、鴨肉、椎茸などが入ったやさしい薄味の天ぷらうどん。最近大阪も少しずつ冬になってきたので、芯まで温まった。(待ち時間一時間弱の人気店だったが、その合間に読んでいた『道徳と宗教の二つの源泉』の「神秘主義」についての考察が非常に興味深かった) https://t.co/QY8UI6aENc
11-11 21:32

田川建三『イエスという男』もリストに入っているのが印象的だ。 https://t.co/UFeKeR5fNm
11-11 21:23

丸善ジュンク堂書店(梅田)での柄谷行人書店。カント、スピノザ、ルソー、ヘーゲル、レヴィ=ストロース、ファノンからサド、フローベール、ベケット、ジョイスといった人文学の洗礼を受けた人なら誰もが一度は読むことになる王道路線(いわゆる「必読書」)が並ぶ。 https://t.co/rVrLr4Susp
11-11 21:22

最新号『群像』(12月号)の「群像新人評論賞発表」での選評は、おそらく評論を書く人への貴重な戒めが含まれている。ドゥルーズやアルトー以後のフランス現代思想を原書の深い精読と斬新な問題提起なく用いること自体が、「凡庸なもの」(熊野)として一蹴される界内の暗黙の了解を示しているからだ。
11-11 12:23

メシアの到来が、ベンスーサンが述べるように「かすかな因果性の戯れ」を排除しないのだとすれば、デランダや李がそのドゥルーズ論で前景化した「純粋潜在性」とユダヤ的メシアニズムにおける到来するものの持つ時間性は異なることになる。それはメイヤスー的な潜勢態概念との差異でもあるだろう。
11-11 10:53

ベンスーサンが『メシア的時間』で展開するユダヤ的メシアニズムにおける「忘れられたものの再来」の観念は決定的に重要だろう。ここにはフロイトのユダヤ性(「失われたものの回帰」)だけでなく、デリダの「原-痕跡」あるいは「亡霊性」が関係してくる。
11-11 10:47

11/10のツイートまとめ

Posted by 鈴村智久 on   0 comments   0 trackback

afterfinitude01

砂漠の師父たちが「神は焼き尽くす火である」(ヘブライ12:29)というメタファーを好んだ痕跡は、教母シュンクレティケの「あなたは鉄であり、火によって錆を落とします」にも見られる。筆記することさえ過酷な環境下を潜り抜けて、後世に残された掛け替えのない言葉に胸を打たれる。
11-10 20:32

「川のそばで、土台のために使われた焼いていない煉瓦は、一日ともたない。しかし、焼いた煉瓦は石のようにもつ。このように、肉的な感覚を持ち、ヨセフのように神への畏れの火によって浄められていない人間は、権力の座に就いても滅びてしまう」オルシシオス(『砂漠の師父たちの言葉』)
11-10 20:21

カトリックの神学に、私は洗礼を受けて十二年経過した現在でもなお魅了され続けている。カトリック、それは私にとって人生最大の美の極致であり、神秘であり、救済であり、永遠の母鳥の羽毛である。二千年の時を経て守り続けられてきた生きた伝統がここにはある。
11-10 20:01

例えば《ブランデンブルク協奏曲》には、端的に我々が天国で実際に体験することになる天使的な調べに限りなく急迫した部分が現実的に含有されている。それは神的なものが、ルター派プロテスタントの想念を媒介にして、実際に万人が聴覚的に経験可能な音楽として「顕現」した証左である。
11-10 19:54

私の心の内には神がおり、他の人々には感じられなくとも私の魂は神の存在を証する──こうした内在志向的な信仰の限界は、まさにキリストの「復活」を実在として捉えることで克服される。厳密に言えば、復活は信仰の有無に関わらず、すべての人に体験され得る生きた現実的な出来事であった。
11-10 19:45

カトリックに改宗したユイスマンスが描く聖リドヴィナがあれほどの身体的苦痛を経て、死後にその遺体が十七歳当時の「雪の肌」をした姿に戻っていたというエピソードは、単に人々の心の中で信じられたものではない。リドヴィナの「肉体的復活」は実際に起きた出来事として体験されたものだ。
11-10 19:34

神は内在(超越論的主観)において存在するのか、それとも有限性とは独立した生きた実在として現実的に存在するのか、といった問題について、私は騎士会入会後ずっと考え続けてきた。実際には、神は内在において働きかけることもあれば、奇跡的な出来事として外在的に働きかけることもある。
11-10 19:25

11/07のツイートまとめ

Posted by 鈴村智久 on   0 comments   0 trackback

afterfinitude01

「廊下とは、それに沿って私的な行為、予測できない局面、情事、悔悟が生み出され、そうなることを前提とした空間の流れである」アルド・ロッシ『科学的自伝』 https://t.co/5LLChkCTY1
11-07 22:31

何世代にも渡って長く愛用できるものを選択すること──それは実は読書において何を読むべきかの価値判断にも共通する。 https://t.co/mNyH70yVcw
11-07 22:28

https://t.co/mRv0fROJ6v
11-07 22:21

アメリカ総領事ハンター・シャープの邸宅として明治㊱年に建てられた萌黄の館は、昭和19年に元神戸電鉄社長宅になり、昭和55年に重要文化財に。ペールグリーンの優しい趣のベランダが秋の柔和な午後の陽射しに照らされていた。穏やかな時間の流れる愛らしい邸宅だった。 https://t.co/J6176zYRW3
11-07 22:20

11/04のツイートまとめ

Posted by 鈴村智久 on   0 comments   0 trackback

afterfinitude01

食器棚に彫り込まれたこのさり気ない古代ローマ風のプロフィールを眺めていて、なぜ人は正面ではなくプロフィール形式で肖像画を描いたのか感覚的に理解できた気がする。つまり、対面よりも横顔の方がより観者と描かれた対象との視線の交わりを「淑やかに」回避できるからだ。 https://t.co/3Y80LNqKUv
11-04 22:40

https://t.co/VuDN41e9o9
11-04 22:34

風見鶏の館で特に印象的だった神秘的な作品。眠り込んでいる女性の前に現前する天使の姿。これは彼女の夢の外で現実的に生起した後期シェリング的な意味での「実在」として捉えることができる。天使は内在においてではなく、ソファーの上に実際的な事実として到来する。 https://t.co/nq5jYR7l0L
11-04 22:31

https://t.co/sDl6q1ggrj
11-04 22:18

北野にて訪れたのは明治㊷年頃に建築された国指定重要文化財の風見鶏の館。随所に見られるアール・ヌーヴォー風の精緻な装飾が素晴らしかった。ヨーロッパの教会建築において「風見鶏」は元々、ペトロの三度の否みに由来した罪への戒めとい意味が込められている。 https://t.co/97vBQYZpIR
11-04 22:13

11/03のツイートまとめ

Posted by 鈴村智久 on   0 comments   0 trackback

afterfinitude01

モスクを出た後、私たちはシナゴーグの前を通り過ぎた。こちらは土曜日は見学不可だったが、壁に「ユダヤの星」を見つけた時は小さな喜びを感じた。それは私が今、まさにシンガーの小説を通じて厳格なユダヤ教の歴史と文化にも関心の輪を拡げていることと関係するだろう。 https://t.co/tF9MFgXJ69
11-03 23:44

話しぶりと表情から、彼がいかにイスラム教について深い教育を受けているのかが私にも伝わった。日本人はまだ少ないが、多い日には三百人がここで祈りを捧げるのだという。聖堂の片隅には使い古したコーランと思しき分厚い書物が並んでいた。彼と時間を共有できたこと自体を主に感謝したい。
11-03 23:34

モスクでは初めて訪れた人のために、こんな入門書を無料で配布している。入門書とはいえ、教科書的なしっかりした構成だ。ユダヤ・キリスト教と同じく一神教なので、神についての説明にはカトリックと本質的に共有できるものも多い。 https://t.co/E5IIn2OkWQ
11-03 23:27

教会で昼の祈りを終えた後、私たちは他宗教の施設見学のために神戸ムスリムモスクを来訪した。㉟年に建立された日本最古のモスクであり、㊺年の神戸大空襲でも奇跡的に焼失を免れた歴史を持つ。内部は撮影禁止だが、若いムスリムの男性が極めて親切に聖堂の中まで案内して下さった。 https://t.co/OfSmg3l15C
11-03 23:17

小聖堂の奥では神父様が瞼を閉じながら立った状態で黙想しておられた。淡い陽を背にしながらわずかに微笑んでおられたので、そのまま光の梯子を昇って天国へ還ろうとする直前の天使の姿に重なった。非常に幻想的な瞬間だった。 https://t.co/Nk4gufDWRA
11-03 23:08

https://t.co/EHHTjNwOdu
11-03 22:59

聖堂内のステンドグラスの装飾は素晴らしかった。幸運にもじっくり一枚一枚の前に立って眺めることができた。 https://t.co/X0ngOf39lp
11-03 22:58

こちらは阪神淡路大震災で倒壊した旧下山手教会の鐘。しっかりとイエス様が刻まれていた。 https://t.co/Sud0Zijy19
11-03 22:56

聖堂内の聖母子像。不思議なことに、聖母の頭をそっと撫でているときはひんやりと冷たい質感だったのだが、幼子イエス様を抱いている彼女の手に触れると、わずかな温かみを感じた。まるで生きているかのように艷やかな触感だった。 https://t.co/50b7CLdn8p
11-03 22:52

土曜日は昼下がりのカトリック神戸中央教会を訪れ、誰もいない静謐な聖堂の中で祈りを唱えた。今、最も主の救いを希求しておられるすべての方々に恵みが豊かに届きますように。もしも主が私に恵みをお与えになるのなら、その分まで彼らにこそ多く与えられますように。 https://t.co/LUD69aPKdZ
11-03 22:47

11/01のツイートまとめ

Posted by 鈴村智久 on   0 comments   0 trackback

afterfinitude01

石粉粘土の利点は硬化すると実際に石の強度を持つ点だ。風雨に曝されてアクリルが剥げても石材なので基本的に百年、二百年単位で持続する。保存状態さえ良ければ先の資料のように、ただ石としてそこにあり続ける。ゆるやかに摩滅していきますように。 https://t.co/C0RNdsX9Ij
11-01 22:59

青年時代の洗礼者聖ヨハネ。コプト美術やビザンティン美術は素朴な形態の中に深い信仰心を表出したものが多く、髪の毛の一本一本を刻み込みながら歴史の聲を聞く想いだった。 https://t.co/9whPJlgUsZ
11-01 22:46

久々に石粉粘土とアクリル絵具でお護りを作ってみた。五世紀頃の東方キリスト教、とりわけコプト教会で実際に使用されていたアンク型十字架をデザインしたもの。コプト美術は古代エジプトの影響を多分に受けており、アンクは「生命」を意味している。惑星記号では「金星」(♀)にも関係する。 https://t.co/vpG549jlmB
11-01 22:37