† 神秘主義 †

諏訪春雄『霊魂の文化誌』+脇本平也、田丸徳善(編)『アジアの宗教と精神文化』

霊魂の文化誌  神・妖怪・幽霊・鬼の日中比較研究霊魂の文化誌 神・妖怪・幽霊・鬼の日中比較研究
(2010/07/31)
諏訪春雄

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後醍醐天皇の時代、京都五条のある通りの柿木の上に、忽然と仏が姿を現した。
この仏は神聖な光を発し、花びらを降らせていた。
人々は愕き、これは何か有り難いことが起きる兆しであると考えていた。
しかし、皇族のある男がこの出来事になにやら「不穏な」においを嗅ぎ取り、現場に向かうことにした。
彼は二時間余りその仏を対峙していた。
すると、しばらくして突然、木から巨大な鳶の姿になった仏が墜落した。
この鳶は周囲にいた童子たちに叩き殺されたという。



以上は、『今昔物語』に登場する「天狗」が引き起こした怪奇現象についての伝承の要略である。
天狗とは何であろうか。
それは妖怪と呼ばれている。
本書『霊魂の文化誌』で著者の諏訪春雄氏は、日中で見られる「妖怪」、「幽霊」を比較的に分析している。
分析とはつまるところ、「分類する」ということであって、本書は膨大な書物に登場するそれぞれの「妖怪」、「幽霊」をカテゴライズしている。

本書は全てのページが、何か不可思議な緊張感に満ちているスリリングな本でもある。
扱われている文献も多様で、この手の研究書の中では比較的論理的に区分されているといえるだろう。

私がここで一つ考えてみたいのは、本書に登場する空間概念としての「異界」と「他界」である。
他界は周知の通り、「あの世」であり、文献によれば「根の国」や「黄泉」などとも呼称される。
他界は現世と領域が異なる。
二つを円で表すと、その円が交わっている部分が「幽霊」の交通する媒介であるとされている。
幽霊は他界から、現世を自由に交通できるものであり、それは「人間」から死後霊魂が乖離することで生起する。
他方、妖怪は死んでいるわけではない。
妖怪はアニミズムのような、「雷の神さま」、「川の神さま」、「釜の神さま」という、一種の中国的な「万物有霊論」に立つ視座に基く。
妖怪は往々にして自然現象を神格化した存在である。
例えば、全国的に伝承が伝わる河童は、もとは「海の神さま」であるが、これが零落して「川の神さま」と成り下がる過程(by 柳田国男)で、「亀」+「少年の姿」といったようなキメラ的な合体が起きることで生まれた妖怪である。
妖怪は、幽霊が他界からやって来るのに対し、異界に属する。
異界は、先のような同心円モデルで表現すると、現世という円の外円として表される領域である。
すなわち、異界は現世と直接的に重なり合っているのだ。
「鶴の恩返し」において、鶴が姿を現すのは異界化された機織の部屋の内部のみである。
民家の内部の特定の部屋の中がその時、異界化しているのである。
諏訪氏が定義するように、民間伝承に伝わる「他界」、「異界」をそれぞれその類型に基いてカテゴライズすると、ある共通項が見出される。
異界は現世を覆う円であり、けして死者がそこから来るのではない。
やって来るのはより異様な姿をした妖怪である。
この妖怪の起源は、実は古代人の「動物供犠」において捧げられていた動物たちが原型となっている。
中国に伝わる「龍」は、複数のキメラ的合体の結果であるが、それらは全て古代人が犠牲に使った「蛇トーテム」、「鳥トーテム」などの集合体なのであり、これらは「トーテム複合」と呼ばれる。
妖怪が往々にして、一匹以上の動物のキメラ化の原理に従うのは、このトーテム複合の原理に基くと考えられる。

次に、上田秋成の『雨月物語』に登場する怪奇現象を紹介する。

ある雨の日に美しい未亡人と男が関係を持つ。
男はその後彼女と吉野を旅するが、途中で神官が女の正体に気付く。
女は「蛇」であり、彼女は滝の中へと姿を消す。
数年して男は平穏な暮らしを始める。
新妻との二日目の夜に、彼女に蛇の女が憑依するという異変が起きる。
対策を求めた男は、ある和尚から法衣をかぶるせようにいわれる。
男は教えられたとおりに法衣をかぶせ、鐘の中に蛇を封印するに至る。



この蛇は、動物に属すので分類上「妖怪」である。
繰り返すが、幽霊は元をたどれば一人の人間であるに過ぎない。
対して妖怪は、アニミズム的な起源を持ち、自然現象の神格化(祟り神化)という性格を帯びるのだ。
中国はキリスト教のような神学的体系における「神」を持たない。
彼らは全ての物に神を認める。
「恩恵をもたらす神であっても、扱いを誤れば祟り神に転化する」(by 諏訪春雄)のがその特徴なのだ。
ところで、幽霊も妖怪も、総称すれば「霊的現象」である。
霊的現象の本質とは、霊肉二元論に基くということである。
では、どのような状態で我々はそのような霊的現象に出会うのか。
そもそも、我々が「幽霊」や「妖怪」といった怪奇現象を信ずるようになったアーカイヴ(起源)とは何であるのか?
それは、多くのシャーマニズム研究者が指摘しているように、「」である。
古代人の少年が、ある日森で母親が死んでいるのを発見する。
彼は村の掟に従って母の亡骸を埋葬する。
悲嘆に暮れる少年は、数ヵ月後に夢で死んだはずの母親に語りかけられる。
このように、「」という「変性意識状態」が織り成す影響によって人類は、初めて霊的現象の本質に急迫したのである。

アジアの宗教と精神文化アジアの宗教と精神文化
(1997/04)
不明

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研究によれば、古今東西どの地域でも、シャーマンは「夢」を媒介にして霊的存在からのメッセージを受け取っている。
シャーマンとは、他界から現世に幽霊がやって来るその媒介項に自ら成ることのできる宗教的存在者である点で、職能的司祭とは異なる。
これは、宗教組織におけるプリースト/シャーマンの決定的差異としてシャーマニズムでは基本的な考えとなっている。
シャーマンのエクスタティック・トランス(トランス状態)は、薬物に依存した人為的かつ個人的な変性意識とは異なる。
というのは、シャーマンは「他者」のためにトランスになる存在だからである。
他者の癒しのためにトランスになって「憑霊」する、ないし「脱魂」するのである。
だから「トランス状態」は、シャーマニズムの文脈でしか使用できない概念である。
先ほど、シャーマンのイニシエーションのプロセスにおいて「夢」が有効であると述べた。
フィリピンの魔術的な島として名高いシキホール島の「呪医」によれば、やはり「夢」によって神的存在(シキホールはカトリックなのでこの場合、イエス・キリストの御告げ)がメッセージを送る。
シキホールの呪医は、通常の医療行為と並行してシャーマン的特質も備えるのである。
彼らの島民からの信頼は絶大である。
極めて興味深いことだが、シキホールの呪医間では「夢見る経験が共有され再生産されている」という現象が推測されている。
具体化すれば、「御告げの夢」の内実に類似性が認められるということだ。
その夢が、子々孫々と再生産されているのである。
司祭が血族で職能を再生産するのに対し、シャーマンは「夢」を再生産しているのである。
これは実に神秘的で、「夢」の研究者であったボルヘスも愕くような現象であるといえるだろう。




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