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黒澤清作品における心霊主義の解明

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Copyright(c)『降霊』 

黒澤清の心霊主義を基調とした作品はどれも傑出した魅力を放っている。
黒澤清もその映画観で、「人間存在そのものが既にして幽霊的である」という趣旨を伝えているように、ホラー映画が逆説的に日常生活の本質を「曝け出す」ということはあるのかもしれない。
『降霊』は、霊媒師としての力を持つ女性の社会的野心が、ほんの心の隙として引き起こす一連の怪奇現象を描いている。
やはり注目してしまうのは、『回路』や『CURE』、『叫』でも登場したタルコフスキー的な廃墟という舞台仕掛けである。
『降霊』でも霊媒師の女性は、まるで何らかの異界と交信しに行くかのように「少しだけ時間をちょうだい」といって廃墟へ向かう。
廃墟と幽霊――デリダ的なエクリチュールの舞台であると同時に、心霊主義的な温床である。
私はチープな心霊映画を評価しない主義だが、黒澤清の描く心霊現象は極めて心理的な恐怖を誘う。
幽霊や妖怪についての近年稀に見る総合的研究である諏訪春雄学習院大名誉教授の『霊魂の文化誌』によれば、「幽霊」とは、人間存在が死後、肉体は滅んだが霊魂だけ「他界」から通路を媒介にして現世へシンクロしてくる、そうした現象一般を意味している。
日本の幽霊が往々にして、「トイレ」や「井戸」や「山中」に姿を現すのは、「他界」が地下や天上(山は他界信仰においては天上へ最も近い通路であるとされた)と結び付いて信じられてきた伝承に基いている。
だが、諏訪氏の研究は「廃校」や「廃墟」に現れる幽霊が、一体何の信仰を土壌にして生み出されたのかはテーマにしていない。
よって、このテーマは「都市の中の幽霊」を考える上で、比較的新しいメッセージを放つ可能性を持つのである。
廃墟は、ある建物が時間によって侵蝕され、同時に無人化した状態である。
おそらく、廃墟そのものに霊が宿るというよりは、昔そこで起きた変死や異常死などによって「他界」へ去った死者の「霊」が、その土地に深く残存するという類型的規範に基くのであろう。
ゆえに、廃墟そのものは無害である。
害があるのは、何らかの建物で人間が異常死し、肉体から「霊」を突然乖離させることの「無念」から生成する「怨霊化」である。
廃墟になるのは、こうした事件による結果であるので、もし特に理由もなく使用されないだけの廃墟があるとすれば、そこに怪奇現象が起きるということは、「幽霊」についての伝承から導出される一般規則に基く限り、皆無であると断定できるのである。
ただし、もしも特定の人物に執着し、場から場へと絶えず移動する幽霊であるとすれば、無害であるはずのある空間が、悪霊の巣窟となることはあるのかもしれない。
いずれにしても、平安時代には平安時代の幽霊が、江戸時代には江戸時代の幽霊が、現代には現代の幽霊が存在し、それらには時間軸に関わり無く、何らかの「一般規則」が見出される。
これによって、初めて多くの幽霊現象を「分類する」という学問的意義が生まれるのである。
そこから、「幽霊」というものの特質に何らかの共通項が見出せるはずである。
繰り返しになるが、諏訪氏の大著の成果はその解明にあり、そこで幽霊は、「人間」が死後、「他界」から現世にやって来た存在として把握されている。
妖怪が自然現象の神格化であり、「異界」に属するのに対し、幽霊はあくまでも一個の人格を有する人間存在の「何らかの不幸な死」が引き金となって現世に霊を痕跡化させたものとして定義することができるのである。

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Copyright(c)『降霊』

「幽霊」について仔細に分析するためには、日本人が古来より持つ「他界信仰」(死の国)がどのようにカテゴライズされているのかを知ることが重要である。
以下の六つは、諏訪氏による「他界」の六分類である。

1 地下他界
2 海上、海中他界
3 天上他界
4 山上、山中他界
5 東方他界
6 西方他界

1は、死者は地下にある黄泉の国(根の国)へ向かうという信仰に由来する。
2は、常世の国や、わたつみ、かわたつみの宮などと呼ばれ、他界は海上か海中に存在しているとされた。
3は、高天原に代表される。
4は、死者の霊魂は山のような高い所に向かうという信仰に由来する。
5は、太陽の昇る方角に死者の国を結び付けた信仰に由来する。
6は、5と同じで太陽信仰に基く。



こうした他界信仰は、その葬儀形態と密接に関与する。
例えば「精霊ながし」に代表される「舟葬」は、明らかに2に基く。
遺骨や遺体を樹上にかけておく「樹上葬」は、山上、山中他界に由来している。
これら1~6は、全て古代の日本人が持っていた他界信仰の分類であるが、共通しているのは、「他界は現世と交通可能である」という概念である。
すなわち、現世という世界を一つの円として図式化すると、遠くに他界という円が描かれるのではない。
現世という円と、他界という円は交わるのである。
その接する面が、いうなれば「メディウム(媒介)」となるのであり、シャーマンは「憑霊」によってこのメディウムそのものとなるわけだ。
『降霊』で主演の女優が演じた霊媒師は、この「憑霊」を行い、霊を可視化する力を持つので、分類すれば「シャーマン」ということができるのである。
繰り返すが、現世と他界は、古代においては「交通」し、おそらく接している面もより大きかったと思われる。
現代ではこの面自体が急激な都市化とネット社会による高度な仮想化により、萎縮していると考えられるが、中には未だに本来日本人が備えているべきシャーマン的特質を宿している人間がいるのである。
『降霊』にせよ、同じ黒澤の短編作品『木霊』や『廃校綺談』に登場する、「霊感の強い少年少女」たちは、こうした古代のシャーマニズムのコンテキストから捉えなおすべきである。

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Copyright(c)『花子さん』

我々にとって、最も恐るべき謎、最も好奇心を誘う決定的な点、それは「幽霊の可視化」の問題である。
このテーマを哲学的に徹底的に摘出した最初の哲学者は、無論現象学の創始であるエドムント・フッサールである。
彼は、特に『イデーン』において、「虚構的直観」による「空虚な実在X(=幽霊)」の存在の「明証」プロセスを圧倒的な厳密かつ論理的な考察によって分析し尽した。
デリダが「幽霊」をテーマ化する礎石は、フッサールが既に蒔いているわけである。
さて、シャーマニズムの文脈から、我々は「霊魂の可視化」という究極のテーマについての道筋を示すことができる。
それは、すなわち「夢」である。
東アジアで活躍するシャーマンの大半が、「夢」による啓示を得たことをイニシエーションと捉えている。
「夢」は極めて重要な、「幽霊の可視化」の核心である。
夢枕に立つという表現が示唆するように、我々は「霊」の存在を、人類史のその黎明において「夢」の中で可視化したのである。
死んだ人間と会話できるのは、「夢」の中だけである。
いかなる科学者であれ、数学者であれ、論理学者であれ、自分の「夢」まで論理的な整合性を得たものとすることはできない。
「夢」は、いわば「異界」や「他界」との、第一のメディウムなのだ。
「夢」で得た霊的存在とのコンタクトを、実際に現実で起きたこととして把握し、その意味を霊的に受け止め、かつ思考することが重要である。
黒澤清の作品が持つ上質な心霊主義的傾向は、日本人の意識の古層に眠っている「異界」や「他界」との繋がりを想起させる、ある種の大いなるデジャ・ヴュとして機能するのである。




「参考リスト」


黒沢清の映画術黒沢清の映画術
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黒沢 清

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霊魂の文化誌  神・妖怪・幽霊・鬼の日中比較研究霊魂の文化誌 神・妖怪・幽霊・鬼の日中比較研究
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