† 神秘主義 †

アラン・カルデックの転生論と、ヴィクトル・ユゴーの降霊術について

フランス「心霊科学」考―宗教と科学のフロンティアフランス「心霊科学」考―宗教と科学のフロンティア
(2007/10)
稲垣 直樹

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フランスの近代スピリチュアリズムについて考える上で見過ごせない社会的背景としてあるのが、「キリスト教の教会ヘゲモニーの衰退」である。
19世紀のフランス社会には、主として三つのスピリチュアリズムを用意する要因があった。

1 脱キリスト教的風潮
2 オーギュスト・コントに見られる科学的実証主義
3 古典主義から近代的思想へのパラダイムシフト



いうなれば、キリスト教というそれまで支配的だった宗教の持つ力が著しく失墜したのである。
こうした中、まるでそれまでのキリスト教に無かった概念を蘇生させるかのように、幾つかの心霊主義的思想が流行し始める。
やはり西欧のスピリチュアリズムを考える上で一つの重要な発火源となったのが、アメリカのフォックス姉妹の名高い事件であることは論を待たない。
このような、社会的背景としてスピリチュアリズムが流行する土壌は用意されていたわけだが、ここで私はこうした当時のフランスの社会的文脈を、たった一人の人間の「個人史」として象徴的に読解できる可能性についてはじめに示唆しておきたい。
その場合、彼ないし彼女は、当初キリスト教という世界で最も知名度の高い宗教を信じていたが、じょじょにその教義に現代社会と即応しない箇所を認識し始め、異なるスピリチュアルな世界へとシフトしたという流れを想定することができよう。
その時、キリスト教という一つの支柱を失った個人は、キリスト教に内在していた霊的なものを、別の何かによって代補する。
この代補の構造は、「失われたものは次の形式において再現前化する」(デリダ)という宗教そのものの運動だけに当てはまらず、一人の人間の心理システムにおける「抑圧されたものの回帰」(フロイト)として読むこともできるだろう。
これから、私は19世紀フランスの心霊主義を考える上で、避けては通れない二人の人物の思想について概略しておく。
特に、最初に紹介するアラン・カルデックの転生論は、J・L・ボルヘスの永劫回帰説(時間のアイオーン論)や、ドゥルーズの「反復」についての概念を考える上でも、貴重な示唆を与えるだろう。


○ アラン・カルデックの転生論について


まず、カルデックはこの宇宙を二つの次元によって分割した。

1 monde corporel(肉体世界=物質世界)
2 monde spirite(霊的世界)



ここで重要なのは、霊的世界で創造された霊たちが、物質世界すなわちこの地上に「転生」するという概念である。
古来より、オルフェウス教団やピュタゴラス学派、錬金術的図像におけるウロボロスの象徴的解釈や17世紀バロック時代におけるファン・ヘルモントの霊魂論、ウスペンスキーなど、東洋だけでなく西洋でも輪廻転生についての考えは見受けられる。
このこと自体はそれほど稀有なことではない。
東洋では、8世紀に活躍した『ウパニシャッド』の最高権威であるシャンカラも、やはり「輪廻」について記している。
ただ、ここで注意せなばならないのは、シャンカラが輪廻を「迷妄」や「自我」と結び付けて、マイナスイメージとして捉えてしまっている点である。
輪廻は、基本的に仏教的な視点からいえば、解脱に達していない人間の霊魂が繰り返すものであるとされるのだ。
しかし、カルデックは転生をそのようなネガティブなものとして理解しなかった。
彼によると、霊の輪廻の目的は、そもそもその「完成=純化」にあり、転生を繰り返すことで少しずつ成長し、霊的超越である神に接近していくものと把握される。
ある人間が死んで霊的世界に行くと、そこで霊はこれまで転生してきた全ての過去の記憶を思い出すとされる。
ここから考えられるのは、霊とか、霊魂とかいうものは、実質的には「記憶情報」であるということである。
霊的世界は、いわばサイバースペースのように「記憶情報」を展開する力を持つというわけだ。
地上で生きている間、我々の霊魂はいわば前世の記憶情報を凍結させているが、霊的世界に赴けばそれが一挙に解凍される。
そして、いわば新しい「身体」への「ジャックイン」(ウィリアム・ギブスン的な表現を借りれば)するというわけだ。
霊的世界とは、ここでは近未来におけるサイバースペースとして読むこともできるのである。

より詳密に考えてみよう。
カルデックによれば、死んだ人間の霊魂はesprit errant(さまよう霊)と呼ばれる。
この状態から、地上における「受精」の瞬間に身体に入る。
こうして新しい身体を手に入れた霊は、esprit incarnè(転生した霊)と呼ばれる。
この時、全ての記憶情報が転生後に受け継がれるのではない。
記憶は、いわば「直観」として、あるいは「デジャ・ヴュ」として霊的に受け継がれる。
ちなみに、カルデックは「動物」や「植物」へ人間の霊魂が転生することはないと断言している。
これは近代的な人間中心主義のパラダイムである。
ピュタゴラス学派が信じていた輪廻は、動物から植物へ、植物から人間へ、と命あるものを分け隔てなく捉える。
こうした輪廻は、輪廻の分類ではメタンプシコース(mètempsycose)と呼ばれる。
他方、あくまでも人間中心的な近代的パラダイムにおける輪廻は、リンカーネーション(rèincarnation)と呼ばれる。
カルデックは後者であるが、日本の古代における「死と再生」の思想は、ピュタゴラス学派に近接してメタンプシコースである。
そして、存在論的文脈で「生成変化」や「変身」といった概念を考える時、私はカルデックのリンカーネーションよりも、何が「身体」であるかを哲学的に問う可能性を潜在させたメタンプシコースの方に大きな可能性を見出すのである。

カルデックの教えを反映させ、継承する宗教団体「心霊学界」は現在もフランスに存在し、ブラジルでは根強い影響を持っている。
カルデックはまた、この地上を「煉獄」、霊的世界を「天国」に置換し、地獄というネガティブな世界を抹消する。
カルデシズムの中枢概念は、「転生論」にある。
すなわち、脱キリスト教運動が高まる中で、芽生えてきたのは古代的な輪廻思想の見直しだったのである。
こうした運動を、一昔前のニューエイジ運動との類縁的関係として捉えることもできるだろう。
カルデックの定義によると、modern spiritismとは、「霊の本質、起源、運命、肉体世界との関係を扱う科学である」。
この「科学志向」は、コントの実証主義的なアプローチを意識している。
古今東西、あらゆる文明において心霊主義は見受けられるが、それらは必然的に「時代」の影響下にある。
そういう点では、心霊主義というのも、社会から構成されて再生産されるのである。
こうしたカルデックの思想的概念は、『霊の書』(1857)に詳しい。


○ ヴィクトル・ユゴーの降霊術について


ユゴーは著名な作家であるが、実は降霊術を熱心に研究したオカルティストとしての側面も持っている。
こうした世界への関心は、もしかすると愛娘の死が発端になっていたのかもしれない。
彼は1851年のナポレオンのクーデーターに反対して、英仏海峡に浮かぶジャージー島に住居を構える。
島の海辺の家(通称マリーヌ=テラス)で、客人を招いて降霊術を行うという神秘的な時間を送り始めるのである。
この時の儀式について一切を記録した『降霊術記録ノート』は、現在もパリ国立図書館に保管されている。
ユゴーはそこで、様々な霊的存在からのメッセージを受け取る。
幾つか、極めて重要な中心的思想となるメッセージを引用しよう。

「広大無辺な宇宙は、お互いの言葉に耳を傾けている。
宇宙の万物はそれぞれ自分の心を持っている」

「西洋は神を人間の中に宿らせるが、
私は動物の中に宿らせる」



こうした霊的なメッセージから構成されるのは、やはり「転生論」なのである。
しかし、カルデックが人間中心主義的な輪廻しか信仰しなかったのに対し、ユゴーの「創造的シンクレティズム」は様々な古今東西の神秘思想から再構成された、「メタンプシコース」であった。
つまり、彼は動物や植物への転生や、霊魂の移動を認めるのである。
グノーシス主義や、カバラにも無論、転生論は見出せるが、これらはやはり仏教と同じで、「輪廻」を「罪」や「悪」「堕落」としてネガティブに把握している。
カルデックやユゴーのように、輪廻の環それ自体を一つの薔薇の構造のように美学的に捉えるセンスを、これらの思想は持たない。
仏教の輪廻が「生前のカルマによって個我が輪廻転生する業報輪廻」だとすれば、カバラやグノーシス主義に見られる霊魂の転生も、やはり「悪」や「罪」に由来する業報輪廻の一形式といえる。
こうした、輪廻をマイナスに把握する思想潮流に対し、カルデックやユゴーはそれを美的に、ポジティブに受け止めている。
薔薇に身を委ねるように。
ユゴーの記録ノートにもあるように、輪廻とは「ありとあらゆる動物の唸り声が一つに溶け合って祈りの声になる」ものであり、絶対的存在の「永遠の愛の光」の中で安らうものなのである。





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