† 神秘主義 †

イーヴリン・ ロード『ヘルファイアー・クラブ―秘密結社と18世紀の英国社会』

Paul Emile  Becat

by Paul Emile Becat

ヘルファイアー・クラブは18世紀の英国において観られた上流階級特有のクラブの総称である。
当時のイギリスは啓蒙主義的思潮の強い社会であり、理性的な実証主義的な議論が紳士たちの間で交わされていた。
彼らは社交を重んじ、また愛していた。
フランスで「近代スピリチュアリズム」が生じる19世紀も、コント的な科学実証主義が脱キリスト教的思潮に拍車をかけていた。
その百年ほど前のイギリスで、既にキリスト教の重荷を全て洗い流そうとするかのように数々の秘密クラブが形成された。
「ヘルファイアー侯爵」と称されたウォートン侯爵フィリップも、酒と女にしか興味の無かったハンサムな堕落貴族ロチェスター伯ジョン・ウィルモットも、共にキリスト教的価値観に逆らう経緯でクラブに接近している。
例えばウォートン侯爵の父親は筋金入りのカルヴィニストで、少年時代まで彼は缶詰教育を受けていた。
17歳で貧しい美少女と駆け落ちし、同時に年額1000ポンドの不労所得を使ってフランス社交界を遊び回り、上流階級にコネクションを作った。
長男が22歳の時に死んでしまったことを契機に、悪名高い女色家のチャーテリス大佐と遭遇し、この頃に「ヘルファイアー・クラブ」のメンバーとなっている。
ウォートン侯爵が属したこのクラブは、他の極めて野蛮なクラブに較べて、あくまでも思想面でアンチキリストを気取る程度のものであった。
ウォートンは非常に貧しい思想の持ち主であり、ヘルファイアーに飽きた後はフリーメーソン、亡命後はカトリック(英国国教会ではなく)となって33歳の放蕩人生を閉じている。
著者イーヴリン・ロードは、「1720年代に三位一体を否定し、涜神に近い神学的議論に熱をあげていたクラブが実在した」ことは、乏しい資料にも関わらず今日では確実としている。
ウォートンはこのクラブとは別に、ヒルズバラ子爵がリーダーであった「スキーマーズ(陰謀者たち)」という名のクラブにも参加していた。

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by Paul Emile Becat

このクラブが行っていた行為が、「ヘルファイアークラブ」のイメージを形成したのではないだろうか。
彼らはメンバー全員が仮面をつけ、好きな女と豪華な個室でただセックスすることだけを趣味にしていた。
昼は上流階級の紳士として働き、夜になると途端に仮面を被ってキューブリックの『アイズ・ワイド・シャット』のような過激なサバトに耽ったのである。
例えば、ダニエル・デフォーは『魔術の制度』の中で、こうしたクラブについて言及している。
また、ヘルファイアー関連の逸話で必ず顔を出すサー・フランシス・ダッシュウッドはメドメナム修道院に「汝の欲することを成せ」というキリスト教道徳律とは正反対の信条を掲げたが、これはそもそもラブレーの『ガルガンチュア』に登場する「テレームの僧院」のモットーからのインスパイアである。

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by Paul Emile Becat

クラブはどのように形成されたのか?
著者はそれを啓蒙時代に果たした「コーヒーハウス」という場に見出す。
コーヒーハウスで紳士たちは政治や宗教についての様々な議論を繰り広げた。
やがてその中でグループが形成され、コーヒーハウス自体が彼らの集会所と化していく。
ヘルファイアー・クラブも、こうしたコーヒーハウスから資金によって場所を移動した結果に過ぎないのだろう。
当時のイギリス、啓蒙主義の時代(著者のいう1688~1789年のほぼ100年間)は、「都市」において「匿名性」と同時に「セクシュアリティ」が一つの特徴として浮上していた。
都市の大多数に顔を紛れ込ませば、個性ある顔は抽象化して匿名的なマリオネットに過ぎなくなる。
紳士は夜になるといっそう顔を匿名化し、同じく匿名化した娼婦を誘ってクラブで快楽に耽ったのである。
スコットランドにもヘルファイアーは存在し、その名を「ベガーズ・ベニゾン」といった。

The Beggars’ Benison Club

「The Beggars’ Benison Club」

このクラブはメンバーに共通してアダムとイヴの彫られたメダルを配る。
表には「産めよ、殖やせよ」、裏には「モノ(ペニス)と財布が役立たずにならぬよう」と記されている。
入会希望者は、「THE BEGGARS BENISON」と刻まれ、中央にヴァギナに包まれたペニスの絵を描いた大きな皿の中に射精するように指示され、これが同時に入信儀礼となる。


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「The Beggars’ Benison Club」

彼らは独自の注釈を与えた聖書を有し、「LIGNUM SCIENTIAE(善悪の知識の樹)」と記された、ヴァギナのマークの錠がかかった鍵穴に鍵をさしこむことで、そのクラブ用聖書を朗読できた。
朗読したのは、エロティックな「雅歌」の言葉である。
フェミニズム的な見地からすれば、これらのクラブは「ファルス(男根)中心主義」の通俗的な権化以外の何ものでもない。
こうしたクラブの大半は、働かなくとも収入が自動的に入る一部の名誉ある貴族階級出身の青年紳士たちによって運営されていた。

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by Paul Emile Becat

その中でも、最も危険な貴族が先述したロチェスターである。
彼は詩人であり、偽占い師であり、似非産婦人科医であり、酒乱であり、ギャングであり、上流貴族であった。
「ソドムの町の娼婦より多くの娼婦と、より多くのやり方で交わった」と自作の詩集『ヘクトル』で豪語したように、彼の関心は女色にのみ注がれていたといっても良かろう。
彼は自身の端正な容貌を利用し、数知れない女性を誘惑して快楽に巻き込み、また信条面ではアンチキリストを一貫して「死後には何も無い」をモットーにしていた。
ダッシュウッドの「汝の欲するところを成せ」を、まさに体現したような没落貴族である。


「ロチェスター伯ジョン・ウィルモットの肖像集」

そんな彼も、最後には「放蕩息子の帰還」さながらに、カトリックへ改宗することになる。
18世紀イギリスは「クラブ」の時代でもあったわけだが、男性のクラブだけでなく、例えば「悪女連(イザベラ)」にみられるような娼婦中心の秘密クラブも存在した。

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by Paul Emile Becat

以上のように、ヘルファイアー・クラブは、キリスト教的道徳律に背反するものを集団的に実践したものとして位置付けられる。
それは、行き過ぎた宗教教育に対する不良少年の根深い反転衝動の集団化としても読めるだろう。
ある意味で、これらのクラブはキリスト教神学システムのエラーとして、システム内部に初めから設定されているのである。
彼らは「悪魔」を標榜することで、中世キリスト教の価値観に回帰してしまう。
こうすることで、彼らが転覆を企てるキリスト教道徳律に、ますます依存してしまうのである。




ヘルファイアー・クラブ―秘密結社と18世紀の英国社会ヘルファイアー・クラブ―秘密結社と18世紀の英国社会
(2010/08)
イーヴリン ロード

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