† 神秘主義 †

「ひとりかくれんぼ」の起源の解明

ひとりかくれんぼ

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by Mia Mäkilä

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ひとりかくれんぼとは、日本の近代怪談の1つで、いわゆる都市伝説である[1]。ひとり鬼ごっことも呼ばれる[2]。


概要

元は関西地方や四国地方でコックリさんと共によく知られる遊びであったといわれるが[1]、ある大学のサークルが都市伝説の広まりかたを研究するため、意図的にこうした話を世に流布したとする説もある[3]。コックリさんと同様に、一種の降霊術とされ[4][5]、自分自身を呪うと言う説もある[6]。

2006年(平成18年)4月頃、大型電子掲示板「2ちゃんねる」のオカルト超常現象板に詳細な方法が紹介され、さらにこれを実行したことで様々な怪奇現象に遭遇したといった体験談が書き込まれ、それを見た読者が次々に検証を試み、その結果をネットで紹介したことによって、一般にも広く知られることとなった[4]。

用意するもの

手足があるぬいぐるみ[4][7]
ぬいぐるみに詰めることができる程度の米[1][4]
爪切り[7]
縫い針と赤い糸[4][7]
刃物(包丁[4][6]、カッターナイフ[4][7])、錐など[1][4]、鋭利なもの[4][6]
コップ一杯程度の塩水[4][7](天然塩が良いとされる[8])

進行方法

下準備としてぬいぐるみに名前をつけ、詰め物を全て出して代わりに米と自分の爪(切って入れる)を入れて縫い合わせる[4][7]。余った糸は、ある程度ぬいぐるみに巻きつけて結ぶ[5][7]。中に入れる米はぬいぐるみの内臓を、赤い糸は血管を表しているともいう[1]。隠れ場所を決めておき、そこに塩水を用意しておく[1][7]。

午前3時になったら以下の順に行動する[7][9](以下、自分の名前:○○、ぬいぐるみの名前:△△(○○以外)とする)。

ぬいぐるみに対して「最初の鬼は○○だから[1][7]」と3回言い、浴室に行き、水を張った風呂桶にぬいぐるみを入れる[6][7]。
家中の照明を全て消してテレビだけつけ(砂嵐の画面[1][6])、目を瞑って10秒数える[1][9]。
刃物を持って風呂場に行き、「△△見つけた」と言って刺す[7][9]。
「次は△△が鬼だから[7]」または「次は△△が鬼[1]」と言い、自分は塩水のある隠れ場所に隠れる[1][7]。

別説

ぬいぐるみは風呂桶ではなく、浴槽に入れる[9][10]。または、洗面台でも可ともいう[5]。
塩水は前もって隠れ場所に準備するのではなく、ぬいぐるみを見つけて「次は△△が鬼」と言った後、塩水を持ちながら隠れ場所へ行く[9][10]。
ぬいぐるみを刺した直後に『次は~』などと言わずに、すぐに逃げ、塩水を用意した場所に隠れる[6]。
終了方法 [編集]塩水を少し口に含んでから出て、ぬいぐるみを探して、コップの残りの塩水、口に含んだ塩水の順にかけ、「私の勝ち」と3回宣言して終了となる[7][11]。必ずこの手順によって、1~2時間[1]、または2時間以内に終了させなければならない[6][10]。

また、ひとりかくれんぼに使用したぬいぐるみは、最終的に燃える方法で処理する必要があるとされている[1][4]。

各種メディアによる体験談では、隠れている間に奇妙な音がする[7]、ぬいぐるみを捜しに行くと本来の場所と違う場所にいる[7][10]、テレビに奇妙な画像が映る[6]、などの心霊現象に遭遇したとする報告が寄せられている。

別説

前述のように手順には噂話により諸説があるが、大きく異なるものとして、以下のようなものもある。

午前3時になったら、塩水を満たした風呂桶の周りに10本のろうそくを立てて火を点し、室内の照明をすべて消す[12]。
綿を抜いたぬいぐるみに米と、ニワトリの心臓を入れ、紐で縛る[12]。
ぬいぐるみを風呂桶に入れ「最初の鬼は私」と言って、ぬいぐるみに包丁を突き立てる[12]。
「じゃあ、今度はあなたが鬼」と言って、押入れなどに隠れる[12]。
かくれんぼを終わらせるためには、ぬいぐるみから心臓を取り出し「私が勝ち」と宣言しなければならない[12]。

脚注

^ a b c d e f g h i j k l m 田川幹太(監督). (2008年12月12日). ほんとにあった怖い都市伝説 II. [DVD]. クリエイティブアクザ. JAN 4571174014989. http://c-axa.line-up.jp/i-shop/product.pasp?cm_id=154957&to=pr
^ “オーディオブック 幽霊譚 ~霊威~ 「実録! 一人かくれんぼ」”. でじじ. パンローリング (2010年). 2010年1月28日閲覧。
^ ファンキー中村 『幽霊譚 ~霊威~ 「実録! 一人かくれんぼ」』 パンローリング、2010年。(オーディオブック)
^ a b c d e f g h i j k l ミステル・ドミンゴ 「真夜中の降霊遊び ひとりかくれんぼ」『こわい話』、34-41頁。
^ a b c 花邑沙希 (2010年7月30日). “花邑沙希、ひとりかくれんぼを実体験”. 漫画の新聞 マンガで読むニュース 1頁. カバネット. 2010年1月26日閲覧。
^ a b c d e f g h 張江肇、鈴木ワタル(製作). (2008年3月7日). 怪奇! アンビリーバブル 恐怖! 呪われた遊び. [DVD]. ブロードウェイ. JAN 4944285008305. http://net-broadway.com/shop/shop/detail.cgi?code=BWD-1830
^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 島田秀平 「ひとりかくれんぼ」『異界神話』、48-51頁。
^ “あなたを恐怖の世界へ導く「ひとりかくれんぼ」”. おもしろコミュニティ 縁count (2007年7月22日). 2011年1月28日閲覧。(インターネット・アーカイブによる記録)
^ a b c d e “花邑沙希、ひとりかくれんぼを実体験”. 漫画の新聞 マンガで読むニュース 2頁. 2010年1月26日閲覧。
^ a b c d 清水匡(監督). (2008年10月3日). ドキュメント『超』怖い話 ~都市伝説編~ III. [DVD]. 竹書房. JAN 4985914608343
^ “花邑沙希、ひとりかくれんぼを実体験”. 漫画の新聞 マンガで読むニュース 3頁. 2010年1月26日閲覧。
^ a b c d e 小田泰之. (2009年12月25日). 渋谷の女子高生たちが語った“呪いのリスト”4. [DVD]. アムモ. JAN 4571153233011. http://www.amumo.jp/movie/noroinolist4.html




ひとりかくれんぼのルーツを探る


かくれんぼという遊びは、誰もがした経験を持つだろう。
私も少年時代に近所の男の子たちとかくれんぼをしていた(そこでは刑事-泥棒の役割分担からケイドロとも呼ばれていた)。
高度経済成長が始まる前まで、日本では「夕方にはかくれんぼをしない方が良い」という暗黙の掟があったという。
黄昏時にかくれんぼをしていると、どこまで探しても見つけ出せない友達の存在に気付くというのだ。
かくれんぼをしているさ中に、本当に「神隠し」に合っている……。

実は、あらゆる子供の遊びには信仰的な原型が存在するという説がある。
「かくれんぼ」の原型とは、「神隠し」なのだ。
ムラ社会に伝わる「天狗信仰」にまつわる伝承には、子供たちが天狗に攫われた話が非常に多く存在している。
けれど、天狗というのは実は当時の科学的アプローチを知らない人々の作り出した「妖怪」という虚構であって、現在は広く「行方不明事件」として扱われることが多い。
おそらく、昔の日本で行方不明事件が起きると、それを合理的に解釈するシステムが「天狗信仰」しかなかったのだろう。
実際は、山賊や落ち武者がムラから人を攫っていたのかもしれないが、ムラからすれば忽然と村人が一人消失したように感じられる。
「かくれんぼ」は、こうした「空白感」を本質的に孕んだ遊びなのである。
藤田省三は『精神史的考察』の中で、「かくれんぼ」をしていてオニが10まで数え終わって瞼を開けたときの、独特な「明るみの世界」について以下のように記している。
「ひとっこ一人いない空白の拡がりの中に突然一人ぼっちの自分が放り出されたように一瞬は感じる」。
「かくれんぼ」が持つ独特な不安感は、ムラ社会を生きた日本人の「神隠し」に対する不安の再現前化なのかもしれない。

どんな子供の遊びも、もしかすると「してはいけないルール」を持っているのかもしれない。
遊びは「現世」に属するが、遊び方を誤ると「異界」に招かれるというような危うくスリリングな「降霊術」的な行為なのかもしれない。
かくれんぼが持つこうした不穏な二面性について、民俗学の大家柳田国男は『山の人生』の中で以下のように述べている。
「薄暮に外におりまたは隠れんぼすることが何故に好くないか」。
「隠れ神さんに隠される」からである。

かくれんぼは、通常少年少女が入り乱れてジャンケンをしてオニを決める。
主体はあくまでも子供たちであるかのようだ。
しかし、柳田のこのテクストには別の隠された主体として「隠れ神」が登場している。
「隠れ神」の正体は天狗なのだろうか。
しかし、天狗はあくまでもムラ社会における外部性、周縁性の場であった「山」に棲む妖怪である。
来歴を仔細に語れば、もともと天狗も「山の神」であり、近代化につれて神としての性質が零落して妖怪化したのである(信仰零落説)。
山が存在しない大都会で起きた「神隠し」を、「隠れ神」の仕業であると考えることは時代錯誤しているのであろうか。
科学的な調査が行き詰まりを見せ始めたその時、警察機構のある種の限界を知った彼らは「神隠し」という表現を象徴的に使い始めるのであろうか。
いずれにしても、「神隠し」というムラ社会の信仰は、現代では「かくれんぼ」という遊びにまで零落したと見るべきかもしれない。
だとすれば、「かくれんぼ」の真の主体であった「隠れ神」は、滅んでしまったのであろうか。
私は、そうではないと考える。

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by Mia Mäkilä

現代都市伝説の一つに、「ひとりかくれんぼ」という奇妙なゲームが存在する。
ウィキにも説明があり、実際に検証している映像を私も観たが、この遊びはそれ自体で極めて不気味な雰囲気を持っている。
各種の細かい小道具は除外して、枠組みだけを見ると確かに「ぬいぐるみをオニにした」カクレンボであるというスタイルが浮かんでくる。
とすれば、このゲームの原型は「隠れ神」信仰にあるといわねばならない。
「ひとりかくれんぼ」のルーツはこうである。
はじめにまずムラ社会において「神隠しのコスモロジー」としての天狗信仰、隠れ神信仰が存在した。
ここで「天狗隠し」という言葉が「神隠し」という言葉とほぼ同じ意味を持っていることを考えると、当時のムラ社会には「行方不明」を超自然的な存在の仕業であると考える信仰的フレームが機能していたと考えるべきだろう。
やがてムラ社会は過去のものとなり、近代化によって開発が進んでいくが「神隠し」というこの古いコンテキストは明治時代から昭和30年代まで都会で暮らす人々にも広く浸透していたと考えられている(小松和彦『神隠し』)。
街中でも「かくれんぼ」は一般化する。
続いて、インターネットの出現とその技術的進化に伴う「Web2.0」の到来、及びソーシャルメディアの普及によって、新たに「かくれんぼ」の概念が更新される。
それは「神隠し」という原型への回帰、純化である。
おそらく、「ひとりかくれんぼ」における「オニ=ぬいぐるみ」は、かつての「天狗」ないし「隠れ神」の表象=代理である。
以上から、私は以下のような結論を下しておく。
「神隠し」が終わっても、「隠れ神」は現代にも存在していると。

私がかくれんぼのルールの中で興味を持つのは、「夕方にはしてはいけない」というところだ。
著名な文化人類学者の小松和彦も、このテーマの総合的研究書『神隠し』の中で、「夕暮れ時に隠れ遊びをすると、神隠しが発生し易い」と述べている。
何故、黄昏時なのか?
これについて小松は「人がいなくなっていた」ことに気付くのは遊び終わった夕暮れに近い時刻であるから、と解釈している。
あるいは、「黄昏時」=「誰そ彼は時」とか、「彼は誰そ時」(かはたれ時)などという言葉があるように、夕刻という時間帯そのものが持つ「幽気」に由来しているのかもしれない。
夕暮れとは、昼と夜の「あわい」である。
放課後といえば、夕暮れであるが、これもまた「学校」と「家」の「あわい(帰り道や誰もいない運動場など)」を連想させる。
こうした物事の中間地帯に「魔性」を認める「間の理論」というものが、日本人にはある。
「間」とは、「魔」なのだ。

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by Mia Mäkilä

神隠しについてもう一つ興味深い点は、小松が『神隠し』で述べた以下の告白だ。
「私は幼い頃から神隠しに憧れを持っていた」。
「神隠しにあった者は、神に選ばれた者であり、神にその世界を見ることを許された者であり、そしてその世界のことを人々に語ることができる者なのである」。
こうした記述の他、小松は自分自身の体験した「異界」体験を報告している。
これは、実は私も経験したものと類似しており非常に好奇心をくすぐられる箇所である。
小松は少年時代に両親の喧嘩を見て家を飛び出し、商店街をその日うろうろしていたという。
しばらくは自分の知っている通りであったが、踏切を越えた先は自分の日常世界に属していない領域であった。
民俗学では、諏訪春雄も『霊魂の文化誌』で述べていたように、「自分の暮らしている生活世界の外部」が「異界」として定義される。
「異界」には、日常世界に属す人々の日常を覆す独特な「磁場」が存在している。
その磁場に誘われる心理は、どこか宗教へのイニシエーションと類縁性を持っているといえるのではないか。
踏切の先はまぎれもなき「異界」だったのである。
私には、商店街、踏切、といった都会的な場所が登場していたので非常に興味深かった。
これは大都会にも「異界」が存在していることの民俗学者からの実体験に基く証明といえる。

以上、見てきたように、どうやら現代都市にも「異界のコスモロジー」の系譜は密かに流れているようである。
ツイッター、フェイスブック、ブログ、ウィキペディア、匿名の巨大掲示板など、様々なツールが今日の「異界体験」のメディアとなっている。
時代が変化しても形を変えて同じような「物語」が語り継がれているということに、私は一つの「物語の磁場」を嗅ぎ取る。
「ひとりかくれんぼ」は、一人ではしない方が良さそうだ。



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