† 政治学 †

ジャック・ランシエール『民主主義への憎悪』から考える「これからの社会」

民主主義への憎悪民主主義への憎悪
(2008/07/07)
ジャック・ランシエール

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いかにして「孤独な死せるライオン」に木漏れ日を与えるか?


我々現代人は、「現代」を常に実践的に生きている。
現代人が記した文学は、常に例外なく現代文学である。
「現代」について知りたければ、例えば自分が今詩や日記、物語などを書いて浮上した幾つかの「概念」を抽象化して思考することで、少なくともその特徴は掴めるかもしれない。
例えば小説の中に何気なく設定として取り入れている「ツイッター」や、「フェイスブック」という要素も、近代の文学には見られなかった新しいソーシャルメディアである。
ウェブ――まずもって、我々は現代的な典型的技術をこの領域に見出す。

「現代」という言葉は非常に曖昧で、いわば掴み難いものであるが、それは現代が日々更新されているからである。
この言葉と同じほど掴み難い言葉に、「民主主義」がある。
これは本来、観念的な言葉であって、同時にその理念は政治で実践されなければ意味がない。
政治に対して無関心である若者にいたっては、民主主義について観念的に捉えることもない。
我々はここで、「民主主義」とは何であるかを、現代フランスを代表する政治哲学者、美学者であるランシエールの民主主義論に求めたい。
この読解によって、改めて「現代」とは何であるかは開示される。



もちろん、いうまでもなく、誰もが平等に生まれ、死んでいくはずだ。
少なくとも「生まれる」、「死ぬ」ことは全ての人間が経るものである。
しかし、「生きる」ことだけは異なる。
動物界でもそうであるが、厳しい冬の寒さの中で満足に食料にありつけなかった個体は死に至る。
反対に、生存競争を勝ち抜いた個体は多くの子孫に恵まれながら種としての意志を全うして死んでいく。
これはまるで社会の縮図のように思われるかもしれない。
強い者、金のある者、地位のある者は勝っているのであり、そうでない者は負けている。
小泉政権時代に流行った「勝ち組/負け組」という安直な階級観は、自然淘汰の原則を資本主義に照らし合わせたものとして読めるかもしれないが、これは私が考えるに誤りである。
「勝ち組/負け組」という観念は、実はあらゆる人間社会にとって必要な考え方である。
異論があるならば自然を眺めて欲しい。
全ての動物は平等に生きているであろうか?
否、けしてそうではなかった。
右足のないライオンはグループから外されて孤独の中で息絶える。
自然界で、一体誰がこのライオンに手を差し向けたか?
死せる孤独なライオンは、ただハゲタカの餌食になっていくだけである。
このようにして、ライオンは自然界のサイクルに再び吸収される。
死んだライオンは土壌や別の掃除屋によって綺麗に、余すところ無く解体される。
これが本来的な「生きとし生けるもの」の姿である。
それは厳しい生存競争に支配されているだけではなく、本質的に自己中心的で、おぞましくグロテスクな世界なのである。

どうして、人間社会が動物界と異なっているだろうか?
人間も、「理性」という名の鎧を取り外せば単なる動物に過ぎない。
我々は毎日労働し、何らかの社会的還元をしていると考え、恋人を見出し、種を保存していく。
全ての人間は社会的上昇を目指してあくなき生存闘争を繰り広げているのであり、ここから脱落すると変わり者の目で見られることになる。
つまり、結局のところ、人間社会を象徴的に描き出したものこそが、動物界であるという極めて幼稚な構図が、かくして現前することになるのである。

さて、ここでようやく我々はランシエールのテクストを読んでいくことにする。
そもそも、ランシエールは「民主主義」をどう捉えていたのか?
彼はそれを、端的に「富の権力の関係の中で露になる」と認めている。
より民主主義の本質に急迫すれば、「公的人間の平等を共同生活の他の領域へ、とりわけ資本主義の富の無制限化が支配する全領域へ拡げる」運動として、文字通り「民主主義運動」が定義されているのである。
民主主義は奇麗事ではない。
政治を導く基本原理であるべき民主主義は、本質的に「資本主義の富の無制限化」を主導して拡大、増殖させていくための理念的装置として把握されているのである。
これはつまり、動物界の原理の焼き直しに過ぎないことを容認していることである。
ランシエールは、最早「神」に寄り添うこともできなくなった現代人の「孤独な死せるライオン」としての肖像画を目にして、以下のように絶望的なテクストを記している。

「この死んだ神にとってかわった人間は、大いなる孤独の苦悩とひきかえにわずかな慰めの数々を保証することによってのみ統治することができる。
我々は、民主主義、個人、消費などの支配を漠然と意味する空虚の帝国の中をさまよいつづける刑を宣告された孤児なのである」



実はこれがランシエールの『民主主義への憎悪』の出発点であり、彼にとってその克服を理念的に示すのが課題である。
しかし、改めて引用すると極めて悲劇的な調子を含んだテクストだ。
社会を「空虚な帝国」となぞらえ、「さまよいつづける孤児」の姿として現代人をイメージする。
これはまさに、生存競争に敗北した死せる孤独なライオンの方が、より現代人の本質に急迫しているという証左に他ならない。
換言すれば、真の民主主義とは、このような「孤児」の流す涙を拭うような実践的行為でなければならないことが既に暗示されているのである。
そうでなければ、我々は「人間」ではない。
こうした動物界(自然界)と人間の不平等社会を=で結ぶことについて、ランシエールはそれを「自然自身の二重化」と表現している。
つまり、自然界のもう一つのあらわれとして、人間社会の不平等性が存在するのだ。
それは別段誤ったことではなく、そもそも自然淘汰の意志である――しかし、果たしてこのように考えて良いのか?

考えてみれば、あらゆる国家は寡頭制である。
つまり、生まれの良い一部の少数の選ばれた人間による統治である。
アリストテレスも『政治学』で述べたように、「政治」の起源とは、そもそも「生まれの良い富める者の統治」なのである。
学歴資本、社会資本、文化資本の高い、「質の良いハビトゥス」が権威化されて、再生産される。
寡頭制法治国家という体裁を取る民主主義は、最も小さな学校という集団のモデルを採用してもわかるように、既にして選別的なのである。
では、「消費」という観点から見ればどうだろうか。
ランシエールはここで、フランスの重要な社会学者であるジル・リポヴェッキーの「消費者のナルシシズムの成長そのものによって、個人の満足と集団の規則は完全に調和する」というテクストを引用している。
これはどういうことか?
例えば、ブランドの洋服を買うような記号消費を例にしてみよう。
よくひとがいうように、安くて長持ちする良い衣類はいくらでもあるのに、あえてブランドものに拘る人間は「自己満足的」だといわれる。
だが、実はこの自己満足、ナルシシズムこそ、「集団の規則」を真に調和させ、資本主義社会を回転させていく原理であるということが示されている。
「社会の民主主義的な働き方」は、そもそも「自己愛」の肥大化に大きく支えられているのである。
消費の快楽主義、欲望機械のあくなき増殖として、これらの行為は負のレッテルを貼られがちだが、実はこうした「ナルシス化」こそが、社会を正常に作動させていく原理なのだ。
この時点で、既に「病んでいる」と感じてしまう読者がいるのであれば、彼は「資本主義社会」の原理に適合していない。
ナルシスの称揚は、資本主義社会それ自体のナルシスティックな自己讃歌である。
だが、ひとはこのようなナルシスでい続けることができるであろうか?
消費を常に快楽的に行える人間など、世界でもごく一部である。
しかし生存競争を生き抜くための原動力は、最早「ナルシシズム」であり、これが発火源となって我々は更なる社会的上昇を目指していく。
「自己愛の壮大なスパイラル」としての社会――鬣の長さ、美しさを競い合う弱肉強食のライオンの社会。
このような「自然それ自身の二重化」について、ランシエールは以下のようにいう。

「資本主義の利潤法則が世界を支配しているのは、民主主義的な人間が並外れた、飽くことを知らぬ、商品と人権とテレビ番組を貪る存在だからである」。



こうした実情を直視しながら、ランシエールは民主主義についてポジティブなコンセプトを取り出していく。
そこで導き出されるのが、名高い彼特有のpartage du sensible(感性的なものの分割=共有)の原理である。
「感性的なもののパルタージュ」とも呼ばれるこの表現の意味とは何か?
partage(パルタージュ)に、communauè(共同性)と、sèparation(分割)の意味を持たせている。
「共同性」とは、「万人が同じものの分け前に与ること」である。
「分割」とは、「各人が分け前の配分に応じて立場を固定されていること」である。
そして「感性的なものの分有」とは、まさに、

その人ができること、その人が何であるかに応じて、またその人が何であるかをその人ができることに応じて、循環的に定義する、具体的かつ象徴的な共通世界のデクパージュ(区分)のこと」である。
これは要するに、人間が持つ能力の不平等に応じて、それぞれに適した職場なり、環境なりが配分されるということである。
それはどちらが勝っているかということではない。
そうではなくて、「その人」に「本当に合っているか」ということが重要なのだ。
こうして、「感性的な世界の諸形式が然るべき場所に配置され、その形式を通して、立場が可視化され、言説が聞き取れるようになり、能力や無能力が明白になる」のである。
「感性的なものの分有」とは、それぞれ人間の持つ特性に応じた社会的配分を意味する。
繰り返すが、それはどちらかが勝っているか、負けているかというような勝ち負けの論理ではない。
そもそも、動物にすら勝ち負けなど存在しない。
ただ、環境に適した個体だけが生き残るのである。
環境に適するとは、まさにこの場合、「それぞれの能力に応じた」、社会的な配分を意味するのである。
このようにして、ランシエールはアリストテレスの『政治学』における「政治的主体」の概念を再提示する。
アリストテレスによれば、「政治的主体」とは、「命令するもの」であると同時に、「命令されることに分け前を持つもの」でもある。
注意すべきは、「命令される」という服従的な意味合いではないということである。
政治的主体は、命令すると共に、命令されるということに与る存在でもある。
だから「市民」とは、「統治しつつ統治されることに与る」ものとして定義される。
これは社会的な配分を核心にすえた政治的主体のコンセプトであり、「不平等社会」を生き抜く上での重視すべき理念ではないか。

「感性的なもののパルタージュ」とは、「共同性」に属しながらも「分割」されているということ、つまり個体の差異化のそれぞれの尊重なのである。
ここでランシエールが注意を促しているのが、「mènsentente(不和)」という概念である。
あるいは、「了解なき了解」とも呼ばれるが、これはただ形式的に他者の言説を聞いているような、了解なき合意状態を意味している。
これは外交上で鋭くテーマ化されているように思われる。
国際関係においては、「不和」や「了解なき了解」から対立に発展する場合を我々も見てきた。
表面上では握手しているが、内心では不条理を感じている、などということは往々にしてどこにでも見られる。
「了解なき了解」とは、ほとんど気が合わないがどうしても戦略上交友関係を結ぶべきであるような「難しい友人」を相手に浮上するような概念、というよりも感性的な状態である。
ランシエールは、こういうときこそ、「心の通じ合い」としての、「感性的なもの」の「分有」が必要だと力説する。
「いかなる形式の同意もないまま、他者の言説を聞いているというだけの状態」を、彼は「不和」あるいは「了解なき了解」と呼ぶ。
そして、刺激的なことだが、ランシエールは一方でこの「不和」に肯定的意味を与え、「政治の原理」にしてもいるのだ。
外面と、内面を決定的に分離させていなければ政治家になどなれない。
「不合意」というのは、心のない締結であるが、実はそれは彼曰く「乱暴であるが洗練されている」というのだ。
このように、「不和」にも一定の効能を認めている点は重要である。
要するに大切なのは、「不和」的な方法論が活きる場合と、「感性的なものの分有」が活きる場合を、器用に使い分けることが政治家の姿として捉えられている点である。


Evelyn    Campitelli


by Evelyn Campitelli


以上、私なりにランシエールの著書を読解してきたが、「孤児」としての現代人を満足させるだけの理念を十全に補充できたとは到底思えない。
むしろ、彼のテクストは抽象的すぎるし実践性に乏しい。
また、「感性的なもののパルタージュ」は、神学的にはイエスがパンを貧しい人々に分有した教えの再現前としても読める。
テロリズムを行使する国家に対する外交戦略上のコンセプトとして、優雅に「感性的なもののパルタージュ」を展開することなど不可能である。
どこかでぬるい側面を持っている点は否めないが、それでも民主主義を奇麗事として片付けずに資本主義的な快楽的消費主義の理念的背景として位置付ける点にはクールさを感じる。
また、ランシエールは「感性的なものの分有」の結果、全てが均質で理念が統合され一義的になった状態を「コンセンサス」と呼んでいる。
コンセンサスの起源は「学校」であり、国家は「コンセンサス国家」などと表現されている。
これはコンセンサスに賛同できない「周縁」の人間を「余白」へと追放しかねない論理であり、容認できない。
文化的なマイノリティ、それこそ「集団内での孤児性」に目を向けてこそ真の民主主義である。
そういう点では、ランシエールの『民主主義への憎悪』は、「嫌々ながらそれを受け入れている」だけのものでしかない。
我々は、民主主義の内部でマイノリティな存在となり、「居場所の喪失」を感じている人間を救うような理念を創設することが、少なくとも現代の政治哲学者の仕事だと考える。



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