† 神秘主義 †

現代スピリチュアリズムの展望

gkgkk

「goth magic」



伝統的宗教が衰退し、新霊性運動と呼ばれる一連のスピリチュアルな動きが起き始めるまでのプロセスを、改めてここで整理しておこう。
まず、はじめにキリスト教やイスラム教、仏教などといった主要な伝統的宗教が興隆する。
これらが、近代化によって「世俗的ヒューマニズム」にまで通俗化する。
こうした背景には、科学的な合理主義や理性的な実証主義がかつてのヘゲモニーを握っていた伝統的宗教を脱中心化したという動きがある。
いわゆる、「脱魔術化」である。
しかし、「世俗的ヒューマニズム」として近代文明を支えた価値規範は、近代科学の権威の失墜や、リオタールのいう「大きな物語」の終焉によってその威信をぐらつかせ始める。
こうして、現代社会で「再魔術化」が生起し、結果的に新しい三つの層である「ポストモダニズム」、「合理主義的ファンダメンタリズム」、「宗教的ファンダメンタリズム」が展開される。
要するに、かつての伝統的宗教が近代化によって一度失墜し、近代化が推し進めた「大きな物語」が現代で終わったことによって、再び新たに、伝統的宗教とは異なる形式での宗教感情が勃興したわけである。
これが「新霊性運動」である。
これを、精神分析学的に「抑圧されたものの回帰」として把握する研究者もいる。
そして21世紀初頭は、ソーシャルメディア化されたウェブ2・0から3・0への移行期間として位置付けられているので、こうしたコンテキストを含ませると、スピリチュアリティーにも新しい変化が起きていると考えるのが自然である。
宗教学者の島園進は、21世紀の社会の今後の宗教事情として、「世俗的ヒューマニズム」、「伝統的宗教」、「新霊性運動」の三つが競合化していくと述べているが、私はこれら三つのネットワーク的な基盤として、ソーシャルメディアの進化を重要視したい。
新しいメディアの創出は、新しい霊性を産み、新しい布教形式を作り、結果的には新しい信仰形態と形作っていくのである。

もう少し、この近代化の過程を分析する。
アブラハム・マズローによれば、制度的宗教はReligion(宗教)の大文字「」として表される。
ヨーロッパにおけるカトリック教会の中心化された状態は、まさにこの「R」である。
他方、個人的霊性とか、内在性を重視した宗教をマズローは小文字の「」で表現する。
近代化によって終わったのは「R」であり、再魔術化によって興隆しているのは「r」である。
心理学者のデーヴィッド・N・エルキンスによれば、新霊性運動の特徴は、「預言者的」だとされる。
マズローのいう「R」が「司祭的」だったとすると、現代のスピリチュアリズムは、個人の宗教性を重視した「預言者的」なものなのである。
これを、「律法学者的」と、「救世主的」と表現しても良いだろう。

ウェブ2・0以降の宗教の特質として、すなわちネットワーク化されたポスト近代の宗教の特質として、以下の四つが提示できる。

①宗教布教過程におけるソーシャルメディアの興隆
②社会全体の「再聖化」
③宗教の個人化=個人の宗教化
④商業的スピリチュアリズムの増加



①については、最早いうまでもない。
ツイッターやフェイスブックでも、個人でスピリチュアリティーを実践している人間はどこにでも見出されうるし、彼らは自説の流布、コミュニティの教義の流布に躍起になっている。
②は、先ほどの近代化の過程をまとめた。
③は、②と表裏一体であり、いわばRの小文字化に伴い、より宗教の持つ側面が個人化されたということだ。
④これはいわゆる「スピ系詐欺」や、「霊感商法」などといった、スピリチュアリズムをビジネスに結合させたような組織の出現を意味している。異常に高い受講料や、カウンセリング料、更に会員制で組織には独自の霊的序列が設けられている。入信者は自動的に高額のアイテムを買わされるはめになり、信じれば信じるほど霊感商法の罠に堕ちていく結果になる。

今、スピ系の本は書店のどこにあるのだろうか?
例えばイオンショッピングセンターの中に入っている未来屋書店では、心理学、哲学の隣に「精神世界(spiritual world)」という項目の書棚があるが、これがまさにそうである。
今なら、「2012年マヤ歴が予言する世界滅亡」とか、「輪廻転生の体験告白」とか、最近ではヨーガやアロマテラピーなどの、ケア療法などとスピ系が結合している場合も多い。
私はこれらを全て批判しているわけではないが、「霊感商法」で実際に糾弾されている掲示板がネットでも散見され、「被害者」が存在している以上は、彼らの考えも加味した上でスピリチュアリズムを把握せねばならない。
私の意見をいえば、例えばイエスは足の萎えた人の奇蹟的な治癒行為において、一切の見返りを貰っていないのである。
彼は地上に宝を積むために教えを広めたのではないのだ。
これが私の考えであり、組織内で高額の「幸せになるボトル」を販売したり、「本当の自分が判る水晶玉」を紹介したり、はては教える見返りに「受講料」を法外に迫るというような事例などは、全て、私は「宗教」ではないと考えている。
これらは「擬似宗教ビジネス」であり、単なる卑怯で姑息な企業のあり方に過ぎない。
本当に正しい読み方をできる読者であれば、「真理」を得るために「大金」が必要になるというその構造の不気味さに、自ずと気付くだろう。
これ以上、私はこの「瑣末な」問題に時間を割きたくはない。

現代のように、スピ系が流行るきっかけを作った人物として江原啓介がいる。
江原はスピリチュアリズムにセラピー文化を結合させて、メディアに広く発信していった。
ある種の「娯楽」的次元にまでスピリチュアリズムを大衆化させた人物として、宗教史では捉えられている。
実は、「娯楽」の中にはスピ的な要素が多い。
例えば、今でもカルト的な人気を誇る少年漫画『HUNTER×HUNTER』に登場する「」は、「特殊能力」=「霊的な力」を持った人間たちの織り成す物語として読める。
スピリチュアリズムが大衆化しやすい土壌は、サブカルチャーに蒔かれているというわけだ。
例えば島園進は、『新世紀エヴァンゲリオン』の物語構造は、ハンス・ヨナスの『グノーシスの宗教』における「異邦のものたち」の概念を持っていると指摘している。
「故郷は世界の外部にしかない」とか、「牢獄のように醜い世界の中で、いつまでもイノセントであり続けた私たち」といったようなテーマを持つサブカルチャーは、他にも多くあるだろう。
ヨナスの「異邦のものたち」という概念は、あらゆる場所で受け入れを拒否され、居場所の喪失に苦悩しつつも、常に聖なる存在として世界で唯一の特別さを維持している選ばれた存在者たちのことである。
例えば、『出エジプト記』における、イスラエルの民は、エジプトという異国の中でも自分たちの聖性を信じ続けた。
穢れた世界の中で、自らの聖性を信じ続けて真の居場所を見出そうとするというモチーフは、サブカルチャーを平易に「聖典化」し得るのである。

このように、現代はスピリチュアリティーがほとんど「娯楽」のようなものとして理解されている。
多忙な現代人が、たまたま自分が獅子座であったから星座占いに大いに励まされる、などという「わずかな心理的な隙間」にこれらは入り込むのだ。
2010年にNHKの「クローズアップ現代」で放送されたと記憶しているが、その番組では「好きなアニメのキャラクター(巫女)が生まれた実在する神社に参拝する」という「オタク」たちを「地方再生」の気運に取り込もうとしている街が特集されていた。
当然、街角にはその地方のマスコットキャラとして、その「巫女」が描かれることになるという理由で、一部の自治会から猛反発を喰らっていた。
ここで見出されるのは、まさにサブカルチャーを神聖化し、一種の「擬似宗教」にまで仕立て上げているユーザーの存在である。
これもまた、ポスト近代における「再魔術化」の一形態として捉えることができるだろう。



関連記事
スポンサーサイト
*Edit TB(0) | CO(0)



~ Comment ~















管理者にだけ表示を許可する

~ Trackback ~


Back      Next