† 文学 †

ジュール・シュペルヴィエルの『海に住む少女』とセピア色の写真

海に住む少女 (光文社古典新訳文庫)海に住む少女 (光文社古典新訳文庫)
(2006/10/12)
シュペルヴィエル

商品詳細を見る


ジュール・シュペルヴィエルの短編集が新訳で出ていました。
これを読んでいて、私はやはり小説では童話的な世界に惹かれるのだなということを改めて感じました。
童話といっても、明る過ぎる陽気な世界なのではなく、『銀河鉄道の夜』のカムパネルラとジョバンニの孤独のように、どこかセピア色になって淋しさを感じさせるような世界に私は惹かれます。
「海に住む少女」には、もっと早くに出会っていれば良かった。

大西洋の誰もいない町に、一人で暮らしている少女が主人公です。
「海に浮かぶ道路」や、「祭壇」、「鐘楼」など、作品の舞台仕掛けはなぜか私にデ・キリコの初期の幾何学的な建造物をイメージさせました。
そういえば、キリコもやはり風景の中で影のような人間を描いていたように思います。
私は十八くらいの頃に、高校を卒業してからそれまであまり通っていなかった図書館に足を運ぶようになって、よくキリコの絵を眺めていました。
キリコといっても、あのマリオネット的な機械仕掛けのようなシリーズというより、私が好きなのはむしろ初期の作品群でした。
《出発の苦悩》や、《モンパルナス駅》が特に印象的です。

シュペルヴィエルの海辺の街は、どこかキリコの描く建物に通じているように思います。
といっても、彼の文体は宮沢賢治の童話のようにやさしいもので、小学生の国語の教科書に載っていたらきっと物語好きの少年少女たちから人気がでるような作風だと思います。
「海に住む少女」が、二十四歳の今の私の魂にも、心地よく浸透してくるのは幻想的な雰囲気と巧く溶け合うようにして、リリシズムが漂っているからだと思います。
読んでいて最も惹かれたページ、そのセンテンスを読んでいるときだけ、時間が「一時停止」してしまったほど神秘的な描写がありました。
それは、少女が自分の部屋で「自分によく似た少女」の写真を見つける箇所です。
この時の情景は、キリコではなく、むしろスーラの素描に近いモノクロがかったソフトフォーカスを帯びて私の中でイメージされました。
この短い短編作品が持っているイメージ喚起力には、愕くべきものがあると思います。
何故、私がここに最も吸引力を感じたのかといえば、そこでこの少女の「存在」の真相が端的に暗示された、と直観したからです。
事実、この少女はやがて自分が実はこの世に生きていないということを知るのです。
悲嘆して海に身を投げた少女を岸辺まで運ぶ「波」を、「彼」という三人称で描くセンスにも温かみを感じます。
波が少女を気遣って「波頭のまま宙で静止する」という描写があるのですが、これも非常にシュールで幻想的な描写です。



シュペルヴィエルの描写した海辺には、上品で美しい、独特な静謐さが宿っています。
私が敬愛しているJ・L・ボルヘスは、本を読むことで時代や、性別を超越してその場にいる人々の魂に触れられると考えていました。
シュペルヴィエルの海辺には、自分にとっての「居場所」がどこにあるか見失った時に、立ち返らせてくれるような神秘的な力が宿っているように思います。




関連記事
スポンサーサイト
*Edit TB(0) | CO(0)



~ Comment ~















管理者にだけ表示を許可する

~ Trackback ~


Back      Next