† 政治学 †

なぜ最下層の人々は政治に参加しないか?/現代アメリカ社会における「貧しさ」の再生産ーーイアン・シャピロ『民主主義理論の現在』のメッセージ

画  像 249

by Andrew Wyeth



前回の記事に引き続き、シャピロの『民主主義理論の現在』に取り組む。
ここで取り上げるのは、本書の第五章「民主主義と分配」である。
シャピロはこの中で、現代アメリカを「先進資本主義的民主主義国家」と規定した上で、同時に「貧困と不平等」の国であると考えている。
先に彼の方向性を記しておくと、現状でアメリカが福祉国家化することは不可能であり、そうである以上はあくまでも現行の「競争」型の資本主義システムの内部で貧困層の問題にアプローチしていくべきだと考えている。
彼は実現可能性のある政策、理論にしか目を向けないが、この視座は重要だと思われる。
例えば現在の日本が唐突に北欧型の福祉国家体制にシフトすることはやはり不可能であり、机上の空論で終わらせないためには「実現可能な民主主義」をコンセプトにして思考していくべきである。

アメリカが牧歌的なアメリカン・ドリームを信じ続ける一方で、「貧困大国」と呼ばれるほどの著しい格差社会であることは知られている。
アメリカン・ドリームは現在も存在し、広範囲から支持されているが、それは全ての人に成功を掴むための平等の「機会」を与えるということであって、「結果」の平等ではない。
実力至上主義、成果主義によって敗者が出現するのもアメリカン・ドリームの裏面なのである。
シャピロが引用しているファインとワイスの研究によれば、「バッファローのワーキング・プア層の間に高度な目的喪失とアパシーが認められる」。
apathy(アパシー)とは、政治的無関心、意欲に乏しく無感動な状態である。
シャピロはこれを「下層階級」の人々に独占されるものではないという。
大都市で「低賃金のファーストフード業やサービス業」についている多くの若者は、かつてのような「家族手当」を出していた重工業の仕事がなくなったことで目的意識を持って社会に貢献することができず、かといって大企業が持つ「大きな物語」に帰属することによる安心感に与ることもない。
無論、彼らにはロック歌手になる、女優になる、作家になる、などといったそれぞれの若者らしい夢がある。
しかし往々にして彼らは「アパシー」や「幻滅」、「目的喪失」と隣り合わせである。
シャピロが引用しているマクラウドの研究によると、「アメリカン・ドリームから疎外された白人のティーンエイジゃーの親」は、高校中退が多く、大半が単純作業に従事している。
彼らは三世代に渡って同じ貧困層向けのアパートで生活している。
こうした同じ環境下でも、マクラウドの民族誌学的研究によると、黒人のティーンエイジャーが上層志向を強く持っているのに対し、白人はマリファナを吸ったり学校に通ってすらいない場合が多いという報告がある。
貧困層の人々が、貧困から抜け出せないのは、「格差の再生産」の問題としてブルデュー社会学の「ハビトゥス」からも実証できるだろう。
ブルデューが「趣味」について述べたように、統計的に文化的教養のない人間は貧困層に多い。
それは読書において読む本や、芸術に対する嗜好性、服装、身振りなどとも結合している。
シャピロもこれと同じ社会学的見解を表明している――「政治への参加は、教育、収入と共に増大する」。

「低い地位と剥奪感は、自分は無能であるという信条と結び付く傾向を持つ」

by ロバート・レーン

「不幸は怒りとは違って、ひとを動員しない。すなわち最下層の人々は政治に参加しない」

by シャピロ



シャピロが問題視しているのは、こうした「アメリカン・ドリームから疎外された若者」である。
貧困層向けのアパートに住み、早朝に起きて、夜遅くまで働き、シャワーを浴びて食事を取り、眠り、また早朝に起きる――この絶え間ない反復に明け暮れている若者が存在する一方で、週五日、夕方までの勤務でしっかりと読みたい本を読め、観たい絵画を鑑賞でき、居心地の良いバーで美味しいワインを飲み、三倍以上の給与をコンスタントに稼ぐ若者も存在するのである。
帰宅して疲弊のあまり「本もろくに読めない」状態、これは『資本主義はなぜ自壊したのか』の著者が述べていたように、「貧しさ」の兆候である。
マルティン・ハイデッガーは『貧しさ』の中で、極めて印象深いテクストを刻んでいる。
「必要不可欠でないものを欠くとき、ひとは本来的な意味で貧しくなる」――。
本来、「必要なもの」を欠いている状態が、「貧しさ」である。
衣食住という基本的な要素のどれかが欠損すれば、それが従来は「貧しさ」と考えられた。
しかし、ハイデッガーはそうではないといっている。
「必要不可欠でないもの」、すなわち今の自分にとって必ずしも必要とはいえないある種の「余暇」の部分を、「欠く」時、ひとは本質的に「貧しい」と規定されている。
このテクストの持つインパクトは、ハイデッガーの『貧しさ』が彼の生涯唯一のマルクス論であったことを鑑みても極めて重要だという他無い。
こうした本来的な意味での貧しさに加え、シャピロのいう「有効性感覚や野心の腐食」に苛まれている存在として、現代アメリカの大都市部の低賃金で働かざるをえない若者たちの群像を捉えることができるだろう。
こうした状況に対して、彼らは政治に訴えることを何故しないのであろうか?
「絶望は十分すぎるほどあるが、怒りはあまりない」理由には、アメリカ社会の民族の多様さという背景もあるが、本質的な点としてやはり浮上してくるのは彼らが「政治的無関心」であり続けてしまうその閉鎖的な回路にある。
「やりがいのある仕事」に就くことなく、個人的なそれぞれの夢を追い求める彼らにとって、「政治」などは一部の人間に任せればそれで良いのであって、自分たちで民主主義に参加することはない。
こういった、現状に対する失望に完全に順応してしまい、アパシーに陥った若者の感覚をシャピロは端的に「寂寥」と表現している。
競争的民主主義は、「権力関係」のバランスに注目することで、「競争」に有意義な価値を認める。
だが、その一方で「競争」は上記のように貧困層を数世代に渡って固着化させ、若者に「寂寥」を与え、彼らを荒野に追いやっていく。
シャピロは現代のアメリカで下方再分配に代表されるような福祉国家的な政策を実行していくことの困難さについても認知しており、「北ヨーロッパ型の社会モデル」による絵空事を捨象して、「実現可能な改革」のみを評価している。

このようなシャピロの民主主義観には、震災の傷跡が癒えない我々にとって、その傷口を更に鞭打つように見えるかもしれない。
しかし、彼は解説の略歴を読む限り、南アフリカ出身の、おそらくは黒人と白人のハーフか三世であり、相当な苦労と勉学の結果、現在の「アメリカ民主主義理論の重鎮」とされる地歩を占めるに到ったと推測される。
シャピロが仮に、南アフリカの非常に貧しい貧困層を直視してきた結果、その想いを胸に秘めた上で競争的民主主義の可能性を提示しているのだとすれば、そこにはやはり衝迫力が宿っている。
そして、これは私の信条であるが、ローマ・カトリック教における神はひとを財産、容貌、性格、罪過、民族によって判断しない。
御子は、足が萎えた者も、耳が不自由な者も、悪霊に憑かれた者も、一切れのパンを買う財すら無い者も、わけ隔てなく祝福した。
なぜなら、「宝は地上に積むのではなく、天に積む」ものであるから。
御子が目を向けた人々は、社会の絶え間ない「競争」関係に疲れ果てて、力を失って一人ぼっちになった愛に餓えた者たちであった。
民主主義の本質的な美点は、私はここにあると確信している。
私は、もし民主主義的空間を一つの教室にたとえるのであれば、成績を競合する優等生たちの「競争」関係による学級の活性化よりも、不登校になったり、グループの環に入れずに涙を流している生徒に手を差し伸べることができる一人の生徒の「眼差し」にこそ、その本質的なアーカイブがあると考える。




「参考リスト」

民主主義理論の現在民主主義理論の現在
(2010/03)
イアン シャピロ

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貧しさ貧しさ
(2007/04)
マルティン ハイデガー、フィリップ ラクー=ラバルト 他

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