† 美学 †

ソフトフォーカスの系譜学、あるいは「幽霊」を幻視するための仮説ーーヴォルフガング・ウルリヒ『不鮮明の歴史』読解

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ハインリヒ・キューンの「幽霊」


絵画の手法におけるソフトフォーカスが持つ効果に注目している。
経済学者でもあり一級の美術評論家でもあったアダム・ミュラーは1808年に著した『風景画雑感』という短い評論の中で、ソフトフォーカス(ぼかし)の効果について以下のように記している。

ソフトフォーカスの特徴

�幼年時代の記憶を揺さぶる

�現世的事物の輪郭が薄らぐことで、どこか霊的な意味が生まれる。

�ものが見える距離感という意味での「遠さ」は、その対象の「起源」と「終末」の存在様態を等しく、同時に写し取る。

�そのものが「何であるか」限定されてしまうものより、「何であるかぼやけている」=「幽霊」的な現前であることは、時空に限定されないということであり、超時間的であることを意味する。



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ドイツの作家、美術評論家であるヴォルフガング・ウルリヒによれば、絵画空間が不鮮明であることは、観る者を「探偵」にする効果をも持つという。
ぼかす、対象が曖昧でぼやけて、影がかって見える、ということはその原型となる対象が「何であったか」という思索へと向かわせる、存在論的な「aura」を宿す力を持っている。


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こうしたソフトフォーカスは美術史の中でも特異な地位を占めている。
近代化に伴って我々は対象の細部にまで観察できる視座を獲得したが、同時にものをあまりにも写実的に描出するという、実証主義的な方法論はどこか芸術的に見て「冷たい」印象を与えないだろうか。
ソフトフォーカスの美術史に含まれる存在には、ヨアヒム・パティニール、レオナルド・ダ・ヴィンチ、レンブランド・ファン・レインなど馴染み深い芸術家も含まれているが、彼らの作品の一部には確かに物を細部にまで描き込むのとは明らかに異なる方法論が存在している(レオナルドの名高いスフマートを想起せよ)。


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ソフトフォーカスは「ディテールに対する嫌悪」に端を発する芸術上の一つの隠された、謎めいた潮流を形成した。
ウルリヒは、これを「魂の状態を知ることに集中できるようになる」方法論であると記している。
かのボードレールも、細密な部分にまで丁寧に描き込みすぎる写真的な絵画に対して、嫌悪感を露にしながら「遠くへの眼差し」、すなわち「不鮮明」な「aura」に美を見出していた。


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現在、我々はアイフォンのアプリ機能などでいとも容易くレオナルド的なソフトフォーカスを演出することができる。
しかし、技術文明が約束したこれらの「不鮮明」と、まだ手作業で表現せざるを得なかった彼ら19世紀の時代のソフトフォーカスでは、明らかに宿っているauraの質が異なる。
現代はソフトフォーカス化された主体が幽霊のように大量生産され、コピー&ペースト可能な時代である。
しかし、農夫の手作業のように表現された柔らかいソフトフォーカスは、不鮮明であるがゆえに今日の写真芸術からは一線を画する独特な、「一回性」の味わいを滲み出させることに成功しているといえる。


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無論、ジュリア・マーガレット・キャメロンのようにソフトフォーカスを実践した女性写真家も存在する。
例えば、特にテーマ化したい人物のみを前景に押し出し、背景はソフトフォーカス化して作品の持つ過分な情報量を「捨象」するという効果もある。
重要なことは、ソフトフォーカスという一つの系譜学が顕在化され始めたのは、写真芸術の開始と相関的であるということである。
すなわち、限りなくディテールの表現において優秀な写真というメディアに対する、この上なきアンチテーゼとして――写真が持つリアリティーから、細部を抜き去ることで得られるその残余の美学――ソフトフォーカスは概念化され始めたということである。


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例えば、素晴らしく情感的で神秘的なソフトフォーカスの画家として、代表的な存在にカリエールがいる。
カリエールは自身の方法論を明文化しているが、彼はその中で「遠くへの眼差し」(=ソフトフォーカス)とは、「我々の鏡」であると表現している。
彼の作品は、淡くぼやけてミスト状になっているがゆえに、優しい「祈り」を表現している。
その祈りは、絵画という一種の「霊媒」を感じさせるに十分である。

このページで紹介したHeinrich Kühn(ハインリヒ・キューン/1866-1944)の作品は、言葉の率直な意味において我々に「幽霊」の本質を表現している。
それは不鮮明であり、夢と現実のあわいに属し、そして我々がかつて出会った人間を否応無く想起させる。
幽霊が、幽霊であるためには、我々は彼ないし彼女に一度以上過去に遭遇していなければならない。
いわば、幽霊の顔とはデジャヴュに属するのである。






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アルフレッド・スティーグリッツの「アウラ」


次に紹介するスティーグリッツ(Alfred Stieglitz/1864-1946)について、ウルリヒは以下のように評している。

「彼にとって特に重要だったのは、特別な主題を選ばなくても写真は特別な画像を生み出すことができる、ということを明らかにすることだった」




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彼は無論、味わい深く懐かしい上質な風景写真も残している。
しかし、このようにやはりソフトフォーカス化が高度になされた幽霊的な婦人の姿をも作品化している。
我々は同じ人間でありながら、路上で他の誰よりも頭部がぼやけた人物に出会うと悲鳴をあげるような存在である。
顔が秘匿されている、ということは実は「人間とは何であるか」そのものに亀裂を走らせるコンセプトなのだ。
例えば、私があなたの前で黄金の獅子の仮面を被って出現したとせよ。
その時、あなたは私の見慣れた顔をその仮面の奥に読解できるであろうか?
もしかすると、その下には別の人間がいるかもしれないのである。
顔がぼやける、というのは紛れも無く「仮面の体制」の一様態であり、そうであるがゆえにソフトフォーカスとは現代において「匿名性」というテーマと深く結合しているのである。

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我々の資本主義社会は溢れるような商品、物に取り囲まれ、その全てが細密に可視化され、情報過多になっている。
それは夏の眩しい昼下がりの時代とも形容できよう。
しかし、我々の魂は昼を好まない。
我々が好むのはむしろ夜と昼のあわいに浮かび上がる幽霊たちの徘徊する黄昏という「間」であり、そこは常に風景にソフトフォーカス化がなされている。






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エドワード・スタイケンの「心霊写真」

Edward Jean Steichen(エドワード・スタイケン/1879-1973)については、既にピクトリアリスムの代表的存在として名が知られているので見聞きしている方も多いであろう。
スタイケンについて、ウルリヒは以下のように讃える。

「スタイケンが図像学的な手法として、心霊写真を引用した結果、対象(例えばロダン)は別の、より高次な世界との仲立ちをし、創造的力をそこから引き出す霊媒の役割を担うことになっている」



このウルリヒのスタイケン評は、今後の我々の生き方にもしかするとアレゴリカルなメッセージを与えるかもしれない。
ここで彼は、例えばロダンというある特定の対象、人物が、「心霊写真」のようにソフトフォーカス化されることで、「より高次の世界」との「仲立ち」をし、「霊媒」の役割を果たすと記している。
ここは極めてスリリングなテクストだ。
我々の時代は、幼年時代からTVなどを通して「心霊写真」というものに触れてきた。
それらを我々は怖がっているが、同時にそれらを愉悦している。
それらは娯楽であり、同時にたとえ人工的に作成されたとしてもどこか不気味なもの――ソフォクレスがいっていた「デイノン(この上なく不気味なもの)」――に他ならない。


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しかし、その不気味さを冷静に分析すれば、本質としての顔の「無さ」や、目のラインに入った「モザイク」、或いは何気ない背景の細部のソフトフォーカス、身体の一部の切り取りなどが垣間見える。
時には不気味な別の幽霊的なものが写り込んでいるものもある。
それらは、実は幽霊ではなく、我々自身の「存在の様態」であって、我々は心霊写真という不穏なメディアを通して、その幽霊の方に我々の似姿を見出すのである。
スタイケンや、或いはスーラの黒色の素描にもいえることであるが、それらは「祈り」と同時に「心霊現象」であり、慄き、未開なるもの、満月の夜宴、動物化、或いは廃墟といったテーマ系とリンクしている。
心霊写真、それも高度にノスタルジックなそれは、おそらく一級の芸術作品でもあろう。


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スタイケンのもう一つの側面は、彼がVOGUE専属の写真家でもあった点である。
今日、「広告美学」の世界においてソフトフォーカスは高度に、かつ広範囲に応用されている。
あるブランドのバッグを売り出すためのポスターにおいて、その鞄の背景をソフトフォーカス化し、対象を一種の「聖遺物」に仕上げる手法も存在する。
ウルリヒはこれを「擬似アウラ」などと呼んでいるが、私はこれを否定的に考えない。
しかし彼は、現代の物が溢れるほど存在する時代にあって、「一体自分はどこに向かおうとしているのか」と万人に問うている。
彼がソフトフォーカスという、対象がぼやけて商品化を免除されたかのような雰囲気を持つ芸術作品に惹かれた最大の理由も、そこにあるのであろう。





「参考リスト」

不鮮明の歴史不鮮明の歴史
(2006/09)
ヴォルフガング ウルリヒ

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