† 政治学 †

ハイエクの「コスモス」、あるいはドゥルーズ=ガタリの「リゾーム」についてーー今こそハイエクの主著『法と立法と自由』を読解する

Tyson Ballou   Daphne Guinness by      Steven Klein

Tyson Ballou Daphne Guinness by Steven Klein


ハイエクに対する関心は、近年ますます高まり、専門家による一般向けの入門書なども刊行され始めているようだ。
このページでは、ハイエク全集『法と立法と自由』の一章で具体的に描かれる極めて重要な「コスモス」と「タクシス」について記録しておく。
前回のハイエクのページでも既にアウトラインを紹介したように、もの・社会に対する観方というのは大別して以下の二通りが存在する。

・ 設計主義的合理主義
・ 進化論的合理主義


この二つを先に厳密に区別しておこう。
実はこの二つを区別するに当たって役立つ本は、ドゥルーズ&ガタリの『千のプラトー』の中で詳述されている「リゾーム」と「ツリー」である。
リゾームとツリーの違いについて、ここで判り易いように「アメーバ」と「樹木」の差異について記しておこう。
私が今から述べるアメーバは、他生物を吸収して絶えず自分自身を変身させていくために、常に居場所を移動していくような運動体である。
アメーバは様々な領土で様々な生物に遭遇し、その生物を自分の中に吸収し、自分の持つ内的器官を他者の内的器官と交換したり、或いは異化させる。
アメーバの形状は常に変化することになり、初期の状態と現在の状態では、外観や器官の構造などに著しい差異を持つ――これらは全てリゾームの概念の具体化である。
他方、樹木は大地に根を張り、固定されつつ光合成によって自分自身の身体を拡大し、幹を広げていく。
それは樹木の、あらかじめ大きさや役割がある程度規定された体系の範囲内での成長であって、樹木は他のいかなる生物とも同化したりすることなく、朽ち果てるまで樹木という同一性を保守し続ける――これらは全てツリーの概念の具体化である。
まとめると、リゾームはいわば一定の固定された身体を持たない変容する運動体であり、ツリーは常に固定されて後は幹や枝葉を生い茂らせるだけの体系的な存在である。
実はこのリゾームとツリーの差異が、そのまま「進化論的合理主義」と「設計主義的合理主義」の差異である。
「設計主義的合理主義」の方は、いわばツリーのように樹木状に知の領土を体系化、構造化していく思考方法である。
ツリー的なこの「設計主義的合理主義」は、リゾームと並んで無論非常に重要であり、何かを学ぶ上での基礎である。
一方、「進化論的合理主義」は、あらかじめ決められた体系や枠を持たずに、いわば無定形のままその場、その場で各領土の基本的性質を吸収し、内的変化を生起させていく思考であり、これはツリーのように一定の固定化された領土を、渡り歩く(=遊牧する)性質を強く持っている。
『千のプラトー』において強力に発信されている「知の遊牧論」は、それまでの学問に対するアプローチの方法が樹木状の「設計主義的合理主義」に支配されていたため(その象徴はまさにキリスト教神学を核とする西洋形而上学である)、その思考方法そのものを根源的に変革させるために導出された「思考方法」であり、その概念としての「リゾーム」こそ、ハイエクが重視する「進化論的合理主義」に相当するものである。

さて、ここまでの段階で我々は「設計主義的合理主義/ツリー」と、「進化論的合理主義/リゾーム」の決定的な差異について読んできた。
それでは、ハイエクのいう「タクシス」と「コスモス」とは何なのだろうか?
簡単にいえば、タクシスとは、「作られた、制度化されたルール」のことである。
他方、コスモスとは、制度化されていない、「自生的な秩序」のことである。
どちらもルールであることには変わりが無いが、人間に対する拘束力の大きさが決定的に異なる。
タクシスは人間によって(政府によって)制度化され、具体的な法律として施行されるので、当然その法から逸脱するとペナルティを受けることになる。
他方、コスモスは法律を具体的に設計したりせずに、人間の各々の活動の自由に身を委ね、基礎となる原理的なルールのみを作って、後は個々の現実問題にその都度臨機応変に適応していくという原理である。
いわば、タクシスとコスモスは、それぞれツリーとリゾームを、法学的な次元で再定義したものである。
判り易く説明するためにもう少し述べると、タクシスでは、個々の事例に対して「同じタイプの型にはまる法律」を適用させなければならない。
いわば、法律という大きな樹木の中から個別的な例に合わせて法律を用意しておかねばならない。
一方、コスモスでは、ハイエクが「数多くの特定事実への適応」という言葉でも表現している通り、個々の事例に対して、アメーバ状にその都度臨機応変に適応していくためだけのシンプルなルールのみが存在することになる。
法律を膨大に作り、法の樹木を構築していく思考方法に対して、ごく基本的なシンプルなルールのみをあらかじめ作り、それを具体例に臨機応変に適応させていく思考方法の二つが区別される。
ハイエクはこれを、「自生的秩序は多くの点で、作られた秩序とは違った特質を持つ」という言葉で表現している。
ハイエクによれば、自生的秩序の原理的なモデルを最初に考案した人物は、ミレトスのアナクシマンドロスであった。
アナクシマンドロスは、「ディケーのルールを現実にまで“拡張する”こと」に、「国家や社会における正しい秩序」のあり方を見出していたのである。
この「ディケー」というのは、ギリシア神話に登場する女神であり、「秩序と季節」を司っている。
ここで重要なのは、アナクシマンドロスなどのイオニア地方の学者においては、人間の「正義」を最大限に発揮するためのルールは、樹木状に構築されていくタクシスよりも、その都度臨機応変に「正義」に根差して対処できる抽象性を重視したコスモスの方に価値が認められていたという点である。
確かに、意識的ないし計画的な選択によるのではなく、私たちの制御の及ばないメカニズムによって作動していくコスモスの方が、自由度が圧倒的に高い分だけ、現実の個別的具体例に幅を広げて適応させ易い。
ここで、改めて「進化論的合理主義/コスモス」の重要な三つの特徴をまとめておこう。

・ 人間の不定形な無意識に根差した性格の次元にまで影響を受けることができる。
・ 論理過程を経て精神が作り出すものではなく、むしろ精神を構成する諸範疇としての特質を持っている。
・ 計画的で意識的な制度ではなく、より自由度の高いメカニズムによって具体的事例に適応することができる。



注意しておかねばならないのは、ハイエクが必ずしもタクシスを批判しているわけではない点である。
彼がタクシスの限界を補うための概念としてコスモスの重要性を強調しているという点は、記憶しておかねばならない。
ここで、ハイエクがコスモスという概念に持たせている意味をもっと具体的にしっかり把握するために、「有機体、組織」と、「コスモス」の差異についても記しておかねばならない。
ハイエクについて情報発信している学生の中には、「有機体」と「コスモス」を混同している者も見受けられるようだが、ハイエクはこの二つを厳密に区別している。
そもそも、有機体は、具体的な恒常的システムであって、自分自身を絶えず環境によって変身させていく自生的秩序とは相容れない。
後にこれは、ハイエクの市場概念である「カタラクシー」にまで発展する部分なので、最初の段階のこの違いを強調しておくことは有益だろう。
コスモスは、有機体が持つツリー以上の自由度よりも、いっそう高い自由度を有するのである。
また、「組織」は、自由度の高さという点で、既に硬直化してしまう危険性を常に秘めている。
「組織」はいわば「タクシス」である。
こうして見ると、「有機体」の概念は自由度の高さの点で、タクシスとコスモスの中間に位置しているということができるだろう。
タクシスについての最適の説明として、ハイエクは「磁石と鉄粉」について記しており、これは非常に判り易いので紹介しておくべきだろう。

「磁石と個々の鉄粉からできる力は、環境と作用しあって一般的パターンの一意の例を生み出す。その一般的性格は、よく知られた法則で決定されるが、その具体的出現は我々が完全には確かめることができない特定の事情に依存するであろう」



つまり、鉄粉が磁石に引き寄せられるという基本的性質のみをルールとするのがコスモスである。
このルールは、「鉄粉の一つ一つの位置、重さ、粗さ、なめらかさの程度、及び紙の表面のあらゆる不規則性」にその都度適応している原理であって、いわばこの一つの法則性の無限に近い具体例が出現しているわけである。
どちらが法のモデルとして、人間の自由にとってより重要かは、火を見るよりも明らかではないだろうか。
ハイエクは「コスモス」という言葉でこれを表現したわけだが、ハイエクが属するオーストリア学派の創始者であるカール・メンガーも、「全ての社会科学にとっての中心課題たる制度の自生的形成と、その発生論的性格」を研究課題にしていた、とハイエクによって認識されている。
いわば、オーストリア学派の基礎に存在している法概念こそ、この「コスモス」、「自生的秩序」なのである。
これなくして、現代の「市場」について語ることは不可能である。
「市場」は、資本主義の根幹を担う場であるので、まさにこの「コスモス」は、資本主義について学ぶうえで決定的に重要な基礎概念なのである。
因みに、歴史上「コスモス」ではなく、「タクシス」の方に重要性を見出した論客として、ハイエクが列挙しているのは、ルソー、ホッブズ、コント、ヘーゲル、マルクス、ケインズなどである。
彼らはまさに、「理性は神から与えられた」(ヴォルテール)という、キリスト教神学的な「ツリー」状の思考方法によって、法は「制度化」すべきものであると認識していた。
20世紀後半において、ドゥルーズ&ガタリだけでなく、デリダやフーコーなどフランスの「脱構造主義」(ポスト構造主義という表現は明らかに、構造主義の尾を引いているというニュアンスを帯びるので不適切である)の論客たちが、この「ツリー」状の構造主義、認識の「構築」論に対して解体を試みたことも、ハイエクの「コスモス」の概念と類比的に把握されるべきである。
このように、ドゥルーズ&ガタリが現在でも若者に大きな影響力を放っている情勢を考えれば、ハイエク全集が21世紀になって刊行されている事実の「新しさ」の真相が、自ずと理解できるはずだ。
それはまさに、「脱構造主義」の「次の新しいパラダイム」に続くために必要なイニシエーションなのである。

以上、このページではハイエクの「設計主義的合理主義/タクシス」と、「進化論的合理主義/コスモス」の差異と、コスモスが持つ現代的な意義について示した。
これらの概念は、今後あらゆる哲学、神学についての思想を学ぶ上でも極めて有効な視点を提供していると確信している。




「参考リスト」

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No title

ハイエクは読んでみたいと思いつつ、難しそうだなと思い躊躇していましたが、大変参考になりました。読んでみようと思います。ありがとうございました^^
[2011/10/14 20:04]  ici  URL  [ 編集 ]

ici様、ありがとう☆

ici様、こんばんは!
ici様だったらきっと気に入られるはずだと思います。
批判点は数多くある学者ですが、現代の「資本主義」を考える上で最早避けて通れないほど大きな存在だと思っています。
私もまだまだ勉強が足りないのですが、ハイエク全集の『隷属への道』と『法と立法と自由』は、特に大切な本だと思います。
お互いこれからも頑張りましょうね!v-254
[2011/10/15 22:24]    † tomokun †  URL  [ 編集 ]















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