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† 神秘主義 †

「女教皇」から読み解く、タロットの図像学的解釈

Visconti  Tarot

Visconti Sforza Tarocchi

○ 「女教皇」


カトリックの歴史において、女性の教皇は存在しない。
しかし、タロットには「女教皇」という「実在しない」カードが存在する。
何故このカードが作られたのかについては、以下のような諸説が存在する。
 
�ウィルヘルム派の女性信徒

ウィルヘルム派(ギヨーマ派、あるいはグリエルミティ)はミラノで起こった異端のセクトであり、ボヘミアのウィルヘルミーナという女性が開祖である。彼女は、キリストは「女性」であった、という現代のフェミニスト神学と連関を持つ教義を提唱し、おそらく女性を中心に支持を集めていた。また、「聖霊」は女性のなかに顕現し、かつ、女性の姿形を伴うものであるとも主張していた。彼女は1281年にミラノで死去し、キアラヴァーレで埋葬されている。
1300年のペンテコステの時、残存するウィルヘルム派は「男性の教皇は過去のものとなり、これからの教皇権は女性に委譲される」という、現代社会からすれば明らかに正統的な主張を展開した。こうして教団内部から選出された信徒がマンフレッダという女性で、タロットの「女教皇」はこのウィルヘルム派の新しい女教祖(“女性教皇”)をモデルにしたものであるとされている。マンフレッダは同じ1300年に異端審問にかけられ、教義を撤回しなかったので火刑に処されている。
では、何故この異端の一セクトがタロットに図像化されたのか? その謎は最古のタロット(ヴィスコンティ・タロット)を作成させたヴィスコンティ家に由来している。この貴族の先祖にマンフレッダが存在し、彼らがタロットという遊びに“紛れ込ませる”形で、かつて悲劇的な最期を迎えた女性の教義を再現前させたと考えられる。
この説はガートルード・モークレイ女史によって提唱された。

�イシス説

これはロバート・オニールによって提唱され、イシスの図像に似せて「女教皇」のカードが作成されたとする考えである。彼はヴァチカンのボルジア宮にあるピントリッキオの絵《ヘルメス・トリスメギストス、イシスとモーゼ》の中央に描かれている女神イシスが、タロットの「女教皇」の図像と極めてよく似ている点に注目して、この説を展開した。これを支持するユング派のサニー・ニコルズによれば、女教皇は「始原の陰、もしくは神性の女性的な側面を象徴しているとみなすことができるだろう。彼女はイシス、イシュタル、アスタルテなど、女性の神秘の秘儀を司る、全ての女神の本質を体現している」という。
オニールはイシス以外に、古代ギリシアの巫女シビュラを、キリスト教の文化圏によって脚色したものである可能性も存在すると考えている。

�伝説上の女教皇ジャンヌ説

イシス、シビュラ説の他、ロバート・オニールは中世後期において実在が信じられていた伝説上の女教皇ジャンヌをタロットに取り入れたものであるという説を展開している。イングランドで生まれたジャンヌはマインツで教育を受け、フルダ修道院のある修道士と恋に落ちて、男装してその修道院へ入る。二人は学問を深め、巡礼の旅に出る。恋人の死後、ジャンヌは辛い孤独と喪失感に襲われるが、揺ぎ無い愛に満ちた信仰によって弟子たちを集め、ローマでの講義は彼女の名声を高めていく。850年、教皇レオの後継者が選ばれる際、彼女は男装して「ヨハネス8世」の名で教皇に選出された。しかし、スペインから赴いたベネディクト会士と恋愛関係になり、やがて赤子を身篭る。なんと教皇行列のさ中に産気づいたジャンヌは子を出産し、男装していたことが周知のものとなる……。これは確かに「愛」と「信仰」、それに「女性であること」のはざまで懊悩する一人の敬虔な女性を劇的に描いた物語としての要素を強く感じさせるものである。
タロットは15世紀のイタリアで成立しているので、ジャンヌの実在が年代記作者によって具体的に記述され、流布された13世紀の文化的背景を継承した可能性は否定できない。そもそもタロットは本質的に「ゲーム」であり、その上で民間伝承を上手く有機的に吸収するという方法が取られた可能性は高い。

�カバラ説

これは20世紀に、イギリスの神秘主義者アーサー・ウエイトが提唱した説である。彼によれば、TAROTという文字配列から重複したTを一文字抹消し、アナグラムによって再配置すると、ユダヤ・キリスト教の神の叡智を表現したTORA(律法)になるという。ウエイトはタロットの全カードの中で「女教皇」を「至高の、最も聖なるもの」とみなしたが、これはこのカードの女性がTORAという文字が記された書物を常に持った図像として描かれるためである。カバラ的な解釈によれば、タロットの「女教皇」は「神の花嫁」であり、女性として顕現する神性「シェキナー」、あるいは「至高の母」である。これらはどれも、カバラだけでなく、12世紀のキリスト教の女性神秘家たちによる「神の女性原理」を中核としたテクストとも明らかな接点を持っているといえるだろう。「実在しない」女教皇である彼女は、地上においてはけして存在できないがゆえに、不可視の神性を担うというわけである。


さて、我々は「女教皇」にまつわる名高い四つの説を見てきたが、どの説にも共通しているある概念が存在する。それは、神性を「女性」の形象で顕現させるという原理である。モークレイ女史の説では、ヴィスコンティ家が先祖マンフレッダの「神の女性原理」の教説(当時は異端であるが、現代ではフェミニスト神学の一潮流として再評価できる)をゲームとして取り入れたものとして解釈できる。オニールのイシス説、及びウエイトのカバラ的な「シェキナー」説も、「神の女性原理」を、どの神話体系に基いて意味賦与するかの差異であるに過ぎない。そもそも、中世後期において女教皇ジャンヌが実在すると信じられていたこと自体、民間の心性が「男性だけでなく、女性の教皇が存在しても良いのではないか」という密かな夢想を抱き続けてきたからではなかったか。いずれにしても、ウエイト版の「女教皇」が持つ書物に、「TORA」という神の法が刻印されている点は、極めて印象的である。それは神性が男性ではなく、女性から到来し、「信仰」を司るのは有史以来常に「巫女」的な機能を持った女性たちであったという歴史的事実を鑑みた上で反映されたものではなかっただろうか。


Visconti T arot 2

Visconti Sforza Tarocchi


○ 「女帝」


このカードは、「女教皇」と明らかな類縁性を持っている。彼女についても、様々な解釈項が存在し、未だに多くの謎に包まれて今日に至っている。双方の差異についていえば、「女教皇」が不可視の、実在しない神的な女性原理を象徴しているとすれば、「女帝」は自然、この現世において登場した女神的な女性たちを象徴していると解釈される。

アーサー・ウエイトによれば、彼女は大地的な「豊穣・産出」を体現していると解釈される。『魔術の歴史』の著者ポール・クリスチャンは、やはりイシス的な神話的女性として「女帝」を解釈している。「女教皇」と「女性」の解釈には「イシス説」が共通する点でも接点が多い。
1469年にラテン語で出版された、ローマの風刺詩人アプレイウスの『黄金のロバ』には、イシスの秘儀を暗示させたテクストが存在し、ルネサンス文化の女神的なイメージの多大な霊源となった。どのような儀式であるかは謎のまま描かれた上で、ルキウスはそのクライマックスにおいて、「かつてありし、今ありし、そして未来にむけてもあるであろう」女神と対峙したとされる。
しかし、ヴィスコンティ・タロットの成立は1450年頃とされているので、こうしたイシス神の伝承が民間にも波及する以前に、既に「女教皇」と「女帝」が成立していたことになる。
「女帝」がイシス、デメテル、ヴィーナス的な意味を担った存在として解釈される時も、やはりこのカードの本質としていえることは、現世的な「豊穣・産出」であり、換言すればそれは人間社会において高貴な「恋愛・快楽」にまで導く母性的性格として顕れるものである。いわば、形として見える女性原理である「女帝」と、不可視の女性的な神性としての「女教皇」は、それぞれ女性の「外面」、及び「内面」を高く飛翔させる神秘的な意味を帯びたカードであるといえるだろう。
したがって、タロットをしていて「女帝」が出ると、恋愛、ファッション、セックスといった生活レベルでの豊かな実り、充実さ、快適性といったものへ向かい始めることを暗示すると解釈される。


Visconti   Tarot 5

Visconti Sforza Tarocchi

Tarot de  Marseille 審判

Tarot de Marseille 


○ 「審判」


このカードは、世界中の権威あるタロティストの間でも、キリスト教における「審判」を象徴しているとする解釈が定説である。だが、興味深いのはむしろタロットにおける並びにおいて、「審判」の後に「世界」のカードが存在している点である。このカードの順序は、タロット全体の明らかな「物語性」を暗示させる。代表的なタロットの研究者であるロバート・オニールによれば、「愚者」から始まり、「世界」に至るまでのカードの流れは、最も低次のレベルから、より高次の段階へ進んでいく「存在の大いなる連鎖」のヒエラルキーを表現したものである。

「審判」では『ヨハネの黙示録』を基礎とする図像が配置される。このカードが暗示しているのは、旧い自己が終り、新しい自己が始まる「兆し」である。それはキリストの「復活」、「再臨」を予感させるものであり、「審判」はいわばその幕開けを象徴している。地上的な即物的原理に支配されていた主体が、一度滅び、新たに「霊的に生まれ変わる」こともここから解釈できる。そういう点で、「審判」は死者を蘇生させる力を持った神ヘルメスとも結び付けられることがある。

Visconti  Tarot 世界

Visconti Sforza Tarocchi

Tarot de Marseille  世界

Tarot de Marseille

○ 「世界」


このカードの四隅には、エゼキエルの幻視におけるあの名高い「車輪」の聖獣が描かれている。タロットにおいては、牡牛、獅子、鷲、天使が配置されている。こうした動物はロマネスク聖堂の装飾など多くのキリスト教美術でも登場し、「テトラモルフ」と呼ばれる。
12世紀のフレスコ画では、アーモンド形の楕円形の環に配置されたテトラモルフの中央にキリストが描かれている。しかし、興味深いことにタロットの「世界」で中央に描かれているのは、キリストのアトリビュートを身につけた「女性」であり、こうした絵は18世紀のアンリ版などでもみられた。
タロットのカード順序は、存在の高次への段階性であると考えたロバート・オニールによれば、「世界」で実現されているのは「男性原理」と「女性原理」という二項対立的図式の超克であり、その象徴として「女キリスト」が両性具有的存在として描かれているという。こうした、キリストにヘルマフロディトスとしての象徴的意味を与える解釈は、ヤコブ・ベーメのキリストの「復活」論にも見出される。「復活」したキリストは、対立するものの一致を体現し、己自身の内部で自己滅却を体現した存在であると考えられている。これを踏まえれば、タロットの持つ「物語性」とは、霊的な成長・進化を意図したものであるともみなせるだろう。
女性的存在としてキリストを認識する伝統は、聖母マリア崇拝とも結び付いて12世紀のビンゲンのヒルデガルト、マクデブルクのメヒティルトなどにも見受けられる。
また、今日ではヒルデガルト研究の世界的権威であり、神学を「女性原理」的な視座から解釈したバーバラ・ニューマン、フェミニズム神学の見地からイエスを女性的な「ソフィア」として定義したE.S.フィオレンツァ、女性の普段の実生活の全てに、霊的な神の現存を見出すように促したテレサ・バーガーなど、キリストを「女性性」と結合させて、女性的に認識する理論はますます注目を集め始めている。
タロットの物語性の完成を意味する「世界」の中心に、男性キリストではなく、「女性キリスト」が描かれているという事実は、我々にとって最も注目すべき点である。タロットの象徴的な系譜学は、「女教皇」の手にする書物に記されたTORAの文字とも相俟って、フェミニスト神学だけでなく、本質的に女性を中心としたスピリチュアルな体系と密接に関わっていることも意味している。
私の直観を述べれば――タロットから導き出される「占い」としての意味だけでなく、その解釈にまで目を向けることで顕わになるのは――タロットとは我々の日常をより深め、より高く「目に見えない神秘」へと導くための、一種の“ゲーム性”まで兼ね揃えた「霊的な遊び」であるということである。


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