† 宗教学 †

男性原理と女性原理の結合による「聖なるもの」の顕現についてーーミルチャ・エリアーデ『鍛冶師と錬金術師』読解

Deborah  Morbeto

by Deborah Morbeto


ミルチャ・エリアーデの『鍛冶師と錬金術師』は、主著の一つである『聖と俗』と並んで重要な本である。この作品では、謎に包まれた「賢者の石」だけでなく、「生殖の石」や「世界子宮」などといった重要な概念について語られている。特に、錬金術と神秘的な「女性性」との関係について学びたい方にとっては、非常に豊かな道筋を示してくれるだろう。
エリアーデは『鍛冶師と錬金術師』の第三章「性化された世界」の中で、興味深い事実を述べている。それは、この世界に存在している全ての事物(石や植物に至るまで)には、それぞれ「性別」という意味が賦与されるということである。事物に性別があるということは、「男性性」と「女性性」が存在することである。アラビアの神秘学者イブン・シーナ(980~1037)は、こうした関係性を「ロマンチックな恋」として認識していた。「ロマンチックな恋は人類にのみ特有なるものに非ずして、天空のものであれ、原質的、植物的、鉱物的なものであれ、あらゆる事物に浸透しており、その意味は知覚せられず、認識せられもしない」(イブン・シーナ)。
こうした全事物に対する「性別」という意味賦与は、錬金術の体系においても顕著である。「錬金炉」は「子宮」=「母胎」と解釈される。つまり、火を用いて鉱物を溶かし、新たに石を作り出す行為が、そのまま胎児発生のプロセスと象徴的な類比性を持って認識されていたのである。これは錬金術に特有の思想ではなく、古代の信仰におけるpetra genitrix(生殖の石)崇拝の系譜に位置していると解釈されている。
ヴェーダ時代のインドでは、「祭壇」=「女性」であり、「儀式の火」=「男性」という性別が与えられていた。古代メソポタミアの水源は、「女神の子宮」=「女陰」と考えられ、水源に辿り着くことはregressus ad uterum(子宮への回帰)とみなされていたのである。バビロニア語では、「川の源泉」は「女陰」をも意味する。また、ヘレニズムにおける最も神聖な聖域を意味する「デルフォイ」の語源は、delph(子宮)であり、宗教においては「女性性」に対して圧倒的に優越した神聖な意味が賦与されていることが判明する。エリアーデが述べるところでは、「ギリシャ人にとってデルタ(delta/三角形)は女の象徴であった。ピュタゴラスの徒は三角形を、その完全な形態ゆえに、そしてまたそれが宇宙の多産性の祖型を表現しているゆえに、創造のアルケー(起源)とみなした。類似した三角形のシンボリズムはインドにも見出される」と述べている。
『聖と俗』でも、エリアーデは宗教における「女性性」の持つ神秘的意味について言及していた。彼は、宇宙とはmatrix(子宮)であると解釈している。また、Terra Mater(大地母神)について述べた個所では、「女性の産出力」を、「大地の豊穣性」と類比的に把捉している。12世紀の讃歌の中では、処女マリアをterra non arabilis,quae fructum parturiit(耕されることなくして実を結ぶ土地)と讃えている。バッハオーフェンの『母権論』でこうした古代宗教における「大地母神」の機能はいっそう具体化されることになるが、エリアーデも女性は宗教的に、男性より優位に存在していると考えていたと見てまず間違いはない。
世界の創造が男神と女神のhieros gamos(聖婚)のプロセスとして認識されている神話も数多い。人間の性交と、神々の聖なる結合は宇宙的な結合を意味し、そこから世界が開闢するのである。エリアーデは特に「女性性」に対する意味賦与に注目して、「女性が生命の地平における創造者である」という発見は、「男性的体験の表現には翻訳できないある宗教的体験を形成する」と述べている(『聖と俗』)。また、同じく同書では祭儀における祭司は、regressus ad uterum(母胎還り)を象徴的に行っているとも解釈している。そこで行われているのは、「新しい身体」の獲得である。
また、エリアーデは『鍛冶師と錬金術師』の第四章「テラ・マーテル、ペトラ・ゲニトウリクス」の中で、以下のような興味深い象徴的解釈を展開している。それによると、自然における大地とは、母の身体を意味し、岩、鉱山は子宮を、その岩から採掘される鉱石は胎児を意味するのだという。こうしたシンボリズムは、錬金術体系において踏襲されている基本的な構図であるが、依然として「女性性」に大いなる神秘的意味が賦与されている点は注目に値する。
同書十四章「術の秘密」においては、パラケルススが「神の王国に入らんとする者はまず彼の身体を伴いて彼の母の裡に入りそこにて死なねばならぬ」と述べていたことが引用されている。regressus ad uterum(母胎還り)とは、まさに「女性性」の核心である「子宮」の「中心」を目指す神聖な祭式である。パラケルススのいう「母胎」とは、己を生んだ女性としての母胎に限定されず、子を新たに生み出す全ての「子宮」の「中心」を意味している。18世紀の神秘主義者ゲオルク・フォン・ヴェーリンクは『カバラ魔術と神秘術の業』(1735)の中で、「再度生まるるにあらざれば、予は天の王国に到達すること能わないからである。それ故に、母の子宮に回帰することを予は欲する、再度生まれ得んがため、かつそのことを直ちに為さんがために」と述べている。ヴェーリンクのこのテクストは、「天国」に達するためには、我々には「女性性」が必要であるということがシンボリックに表現されている。錬金術において、こうした「母胎」は、materia prima(第一物質)と呼ばれ、神聖視されていた。名高い『哲学者の薔薇園』では、男性と女性の性的結合が、「聖なるもの」の具現としての第一物質獲得のためのイニシエーションとして把捉されている。すなわち、「ベーヤはガブリクスの上に登り、彼がすっかり見えなくなってしまう仕方で彼女の子宮の中に包んだ。かくも多くの愛をもって抱擁したので、彼女は己の自然の中にガブリクスを完全に吸収してしまった」。
このように、世界のありとあらゆるものに性別を意味賦与することで、世界創造を男女の性的結合と類比的に認識するフレームが確立される。錬金術が今日でも、どこかミステリアスで魅惑的な雰囲気を放って現代人を捉えるのは、この体系におけるコスモゴニー(宇宙創造論)が、エロティシズムの次元と不可分離的であるからである。宗教の持つ魅惑性も、危険性も、こうした性的次元でのシンボリズムと深く関与していると私は考えている。

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