† 映画 †

『ファイトクラブ』と闘争への意志、「私は人間ではない。私はダイナマイトだ」

ファイト・クラブ [Blu-ray]ファイト・クラブ [Blu-ray]
(2009/11/27)
エドワード・ノートン、ブラッド・ピット 他

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「生きている実感」を取り戻すためにはどうすれば良いのだろうか? この大きなテーマに真正面から挑戦した魅力的な作品の一つが、D.フィンチャーの『ファイトクラブ』(1999)であることに異論を唱える人は存在しないだろう。
主人公(エドワード・ノートン)は自動車のリコール査定をしている、エリートではあるが冴えない退屈な日々を送っているビジネスマンだ。彼の心理で面白いのは、性転換手術の体験者サークルや、メンタル系の集会などに通い詰めているところだ。彼は「泣く」ことを欲している。適度に自分が秀でた存在として認知される場で、しかも定期的に心から仲間たちと「泣く」ことができれば、確かに心理的な一定の満足感は得られるかもしれない。彼にとって職場以外の自分の場所は、そこだった。これは彼の末期的で、倦怠に苛まれた生活を描写する上での非常に効果的な設定だといえる。

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それらのサークルに、突然マーラ・シンガー(ヘレナ・ボナム=カーター)という、これまた病的でアンニュイな女性が現れる。彼女の参加動機も基本的には主人公と同じで、いわばそこで「哀しんでいる人々」を見ることで、精神的な癒しを得るという多少卑屈なものだ。自分が死を想うほど生気を奪われている場合、本当に死に瀕した危機を知った人々のさ中に飛び込むことは、ある種の魂のカタルシスを与えられるものなのかもしれない。
毎日基本的に多忙である主人公は、ある日飛行機の中でタイラー・ダーデンという石鹸を販売している男性(ブラッド・ピット)に出会う。派手なファッションでユーモアのセンスも魅力的な彼に、主人公は本能的に惹かれていく。そこで二人は機内での「一日だけの親友」となって、お互い心地よい会話を交し合って終わるはずだった。だが、帰宅すると主人公の部屋が火災で燃えていて、彼は途方に暮れてしまう。今まで買ってきた一流の洋服や北欧製の良い家具なども全て帳消しになってしまう。いわば、彼は所有物全てを喪失してしまったわけだ。
主人公が藁にもすがる勢いで電話を入れた相手こそが、タイラーだった。タイラーは主人公に酒場まで案内し、「お前は物質に依存し過ぎている」と断言する。飲み終わると、「俺を殴れ」という。男同士が、本気で殴り合う行為に一種の美学を見出しているタイラーは圧倒的な「生」の感覚を持った男であり、主人公はいわば彼に衝撃され、魅惑されていく。タイラーはかつて読書家の貴族が住んでいたであろう巨大な廃墟化した洋館で生活していて、どの部屋、階段も損傷が激しく、雨漏りしている。彼はその中を三輪車で走り回ったり(内臓が一人称で語る小説を懐中電灯で読んだりするシーンがある)、破壊したりしながらも生活していたのだった。やがて二人を中心に、ストリートにはクラブ的なものが形成されていく。場所はやがて酒場の地下室に移され、ここに「ファイトクラブ」が誕生する。
タイラーは恐るべき人物である。彼はタロットでいえば「愚者」を象徴していると解釈できるだろう。愚者は社会を攪乱させる問題行為を頻発するが、そこには人の心に真理とは何かを告知させる聖なる教えが宿っている。「職業が何だ? 財産が何の評価に? 車も関係ない。人は財布の中身でもファッションでもない。お前らはこの世のクズだ」――この台詞をいっている時のブラッド・ピットの描写は非常に有名なものであり、俳優本人がこの作品を非常に気に入っているのも頷ける。彼はいわば「生きる」ことに倦んだ人々に、真の生の実感を強烈に与えるカリスマであり、その手段は聖なる闘争である。
「生きる」感覚を呼び覚ますためには、極限すれば「死にかける」しかない。タイラーは「死」に対して圧倒的なほど従順であり、ハンドルを握らずに運転して崖下に落下したり、笑いながら反撃さえせずに殴られ続ける遊びをしたりと、その行為は破天荒でダイナマイトのようだ。ファイトクラブのメンバーには彼自らが拳に焼印を入れる掟になっている。絶対にこの集会について他言してはならない。リーダーが誰かについても謎として伝達される。タイラーが何者であるかの「核心」は未だ謎のまま維持されるのである。
この映画を既に観ている方にとって、タイラーの正体についてここで改めて述べるまでもないだろう。物語の筋書きとしては古典的だが、ブラッド・ピットがあまりにもはまり役過ぎて、いわばその力に大きく寄っている映画だ。主人公がずっと不眠症であるという設定も、タイラーが何者であったかを知る重要な伏線だ。
本作はニーチェ渾身の自伝『この人を見よ』で、私が最も好きな言葉「私は人間ではない。私はダイナマイトだ」を映画で体現したような問題作であり、一見の価値のある名作である。製作年代が20世紀末ということも、この映画の時代性を象徴している気がする。流石に作中の「恐慌も戦争もない」という台詞には、9.11や世界不況以前の能天気さを感じさせるのは否めないものがあるが、それでも作品自体が持つ根源的な力には非常にスタイリッシュでカルト的な魅力が宿っていると強く感じている。
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