† 映画 †

ヴィンチェンゾ・ナタリの『カンパニーマン』と、F.A.ハイエクの「カタラクシー」

カンパニーマン [DVD]カンパニーマン [DVD]
(2005/07/06)
ジェレミー・ノーザム、ルーシー・リュー 他

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カナダの映画監督ヴィンチェンゾ・ナタリ監督の『カンパニー・マン』(2002)を観た。Amazonでも非常に評価の高い作品だが、フランツ・カフカの作品が好きな方には特に強くお勧めしたい物語である。
ストーリーとしては、産業スパイをしているうちに二重、三重といつの間にか別の組織に雇われていることに気付き、誰を信用していいのか判らないまま「真の雇い主」を追うという、まさにカフカの『城』の測量士の探求を髣髴とさせる筋書きである。映像も非常にスタイリッシュで、特にスパイとして活用する「物」に対する描写が整然としていて数式のようだ。建物の撮影も幾何学的な美しさを意図した演出になっており、作風として同じくシンメトリカルな建造物に美を見出していた「迷宮」の作家、J.L.ボルヘスともリンクしているといえるだろう。
派遣先で向かう土地の描写も、アメリカの地図が黒く塗り潰された画面が使用されているなど、細かい描写に監督のセンスを感じる。一言でいえば、クリス・ヴァン・アッシュのDior Hommeのフロアのようなモノトーンを基調とした雰囲気というべきだろうか。主人公は誰を信用していいのか判らない「不条理」な任務を与えられるわけだが、随所で手助けしてくれるのが別の女スパイであるリタという東洋人の女性である。
この作品には、Capitalismを考える上での象徴的な描写が幾つか用意されている。その一つが、スパイとして味わう数々の「不条理」であり、これは我々現代人が働く上で感じる様々なやり切れない出来事の具現化として解釈できる。二つ目は、後半で登場する「黄金の地下空間」である。ここはややSF的な描写ではあるものの、私には何故かF.A.ハイエクの名高い「カタラクシー」の概念と結び付いた舞台として読み取れた。というのは、主人公が体験する仕事は明らかに市場原理としての「ゲーム」であり、それはハイエクが述べたように結果が「予見不可能」であるという点に最大の特質を持っている。一つの企業がいつ淘汰されるか、次のイノベーションがいつ生起するか、といった具体的な真相は根本的には“不可視”であり、市場における勝者が翌週には敗者になることを容認する原理こそが、Capitalismである。そこには一種の「神秘性」が宿っており、この象徴的な空間こそが、様々な企業に派遣された後に彼が辿り着いたこの「黄金の地下空間」だったのではないか。そこはエッシャーの騙し絵のようなキュービックで幾何学的な場所であるが、一つの組織として現前している。この空間にいる男が主人公とワインを乾杯する時に洩らす台詞、「情報化時代に乾杯」こそが、まさにそれを物語っているといえるだろう。
この作品が秀逸であるのは、カフカの『城』に現代的な新しい解釈の可能性を開いているからだ。本作における「真の雇い主」として、女スパイのリタの愛人でもある「ルークス」という謎めいた男は、『城』で測量士Kを雇った主人に相当する。小説では主人は最後まで現前しない。だからこそカフカのあの作品において、「主人」の持つ「非現前」としての「幽霊性」には際立った衝迫力があるといえる。この映画では、主人公が記憶を喪失したルークス自身であったという真相が付与されている。ルークスこそが主人公であり、彼は様々な仕事の果てに、自分の暮らしていた洋館に漂着するわけだ。この探していた主人が、実は測量士Kそのものであるという、「K=主人」の等式こそ、ナタリ監督なりのカフカ解釈といえるのではないだろうか。
現前していない主人についての問いかけは、無論映画だけでなく文学においても生起している。その最たる例が、正統的なカフカの後継者ともいうべきM.ブランショの『私についてこなかった男』ではないだろうか。この小説でも、やはり謎めいた「彼」という現前しない存在者をめぐる「私」との関係性が濃密に描かれている。「主人」の正体については、他にも様々な解釈のコードを用意することが可能であろうが、本作には非常に理知的で記号的な娯楽性も含まれており、映画作品としての質は高いといえる。
主人公が見続けていた悪夢に一瞬だけ現前する「海辺の女性」のイメージと、その伏線の回収方法も優れたものだった。因みに、この映画のDVDのデザインは、作中のリタを抹殺する命令をダウンロードしたディスクと同じ仕様になっており、そこにも機転が働いている点は好感が持てる。




参考リスト

城 (新潮文庫)城 (新潮文庫)
(1971/04)
フランツ カフカ

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私についてこなかった男私についてこなかった男
(2005/04)
モーリス・ブランショ

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