† 映画 †

『オリエント急行殺人事件』における、デリダ的な「憑霊論」

オリエント急行殺人事件 スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]オリエント急行殺人事件 スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]
(2006/06/29)
アルバート・フィニー、ローレン・バコール 他

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古くなってもまだ楽しめる作品の一つに、アガサ・クリスティ原作の『オリエント急行殺人事件』がある。本作は「アームストロング事件」という架空の誘拐事件に端を発する、人間心理の「復讐心」を描いている。
「アームストロング」事件とは、富豪の幼い愛娘が何者かに誘拐された出来事で、これに絶望した父親が亡くなり、母親も次の子を生む時に死産すると同時に亡くなってしまい、雇われていたメイドが事件の嫌疑をかけられたショックで投身自殺を図ったという、まさに「悪夢」の如き悲劇的な事件である。本作に登場する全ての人々が、この痛ましい事件についてのメディア報道を濃密に記憶している。いわば、人間の心の暗部を象徴したような事件であった。
名高い探偵のエルキュール・ポワロは、仕事でロンドンへ向かう予定だった。彼はブルジョワ階級にもその名が知られている名探偵であり、鉄道会社の社長とも親密な間柄で、たまたま一等客用の車両に乗り組める機会を与えられた。そこで彼は乗り合わせた乗客の富豪から、「命を狙われているから身辺警護を担当して欲しい。金は高く出す」といわれる。ポワロの関心は「犯罪」にあって、「警備」ではないので彼はこれを断る。しかし、この富豪は翌日には車内で何者かに暗殺されていたのだった……。
クリスティは極めてポピュラーな女流作家で、聖書と比較される程よく読まれているといわれるほどなので、我々がこれ以上の筋書きを述べるまでもないだろう。だが、この『オリエント急行殺人事件』は、J.デリダが『マルクスの亡霊たち』で展開していた独特な『ハムレット』論と明らかに接点を持っている。デリダによれば、この世界に存在するあらゆる概念、観念、想念、感覚などは「失われても次の形式において再現前する」とされる。したがって、マルクスが死んだと位置付けられたその時代が、最も“マルクスの亡霊たち”が徘徊する可能性が高いことを示唆しているわけであり、デリダのこの本は政治学的な読解方法もできるわけだが、いうまでもなく彼固有の概念である「痕跡」とも密接に関わっている。この「痕跡」の概念から、改めて『オリエント急行殺人事件』を捉えてみると、一体どうなるのだろうか。
アームストロング事件は、一家全員が滅ぶという悲劇に終わった。その犯人は野放しにされ、未解決のまま迷宮入りしている。しかし、この物語で世界を愕かせたもう一つの種明かしである「乗客全てが犯人」というショッキングな真相を鑑みると、果たして“一家は本当に滅んでいたのか?”という問いが浮上するわけである。通常、人間の肉体が滅べば彼女、彼は死んだと規定される。しかし、プラトニズムにおいては肉体とは無関係に、霊魂は不滅であり、プラトンはこれを『パイドン』において「霊魂不滅の定理」として、後の霊魂論の模範となるテクストを残している。また、我々が暮らす日本には、古より「憑依」という考え方が存在する。これはシャーマニズムにおいても憑霊型シャーマンの特徴としてM.エリアーデなどによって報告されているが、そこでは自己の身体に他者の霊魂が「乗り移る」という図式が成立する。何か現世に強い想いを残して死去した人物の霊魂は、現世に沈殿し続けるのであり、これは同じような思いを抱いている、或いは共感している他者の身体に「憑依」する。このような「集団憑依」の概念からクリスティのこの物語を捉えると、一つ興味深い命題が現れるのである。
それは、「アームストロング家は誰一人死んではいない」という、まさにこの映画の結末に相応しい、逆転的な命題である。彼らは、マルクスが死んでも未だに痕跡的なマルクス主義者が存在しているように、いわば「霊魂」において生き続けているのだ。乗客は、まさにアームストロング家の人々に近しい人物として、彼らの怨みに共感できる立場、環境にあった点で共通する。これは「集団憑依」の前提条件を満たすものである。アームストロング家の亡霊たちは、乗り合わせるべくして乗り合わせた人々の身体を借りて、奪われた娘の復讐を果たしたのだ。
このように解釈すると、最後に乗客がポツリと洩らした謎めいた一言、「これで娘の霊が鎮まりますように…」の真意が掴めるのではなかろうか。
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