† 建築学 †

『トウキョウ建築コレクション』―2010、2011年の私的記録

トウキョウ建築コレクション〈2011〉全国修士設計・論文・プロジェクト展トウキョウ建築コレクション〈2011〉全国修士設計・論文・プロジェクト展
(2011/07)
トウキョウ建築コレクション2011実行委員会

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トウキョウ建築コレクション〈2010〉トウキョウ建築コレクション〈2010〉
(2010/07)
トウキョウ建築コレクション2010実行委員会

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『トウキョウ建築コレクション』は建築デザインや論文で優秀だったものをカタログ化した本で、今回2010年、11年度の作品集を読んでみた。どれも素晴らしく刺激的なテーマを持っていて、「建築学」の持つ無限の奥行きを感じさせるに十分だった。このページでは、私なりにこの二冊の刺激的な本についての記録を残しておきたい。


○ 建築史の概略


『トウキョウ建築コレクション2010』のラストに掲載されている建築史家の鈴木博之氏の特別講演会『東京 歴史の表現 技術の表現』が、近代以前と20世紀以降の建築について概観しており勉強になった。
まず、近代以前の建築は、ロマネスク、ゴシック、ルネサンスなどのように「様式主義」と呼ばれるものであり、そこでは型に嵌った装飾性が重視されている。これが19世紀において揺らぎ始め、20世紀に入ると機能によって様式が決定されるという、いわゆる「機能主義」の時代に入る。アレゴリーとしては、必要な機能のみを備えて目的を遂行してくれる「機械」に象徴される時代である。20世紀は「マシン・イメージの時代」ともいわれ、これはル・コルビュジエの「住宅は住むための機械である」という有名な言葉にも代表される。建物は装飾性を喪失し、ビルディングタイプの機能性重視のものへと変化していった。
しかし、20世紀後半になるとインターネットの発展に伴い、「情報化時代」を迎える。それに伴い、建築も「機械」的なアレゴリーではなく、informationに象徴されるものとなっていく。例えば集積回路は一目ではどのような機能を持っているのか判らないし、本来製品に内蔵されており不可視だ。このような「機能」の不可視性と、アイフォンなどに代表される「機能の発見」によって、一つの機能しか持たない建物ではなく、多目的用途に応じた建物が志向され始めるようになった。これはまた、何が「部分」で、何が「全体」であるかが揺らぎ始めているということでもある。
近代以前の「様式主義」から、19世紀~20世紀の「機能主義」、そして20世紀後半以降の「情報化時代」と建築は変容してきた。現代のキーワードとして重要なものを、鈴木氏が五つほど挙げている。

�「歴史・周辺のコンテキストからの表現」(その土地の歴史性や文化などを活かした建築)
�「技術による表現」(機能主義を越えた、ハイテク化)
�「古い建物の保存・リノベーション」(ここで重要な考え方としてあるのが、ミニマム・インターベーション=必要最小限の介入である。無闇に開発していくのではなく、歴史的かつ文化的な文脈を持った建物はできるだけ活かして次世代に伝えるという考え方)
�「皮膜性」(脱機能主義的なコンセプトの一つ。美術館などでは、ガラスの壁を設けたものも多い。一つの建物を多目的に使用できることをベースにしている)
�「フロー」(目に見えない血管、神経組織、或いは集積回路やダクトなどの、本来不可視であるものを可視的な建物のデザインに吸収するコンセプト)



特に記憶しておきたいのは、�をテーマにした妹島和世と西沢立衛の「Dior表参道」(2003)、及び青木淳の「Louis Vuitton表参道」(2002)である。外国でも「皮膜」をテーマにした建築家として、ヘルツォーク&ド・ムーロンの作品がある。鈴木氏がいうには、「皮膜」は現代建築のキーワードの一つであり、「機能」と「形態」の結び付きが対応しなくなった情報化時代の建築の戦略である。一つの用途しか持たない建物が近代建築だとすると、現代は「組み替え可能」を意図した建築であるとも規定されている。
�の代表例としては、伊藤豊雄のパイプのメッシュ状になった建物などが挙げられている。他にも、黒川紀章の最期の作品である「国立新美術館」も重要。


○ 学生作品 2010年


次に、私が学生の建築デザインで印象的だったものを幾つか紹介してみたい。まずは2010年のコレクションから。

■ 小野志門さんの作品 

これを観た時、アルノルド・ベックリンの「死の島」をイメージした。霧に包まれた「葬儀都市」ともいえる架空の都市のデザインである。特に印象的だったのが、アドルフ・ロースの「建築が芸術になる可能性はモニュメントと墓地にのみある」という謎めいたテクストだ。「喪」のかたちの未来系といえば良いのだろうか、或いは、J.デリダ的な一種のユダヤ性を感じさせる建築空間である。

■ 井上裕依子さんの作品

彼女の作品も「葬儀に行くまでの、その人の道の設計」と記されている。どこかデ・キリコの初期作品を髣髴とさせるような不思議な葬儀場である。小さな洞窟のような場所に入ったようなイメージも思い起こさせた。

■ 鈴井良典さんの作品

この作品では「断片化した街のモデル」といった、『コラージュ・シティ』のテーマともリンクした考えが構想されていた。「都市の全体像を把握する視座が失効しつつある今日、都市とは、人々やある種族それぞれの内にある、断片的なものとしてしか捉えることができない」という言葉は、「寄せ集めて自分で造る」、「修繕する」、といった意味を持つBricolage(ブリコラージュ)の概念を受容したものだろう。


○ 学生作品 2011年


■ 水野悠一郎さんの作品

「空本」とは、「本の中にカット・アウトを施したもの」であり、構想としては「多様な空間構成を秘めたプロトタイプ」とされている。これは極めて刺激的な作品で、私はこれを見た時にデリダのいっていた「デクパージュ」とか、「折り目」、「襞」といった幾つかの戦略素を想起した。この「空本」というのは、確かに水野氏の作った本なのだが、ページには何も書き込まれていない。つまり、「文字」は存在しない。存在しているのはレーザーカッターで切断されたページの切り抜きであり、それがページ同士の前後の微妙な堆積を利用して、複雑な建築空間をイメージさせる仕組みとなっている。いわば、この空本自体が一つの「亜―空間」を孕んでいるのではないか。
ある意味で、この「空本」には、「書物」の体裁を取る全ての本の中でも、最も前衛的な手法が取られた一つの「文学」の可能性を感じるのである。というのは、この本にはいかなる文字も存在していない。にも関わらず、多様な意味を賦与可能な「カタチ」の刳り貫きが展開されており、いわば無限に豊かなシニフィアンとしての本である。ページを捲るごとに、読者は様々な建築空間の内部を歩行することになるのではないか。そこには、「本」というよりも、「箱」のような魅力がある。

■ 中山佳子さんの作品

タイトルには「現代的村落共同体」とあり、愕くべきことに本来繁華街などで雑居的な感覚を持っている「駅前」というスペースが、田畑に包まれている。それぞれの必要な建物は、田畑の中に神経組織のように点在しているノードとして設置され、彼女はこれを「ひだリング」と呼称している。駅前に緑が広がり、コンビニまでもが田畑地帯の内部に組み込まれているという発想が斬新で、まさに「地方」と「中心」のカップリングを見た思いだった。また、彼女は河川公園も「水上レストラン」や「水上バス」、「デイサービスセンター」などで賑わう場として構想しており、単にサイクリングしたり散歩したりするだけの「寂しい場所」としての河川敷一帯を、まさに更新させるデザインだといえるだろう。これは今後の都市計画でも期待できるのではないだろうか。

■ 工藤浩平さんの作品

タイトルが興味深い。「小説に変わるいくつかの日常」とある。彼の研究はヴィルヘルム・ハンマースホイの室内画の影響を受けている。室内画家の系譜としては、フェルメール、ピーテル・ホーホ、ヤンセンス・エリンハ、デ・ヴィッテ――そして彼らから影響を受けたハンマースホイなどがいる。私も個人的にこの画家が非常に好きなので、これらの室内画の系譜は参考になった。工藤さんは画家の室内の「奥行き」に注目して、様々な室内をモデル化している。

■ 芝山雅子さんの作品

この作品が持つ魅力には、非常に大きなものがあると同時に、神秘的である。タイトルの「隙間の集落」自体が、都市空間において消尽されつつある「空き地」を思い起こさせるものだといえるだろう。この架空の都市は、ぐるっと環で囲めるので中世において夢想された「円形都市=ユートピア」に近い。また、童話的な雰囲気も帯びている。建物同士の隙間を設けて、そこが通路になっている。つまり、道に沿って建物が並ぶのではなく、建物が樹木のように自由に聳え、その間がいわば「道」なのだ。この間、この間隔こそ、現代都市で喪失されていく「空き地」のユートピア化されたものではないのだろうか。私は彼女の作品に、「空き地」から想像的に進化していく中世的な「円形都市」の可能性を感じたのである。
彼女も審査員からのインタビューで、「路地や隙間にすごく魅力を感じていて」と話している。それはまさに私も共有している感覚であり、だからこそ都市においてポッカリと穴のあいたように拡がる「空き地」や、秘密基地へと繋がっているような「路地裏」が、神秘的なのではないだろうか。エリアーデの「世界の中心」という概念を応用すれば、これら余白へと追いやられている人知れぬ空間こそ、まさに精神的な聖域そのものである。彼女は「強いコミュニティがあるのか」という点については明確に答えていないが、もしかするとこの「隙間の都市」は、何か神秘的な秘密結社が建造した都市なのかもしれない。

■ 千葉美幸さんの作品

タイトルは「アルド・ロッシの建築思想における<断片>」とある。彼女の論文のダイジェスト版を読んでいて、私もこの「断片」の概念に強く惹かれた。というのも、ロッシの1988年のテクストとして、「都市の生活も人間の人生も常に、より完璧な何か、あるいはかつて完璧だったに違いないはずの何か、あるいはもうなくなってしまった何かの残部、といったもののフラグメント(断片)なのである」に興味を持ったからだ。









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~ Comment ~

興味深いコメントがいっぱいですね

偶然貴サイトにたどり着きました。
文学、建築、アート、哲学と非常に幅広い内容と、話題の鋭い切り出しに共感を覚えました。
また時々拝見させていただきます。
[2012/11/24 19:36]  森山  URL  [ 編集 ]

*森山様、コメントに心から感謝いたします*

*森山様へ*

コメントを寄せていただき心から感謝いたします。
このブログでは、私が読んだ本などを中心にしてできるだけ丁寧に記録を残すことを目標にしています。
記事には過去の再掲載分もありますが、更新することで新しい関心が広がっていくことを念頭に置いております。
まだまだ至らない点は多々ありますが、どうぞこれからもよろしくお願いします*
[2012/11/24 21:32]  satoshi  URL  [ 編集 ]















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