† 建築学 †

フランク・ロイド・ライトの建築

巨匠フランク・ロイド・ライト巨匠フランク・ロイド・ライト
(1999/06)
デヴィッド ラーキン、 他

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ライトは1894年のスピーチで「有機的建築」について以下のように述べた。

「敷地に特徴となる自然があるのであれば、住宅が敷地から成長しているかのようにし、環境と呼応するように形作りなさい。そのような自然が無い場合は、自然が機会を与えられた場合にどのようになるであろうかを想定して、できるだけ静かに、本質的で、有機的にしなさい」



本書で著者は以下のようにライトについて解説している。

「基本的にライトは、自然の材料をその最善の性質に従って正直に使用するべきであると、また新しい材料は革新的に使用するべきであると信じていた」



本書を読んでいると、ライトが「自然」「人間」「住み易さ」という三項を三位一体として捉えていたことがよく判る。人間にとって住み易さとは自然に近い、自然の素材や形態を活かした建築であり、自然に人間が寄り添うためには、そのような建築が最適であると考えていた。
またライトは「家族」を最重要なテーマに据えた。彼は若かりし日に結婚し、多くの子供に恵まれている。「住宅」は「家族」のための空間であり、特に「暖炉」(火を中心にした空間)と、「ダイニングルーム」に力を込めていた。ライトの個人邸宅シリーズのどのダイニングルームにも、特徴的な背の高い椅子が設けられ、「ここが一番建物の中で重要な空間である」というメッセージが伝わってくる。家族との夕食、客人との晩餐――「食事」のための儀式を行う、名家らしい独特な格調を感じさせる雰囲気を放つ。

・暖炉
・ダイニングチェア



ライトはフリードリッヒ・フレーベルの教育学に従って幼少期より「自然」に親しんで教育された。ウィスコンシン大工学部へ入り、その後シカゴという都会に出る。ルイス・サリヴァンに師事し、彼の事務所で六年働いた。
ライトの建築にはウェールズのユニタリアン派思想や、ドルイディズム、老子、日本の神道などの影響があるといわれている。
《ウィンズロー邸》はサリヴァン事務所時代のライトの処女作である。ここではまだサリヴァンの影響が窺えるが、やがてライト独自の「機械的な住宅」へとシフトしていく。

「ライトの20世紀の芸術家としての、道具としての機械への信仰は、1901年の改革家ジェーン・アダムズのハル・ハウスにおける有名なスピーチで最初に宣言されている。このスピーチはThe Art and Craft of the Machine(機械の芸術と工芸)として出版され、住宅を近代的かつ美術的にするために、平面や装飾を単純化することについての議論が含まれている。“機械は愕くべき単純化を行い、創造的な精神を解放し、最終的には創造的な良心を再生する”」



サリヴァンから独立後、彼はウィスコンシン南西部の田舎町の雰囲気を持った「プレーリー・スタイル」へ向かう。

「私はプレーリーを本能的に愛している。その際立ったシンプルさを。木々、花々、そして空が対照をなし、スリルに満ちている。そして、プレーリーではほんの少しの高さでも際立って見えることに気付いた。高さ方向へのディテールは非常に重要になるのに対し、幅方向は全て短く見えてしまうのだ」



「全ての住宅にとって、シェルターのような外観が最も重要であるという考えに基いて、全体を低く伸びる屋根、深い庇を持つ平屋根、寄せ棟、または切り妻屋根で覆った。建物を基本的に洞窟ではなく、景色――外の景色と内の景色――に関係した開放的な広いシェルターとして見るようになったのである。アメリカ人として生まれたこと、大地と空間の子であること、近代的な人類の要望が広々した空間を望んでいること、これを自然な人間の機会としてみるようになっていることなど、これら様々な感情の全てが一つの方向に向かっていることが判るであろう」



リクワートが『アダムの家』で述べていたように、ライトの「原始の小屋」信仰には根強いものがある。ライトはそれを「箱型のグロピウス的住宅」からの解放であるとも解釈している(グロピウスにも原始の小屋的な邸宅は存在する)。
ライトの「有機的建築」が本書でも紹介されているが、ロース的な近代機能主義を実現したものである。
前期ライトのクライアントの大半は上流ビジネスマンであり、資料を閲覧する限りそれぞれの邸宅で「サロン」を開けるレベルである。
特に先述したダイニングルームは全体的に「交霊術的な香り」を持っている。
シカゴの《ロビー邸》は、20世紀建築の中でも記念すべき重要な作品として解釈されている。これは16年間のキャリアの真髄だといわれ、「近代住宅建築の先駆」である。ドイツでは「遠洋定期船」と呼ばれたが、室内はどこか「船室」に近い。
ライトはプレーリー・スタイルを心から愛しており、ウィスコンシンの喉かな牧歌的世界を謳歌していた。ウェールズ語で「輝く丘」を意味する「タリアセン」に自給自足の事務所所属の共同体を形成していく。しかしここは放火され、失意の中で「東京帝国ホテル」の設計を依頼され、実に6年間はこの仕事に専念することができた。
一見順風満帆に見えるが、実はライトの生涯は苦悩の連続である。

《バーンズドール邸》などを見ていると、神殿的で遺跡のようだ。
クライアントは大恐慌の影響で30年代以降から中流階級へとシフトしていく。
重要な《落水荘》は、ロマン詩の影響を受け、「人間と自然の調和」を理念にした建築である――これはリクワートのいう「アダムの小屋」のイメージに最も近接していると考えられる。
夜の森の中で建物が放つ光は、まるで「妖精の国」を髣髴とさせる。室内の床も洞窟のようだ。しかし、50年経過してもこのタイプの立地には建築許可が下りないという。
「有機的建築の究極形態」とされる《グッゲンハイム美術館》は、流動的な構造を持ち(ソフトクリームの中に入ったような形態)、ライトのいう「形態と機能は一つである」を具現化している。ただ、依頼者のヒラ・リベイ男爵夫人はずっとこの建物に不満を持ち続けていた。《落水荘》でも依頼者から「黴が生える家」と評されたライトは、依頼者の要望と自分の目指すべき道とのはざまで相当苦労していたと推察される。
ウィスコンシンの《ユニタリアンチャーチ》のような宗教建築も存在する。ペンシルヴァニアにある《ベス・ショロム・シナゴーグ》はユダヤ教のための教会であり、「神の手の中に休んでいる空間」を理念にしたという。

「最終的に建築家の価値を決めるのは、いかに自分のやっていることを愛しているかである」ライト


ライトは新古典主義的な古き良き時代の美しい建築に美を見出そうとはしなかった。彼は徹底して「最前線」を意識した。それがプレーリースタイルであり、また「有機的建築」(自然と住居と人間は三位一体)であった。

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