† 美学 †

谷川渥『肉体の迷宮』⑴

肉体の迷宮肉体の迷宮
(2009/04/02)
谷川 渥

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○ 五章「切断された身体」要約


特定部位へのフェティシズムとは、「部分によって全体を暗示する提喩的表現の一種」である。「自画像」は、鏡面に頭部という身体の一部を切り取って映したものである。
意図的に凸面鏡を利用した画家の重要な作品に、パルミジャニーノの名高い《凸面鏡の自画像》がある。この歪んだ視界そのものが「天使の眼のメタファー」とも称される。他に凸面鏡を使用して描いた作品として重要なのは、ファン・エイクの《アルノルフィーニ夫妻の肖像》(後姿)である。
アルベルティによれば、ナルキッソスは「絵画の発明者」と規定される。上記の作品には、「絵画と鏡」のテマティスムが色濃く漂っている。
カラヴァッジョの《メドゥーサ》も凸面鏡で描かれた。一説によれば、これは画家の「自画像」――偽装され、女性化した――である。この絵には二つの視座が存在し、一つ目は絵が「ペルセウスの鏡の盾に映っているメドゥーサの顔」だというもの。もう一つは、「盾に飾り付けられたメドゥーサの顔」だという視座である。
谷川は、メドゥーサの視線がやや下方を向いていることから、これは「ペルセウスの視点」かもしれないと述べている(その場合、自画像とはいえない)。しかしこれが自画像だったとすれば、そこには「自己処罰」、「罪の意識」が明瞭に読み取れる。

「《メドゥーサ》という作品にまつわる全ての曖昧性・両義性は、結局、絵画というものについてのこういう考え方に収斂するといってもいいだろう。カラヴァッジョは、絵画制作というものが本質的にメドゥーサの首を斬ることであり、したがって絵画作品は斬り取られた首であって、その首がなお石化の力を保持するところのゴルゴネイオンであることを知っていた。つまりカラヴァッジョは、画家というものが対象を斬り取るペルセウスであると同時に、人々に愕きを与え、感動させ、それゆえ石化の作用を及ぼすことにもなるメドゥーサであることを自覚していた」(p130)



この章では、結果的に「自画像」の不可能性――全てはイリュージョナリスティックに「切断」されたものであるに過ぎないということが核心として読み取れる。


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