† 建築学 †

現代建築にまつわる重要概念を学ぶための基本図書――五十嵐太郎『現代建築に関する16章 〈空間、時間、そして世界〉』✖️エイドリアン・フォーティー『言葉と建築』について

【言語と建築】


 1950年~60年代に入ると、戦後イタリアでは記号論が関心を持たれ始める。特に研究対象になったのはソシュールとパースだった。モダニズム建築が「言語」と「建築」の相関を嫌い、建築それ自体の固有性を主張したことを内省し、20世紀後半には再び双方を相関させるコンテクストが建築批評に出現し始める。特に、20世紀後半には「ヴァナキュラーな言語」(日常言語)と建築が相関して把捉されるようになる。
「言語」と「建築」をアナロジーによって捉える論客の代表的存在はマンフレッド・タフーリである。

「タフーリは猛烈かつ情熱的に建築は言語であると信じていた(それは時として彼が建築について語っているのか、言語的な形態それ自体について語っているのかを見分けがつかなくなるほどであった)。しかし彼にとって主要な問題は建築と言語の科学とを明瞭に分けることであり、歴史的批評を発展させることであった」(*1)


 タフーリのこうした基本的な立場は、同じイタリアの批評家ジッロ・ドルフレスによっても展開されている。

「他の諸芸術と同じように建築を考察した場合、「言語」としての建築の諸問題は、思考の全く新しい潮流における根拠となる。この新しい潮流は建築を情景・コミュニケーション理論の観点から扱うことを可能にする。そして意味は対象・出来事・存在を「記号」と結合する行為として扱われ得る。そしてその記号がそれらの対象や存在を喚起するのである。認識過程は、ある意味を我々の周囲の事物へと割り当てる我々の能力に存している。そしてこれが可能なのは、「記号」が我々自身の意識と現象する世界とを繋ぐ環だからである。したがって記号はあらゆるコミュニケーションの最初の、かつ直接の道具なのだ。私は一つのことを確信している。建築は、他の芸術のように、有機的な全体として、そしてある程度は記号の制度化された総体として考えられるべきである。ここで記号は、部分的には他の言語的な構造と同一視されうる」(*2)


 ドルフレスはここではっきりと、「私は一つのことを確信している。建築は、他の芸術のように、有機的な全体として、そしてある程度は記号の制度化された総体として考えられるべきである。ここで記号は、部分的には他の言語的な構造と同一視されうる」と述べている。
 こうした思潮の中で、最も重要で汲み尽くし得ない詩的魅力を放っているのが、名高いアルド・ロッシの『都市の建築』である。本書では、言語モデルが「都市」そのものに転換されている。エイドリアン・フォーティーは『言葉と建築』の「言語の隠喩」という論稿の中で、以下のようにロッシからロラン・バルトについて言及している。

「この著作によって彼は、建築はそれ自体姿を変えなくとも、その用途と意味とを無限に変容させることができると論じた。彼は次のように書いている「都市の研究において恒常的な要素の持つ意味作用は、言語において固定した構造が持つ意味作用と比較され得る。このことは、とりわけ都市研究と言語研究とが変容の過程と恒常性の複雑体であるという観点からアナロジーを示していることからも明白である」。しかし、言語体系としての都市へと関心が移行したことは、ある程度は記号論自体の理論的な目的によって定められていたことでもある。ロラン・バルトは「都市の中を彷徨う者は…(略)…ある種の〈読者〉である」と書いている。だが一方で、彼がこのことに注目する理由は、何かのある決定的な読みへの到達不可能性を描くことにあったのである。バルトの都市への関心は彼のポスト構造主義の時期の始まりと対応しており、彼はこの時期、どんなに明確に限定された記号内容さえも捉え難く、究極的には到達不可能であることを認めているのである。同じエッセイの中で都市について彼は、「いかに文化的そして時として心理学的でさえある複合体において、我々は隠喩の無限の連鎖――そのシニフィエ(記号内容)は常に後退しあるいはそれ自身シニフィアン(意味するもの)となる――に直面している」のかについて言及している。これは彼が「エロティックな次元」、無限に隠喩的な本性として描写するものを生み出し続ける都市においてまさに明白なことであった。都市の記号論的可能性へのバルトの関心は、少なくともある部分はシチュアショニストたちに由来する彼らの思想は精神地理学的な探求と、都市の規範的な表象を読み替え、主観的にその経験を再構成するderive(逸脱、英訳すればdrift――都市の中を動く者が主観的に都市の各部分を再構成することを言うのに用いられる)の技術から来ているように思われる。一方で、シチュアショニストたちの全く非文学的な都市との遭遇様態は、社会現象の分析への言語モデルの侵入に抵抗する方法として、アンリ・ルフェーヴルらによっても用いられた」(*3)


 このテクストはタフーリ、ロッシ、バルトらと連なる「都市の記号論的可能性」について示唆した興味深い箇所であるので、フォーティーが参照しているバルトの建築学と相関する邦訳著作を幾つか列挙しておく。――『神話作用』、『エッセクリティック』、『エッフェル塔』、『モードの体系』、『テクストの快楽』。(*4)
 フォーティーの上記のテクストを読解していて、私が考えたことをここで若干素描しておきたい。
 例えば、ある青年Xは休日によく同じバーへ向かう。その店へ到達するまでに彼は駅前を通過し、様々なビルの群れを越える。普段Xは都心の建築会社で勤務している。彼にとって「都市」は、彼の暮らす「生活世界」から構成されている。無論、彼が暮らす都市の中で、まだ訪れたことのない場所も同じ都市の一部であるが、Xには馴染みのルートが存在するわけであり、それが必然的に彼にとっての「都市の記憶」を組成するだろう。同様に、別の青年YはXと同じ都市で暮らしているが、彼は休日になると図書館へ行ったり川縁の道をサイクリングしたりして過ごしている。Yは若くして作家になり、基本的に地元の馴染みのカフェで執筆したりして過ごしている。ここで重要なのは、XとYが「同じ都市」で暮らしていながら、「別の光景」に馴染んでいるという点であり、これが彼らの「都市のイメージ」の差異である。
 アルド・ロッシは、都市の「伝記」とは、そこで暮らす部分、断片的存在である個別具体的な人々の「自伝」の集積であると考えていた。つまり、ある一人の人間のプライベートな「日記」には、その都市の本質の一端が開示されているのである。換言すれば、住民たちの「伝記」(部分)は、よりマクロな単位としての「都市」(全体)のフラグメントなのだ。フォーティーが引用しているバルトの意味深長なテクスト、「都市の中を彷徨う者は…(略)…ある種の〈読者〉である」とは、住民一人一人に、それぞれの都市への「レクチュール」が存在するということである。すなわち、同一の都市であっても読者の読みは無限に存在するのだ。こうした考えの基礎にある概念として、フォーティーは英語の「drift――都市の中を動く者が主観的に都市の各部分を再構成すること」を挙げている。都市の記号論的な編成というテーマにとって、やはりこの概念は基礎になっているといえるだろう。
 以上例証されてきた論客の考えには、全て「言語」と「建築」のアナロジーという共通の基盤がある。だとすると、この思潮の本質とはそもそも修辞学的な「隠喩」の本質に急迫することによって可視化されるわけでもあるのだ。フォーティーは以下のように、「隠喩」の構造(言語と建築を結び付けるものとしての)を分析している。

「たとえ建築が言語でないとしても、そのことが建築について語る隠喩としての言語の価値を貶めるわけではない。隠喩がその比較される対象のあらゆる細部までも復元しなくてはならない理由などないのだ。隠喩は、記述しようとする現象の部分的な記述以上のものではない。隠喩は常に不完全である。むしろ、隠喩が全面的な復元に成功した時、隠喩はもはや隠喩であることをやめるだろう。何故なら、隠喩とはどんなに似ていても本来は異なるものの間に成立するものなのだから。建築-言語のアナロジーに関する最近の議論の多くに特徴的な完全主義(現在は、建築と言語のアナロジーは批判対象になっている、とフォーティーはみなしている)は、建築のある種の側面にとっては言語の隠喩は有効であり、最善でありうるという事実を隠蔽してしまう。プランやファサードを「読む」時、建築的な「ヴァナキュラー」(日常言語)の存在を前にした時、建築を要素に分節化する時、さらには古代ギリシア・ローマ以来の慣習から自由に建築を考えることができた時でさえ、我々は言語に多くを負っているのである。こういった隠喩のどれかを承諾することは、必ずしも建築言語意味論の完全な体系に忠誠を誓うことを要求しない。言語とのアナロジーに対する“現在の魔女狩り”が過去のものとなった時に、言語は建築にとって昔同様に観念の源泉として生産的であり続けると考えても良いのではないだろうか」(*5)


 以上の見解から判るように、フォーティーもまた「言語」を「建築」のアナロジー(あるいはその逆も然り)として把捉する系譜に自らを書き込んでいる。

 以下に掲載するのは、五十嵐太郎の『現代建築にかんする16章』や、エイドリアン・フォーティーの『言葉と建築』でまとめられている現代建築を語るための重要なキーワードから構成したものである。ここでいう現代建築とは、主として90年代以降にテーマになっている概念から構成されたものである。

「形態と機能」

 モダニズム建築は機能主義に代表され、もともとは都市の人口過密を合理的に解決するための手段という側面もあった。ルイス・サリヴァンは機能主義建築のスローガンを、Form follows functions.(形態は機能に従う)と表現した。しかし、20世紀後半になるとこれに反省が生まれ、ピーター・ブレイクはForm follows fiasco.(形態は失敗に従う)と皮肉ったり、ミシェル・ドゥネがForm follows fiction.(形態はフィクションに従う)などと表現し始める。五十嵐太郎はダニエル・リベスキンドの《ユダヤ博物館》について用いた表現を引用して、Form follows metafiction.(形態はメタフィクションに従う)と述べた。
 現代建築を語る上で、最早20世紀前半の「形態=機能」という等式は成立しない。決定的なのはベルナール・チュミが『建築と断絶』において、双方はそもそも断絶していると規定した考え方である。彼によれば、“同じ形態でも機能は交換可能”であり、いわばrenovation(用途変更:建築物に新たな付加価値を賦与して刷新すること)が重視されている。これを判り易くモデル化したのが、ロバート・ヴェンチューリとデニス・スコット・ブラウンの『ラスベガス』である。彼らはその本で「DUCK/DECORATED SHED」(あひる/装飾された小屋)というモデルを用いた。

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(ロバート・ヴェンチューリ、デニス・スコット・ブラウン『ラスベガス』より)

「あひる」の形態をした建物は機能主義建築への痛烈なアイロニーであり、「装飾された小屋」とは、サイン機能(店の看板など)と空間としての機能を分離することを意味する。後者は換言すれば、同じコンビニエンストアでも看板さえ変えれば中身を別の店舗にすることができることを意味する点で、チュミのリノベーションの概念を表現している。
 機能主義が一つの用途に対応した一つの空間を提示したのに対し、現代建築は複数の用途・視点に対応した、一つの多次元的な空間を提示する。青木淳の「原っぱ」と「遊園地」の概念も形態・機能の文脈を語る上で重要な指標になっている。
 
「スーパーフラット」


表参道Diorビル 妹島和代
妹島和世《表参道Diorビル》

ライナーアッペンツェル美術館(スイス)ギゴン&ゴイヤー
ギゴン&ゴイヤー《ライナーアッペンツェル美術館》(スイス)

 これは20世紀末に浮上した概念で、もとは村上隆の造語である。建築家として「スーパーフラット」と関連するのは妹島和世、ギゴン&ゴイヤーらであり、「薄い膜のような〈表層〉」を追求する建築を指している。マニフェストとしては東浩紀が関与した雑誌『広告』(1999年11、12月号)の「スーパーフラット特集」に彼が以下のように書いている。

「カメラアイがない。奥行きがない。階層構造がない。内面がない。あるいは「人間」がいない。しかし、視線がいっぱいある。全部に焦点が当たっている。ネットワークがある。運動がある。そして「自由」がある」(*A)


 あるいは、「村上隆やオタクの図像の特徴は奥行きのない平面性と記号化された眼であり、近代的な透視図法による秩序化された空間表現や視線の制度が解体した世界の現れ」(*B)とも表現されている。
 建築のスーパーフラットの主たる特徴は以下の二点である。

(1)立体的なヴォリュームのや区間の組み合わせよりも、ファサードがデザインの核となるもの。本来、建築は三次元的だが、むしろ二次元的な存在に近付く。ガラス面に文字をプリントした建築は、様々な情報が等価に並ぶデスクトップ画面と類似している。代表例は渋谷駅前の《QFRONT》、あるいは妹島和世と西沢立衛のSANAAによる《飯田市小笠原資料館》、《横浜市六ツ川地域ケアプラザ》など。
 こうした特徴はステファン・ペレッラが提唱する「ハイパーサーフェイス・アーキテクチャ」とも相関する。これはイメージが叛乱する都市の風景のように、サインと物質の融合、あるいは情報を発信する皮膜と構造が一体化した建築である。代表例としては、デジタル系建築家NOX、ヤコブ+マクファーレン、グレッグ・リンらの作品。

(2)建築のヒエラルキーを解体し、表裏の差異や空間の優劣をつけないプログラム。SANAAの《金沢二十一世紀美術館》のようなチューブ状の形態によって建物に正面性ができることを回避する方法や、西沢立衛の《ウィークエンドハウス》にように、構造材、二次構造材、装飾材を分けて使用しないことを目指した作品が挙げられる。



「身体」

 バロック時代になると、建築を「人体」と相関させて捉える視座が芽生え始める。1615年に、ヴェネツィアの建築家ヴィンチェンツォ・スカルモッツィは以下のように述べている。

「建物におけるあらゆる部分の中で、階段は疑いなく最も必要で、人体における〈静脈〉や〈動脈〉のようである。なぜなら静脈や動脈が本来的に血を各部に行き渡らせる役割を果たすように、主階段と裏方の階段とは建物の最も深い部分に達しているからだ」(*11)


 20世紀にル・コルビュジエは「建築、それは動線である」という有名な言葉を残したが、実はこの考えの起源を辿ると17世紀半ばに活躍したサー・ウリィアム・ハーヴェイの「血液循環」説にまで遡行できる。ハーヴェイは1635年に発表した「心臓と血液の動き」という論稿の中で、「我々は、アリストテレスが空気と雨は天体群の動きをなぞると言わねばならなかったのと同様に、この血液の運動を〈循環〉と呼ぶ」と述べている。(*12)
 ヴィオレ・ル・デュクは『建築講話』の中で、スカルモッツィ、ハーヴェイ的な思考を復権させている。

「すべての建物に、一つの主要な器官――一つの支配的な部分――があり、一定の二次的な秩序や部材があり、これら部分のすべてを循環の体系によって活かすのに必要な設備がある、と言えよう。これら器官の各々は各々の機能を持っている。しかし建物全体とは各々の要求に応じて接続されるべきである」(*13)


 19世紀後半のフランスの批評家セザール・ダリーは1857年に、やはり以下のように「建築」と「生体」をアナロジーによって表現している。

「この建物(ロンドンのリフォーム・クラブ)は石、煉瓦、鉄による生気を欠いた塊ではない。それはほとんど〈生体〉であり、血管と神経の循環体系を備えている」(*13)


 こうした考え方の背景には、19世紀半ばから、ダンスホールの主階段(代表例はC・ガルニエ設計によるパリの《オペラ座》)などにおいて人々の往来(循環)が建物全体を把握する上での重要なコンセプトになっていたという問題がある。
 ヴィオレ・ル・デュクとC・ガルニエにとって、建築において「循環」している運動体は他でもない「人間」である。そして、彼らは物理的な身体としての人間だけでなく、人間の内面(意識)に与える影響もデザインに組み込んでいた。20世紀ドイツのパウル・フランクルの『建築史の基礎概念』(1914)に至までには、既に「建築」を「身体」として動的に捉える視座が形成されていた。
 ここで重要なのは、「建築」を本来別個に考察されるものである「人体」と相関させる「隠喩」の思考そのものである。最近の表象文化論でも、例えば田中純・小澤京子による『都市の解剖学』に見られるように、建物の表面を「皮膚」とみなして思考を発展させていく試みが見られる。表象文化論においては、単なるアナロジーによるイメージの結合ではない点に注意しなければならないが、いずれにしても「建築」と「人体」の単純な隠喩であるならば、17世紀以降様々な建築家によって語り継がれてきたことのである。
 エイドリアン・フォーティーは「隠喩」について、以下のようにその本質を展開している。

「うまくいった隠喩というのは、事柄が似ていることによるのではなく、むしろ似ていないことによるのである。効果的な隠喩に見られる特徴とは、それが観念に関するある一つの図式(シェーマ)から、イメージを借りてきて、別の、それまで全く結び付いていなかったシェーマに当てはめることである。ネルソン・グッドマンが書いたように、隠喩は思考の王国から別の王国へ向かう“異国探検”である」(*14)



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フランク・オーウェン・ゲーリー《ダンシング・ハウス》

archigramw《ウォーキング・シティー》
archigramw《ウォーキング・シティー》

 五十嵐太郎は『現代建築に関する16章』の「身体」の章で、ギリシアのアクロポリスにある「エレクテイオン」(アテネ神殿)の女神柱に注目している。現代建築ではゲーリーの《ダンシング・ハウス》がダンサーの「ジンジャー&フレッド」に擬えられるなど、「建築」と「身体」の形態的なアナロジーは現代建築でもテーマになっている。1961年〜70年にロンドンの建築家グループが編纂していた雑誌《Archigram》では、宇宙服は最小単位の「住居」であると規定されている。また、これからのウェブ時代の人間を象徴したドローイング「電子のアボリジニ」などの作品も掲載されていた。


「記憶」

 建物を記憶の場として捉える方法は既にフランシス・イェイツの研究によって名高い。1621年にロバート・フラッドは『記憶術』の中で、「記憶宮」というボルヘスの幻想性を感じさせるような神秘的な建造物をデッサンしている。また、『ヴェネツィアの石』で名高いプルーストの師でもあるジョン・ラスキンは、建築を後世の人々が保全していくことの重要性について以下のように述べていた。

「我々が過去の時代を保存すべきかどうかというのもまた、都合や心情の問題ではない。我々にはそれに手をつける権利は全くないのである。それは我々のものではない。一部はそれを建てた人々に属し、一部は我々に続く全ての世代の人類に属するのである」(*6)


 アルド・ロッシは現在も光彩を放つ不朽の名著『都市の建築』(1966)の中で以下のように名高いcollective memory(集合記憶)の概念を提起している。

都市それ自体は住民の集合記憶なのであり、記憶のように都市は対象や場所と関連付けられる。都市は集合記憶の場なのだ。そうだとすると、その場と住民との関係は、建築と風景両方の都市の支配的な〈イメージ〉になるのであり、ある人工物がその記憶の一部となるにつれて、新たな都市が生まれるのだ。この全体的に肯定的な意味においては、偉大な観念が都市の歴史を通じて流れ出てくるのであり、その観念が都市に形を与えるのである」(*7)


 ロッシの「記憶は都市の意識である」という考えに象徴されるcollective memoryは、20世紀の建築を機能主義以外の文脈で把捉する上で強力な力を発揮する概念である。エイドリアン・フォーティーの解説によれば、「集合記憶」はもともとデュルケームの社会学に学んだアルブヴァクスの『集合記憶』という本のタイトルでもあった。以下のフォーティーの記述はこの点を知る上で非常に興味深い。

「実のところ、『集合記憶』の中でアルブヴァクスがあえて論じた点は、社会集団が特定の場所についての共通の記憶を通じて集団としての同一性を保持する一方で、その記憶は実際に存在する物的空間に関係するのではなく、その集団によって心のうちに形成された集団特有の〈空間イメージ〉に関係しているということであった。言い換えれば、記憶の媒介物は都市の人工物ではなく、集団の心のうちにあるイメージなのである。アルブヴァクスについてのロッシの選択的で、まさに文字通りの読みは、アルブヴァクスが非常に多くの重要性を賦与していたニュアンスをほとんど気にも留めていなかった。また、ロッシの読みはデュルケームの社会学から受け継がれた弱点に対してもあまり注意を払わなかった――その弱点とは、特に経済的要因よりもむしろ社会的要因の中に疎外の原因を特定しようとしたことであった。また、社会の集団的行為のための満足のいく規範を個人心理学が提供するという前提もそれに当たる」(*8)


 厳密な社会学的方法論の観点からするとロッシの概念には弱点も存在するとフォーティーは指摘しているものの、彼の以下のテクストにはその「詩的」な力を確かに認めている。「過去と未来との結合は都市についての観念の中に存在する。その観念とは、記憶が人の生産を通じて流れていくように都市も流れていくのである」(*8)。ロッシのcollective memoryの概念は、論理的であるよりはむしろ「詩的」であると評されている。
 20世紀は、それまでの建築を「記憶」という概念で再構成する建築理論家たちが出現した。フォーティーはその中でも、特筆すべき存在としてアルド・ロッシ、O・M・ウンガース、コーリン・ロウ、アンソニー・ヴィドラー、クリスティーヌ・ボイヤーらを挙げている。

※monuments(モニュメント)は、人や出来事の「記念物」として建てられたものを指す。

「歴史」


 グロピウスらの《バウハウス》での教育プログラムの中には、「建築史」というカリキュラムが存在しなかった。これは、20世紀初頭の機能主義建築が歴史を捨て去って、反歴史主義的なアヴァンギャルドへ向かったためである。何故このような方向に向かったのかというと、19世紀後半までヨーロッパでは過去の様式を復興させて折衷するという、いわゆるリバイバリズムが横行していたためである。

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G・E・ストリート《ストランド法廷裁判所》(ロンドン)

例えば、G・E・ストリートはロンドンのストランドにある《法廷裁判所》を設計したが、この建物の外観はほとんどディズニーランドの「シンデレラ城」のような装飾を帯びており、19世紀後半のリバイバリズムのある種の「行き過ぎ」を伝える興味深い一例になっている。
 機能主義が「建築史」を棄却してしまった反省から、20世紀後半の建築家たちは積極的に「歴史」を意識して取り入れるようになっていく。その代表的存在でもあるリチャード・ロジャースは1961年に以下のように記している。

「歴史を理解することは建築家の形成過程において必要不可欠である。なぜなら彼は自身の作品を既存のコンテクストの中に挿入するにあたって、それらの弁証法的な関係に配慮できなくてはならないからである」(*9)


 また、アルド・ロッシは「都市は歴史の文書となり、実際のところ、都市の現象を歴史を用いずに研究することなど想像を絶する」(*10)と述べている。このように、「歴史」概念の見直しは現在も課題として重視されている。ヨーロッパ圏ではロッシの『都市の建築』が、欧米圏ではロバート・ヴェンチューリの『建築の多様性と対立性』がこのテーマでの基礎文献である。それぞれの書で、ロッシは機能主義を批判し、ヴェンチューリは同じく形態的ミニマリズム(単純な形態)を批判している。







言葉と建築言葉と建築
(2005/12/23)
エイドリアン・フォーティー

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現代建築に関する16章 〈空間、時間、そして世界〉 (講談社現代新書)現代建築に関する16章 〈空間、時間、そして世界〉 (講談社現代新書)
(2006/11/17)
五十嵐 太郎

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「註」

*1)エイドリアン・フォーティー『言葉と建築』p115
*2)同書p118
*3)同書p121
*4)同書、巻末文献案内(23)
*5)同書p124
*6)同書p315
*7)同書p323
*8)同書p324
*9)同書p299
*10)同書p300
*11)同書p129
*12)同書p147
*13)同書p130
*14)同書p145

*A)五十嵐太郎『現代建築に関する16章』p160
*B)同書p161

フェルディナン・ド・ソシュール(Ferdinand de Saussure、1857年11月26日 - 1913年2 月22日)

チャールズ・サンダース・パース[1](英: Charles Sanders Peirce, 1839年9月10日 - 1914年4月19日)
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