† 美学 †

西洋美学史 (1) プラトン

西洋美学史西洋美学史
(2009/05/27)
小田部 胤久

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Aesthetica(美学)は、18世紀半ばにドイツのライプニッツ学派に属するバウムガルデンによって提唱された「哲学」の一分野である。この学問は哲学の中でも、特に「感性・芸術・美」を対象にしている。因みに、この三つは近代美学の三位一体として研究されてきたテーマである。
19世紀末になると、「芸術学」が「美学」から独立し、20世紀には「美」の概念自体が質的に変容する。今日における美学は、「美」を目的としているだけではなくなっているのであり、「芸術は質的にそれ自体において変化する」(アドルノ)ということができる。美学が学問として成立したのは18世紀半ばだが、この学問はそれ以前の「美」について言及した哲学者らの見解も系譜的に遡及しているので、基本的に西洋美学の出発点はプラトンの美学から開始するといえる。バウムガルデンにとって美学とは、アリストテレス的な創作論の展開と一致していた点も重要である。

○ プラトン『イオン』、『ゴルギアス』、『国家』

プラトンの思想は西洋美学史の出発点であり、その書は『イオン』である。

「君はホメロスについて、技術と知識によって語ることができない。何故なら、もし君がこれのできる人だとしたならば、ホメロス以外の他のあらゆる詩人についても、語ることができなくてはならないはずだから。実際、詩作の技術とは何か一つの全体としてある」プラトン『イオン』、p3


イオンという青年は、偉大な詩人ホメロスについて熟知しているつもりになっていた。しかし、ソクラテスがいうには、イオンはホメロスについては詳しいものの、「詩の体系」を全く学んでいない。そればかりか、ホメロスには「学」も「知」もなく、あるとすれば「神的な力」のみである。イオンには詩に関するテクネー(技術)が欠損しているのであり、ソクラテスはそれを批判しているのである。プラトンは詩人ホメロスでさえ、「学=領域性・全体性」を認めてはいない。つまり、『イオン』では文学に「学問」としての価値さえ認可されていないということである。
『ゴルギアス』では、弁論術が批判されている。弁論術は、実際には「学」ではなく、そこに正統的な「テクネー」を見出すことなどできない。弁論術はあくまでも「化粧」であり、これが「芸術の本質」でもあるとプラトンは考えていた。このように、プラトンは芸術に対して批判的な調子を強めていく。
『国家』はプラトンの反芸術論の結晶である。何故芸術が低く位置付けられているのかには、実はイデア論的な理由がある。例えば、一輪の薔薇が我々の前にあるとせよ。この地上の薔薇は、天上の薔薇の「イデア」の「模造」である。ここには既にイデアの影としての存在の二次的段階が見受けられるが、画家はこうした影を更に画面上に展開する点で、いわば「イデア」の「模造」の「模造」を再生産する。どんな美しい自然の薔薇といえども、薔薇のイデアには適わない。しかし、画家は自然の薔薇の美を画面上で本物らしく更に描き出すことで、イデアを二重化して堕落させている。したがって、絵画はイデアの堕落である。このように、プラトンは「詩」と「絵画」は真面目なものではなく、あくまでもpaidia(遊び)に過ぎないと断定した。ゆえに、ホメロス以後の全ての詩はpaidiaに過ぎず、かつてのような人間の哲学そのものが同時に叙事詩でもあったような「公的領域」としての芸術は終焉に達したのである。

「こうしたプラトンの議論は、詩が最早知の最高の形態であることをやめ、詩から哲学が、芸術から真理が自立する過程を証している。ホメロスという権威から自由になり、詩が語る内容の真偽を批判的に検討する哲学的精神がここに誕生する。と共に、公共的精神の結晶として最早妥当することのない芸術は、公共的領域のもとを去って私的領域へといわば逃れていくことになる」p10


こうしたプラトンの批判的芸術論に対する多様な批判が後世に湧き起こったことはいうまでもない。例えばハイデッガー、ヘルダーリンは「哲学=詩=真理」であった偉大なる時代に回帰しようとしていた。シェリングは『超越論的観念論の体系』の中で、「芸術は、哲学の唯一真にして永遠なる道具にしてかつ証書である」と述べている。いわば、プラトンの反芸術論から「芸術=真理」を救い出すこと――これこそが、プラトン以後の美学の流れに他ならない。ホワイトヘッドがいみじくも述べたように、西洋哲学の歴史はプラトン思想に対する一連の脚注に過ぎないのである。
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