† 美学 †

エドマンド・バーク『崇高と美の観念の起源』 (1)

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by Imperfectfiction

バークはthe sublime(崇高さ)の定義について以下のように規定する。

「いかなる仕方によってであれ…苦と危険の観念を生み出すのに適したもの、換言すれば何らかの意味において怖ろしい感じを与えるか、恐るべき対象物と関わりあって恐怖に類似した仕方で作用するものは、何に拠らずthe sublimeの源泉であり、それ故に心が感じ得る最も強力な情緒を生み出すものに他ならない。私があえて最も強力な情緒というのは、苦の観念は快の部類に入る観念よりも格段に強力であると私が確信しているからである」(p43)


バークが「崇高さ」の核心を「恐怖」に見出している眼差しは我々に何らかの衝撃を与えるものである。第二編二節「恐怖」の中でバークは以下のように述べている。

「心からその一切の行動ならびに推論能力を最も効果的に奪うものはfear(不安)である。何となれば不安は苦もしくは死の先取りであるがゆえに、実際的な苦と似た仕方で作用を及ぼすからである。それ故に視覚の点で恐怖をそそるものは、この恐怖の原因が容積の大きさによって生み出されるか否かを問わず、必ずや同時にthe sublimeである」(p63)


バークによれば、「恐怖」は「崇高」の支配的原理である。それはラテン語のattonitus(雷に打たれた)ような衝撃を我々に与える。また、バークはミルトンの詩《死神》を「崇高」と位置付けているが、その理由はこの詩が「曖昧さ」を有するからである。「崇高」は「永遠」、「無限」のように抽象的で曖昧な観念を含んでいる。不鮮明であること、不透明であることは、明晰、明瞭であることよりも「崇高」と解釈されている。
逆にボスやブリューゲルが描いた地獄絵は「明瞭」なものであり、どこか滑稽である。それはバークによれば「恐怖」を引き起こさないゆえに、「崇高」とは相容れない。バークはどちらかといえば絵画よりも文学(特に詩)にこそ「崇高」を見出している。
バークの本書の崇高論における基本的な通奏低音として絶対に記憶しておかねばならないのは、「およそ崇高なるもの一切の共通の源泉である恐怖」という定式である。
また、バークは「最高度の苦の観念は最高度の快より、はるかに強力である」とも述べている。この場合の「強力」とは、苦の方が「崇高」において「力能」が大きいことを意味する。「苦悩は、崇高において享楽より優越する」、これも本書で極めて重要なポイントである。ここで注意したいのは、バークが「崇高」と「美」を差異化させている点であり、「崇高」=「美」ではない。18世紀に登場したドイツ美学における美的範疇論では「崇高」も「美」も共に六つの美的範疇の一つであったが、バークは「美」の方を「女性美」として把捉している向きが強い。キリストの磔刑は恐怖を誘うがゆえに崇高であるが、バークの本書の原理からすれば「美」とはいえないのではないか。何故ならそこには「柔和さ」、「滑らかさ」、「繊細さ」よりも、磔刑に伴う「激痛」、「苦悩」が濃密だからである。他方で、キリストの復活はこれら苦からの解放であり、柔和な光に包まれるのであるから、おそらく「美」であろう。
崇高は恐怖の一付属物である」という瞠目すべきテクストも存在する。例示されているのは、自然状態の馬と、家畜化された馬の「崇高」における差異である。どちらが「崇高」かといえば前者である。バークは二編の崇高論で明らかに異様な境地にまで到達しており、それは「有害なものには何らかの畏怖の念が働く」などという表現に表れている。
果たして「有害なもの」は「崇高」なのであろうか? 例えば小学生相当の少年がある日家に帰ると、両親がリビングで縊死していたというような場面を想定して、この出来事は彼にとって「有害なもの」であろうが、なぜ「崇高」の文脈で語ることが可能なのか?
注意点としてバークは「恐怖」を与えるものは原理的には「偉大」であるが、単に「不快さ」を持っているだけとか、「さして危険ではない」ものは、「崇高」ではなく、odious(忌まわしい)存在であると解釈している。これを踏まえれば、多くの恐怖を誘うものを即座に「崇高」と断ずる短絡的な美意識の持ち主から乖離することが可能だろう。「恐怖」は「崇高」の源泉、核心であるが、「危険ではない恐怖」は「偉大」とはいえない。偉大なのは本当の意味で人間存在にとって「有害なもの」であり、強烈な、不気味な、不穏な、忌まわしい、苦痛に満ちた、おぞましい、暗闇に支配された、孤独な、それでいて途轍もなく高貴な、「恐怖」を与えるものである。こうしたバークの崇高論は、ハイデッガーが「我が家にあること」の滞在性から乖離して、「不気味なもの」に真の芸術の根源を見出していた点と明らかに相関する。実際、東京大学出版会の『西洋美学史』でもハイデッガーの美学原理の要点は、バークの本書の基本的輪郭と重なっているのである。
「有害なもの」が「崇高」だとすれば、ポルノグラフィは「崇高」なのであろうか? それも、思春期のまだ幼い少年が、極めて過激なポルノの衝撃的なまでにグロテスクな描写を目の当たりにする時、彼にとってその出来事は後に「崇高」として解釈されるのであろうか? 否、私は本書を読んだ限りそうは思わない。バークは「有害なもの」の一側面を、「王」、「神」の「威厳」に見出しているのであり、こうした一種の「高貴さ」が「崇高」の前提条件であると考えるべきである。したがってポルノはどちらかというと「下品」で「卑猥」なものであり、「高貴さ」とは無縁である点で、「崇高」ではない。私が何故こうした解釈をあえて挿入したのかといえば、「恐怖」とか、「有害なもの」を即座に「崇高」として位置付けるような人間が、結果的に“すべからく恐怖を誘うものは崇高である”というような幼稚な見解を持ってしまうことを未然に防ぐためである。
バークのいう「恐怖」は、ダヴィデが神の念に触れた時に感じた「神々しい戦慄」としても解釈されており、「神の直観」には「崇高」と「恐怖」が融和していると考えられる。結局、バークが「崇高」の本源を「恐怖」(というより、もっと正確にいえば、おそらくこれは“畏怖”と表現した方が良い気がするのだが)とする理由は、このような「神の直観」を前提にしていたからだとも考えられる。
因みに、バークは神を観想するときに人間は「可感的映像を形成する」として、神の直観を「イメージ」的に把捉している。これは何気に重要なところではないだろうか。神をたとえ不鮮明にであれ「イメージ」していた証拠であり、そこにバークは「畏怖」を感じているのだ。この「畏怖」が「崇高」であるというのは、ルドルフ・オットーが「慄かせるもの」を「聖なるもの」と規定していた点と相関している。
以上、重要な定式としてバークは「恐怖」に「崇高」の核心を見出している。スタティウスの『テーバイス』にある、Primus in orbe fecit timor(恐怖が第一にこの世界に神々を創った)を彼は引用している。そして「恐怖」においては「力能」が重要である。「力能が疑いもなく崇高の決定的な源泉」。

「全面的欠如は例えば、空虚、闇、孤独、沈黙などのように全ての恐怖の種である故にこそ偉大である」(p78)


一篇でも述べられているが、「労苦」、「苦悩」、「苦悶」は「快」や「悦び」よりも「崇高」である。特に「身体的苦」と、「社交から隔絶された孤独」は、苦の最高形式でもあり、最高度に「崇高」に急迫する。
バークの孤独観は秀逸である。彼によれば、「死」の「恐怖」よりも力能において大きいのが「孤独」である。特に「一切の社交からの全面的永久的な隔離(完璧なる孤独)」は、「最大級の苦」とされ、「死」よりも「苦」が巨大となる。また、「一時的な孤独」は、「それ自体では快」であり、人間は社交だけでなく観想のためにも創造されていると述べている。
また、学問観については、「心を高貴ならしめる」目的に適さない全ての学問は無益であると断言している。
さて、バークが「崇高」とみなすものには幾つかの属性があることは既に述べた。「苦」や「孤独」がまさにそうである。他に建造物においては「巨大さ」、自然物においては「断崖」などの著しい深さも「崇高」と相関する。作品においては、かけた時間、労苦の大きさも「崇高」である。現代の技術でピラミッドを建築することは容易いが、古代人がすることでそれは莫大な時間と当時の最先端の叡智が伴った「崇高」の結晶になる。また、満点の星空は無数に麗しいものが存在するがゆえに、imagnificent(壮麗さ)と解釈される。
「空」についてバークは以下のように述べている。「青空よりも曇り空が、昼より夜の方がはるかに崇高かつ荘厳である」。歴史画、建造物の色彩においても、「黒、褐色、もしくは深紅色」は「崇高」さを際立たせる特質を有する。無論、これらには例外も認めている。
「過度な喧騒」も、人間の心を「恐怖」で満たす。「雷雨、大砲の轟き」は心中に「偉大さ」を沸き起こす音として注目されている。私にとって印象的だったのは、「予期せざる突然の出来事」(唐突さ)も「崇高」と相関的に把捉されている点だ。「静寂を壊す大時計の音」や、或いは突然鳴り響く教会の鐘の音もそうであろう。「正体の定かではない断続音」、「動物の叫び声」も「恐怖」を引き起こすがゆえに、「崇高」と相関する。
基本的な図式として忘れてはならないのは、バークが「快」を「崇高」ではないと規定している点であり、「崇高」の最高形式たる情緒が「苦悩」である点である。





崇高と美の観念の起原 (みすずライブラリー)崇高と美の観念の起原 (みすずライブラリー)
(1999/06/10)
エドマンド・バーク

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