† 美学 †

エドマンド・バーク『崇高と美の観念の起源』 (2)

Imperfectfictio n
by Imperfectfiction

前回の記事で、私はバークの処女作からその崇高論の核心を抽出した。これはちょうど一篇、二篇の要点であり、本書は五篇構成となっている。このうち二篇が崇高論の核心であり、最も重要であることはいうまでもない。続く三篇は我々が常に関心を抱く「美」論であるが、実はここは二篇ほど衝撃的な力を持ってはいない。バークが書きながらおそらく何らかの天才的な「霊性」にまで達していたのは二篇であって、三篇ではなかろう。何故なら、三篇における美論の対象は基本的に「女性美」(ラファエルロ、ボッティチェッリなどの描いた美女などを想定しているとしか思えない)に終始しており、この限りでバークの美論は今日からするとさほど絶大な力を及ぼさないと思われる。
とはいえ、バークの美論はそれまでのルネサンス美学における「均整・調和」を核にしたウィトルウィウス、レオナルド、デューラー的な美的原理を顛倒させようと企てていた点では、やはり二篇に匹敵して衝迫性に富んでいるとも解釈できるだろう。ただし、結論を先にいえば結局バークにとって美は「女性原理」に収斂されてしまう点で、やはり懐疑的にならざるをえない。こうした私なりに考えた点については、後で具体的に記述する予定である。

さて、バークは「美」を、「愛の情念を生み出すもの」と規定している。しかし、これは「欲望、色欲」とは差異化されている。「均整」の取れたものは「美」であるというルネサンス的原理に対しては、「美は計測に属する観念ではなく、幾何学とかかわりもない」として、極めて主観的に美を把捉していく近代的な視座が芽生えている点がやはり見落とせない。先述したように、ウィトルウィウス、レオナルド、デューラーの三者は人体の理想的フォルムは各パーツの美しい比率によって数学的に導き出せると確信していたが、バークはこれを批判している。
バークの思考が面白いのは、complete common form(完全な共通形状)の反対概念として、deformity(畸形)という概念を提示している点である。レオナルドの名高い《ウィトルウィウス的人間》は完璧な人体の黄金率から描き出されているが、こうした完璧な「均整」の対になるのは「畸形」であって、「畸形」は必ずしも「美」のアントニムではない。換言すれば、「畸形」でも「美」になり得るとバークは主張していることになり、ここは極めて興味深い。
また、運動に適したフォルム、用途に適した形態、などという「適合性」も、それだけで「美」と相関させることはできない。確かに流線型の、極めて合理的で洗練されたデザインのステルスは我々にとって美しい機械であるが、だからといってバークはそれを「美しい」とは表現しない。では、バークは何に美を見出しているのだろうか?
次にバークはperfection(完全性)も「美」ではないと述べている。これは神学的な美学原理の根幹を覆す発想だといえるだろう。周知の通り、キリスト教における神には「一」、「有」、「遍在」、「全能」、「全知」、「愛」といった名高い属性が存在する。「完全」も無論、神に帰属する。そして、仮に美学の上に神学を置くか、或いは美学=神学と規定するのであれば、我々は「完全性」は「神」に帰属するがゆえに、「美しい」というべきであろう。「全能」であれ、「全知」であれ、それは「美」の属性となる。しかし、バークはこの根本である「完全性」が「美」と一致していた時代から明らかに“跳躍”している。
バークによれば、「美」とは「弱さ」であり、「不完全さ」である。また、「美」は力強く、衝撃的で、魂に雷撃を与え、震撼させ、戦慄させ、偉大さに溢れたものでもない(それは「崇高」の属性である)。「美」は端的にdelicacy(繊細さ)なのである。より正確にバークの言葉を拾えば、美とは「繊細さ」、「脆弱さ」、「不完全さ」、「滑らかさ」、「やわらかさ」、「ふくらみ」、「柔和」、「寛大」、「癒し」に他ならない。つまり、ここまで書けば誰でも薄々気付くだろうが、バークはおそらく三篇を執筆している時に、女性に対する何らかのエロティシズムを無意識にであれ、「美」の概念に吸収していると考えられる。バークの美論の背後には、おそらくそれほど美人ではない何人かの女性たちがいると想定すれば、本書をもう少し理解し易くなるであろう。バークは美において完全さをけして求めず、むしろ誇り高さ、ナルシシズムよりも、「弱さ」とか(おそらく性格的には“内気さ”、“孤独”、“涙脆さ”)、女性的な身体性に帰せられるべき曲線美を褒め称えているのである。
強靭さとか、力強さ、威厳は「崇高」であるが、そこにはバークのいう「女性の軟化した心」が存在しないがゆえに、「崇高」は「美」とは相容れない。何故なら、美とは「崇高」の、いわば女性的に軟化したものであり、美しいものは総じて女性的で、激しくなく、穏やかで、愛すべきものなのである。実際バークは十三節で双方の観念が同一の対象に共存することは限りなく不可能であると断言している。「それぞれが余りにもかけ離れた基礎に基く」。すなわち、バーク的美学をインプットすれば、「美」は明らかに男性の肉体には存在しないだろう。仮に男性の肉体で美しいものがあるとすれば、それは「女性」的に軟化した部分であり、すなわちアドニスやナルキッソスのような美少年(ヘルマフロディトス的な)でのみかろうじて容認されるものであろう。バークは美において女性中心主義者であり、こういって宜しければ、視野狭小である。

「美しい女性の体の線の中で、おそらく最も美しいとされる、肩から乳房への部分を観察してみよ。そのなめらかさ、柔らかさ、それと気付かぬ快い隆起、ほんの少しの部分といえども互いに同じではない表面の多様性、それはまるで視線をどこへ動かして良いか判らぬまま落ち着きなく不確かに彷徨うに似た、あてどもなき迷路の如きものである」(p126)


このテクストは女性の肩から胸のラインに対するバークの強度のフェティシズムを感じさせるに十分である。おそらくバークは女性の「くびれ」フェティストであり、その線のアール・ヌーヴォー的な「S字状」の美に(あるいはホッケがマニエリスム美学の定式として呼称していた“蛇状曲線”)、ほとんど錯乱的な愛を抱いていたといっても良かろう。何故なら彼は恍惚とした様子で、それを「迷路の如き」(一度入れば二度と出られないほど官能的な)と表現しているからである。
バークが女性美を賞賛している箇所で注目すべきは、やはりphysiognomy(容貌)である。バークが特別に評価しているのは「目」である。確かに「目」が変われば他者になるというくらいだから、顔の中で「目」が特権的な地位を持っていることは理解できよう(一方、バフチンはその驚嘆すべきラブレー論の中で、顔の中で最もグロテスクなものになり得る“口”、“鼻”などの開口部に対して多大な関心を寄せている)。
「小さいこと」も「美」と相関するとされる。「巨大」は「崇高」であるが、「小ささ」は「美」の特性として解釈されている。色彩的には、「明るい緑」、「柔らかい青」、「弱い白」、「薄い桃色や紫色」など、明らかにその趣味はロココ的である。「温和な色」が色彩美の条件なのである。他方、「黒ずみ」、「濁り」、「黒さ」は否定されている(こちらは「崇高」と相関する)。
私が彼の美論を読んでいて知った、というより“感じざるをえない”のは、バークがおそらく、伝統的なヴィーナス像をイメージしているであろうということだ。「なめらかさ」を「美」と結ぶ時、バークは同時にelegant(上品さ)も相関させている。
以上、私はバークの美論の要点をまとめてきた。バークのいう美は美的範疇論的にいえば、本人も述べているようにgracefulness(優美さ)である。そして、「美」のアントニムは「醜」である。しかし、均整が完全ではなかったとしても、バークにとっては「醜」とは規定されない。何故なら「美」は「不完全さ」なのだから。このように、彼の崇高論は途轍もなく魅力的だが、美論はあくまでも本人の嗜好性、フェティッシュの理論化(すなわち“美とは主観的に体系化すべきものである”)に終始している感が強く、今日からするとルネサンス原理の顛倒という側面は明らかに薄い。
近代的な主観性に基く美学原理として、バークのいう「美=優美」は位置付けられる。美的範疇論では、「優美」はあくまでも「美」、「崇高」、「悲壮」、「滑稽」、「醜」の中の一つに過ぎない。すなわち、「優美」だけでは、まだ「美」の概念を言い尽くしたとは到底いえない。実際、ロシア・フォルマリスムを代表するバフチンは20世紀において、「醜」、「滑稽」を体系的に「グロテスク」の概念として理論化し、そこに祝祭的かつ普遍的、宇宙的な原理を見出している。バークの「優美」は「美」の一属性に過ぎないのである。
真の「美」は、私が考えるに、もっと深刻で、極めて恐るべきものである。私には、バークの「崇高」論こそが「美」の核心に急迫している気がしてならない(二篇が火焔だとすれば、三篇は灰である)。「穏やかなもの」、「優しいもの」、「柔和なもの」になど、「美」は存在しない。美は強大な、打撃と破砕を伴う、血飛沫を噴き上げながら二人の英雄が同時に絶命する、その「瞬間性」のような“感覚様態”であると私は目下考えている。「美」はハイデッガーが『寄与』で熟考してみせたように、「世界と大地の闘い」の果てに恐るべき、未だ名付けられもせぬ「最後の神」が存在の亀裂の隙間から薄らと顔を覗かせる、かの時なのだ……。




崇高と美の観念の起原 (みすずライブラリー)崇高と美の観念の起原 (みすずライブラリー)
(1999/06/10)
エドマンド・バーク

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