† 文学 †

マルセル・プルースト『失われた時を求めて』「見出された時(2)」

失われた時を求めて 13 第七篇 見出された時 2 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)失われた時を求めて 13 第七篇 見出された時 2 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
(2007/03/20)
マルセル・マルセル・プルースト、マルセル・プルースト 他

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『見出された時(2)』(13巻)

「老いによって美しくなった者もいる。たとえばアグリジャント大公だ。長身痩躯で、目は力なくにごり、髪はいつまでも赤みを帯びたままであろうと思われた男だったのに、昆虫にも似た変身を遂げて、そのあとに一人の老人があらわれたが、長い間見慣れてきた赤い髪は、まるで使い古しのテーブルクロスのように、真っ白な髪に取り替えられていた」p49

「私は<時>の持つ独創的な刷新力にあらためて驚嘆した。<時>は人間の一体性と生命の法則とを尊重しながら、こんなふうに外見を変え、次々とあらわれた同一人物の二つの姿のあいだに大胆な対照を導入する術を心得ている」p50

「人が暗黒のなかで送っている人生も光で照らし出すことができ、人が絶えずゆがめている人生もその真の姿に引き戻すことができる。つまりは一冊の書物のなかにそれを実現することができる。そんなふうに見えるようになった今、どんなにかこの人生は私にとって、いっそう生きるに価するように思われ始めたことだろう! そのような書物を書ける人は、どんなに幸せだろうか!」p247

「ただし先ほど私が図書室のなかで考えたような作品の成立する条件は、印象を深く掘り下げることだから、まずその印象を記憶によって再創造することが必要だった。ところがその記憶作用が、もう磨滅していたのである」p254

「やがてそのうちに、私はいくつかの草稿を人に示せるようになった。ところがそこに書かれたことを少しでも分かってくれる者は、ひとりもいなかった」p265

「ただ記憶の喪失が、私の義務のあちらこちらに切れ目を作って、いくらか私を助けてくれた。その切れ目を埋めるのが、私の作品だった」p268

「けれども、エルスチールとシャルダンのように、人は愛するものを否認してこそ、はじめてそれを再び作り出すことができる。おそらく私の書く本もまた、私の生身の肉体と同様に、いつかは死ぬことになるだろう。けれども、死んでゆくのはやむをえないことを認めなければならない。十年後には自分自身がいなくなるだろう、百年後にはもはや自分の本もなくなるだろう、という考えを人は受け入れる。永遠の持続は、作品にも人間にも約束されていないのだ」p271

「ところで記憶によって印象を再創造することは――そのあとで、印象を深く掘り下げ、明らかにし、これを知性の等価物に変えなければならないのだが――先ほど図書室のなかで私が考えたような芸術作品の条件の一つ、そのほとんど本質ともいえるものではなかったろうか。ああ! もしも私にまだ力があったならば!」p272

「コンブレーの庭の鈴の音は、はるかに遠い昔のものだが、しかし私の内部にあるものでもあり、それを私が聞いた日付は、自分でも知らずに私が所有していたこの巨大な時の次元のなかで、一つの指標をなしていた」p279




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