† 美学 †

桑島秀樹 『崇高の美学』

Guinevere Van Seenus  Sasha Pivovarova  by Paolo RoversiGuinevere Van Seenus Sasha Pivovarova by Paolo Roversi


桑島秀樹の『崇高の美学』(講談社選書メチエ/2008)の一章「<崇高>とは何か」、二章「崇高美学の体系化――バークからカント、そして現代へ」を読んだので記録を残しておく。

○ 「崇高」の原義

「崇高」とは美的範疇(美的カテゴリー)論の中の一つであり、バーク、及びカントによって美的カテゴリーとして成立した近代美学の主たる特徴である。

「崇高」/Sublime(英)、erhaben(独)

語源は古代ギリシア語のhypsous(ヒュプソス)であり、これは「ロゴスの持つ力」を意味する。
Sublimeのsubは「すぐ下に」、limeはlintel(まぐさ石/屋根の上に重しとして置く石)を意味している。「崇高」とは語義的にいえば、「まぐさ石に達するほど高い」を意味する。派生語には化学用語のsublimation(昇華)がある。
このsublimeの原義に、既に近代美学における「崇高」の核心としての「内的精神の高揚感への期待と衝動」という意味が潜在している。
ドイツ語のerhabenも、er(上へと)、haben(持ち上げる)を意味し、精神的高揚を「純化」、「浄化」していく意味を有する。この点で、ドイツ語の「崇高」には「止揚」の意味も重なっている。
「崇高」は、ルネサンス(クラシック)時代の美的原理の主要原理であった「均整(プロポーション)/調和(ハーモニー)」というスタティック(静態的)な美的規範から脱却し、人間の内面性に根差したダイナミック(動態的)な近代的美的概念である。



○ 崇高概念の歴史

(1) 偽ロンギノス(pseudo-Longinus)

彼が何者であるかは謎に包まれているが、おそらく紀元一世紀頃に、『崇高について』という書物を書いたことは判っている(作者は不詳)。以後、1600年の長きに渡って彼の存在は闇に包まれていたが、1674年にフランスのニコラ・ボアローが彼の崇高論を翻訳して再評価された。偽ロンギノスによれば、「崇高」とは「快と苦の混合感情に伴う心的な高揚感」である。
偽ロンギノスの極めて衝撃的なテクストがルイ・マランの『崇高なるプッサン』(みすず書房)所収の「古典主義的崇高」に引用されているので、以下に掲載しておく。

「崇高が聴衆を動かすのは説得へではなくekstasis(忘我の状態)へである。いかなる場所と時においても、麻痺させるような驚愕の衝撃によって、怪物的なるものは力ずくで説得あるいは心地よさを奪い取る。というのも、多くの場合その二つの事柄は我々自身によっているのだが、崇高は演説に(あるいは絵画に)抵抗できないような強さと荒々しさを与えるので、聴衆(あるいは見る者)を完全に支配してしまうのだ。発想の巧妙さや素材の順序や配置などは、作り上げられた織物の全体から、やっと現れてくるのが見られるものだ。ところが、崇高がちょうど良いときに出現した際には、それは嵐のように、あらゆるものを散り散りにしてしまい(あらゆるものの内に差異を徴し)、更には演説者の(あるいは画家の)力を自らの内に集中させて示すのである」(p104)


(2) トマス・バーネット(1635-1715)

彼は1684年に『地球についての聖なる理論』を刊行した。本書は神学的、修辞学的な従来の崇高概念から、自然界の山岳に崇高を見出すというものである。アルプス、アペニン越えを経験し、そのごつごつした荒々しい山肌に「畏怖の念」、「崇敬の念」を抱いたバーネットの本書は、明らかに18世紀にブームになっていた「グランド・ツアー」の結晶の一つである。彼にとって山脈とは「崇高」概念に関する全てのものが存在している場であり、そこは端的にThe Ruins of a broken World(壊れた世界の廃墟)と表現された。

(3) ジョン・デニス(1657-1734)

彼やバーネットの生きた18世紀のイギリスは、都市化によって身分の階層化が顕著であった。清教徒革命、名誉革命によりロンドンは安定に向かいつつあり、これを受けて上流階級の知識人の間ではtaste(趣味)論が流行し始めていた。バークの『崇高と美の観念の起源』も、こうした流行の影響下にあったわけである。
デニスもやはりバーネットと同じくアルプス山脈を登り、その登山体験でa delightful Horror(歓喜に満ちた恐怖)を感じたといわれる。デニスにとっても山脈とは世界の「廃墟」であり、彼の表現には後にバークが「崇高」の属性として列挙することになる以下の表現が既に見られる。

Vast(巨大な)
Horrid(怖ろしく)
Hideous(忌まわしく)
Ghostly(ぞっとさせる)
Wonder(驚異)

デニスは「崇高」を、nature’s extravagancy(大自然の放縦さ)と規定した。
デニスはバークと共に今日の崇高概念再評価の兆しにおいて重要な存在であり、彼もまた偽ロンギノスの研究者であった。デニスはホメロスやウェルギリウスを読むときに感じる独特な「恐怖感」に基く、enthusiastic passion(熱狂的感情)を重視していた。

(4)A.A.クーパー(第三代シャフツベリ伯)

彼も登山体験を持ち、巨大な山とはa noble ruin(高貴な廃墟)であると表現した。山が宿す雰囲気は、彼にとってthoughtful solitude(思念溢れる孤独)であり、神への崇高を感じさせる聖なる場であった。こうした感覚様態は、特にドイツ・ロマン派の画家フリードリヒにも見出すことができる。

(4) ジョナサン・リチャードソン(父)

彼は1715年に『絵画理論』を刊行し、その中で「文学でも絵画でも<崇高>が描かれるべきである」と考えた。この場合の「崇高」とは、「驚異を与えるもの」という意味を含んでいる。

(5) ジョン・ベイリー

ベイリーは、いわばバーク以前に彼に似た考えを表明していた人物である。ただ、ベイリーは「神の全能性」を「崇高」とみなす、従来の伝統的な神学に未だ束縛された崇高概念の支持者であった。

(6) ジョゼフ・アッディスン

アディスンはジャーナリストだが、1755年のリスボンの大地震を逸早く「崇高」概念と相関させて、人々に波及させたと考えられる。当時のジャーナリズムでも「崇高」が注目されていたことを感じさせる存在である。

(7) エドマンド・バーク

バークはジョン・ロックの『人間知性論』(1689)の写像的な観念説を受けて、初めて感覚主義的な崇高の美学を提唱した。
バークはアイルランド系の移民で、ダブリン・トリニティ・カレッジで学んだ。『崇高と美の観念の起源』はデビュー作(処女作は『自然社会の擁護』(1756))であり、特にドイツのM.メンデルスゾーンとG.E.レッシングに多大な評価を得た。
バークの本書は近代美学の美的カテゴリーに巨大な影響を与えた。彼の本がそれまでの崇高論と決定的に異なっていた点は、人間の生々しく移ろい易い感覚与件をカテゴライズする機械論的認識論に立脚して分析したこと(あるいは、生理学的な心理学)にこそある。バークはこの本で人間の精神、特に「感情」の「内部」を解剖学的に観察し、それを定式化し得た。
バークによれば、人間には主としてpain(苦)とpleasure(快)の感情が基礎としてあり、快がルネサンス的なthe beautiful(美なるもの)に、苦がthe sublime(崇高なるもの)の感覚的起源として位置付けられる。

著者はバークのいう「美」は「優美」とほとんど「言い換え可能である場合が多い」と述べている。バークと後のカントの崇高論との決定的差異は、カントがあくまでも形式主義的に崇高を理論化したのに対し、バークはむしろ「直接の感覚刺激に根差す」方針を採り、感覚主義的美学を提唱した点にある。カントの美学はその後、近代美学のそれ自体で自律的(かつ閉鎖的)な体系を構成していくことになるが、バークは形式主義の果てに見える「理性」の輝きよりも、むしろ「曰く言い難いもの」という人間存在の生々しい感覚に着眼した。この点が、カント美学が失効したとされる現在、リオタールらからバークの方を再評価する動きが見られる理由であると考えられている。
バークが本書を書く上でも、大きな「産みの苦しみ」があったとされている。というのは、バークはロンドンでエスタブリッシュメントとして活動していこうとする一人の移民アイリッシュであり、国を二つ挟んだ精神的なダブルバインドの苦悩を背負っていたと考えられるからである。いわば28歳の若きバークには出自に関する苦悩、痛み、分裂が内面に横たわっており、それが彼をして「崇高」を感覚主義的に書かせた最大の理由であるとも解釈できる。
バークの本書は現在も再読の価値があると評価されており、著者があげる「読み直しのポイント」は以下の三つである。

(A) 崇高は絵画よりも詩に与するとバークが考えていた点
(B) 感覚的で素朴な関心性と繋がった<触覚性>に基いてバークが「崇高」を提示した点(カントの形式主義的崇高論との差異)
(C) アイルランドと大ブリテンの間で揺れる内面的軋轢、痛み、苦悩、分裂


バークはいうまでもなく、現在でも保守主義の論客から絶大な尊敬を集めている政治学者でもある。ただ、バーク=保守主義という画一的かつ短絡的な位置付けを著者は批判しており、むしろ『フランス革命の省察』でバーク自身によって批判されたフランス革命(恐怖、慄き、王の死、熱狂といった諸要素)こそ、実は初期バークが本書で想定していた「崇高」そのものだったのではないか、という極めてラディカルで興味深い視座を提示している。
スティーヴン・ホワイトら近年の第一級のバーク研究者によれば、バークを保守主義のみから理解するのは誤りであり、むしろ「美学主義」からその思想の全景を照射してみるべきだと促している。ホワイトの読解によれば、バークはおそらく崇高を政治的コンテキストに沿って「二種類」想定していた。一つは、フランス革命のように破壊的な理念を持った「偽の崇高」である。もう一つは、名誉革命以来の大ブリテンのコンスティトゥーション(国家政体)の安定に導いた、「真の崇高」である。
バークは「美学」と「政治学」という二つの領土に跨る巨人であり、今後も大きな関心が注がれ続けていくと目されている。特に著者が改めて光を当てているのが、一見「美と崇高」に関係していないように見えもする第五部における「言葉とイメージ」論である。これはそのまま「絵画と詩」論に交換可能で、バークはイメージよりも言葉を重視し、優位を与えている。その理由は、「言葉」は表象再現力(文字を読みながら場面を想像させる力)が「絵画」よりも間接的であるため弱いが、「触知的に魂に訴える創造性」を有すると規定されている。著者はここにこそ、バークの今日におけるラディカルさがあると述べている。「崇高」はバークにとって、形式主義的にではなく“個人が体験した直接的な震撼の体験に基いて”感覚主義的に把捉されていくものであるのだ。

(8) カント

カントはバークよりも5歳年上の同時代人であり、1764年に『判断力批判』のプレテクストとされる『美と崇高の感情に関する観察』を刊行している。この時代は啓蒙主義であり、「das Erhabene(崇高)」はその時代を特徴付けるテーマであった。
『判断力批判』によれば、「崇高」とは「感性的認識の限界を経験する」ものである。この場合の「感性的認識の限界」とは端的に「苦」であり、カント的「崇高」には「苦によって内なる<理性>に目覚め、本来的な人間性の根拠を発見できる」という近代的個人の自己定立の根拠が既に含意されている。著者もカントを受けて、「<崇高>においては、まず否定的契機に出会い、そこで耐えねばならない」と述べている。これは明らかに宗教的な「苦行」によって本来的な人間性=わたし自身を獲得するプロセス(宗教的カリスマの悟りまでの道程)と相関する。
カントにとって「崇高」は、「数学的崇高」と「力学的(動勢的)崇高」に区別されている。「数学的崇高」とは、満点の星空、ピラミッド、サンピエトロ大聖堂などを代表例とする、「絶対的に大なる数や量」を意味する。他方、「力学的崇高」とは、自然の災厄、猛威、異常現象など、「恐怖、畏怖心を惹き起こす大自然の力」に他ならない。
ルネサンス的な「美」が「外部=宇宙=自然」に法則性としてあらかじめ存在していたことに対し、「崇高」は人間の「内部=心性」があって初めて、この地上に見出すことのできるものである。「崇高」はこの点で、われわれの心の中に既にある。
本書『崇高の美学』の著者の理解として、バークもカントも共に天上的なイデア、原型に「崇高」を見出していたのではないと解釈されている。「崇高」は徹頭徹尾、この地上世界で各主体がそれぞれ経験する「肉の苦悩」の問題と関係している。換言すれば、キリスト教神学に根差す神的原理(あちら側)としての「崇高」を捨象し、神抜きでの地上(こちら側)で見出される自然的な「崇高」が、バークとカントが把捉した観念であると解釈されている。
カントの美学は上述のような、地上に根差したものである点で、「人間性」の学であると解釈されている。
『判断力批判』は現在、多様な批判に曝されている。著者はそのリゴリスティック(厳格主義的)な面――「理性」への信頼と過信、更に美的原理の形式主義化)に対しやはり批判的である。著者はカントのこうした性質を「形式的硬直性」と呼んでいる。リオタールがカントではなくバークのラディカルさに注目したのは、カントにはない素朴な感覚主義が存在したからであると解釈されている。
熊野純彦は『カント』(NHK出版)の中で、「崇高」の本質をdas Überschwengliche(法外なもの)と規定した上で、その意味を「怖れ入りつつ魅入られる深淵であり、到達不可能な最高存在の理念」と表現している。これはルドルフ・オットーのdas Numinöse(ヌミノーゼ)と相関した解釈である。

○ まとめ

本書の一章、二章は「崇高」概念の意味と歴史を丁寧に追っている導入部分として有益である。二章の最後で著者は、カント、バークらの時代は純粋に「自然」に「崇高」を見出すことが可能であったが、現在はそこに「技術」が加担すると述べている。既にバークの記事でも述べたように、「崇高」の核心は「恐怖」である。恐怖と歓喜を同時に与えるものは「崇高」の高揚感における最高形式であり、我々は例えばそれを「戦時」における平原での、“命を賭けた強敵との死闘”に見出すことができる。何故なら、闘えばこちらが死ぬ可能性の方が高い戦闘には、恐怖と共に魂を雷撃で震わせるような大いなる悦びが伴うことを我々は知っているからである。
ただし、20世紀の戦争で我々が経験したヒロシマ/ナガサキ、あるいはショアーや、21世紀におけるテロル、そして記憶に新しい原発事故を伴う3.11は「自然」の「恐怖」ではなく、「技術」による「恐怖」であり、この点でこれら禍々しい恐怖は「下向きの崇高」(著者)、ないしベレル・ラングが「限界と表象」という論文で表現したthe historical sublime(歴史的崇高)に他ならない。繰り返すが、「恐怖」は「崇高」の契機なのである。それらは禍々しく否定的で、最も我々の命を危難に曝し、否応なく極限的な思考に追い込むがゆえに、最高度に「存在の原初」(ハイデッガー)を開く。




崇高の美学 (講談社選書メチエ)崇高の美学 (講談社選書メチエ)
(2008/05/09)
桑島 秀樹

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