† 文学 †

ライプニッツ、ボルヘス、そして円城塔――『バナナ剥きには最適の日々』、『後藤さんのこと』

バナナ剥きには最適の日々バナナ剥きには最適の日々
(2012/04/06)
円城 塔

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円城塔は『バナナ剥きには最適の日々』の中の、けして見逃せない一篇『AUTOMATICA』『円城塔』において、エクリチュールそれ自体を以下のように適切に規定している。「常に別の方向への逸脱を可能にしていく新たなツール」を目指すべきものであると。換言すれば、それは「文学」という制度の「外部」への志向性である。我々が何かを、例えば「小説」を書く時、我々はその規範、制度、規則をあらかじめ意識した上で書いているはずであるが、もしかすると理系の円城はこの点を抹消し易い立ち位置にいるのかもしれない。彼の作品には文学界新人賞受賞作のものから、「カフカの城はどこにあったか?」についてのクラウス・バーゲンバッハの興味深い註を含む「つぎの著者につづく」など、私なりに読解を現在進行形で行っている。
円城塔は以下のような点でライプニッツの弟子であったJ.L.ボルヘスと肩を並べようとする新たな弟子なのかもしれない。円城によれば、聖書は厳密には「書物の原型」ではない(ボルヘスならば聖書こそは書物のイデアであると断言し得るが)。何故なら、「全てのことが書かれた本とは、全ての可能な文字列の組み合わせ」だからである。この点で、彼は文の生成を、「可能な文字列の海から必要な文字列を取り出す操作」と定義している。彼が行っているのは、おそらくこの機械的な操作の連続に他ならない。
ボルヘスにとってのライプニッツの「可能世界」論は、「八岐の園」などの短編において色濃く反映されているのであるが、ポスト・ボルヘスの最も軽快な相続者たる円城において、それに代替するものは「量子力学」である。『墓石に、と彼女は言う』の中で語られる量子力学のエッセンスは、ボルヘスがけして直接的には語らなかったがゆえに決定的な影響を受け続けたライプニッツの可能世界論と相関している。
先述して我々は円城が「常に別の方向への逸脱を可能にしていく新たなツール」を志向する「遊牧機械」であると規定したが、このスタイル上での展開は『後藤さんのこと』や、本書所収の『equal』における「横書きの詩的定理集」でも見出すことができる。

後藤さんのこと (ハヤカワ文庫JA)後藤さんのこと (ハヤカワ文庫JA)
(2012/03/09)
円城塔

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『後藤さんのこと』では、「後藤さん」という複数にして単数の可能的主体が登場する。この作品でもボルヘスという座標軸を持って読む我々にとっては、ライプニッツ的な可能世界論の「パロディ」を読み取ることができるだろう。「後藤さん」は、もしかすると「量子」とか、「モナド」を擬人化した存在なのかもしれない。
興味深いのは、文法までもが「現在、未来、過去時制」の全てにおいて「可能的、かつ並列的に表記」されていたりするその徹底振りである。私が円城の作品で読んできた作品のうち、『後藤さんのこと』ほど視覚的な点でも着想力の点でも、他の追随を赦さない天才的な前衛主義を披露したているものは存在しない。この作品を読んでいると、私は十代の終りに熱中したライプニッツの『モナドロジー』の「章構成」を髣髴とするのだ。これは案外、そのパロディではないのだろうか――絵画的なイメージでは、やはりルネ・マグリットの紳士たちに接続する。
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