† 文芸理論 †

「引用」の本質とは何か?ーーアントワーヌ・コンパニョン『第二の手、または引用の作業』読解(1)

Guinevere Van Seenus Sasha Pivovarova by Paolo Roversi
Guinevere Van Seenus Sasha Pivovarova by Paolo Roversi

コレージュ・ド・フランス教授でフランス文学を教えている、現代ヨーロッパを代表する文芸理論家アントワーヌ・コンパニョンの若干二十九歳の処女論稿『第二の手、または引用の作業』(1979)の「シークエンスⅡ基本構造――引用の記号学」を読了したので、その記録を残す。

【引用の基本的図式】

例)ピエール・メナールとセルバンテスの場合

t … 文面自体
T1 … セルバンテスの『ドン・キホーテ』
T2 … メナールの『ドン・キホーテ』
A1 … セルバンテス
A2 … メナール
※F … 引用を生み出す力
※T=F(A2、T2) … 「力」を媒介させた上での引用行為の基本形式。常にT(テクスト)は二次的であり、原理的にいって起源のテクスト(A1、T2)はどこにも存在できない、ともいえる。

S … A、Tから成り立つ記号論的システム
S(A、T) … テクストのシステムの基本形式
S1(A1、T1) … セルバンテスのテクストのシステム
S2(A2、T2) … メナールのテクストのシステム


前提として、T1とT2は同一のテクストである。A1とA2は主体における差異であるため、時代・文化・個性によって必然的に差異化する(コンパニョンは「時間-空間的状況を表示する指標記号における差異」と表現している)。
バフチンはT1→T2への移行を、「対話」と呼んでいた。コンパニョンは「橋」、ないし端的に「関係」と呼称している。
このように図式化すると、S1とS2は、それぞれ“独自な記号論的実体”を構成していることが判然とする。T1とT2はテクスト同士では同一であるが、A1とA2において差異化するために、そのテクストのシステムS1とS2も必然的に差異化する。ゆえに、S1とS2は交換不可能である。
ここで注意せねばならないのは、コンパニョンがテクストの表面上では同一性に帰属されるT1とT2について、「還元不可能な差異」の内に置かれていると規定している点であり、ここは特筆すべきである。その理由は、彼がテクストのシステムを常にSとして一体的に把捉し、TとAの個別的な要素のみではテクスト自体が成立しないと考えているからである。したがって、たとえ同一の文字の配列であっても、メナールのテクストとセルバンテスのそれは同一ではないのである。

【引用概念を理解するための基礎】

自身の引用概念を理論化する上で、コンパニョンはバンヴェニスト、パース、クインティリアヌスらに学びつつ、ソシュールを批判的に摂取している。まず最初に要点として抑えておくべきなのは、クインティリアヌスの「比喩」の定義であり、これがそのままコンパニョンの「引用」概念として発展する基礎になっている点である。「比喩(トロープ)とは、ある語またはある文について、それをその固有の意味から、別のより強い力を持った意味へと移動させる変化である」(クインティリアヌス、p94)。
ソシュールのラング/パロールの対立関係を、バンヴェニストはラング/ディスクールへと修正した。ラングとは、「言語活動・記号の世界」を意味し、ディスクールとは「ラングの生きた顕現」であり、端的に「文の世界」である。「間ディスクール性」とは、ディスクールAとB、あるいは他の文たちとの間で結ばれる関係を指す。
以上から、まずもって「引用」とは「根源的な“間ディスクール的関係”」と規定される。具体化すれば、「引用、諺、レプリカ、リフレーン、模作、註釈など」が、間ディスクール的関係に含まれる。「引用」において重要な概念は「反復」であり、コンパニョンは「反復はディスクールの中で関与的なものとなっている」と述べている。
コンパニョンは、バンヴェニストを批判的に看取して「文面(ある文章そのもの)が一つの記号になり得る」と解釈している(因みに、バンヴェニストは「文=記号」の等式を否定した)。文、すなわちディスクールとは、「取替えのきかない、不可逆的な経験的唯一性」を意味する。したがって、たとえ引用によって同一のテクストが再現されたとしても、S2はS1に対して“個別的”なのである。換言すれば、「S1かつS2という関係性」によってのみ、「引用」は把捉される。
引用する以上、引用する主体は引用したテクストに何らかの「意味」を賦与するはずである。「引用は、ある文面に対して<観念性の記号価値>を与えるもの」である。

無題25423523

上図のようにパース記号論の三項関係を表現する。

O … Object(対象)
R … representamen、あるいはsigne(記号)
I … interprétant(解釈項)


例)Rを「血」とすると、Iは「殺人」、「供儀」、「鼻血」…と解釈項は無限に連鎖していく。
パースにとって「意味」とは、「記号の解釈項」を指す。セルバンテスのt(S1)はO(対象)であり、メナールのt(S2)はR(記号)になる。「解釈項が単数であるということはけっしてなく、それは常に<系列的>である。すなわち、ある引用の<意味>は無限であり、解釈項の連続継起へと開かれているのである」(p82)。

「象徴の定義は、第三項がなければ、最早意味をなさない。つまり、象徴にとって表意体が対象と関係を持つのは、それを第三項すなわち解釈項に結び付ける法や慣習があって初めて可能だからである」(p85)
先の図で示したように、「解釈項の系列には終りがない」。解釈項が無限に続く以上、スコラ的な「記号」概念である、“aliquid stat pro aliquo”(あるものが別のあるものの代わりをする)という、一対一関係は否定される。この否定は、パースだけでなく、クインティリアヌスの<シグヌム>概念にも見出せる。コンパニョンはこのコンテキストでクインティリアヌスを再評価しており、彼の「記号」概念である、“per quod alia res inteligitur”(それによって別のものが了解される)を踏襲している。ここでaliaとは、「複数的な別のもの」であり、パースの解釈項が無限に続くことと相関する。すなわち、「記号」はシニフィアン/シニフィエという一対一関係では規定できないのである。
「引用は最も単純な記号のひとつであり、テクストを循環する標識である」(コンパニョン)。「引用」はアレゴリーとして法廷での「召喚」にも擬えられる。

【人はなぜ引用するのか?】

引用者の心的動因力は以下のように二分解できる。

・ 内的促し
・ 誘惑


例えばヴァレリー・ラルボーは引用に所有欲、コレクター精神を感じていた。人が引用するのは、「みせびらかし、誇示」としてのincitation(内的促し/顕示の欲望)に拠るというのがコンパニョンの強調する点である。
「引用の反復価値は、二つのシステムS1(A1、T1)とS2(A2、T2)の間に設定される対応関係によって支えられる。その価値は、すなわち<誘惑>と<内的促し>の原理にしたがって動機付けされており、なおかつ偶発的なものである」(p93)。
反復価値の複合」は、パース的にいうと「新たに生成し続ける解釈項」であり、それらは「同一の記号表現」では最早ないのである。

【comprendre(理解する)と、interpréter(解釈する)の差異】

「理解するというのは、全体化する身振り、包括する身振りである。理解は、全体を把握し意味を取り囲み、その輪郭をはっきりさせることで、ディスクールに<一貫性>を与える。それに対して、解釈するというのは、二つのものの間に身を曝し、それらにきっかけを与え絡み合わせ、そして常に仕損じることである。仕損じるというのは、何事かがその解釈に対して常に抵抗するからである」(p99-100)
ハイデッガー存在論的に解釈すると以下になる。

・ comprendre(理解する) … consistent(共に-存在する)ことを目的にした関係。
・ interpréter(解釈する) … ex-sistence(外部-存在)。切り抜かれ、接着される関係。「それはひとつのアクシデントである」(コンパニョン)。


「引用の価値は、解釈に先立っては存在しない。反復に含まれた諸々の力を評価して、反復価値を生み出すのは、解釈なのである」(p101)

【引用の種類/パターン】

全てのテクストはこのどれかの定式に当てはまる。
以下の定式はパースの基本形が前提となっている。

アイコン(類像記号) … 対象の何らかの性質を有している場合、類像記号はその対象を<展示する>。
インデックス(指標記号) … 対象との存在的な関係の中にある場合、指標記号は対象を<表示する>。
シンボル(象徴記号) … この記号は対象を参照するものであるとして解釈されることを含意する法則に従って、解釈項と関係付けられる場合、象徴記号は対象を<意味する>。



(1) T1- T2 [symbole/象徴記号]

数学の定理や、定言化された作家からの引用など。

(2) A1‐T2 [indice/指標記号]

例)バルザックについての論文における、バルザックからの引用文。A1はバルザックであり、T2は「引用されたバルザックのテクスト」である。

(3) S1(A1、T1)- T2 [icône/類像記号]

例)バルザックについての論文を書く行為におけるテクストのシステムの図式。S1はバルザックのテクストのシステム全体であり、ハイフンを挟んでT2と結ばれていることで「論文を書く行為」を意味する。もちろん、論文を書いている主体はA2である。

(4) T1-A2 [diagramme/ダイアグラム]

ダイアグラムをメモするだけの行為における関係性

(5) A1-A2 [image/イメージ]

「猥らな引用」。原理的には、全ての書き手はこの図式の支配化にある。「イメージとしての反復」なので、T1、T2の関係はクリプト化されている。良くいえば、「枕頭の書からの引用」。

【メタ言語の定義】

あるテクストT(L1)に対するメタ言語《T》(L2)の関係。

langage-object(L1) … 対象言語。対象について語る文面。
métalangage(L2) … メタ言語。対象言語を対象としたもう一つ別の文面を構築した文面。


「会話や対話においては、ひとつひとつの台詞が前の台詞に対して、そのメタ言語を配置する」(コンパニョン)。
S1(A1、T1)のメタ言語はS2(A2、T2)である。引用する行為(ギユメ《 》を付ける)は、全てメタ言語を生成させる。

【フレーゲの図式によるピエール・メナールの正当化】

sens(意味) … 対象を指し示す仕方に照応した意味。
dénotation(外示) … 記号が指し示す制限された対象。


例えば「コンパニョンの引用論」の言い換えである、「水声社で刊行された『第二の手、または引用の作業』」は、同一の「外示」(対象)を持つが、異なる「意味」(記号表現)である。この関係から、「S2における《T》は、S1におけるTとは異なる」ことが導出される。

T … ある文面。
《T》 … ある文面Tの引用(直接話法)
T´ … Tを換言した文面(間接話法)


この場合、T´はTの意味を保持し、展示し、外示することができる。一方、引用された《T》は、Tの意味を覆い尽くし、埋没させると解釈される。
ボルヘスの生み出したメナールの『ドン・キホーテ』がセルバンテスのそれと差異化されている理論的背景として、以下のテクストが重要である。「ある命題(S1におけるT)が引用される場合(S2における《T》)――これはまさに、フレーゲがその論文「意味と外示」の中で、ライプニッツの命題を報告しながら行っていることそのものなのだが――その時、《T》は<新しい命題>である。引用が問題となっている以上、その外示自体がひとつの命題である(《T》はTを外示する)」(p119)。
実際、メナールはライプニッツ研究者であった。

【結論】

多様な分析は全て同じ結論に達する。つまり、ある文面をそっくりそのまま引用する行為によって生じるのは、そのテクストの「同一性」ではなく「差異」である。テクストが常にS(システム)である以上、引用による反復行為の定式はS1≠S2である。
「反復する言表行為である引用が現れるテクストにおいては、引用はひとつの出来事であり――ある言表行為は常に一回的な出来事である――新たな連辞のなかに(再び)取り込まれた、ディスクールの分割できないセグメントである」(p122)。
ビュトールの印象的なテクスト。
「個人的な作品などというものは存在しない。ある個人の作品とは、文化の織物の内部で生産される結び目のようなものであって、その織物の中に、個人は浸っているのではなくて、<現れて>いるのである。個人とは、元来この文化の織物のひとつのモーメント(因子)である。従って作品とは常に集合的なものである。私が引用の問題に関心を持っているのは、そもそもそのような理由からである」(p124)。
コンパニョンが述べるように、テクストは常に様々なfragmentsから構築されている。どのfragmentsもS2の関係にあり、したがって引用の構造の支配下にある。バルザックが書いたテクストについての論文を書く行為の中で、バルザックのテクストを断片的であれそっくり引用する行為は、引用文に新たな「解釈項」を与える限りで、「新しい意味」を形作っているといえる。




「参考文献」

第二の手、または引用の作業 (言語の政治)第二の手、または引用の作業 (言語の政治)
(2010/03)
アントワーヌ コンパニョン

商品詳細を見る





関連記事
スポンサーサイト
*Edit TB(0) | CO(0)



~ Comment ~















管理者にだけ表示を許可する

~ Trackback ~


Back      Next