† 建築学 †

20世紀を代表するイタリアの建築理論家アルド・ロッシを学ぶための基礎文献ーー田中純『都市の詩学―場所の記憶と徴候』×アルド・ロッシ『科学的自伝』

都市の詩学―場所の記憶と徴候都市の詩学―場所の記憶と徴候
(2007/11/26)
田中 純

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東京大学大学院総合文化研究科准教授の田中純氏の『都市の詩学―場所の記憶と徴候』第一章「都市の伝記」、第二章「<メタ世界>としての都市」、及び補論「忘却の詩学、類推の書法」を読了したので、その記録を残しておく。
これら三つの論稿はどれも20世紀最大の建築家の一人であるアルド・ロッシ論である。因みに本書は建築学のための基礎文献に入っている。
最初に、Wikipediaにあるロッシのプロフィールを紹介してから、本論に入ることにしたい。

Aldo Rossi(アルド・ロッシ)

aldo_ rossi

アルド・ロッシ(Aldo Rossi, 1931年5月3日 - 1997年9月4日)は、イタリアの建築家。1980年代を中心に、建築理論・ドローイング・設計の三分野で国際的な評価を達成する非凡な業績を挙げた。

「略歴」

ミラノ生まれ。1949年にミラノのポリテクニコ(ミラノ工科大学)に入学し1959年に卒業。在学中より(1955年)建築雑誌『Casabella Continuità』に寄稿し、1961年から1964年まで編集に携わった。1964年に『Casabella Continuità』誌を辞し、個人の建築設計事務所を開設。各地の大学で都市計画など都市の研究を進めた。1965年にミラノ・ポリテクニコで準教授に就任し、以後1970年代から1980年代にかけてスイス、ヴェネツィア、ニューヨークなど欧米各地の大学や研究機関で建築の教育を行った。

彼の初期の仕事である1960年代の作品群は、ほとんどが理論上の架空の計画やコンペで選外に終わった未完の作品であり、1920年代のイタリア・モダニズム建築(ジュゼッペ・テラーニを参照)、19世紀末の建築家アドルフ・ロースの古典主義や機能主義、20世紀前半の画家ジョルジョ・デ・キリコの都市を描いた絵画などの影響を同時に感じさせるものであった。彼は1966年の著書『都市の建築 (L'architettura della citta)』、および1981年の著書『科学的自伝(アルド・ロッシ自伝、Autobiografia scientifica)』、さらに1970年代後半から幾何学的な建築案が次々と実現したことによって、1970年代末から1980年代にかけて非常に強い影響を世界の建築界に及ぼした。

ロッシは著書の中で、現代の建築界では都市に対する理解の欠如が常態になっていると批判した。彼は、都市は時間をかけて建設されてゆくものとして研究され評価されるべきだと論じた。特に関心を示したものは、時間の経過に耐えて残ってゆく都市の工作物であった。ロッシは、都市はその過去(われわれの「集合的記憶」)を憶えている、と述べ、われわれはその記憶をモニュメントを通して活用しているとした。それゆえ、モニュメントは都市に構造を与えるものだとした。

彼は「テンデンツァ(La Tendenza)」と呼ばれる端正な新合理主義建築運動の創始者の一人とされている。彼が1970年代から1980年代のヨーロッパの建築思想を先鋭化させるにあたって及ぼした影響は、しばしば同時期のアメリカ合衆国におけるロバート・ベンチューリの理論などと比較される。しかしながら、ヴェンチューリがポストモダニストであったことに対し、ロッシは明らかに古代ギリシア・古代ローマ以来のヨーロッパの都市デザインに基づくモダニズムの見解を前進させる立場であった。

彼は1979年のヴェネツィア・ビエンナーレのために、船で引かれて海に浮かべられる250席の劇場『Teatro del Mondo(世界の劇場)』を設計した[1]。また、彼はジェノヴァの第二次世界大戦で破壊された国立オペラハウス(カルロ・フェリーチェ劇場)再生計画など、多くの建築を手がけるようになり、1990年には建築の世界的な賞、プリツカー賞を受賞した。建築評論家でプリツカー賞の審査員、エイダ・ルイーズ・ハクスタブル(Ada Louise Huxtable)はロッシのことを「たまたま建築家になった詩人」と表現している。

1997年、ロッシは多くのプロジェクトを世界中で抱えていた最中、ミラノで自動車事故に遭い、66年の生涯を突然閉じた。

「作品」

ガララテーゼ集合住宅、ミラノ(1974年、Carlo Aymoninoとの共同設計)[2]
ヴィルヘルム通りの集合住宅、ベルリン(1984年、ジャンニ・ブラギエリとの共同設計、ベルリン国際建築展・IBAの一部)
ホテル・イル・パラッツォ、福岡市(1989年、インテリアデザインは内田繁)
サンドロ・ペルティーニ記念碑、ミラノ(1990年)
カルロ・フェリーチェ劇場、ジェノヴァ(1990年、イニャーツィオ・カルデッラとの共同設計)
旧アンビエンテ・インターナショナル、東京都、1991年
シュッツェン通りの集合住宅、ベルリン(1994年-1998年、ベルリン国際建築展・IBAの一部)[3]
ボネファンテン美術館(Bonnefanten Museum)、マーストリヒト(1992年-1995年)
サン・カタルド墓地、モデナ、イタリア[4]
門司港ホテル、北九州市(1998年、インテリアデザインは内田繁)
Ca' di Cozzi、ヴェローナ、彼の最後のプロジェクト[5]
ABCビル、バーバンク、(2000年)

「脚注」

^ Teatro del Mondo
^ Synopsis
^ arcspace.com
^ Association Significant Cemeteries Europe
^ aldo rossi: last architecture.

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


【建築と人体のアナロジー】

田中氏と共著のある小澤京子氏の『都市の解剖学』では、建築の表面が「皮膚」として把捉されている。その上で小澤氏は破壊されたり、廃墟化した建築を「人体」に置換した場合、どのような視座が生まれるのかといった極めて刺激的なテーマに取り組んでいる。
田中氏のアルド・ロッシ論には、実はこの「建築の表面=皮膚」という考えの基礎になる概念が登場している。それは「デポジツィオーネ(部位脱落)」と呼ばれ、いわば破壊によって断片化した建築のことである。ロッシは『自伝』の中で以下のように述べている。

「私にとって部位脱落した建築は部分的にのみ人体と同形なのである。ロッソ・フィオレンティーノやプラド美術館のアントネッロ・ダ・メッシーナの作品に見られるように、絵画におけるキリストの降架なる主題は身体の機械的可能性を研究したものであり、この主題ゆえにキリストの身体が持ち運び去られる際にみせる異常な姿勢を通して我々に特別な情念を伝えることに成功していると、私は常に考えてきた」(本書p32、『アルド・ロッシ自伝』p177)


ここで興味深いのは、「デポジツィオーネ」が元来「キリスト降下」を主題にしたマニエリスム絵画での方法論であるという点だ。つまり、十字架から下ろされる際のキリストの身体の形態の「異常な歪み」と、破壊されたり屈曲したり、歪んでしまったりした建築がアナロジーによって結ばれているということである。
では、何故ロッシは「部位脱落」した建築に惹かれたのだろうか? それは、「建築のデポジツィオーネ」が、建築学的にエロスと死に急迫するための手段だと考えられたからに他ならない。

モデナの墓地計画案
《グース・ゲーム(モデナの墓地計画案)》

1972年の《グース・ゲーム(モデナの墓地計画案)》は、ロッシが入院中に構想したもので、「骨の構造として、骨ででき、骨を収める、いわば骨の都市」といわれている。この建築案はルドゥーの《オイケマ》に匹敵して異様であり、またマニエリスムの雰囲気を濃密に感じさせる。いわばここでも、建物が人体の「骨格」として把捉されているわけであり、しかも構想中のロッシ自身も「病院」という象徴的な場にいたのである。
ここから、アルド・ロッシのマニエリスムという研究領域が見えてくる(コーリン・ロウの『マニエリスムと近代建築』はその上で重要な文献である)。ビンスワンガーによれば、マニエリスム様式全般には「分裂病」特有のManieriertheit(わざとらしさ)とManieren(衒奇性)が窺えるとされる。ヴァールブルクは、サッコ・ディ・ローマという時代背景に基く「マニエリスム」が同時代の画家たちに見受けられる現象について、「不安のパトスフォルメル(情念定型)」が生起したと解釈していた。換言すれば、ルネサンスから次の様式へと切り換わる(プレ・バロック化)ターニングポイントとして登場したマニエリスムには、「不安」が一つのステレオタイプとなって規格化されているということである。これが美術史において再現前するのが20世紀のシュルレアリスムであり、名高いホッケの『迷宮としての世界』は、マニエリスム芸術の復興として、実はシュルレアリスムの本質、系譜を考究した書でもあった。
田中氏は、ロッシを20世紀建築界におけるマニエリストとして位置付けている。彼は「都市のファンタスム」(illusionism)をテーマにし、主として少年時代に「学校」で体験した「不安のイメージ」を反復し続けている。

【少年時代のロッシの謎】

田中氏のロッシ論は、傑出した魅力を放っている。
特に私が大きな印象を抱いたのは、ロッシの《Scuola di Broni Cappella Marchesi(ブローニの学校 マルケージ礼拝堂)》(1978/80)、そして口絵にも掲載されている《der Weg zur Schule(学校への道)》(1979)である。
特に口絵の絵は、ブローニの学校の建築素案の「基本デザイン」となり、以後のイメージ組成において決定的な役割を果たしたとされている。
また、「ブローニの学校」シリーズは、ロッシの建築に一貫して現れる共通のパターンを産出する場となっており、彼のマニエリスムの根底にある「不安」が何だったのかを知る上でも重要である。

「このドローイングで遂に正面玄関のデザインが定まり、一本の道がその玄関に向かって通じ、中央ホールには旗が立てられ、イメージは長い影を伴いながら幼年期の無時間性を帯びて停止する。正面入口の真上、ホールには旗が立てられ、イメージは長い影を伴いながら幼年期の無時間性を帯びて停止する。正面入口の真上、教室棟の底辺をちょうど罫線のように用いて書かれた《学校への道》という文字は、いわばパフォーマティヴに、ロッシがこのドローイングによってはじめて、《ブローニの学校》に通じる道を見出したこと、そのデザインへの決定的な通路を発見したことを語っている。そうした意味で、このイメージこそが《学校への道》である」(p64)


この絵は、いかにも童話的である。田中氏は本書でなぜこのようなメルヘンチックな建築素案が生成したのか、その「謎」を丁寧に追跡している。そこには、ロッシ自身の内面世界に基いた幾つかのミステリアスなコードが潜んでいるようだ。

・《学校への道》(1979)

(1)都市、建築の「純粋系」としての建築素案

ロッシはもともと、子供が描いた建物の絵に惹かれ続けていた。例えば、彼はスタンダールの自伝的作品『アンリ・ブリュワールの生涯』の草稿に描かれた、建物の見取り図(建築図面の原型)に注目している。これは簡単に手書きされた図面風の絵であり、そこにはスタンダールの自伝も書き込まれていた。
ロッシはこれを「類型としての都市や建築の純粋形」として捉えている。
ロッシには、このように手書きの建築素案(ドローイング)への強い愛着が窺えるのである。スタンダールのみならず、カルメル会修道女の間でも常に人気が高い十字架の聖ヨハネの《カルメル山の図》、あるいはジャコメッティのドローイングには、“手書き”の建築素案が宿すどこか「生の感覚」が感じられる。

(2)時間の停止

ブローニの学校の時計は、常に「PM17:00」で「停止」している。それは時の「無時間性」の象徴である。
ロッシは複写不可能なアウラを宿したポラロイド写真を偏愛しており、「時計」と共に小学校中庭階段に佇む一人の男性を撮影している。ちなみに、この時の写真はファニャーノ・オローナの小学校で撮影されたものである。
ロッシにとって「幼年時代」は常に「停止」した特権的な位相を持っており、後年の彼の作品群でも反復を生み出す根源的なイメージの場として再現前する。彼の建築(特にドローイング)は全て「自伝」であり、彼自身の幼い頃の記憶と色濃く結び付いているのである。
デ・キリコの《モンパルナス駅》や《出発の苦悩》でも、どこか時間が「停止」したような静謐で、かつメランコリックな感覚が漂っていた。キリコとロッシという観点は、田中氏にとってはあまりにも常道的な視座であるためか棄却されているが、ドローイングを見ただけでも、相関点は非常に多いと思われる。
田中氏は、「白痴の形態」が持つユーモアの側面を強調する雰囲気としての「時間の停止」と表現している。

・ 《学校からの帰り》(1984)

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(1) コーヒーポット

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この絵での学校は、コーヒーポットの形である。
これはロッシがエスプレッソメーカー「La conica」のデザインを手掛けたものと同じ形である。ロッシはドローイングにおいては、物たちのサイズを無視して「メルヘン」のような世界を描き出した。

(2)デ・キリコとの親和性

ロッシの建築案は、時に評者から「デ・キリコ的」と表現されることがあり、田中氏はそういう側面を認めつつも、ロッシにはキリコのようなメランコリックな印象とは異なる「幸福への意志」を見出している。
とはいえ、初期キリコの点化した最小単位としての「影=人間」の姿は、もう少し童話的な穏やかさを纏って、ロッシのブローニの学校シリーズでも踏襲されている。学校というよりも、ひとつの「塔」の銃眼から顔を出して手を振る少年に向かって、前方にいる童話的な影たちが挨拶している絵が、《学校からの帰り》である。

(3) 潜在的場としての不可視の「海岸」

田中氏は本書の註釈の中で、「ロッシと海岸」について言及している。ロッシは『科学的自伝』の中で、海について、「あらゆる記憶と期待からなるひとつの神秘的、幾何学的形態を形作りうる混合態」と規定している。例えば、波打ち際に落ちている「貝殻」は、海辺の記憶を蘇生させる「索引」であり、「徴候」である。
上記の記述を「ブローニの学校」シリーズの、特に《学校からの帰り》とイメージ的に結合させれば、一篇の「童話」の輪郭が垣間見えるのではなかろうか。すなわち、子供たちは《学校への道》を通って、コーヒーポットのような校舎に入り、そこで何らかの講義を受けて、やがて下校時刻に至る。下校の際には、教師かクラスメイトの一人が校舎=塔の窓から顔を出し、手を振る。しかし校舎中庭の時計は常に17時で停止したままで、おそらく朝も昼も存在せず、学校は「永遠の黄昏」に覆われているのである。
学校のある平原は無味乾燥な土地ではない。その先には、「海岸」へと続く秘密のルートがあるからである。そこで生徒(おそらくロッシもその一人)は「貝殻」という海の「索引/徴候」を拾う。彼の部屋にそれらは持ち帰られる。

【どの夏という夏も……】

アルド・ロッシの『科学的自伝』には忘れ難い一文が存在する。それはどこか告白的な調子を帯びていて、「どの夏という夏も、私には最後のものに思われた」というものだ。
田中氏はこのどこか孤独で寂寥感の漂う言葉の来歴を調査するために、ロッシの建築素描だけでなく、様々な建築作品を分析している。その中でも、どこか《ブローニの学校》シリーズの校舎=塔の光景にも重なる実現した作品として、田中氏は《世界劇場》を挙げている。
《世界劇場》は、上空から眺めた写真が掲載されているように、海上に浮かぶ「小塔」といった様相の建物であり、ここにはヴェネツィア在住のロッシがあまり語ろうとはしなかった彼自身の「ヴェネツィア的な性格」が反映されているといわれている。

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《世界劇場》

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P46に掲載されている《世界劇場》の写真を私が見た時に感じたのは、やはりキリコの初期のあの孤独な建物たちであり、そしてロッシの《ブローニの学校》のコーヒーポットであった。
松浦久輝による、三島由紀夫の架空の伝記『不可能』の中には「塔」という一篇が存在している。これは主人公平岡が海辺に独特な構造の塔を建造してもらうという内容であるが、ロッシの《世界劇場》のイメージと通底しているように思われる。もしかすると、田中純、松浦久輝、ロッシ、キリコには、共通した何か「少年時代の孤独」のイメージがあるのかもしれない。その象徴として、いわば「塔=校舎」が存在するわけであり、それは崇高で偉大な描写ではなく、あくまでもメルヘン的でノスタルジックな雰囲気を帯びていなければならないのである。

【断片性の概念】

全ての人間は、それぞれの掛け替えのない大切な「伝記」を宿して毎日生きている。これは「個」の単位であり、実は人間は「集合」としての伝記を日々執筆している。それが「都市の伝記」(都市の歴史)に他ならない。「都市」とは、実はその居住者たちの各伝記の集まり、結晶であり、テクスト的な集団的反映なのである。
個人単位の伝記は都市という総体的な伝記の「部分」である。また、ポール・ヴァレリーが述べたように、「およそ理論というもので、何らかの自伝の、丹念に推敲された一断片でないようなものはない」。ロッシは都市、建築の「断片化した骸骨」こそが、「事実を完璧に表現する」と考えていた。これは彼の「都市の伝記」の概念の必然的な帰結でもあるだろう。換言すれば、ロッシにおいて部分とは全体であり、だからこそ彼は「ヴェネツィア」を象徴する建物《世界劇場》を、彼個人の「伝記」の内部から引き出すことができたのである。そこには都市と個人との関係性のテーマが浮上する。ロッシはその関係の中でも、特に「ノスタルジアと傷」を伴う記憶を最重視している。
ピーター・アイゼンマンは、「都市は大きな家であり、家は小さな都市である」と述べたが、これもロッシの断片性の概念を応用した、部分と全体の同一視、あるいは外部と内部の交換可能性として解釈することができるだろう。

【ロッシはなぜ同じ柱廊を反復したのか?】

ロッシの建築では、同じ形態が反復されている。こうした「類型的形態」を読解するヒントとして、田中氏がベンヤミンの幼年期の写真について言及している箇所は「ナラティブ」の手法として卓越している。
ベンヤミンは少年時代の自分の写真を、カフカの少年時代の写真と混同して記憶していた。後年になってカフカの写真を目にしたことが、自分の写真(オリジナル)を意味論的に“重ね書き”することになったのである。記憶はこうして、「イメージ」の中で他者と自己の境界を曖昧化させ、重合していく。実はオリジナルとは、コピーと同じほど曖昧なものなのである。
田中氏は、ベンヤミンの意識に生起したこうした重合が、ロッシの「類推的都市」の発展のための「条件」であると解釈している。ロッシの原初的な「不安」のイメージは、彼と同じ都市に暮らす他の人々の意識とも重合し、やがてひとつの「集合的記憶の場」という概念に発展していったのではないだろうか。ベンヤミンとカフカの写真についてのエピソードは、彼が「不安の記憶」を、他者のエクリチュールによってパリンプセストし続けたことを物語っているのである。
実は我々が生きる都市に平均的に見出されるマンション、住宅街などの形態にも、同じ形態の単純な反復がよく見出されるのではないだろうか? これは機能主義建築にはほぼ全般的に見られる現象であり、建物のミニマリズムとして位置付けられるが、田中氏はそこに「記憶」の概念を導入している点で斬新である。
建築を語る方法のディスタンクシオンとして我々がここで学びたいのは、「都市」を一人の「人格」として扱うマクロな視座であり、その上で都市を「精神分析」する観点である。この観点は「都市の伝記」の前提でもあり、田中氏が本論で精神分析学を都市読解に応用している方法論の基礎である。


【形態は機能に従わない】

田中氏のロッシ論において、中核に位置する概念として特筆されているのが、fatti urbani(都市的創成物)である。これはロッシが『都市の建築』の中で提起した概念で、以下のように規定されている。

・ fatti urbani(都市的創成物)

都市構造の強固な一部として複数の機能を果たしながら、そうした機能とはほとんど無関係な形態によって強い印象を与える、《パラッツォ・デッラ・ラジョーネ》のような建築群のことである。この建物では、アドルフ・ロースの『装飾と犯罪』での定式(機能性重視による装飾性の排除)の倒置が起きており、「形態の存在感は機能構成の問題より上位である」(ロッシ)とされる。
都市的創生物の原型は、古代ローマの《フォルム・ロマヌム》である。この墓地は太古のラテン人たちにとっては葬送の場であり、ここにローマ帝国の都市が建築されていった。ローマ帝国終焉後も、「出会いの場」として多くの人に愛され、現代のパリに近い、人びとの夢が結晶化する都市の一つであったという。パリには人びとの多くの夢が集まるといわれるが、実は彼らは都市というよりも、正確には「都市が作り出すイメージ」の中に生活していると考えられる。
都市の「伝記」という観点で書を残した人物として田中氏は、ロッシ以外にベンヤミン、コールハースを挙げている。特にロッシの「都市的創生物」の概念はベンヤミンの『パサージュ論』における19世紀パリのパサージュと相関しているようだ。また、W.G.ゼーバルトの『アウステルリッツ』は、「都市的創生物」をテーマにした都市の伝記の物語であり、「都市小説」というジャンルに含まれ、
やはりロッシらの系譜に属している。
また、都市的創成物とは膨大な集団的記憶の蓄積の「索引」であり、かつそれが何であるとは明言できない「何か」の到来を告げる「徴候」でもあったのではないか、と田中氏は解釈している。

「情動喚起的な記憶が重ね合わされた類型の数々は、自伝的な記憶の深みに沈み込むことで見出された、<メタ世界>のパラタクシックな索引=徴候ではなかったか。類推とは、不安な予感と憂鬱な余韻が混じり合う中で、過去の集積に<索引>としての<徴候>を読み取る営みだったのではないだろうか。<類推的都市>とは、ひとつの<メタ世界>ではないか」(p45)


ちなみに、田中氏はロッシの建築論を分析する操作子として、中井久夫の術語を適用している。これは「都市の徴候学」と呼ばれ、精神分析学的な視座に立った分析方法であり、「予感」、「余韻」、「徴候」、「索引」など、幾つか本書でも簡略的に説明されている。その中でも特筆されているのが、「都市の徴候学」という表現にあるように、中井氏の「徴候」概念である。

・ 「徴候」

「<徴候>とは、“何か全貌がわからないが無視しえない何かを暗示する”(中井)ものであり、ある場合には、世界自体が徴候で埋め尽くされ、あるいは世界そのものが徴候化する。そして、このように世界が徴候化するのは、一般に、不安に際してである」(p42)


何か同一の根源的なイメージの反復――それがロッシの建築作品に一貫して見られると田中氏は考え、これを「徴候」と規定する。では、何の徴候なのであろうか? 中井氏のいう「何か全貌がわからないが無視しえない何か」とは何であろうか?
それこそが本書のロッシ論で最も興味深く、ミステリアスなポイントである。我々がこのレジュメで読んできた流れからいえば、ロッシの作品を生涯に渡って“憑依”したのは、やはり《学校への道》と《学校からの帰り》だったのではないのか。それも、メルヘン的で童話的な世界でありながら、濃密な「不安」に支配された少年時代の原初的な“場の記憶”である。
もし我々の読みが正しければ、《世界劇場》は「ブローニの学校」という原型的な徴候の絶え間ない反射、模倣、変奏であったということになるだろう。実際、田中氏が本書で掲載した《世界劇場》の写真は孤独さが際立っており、これは明らかに《学校への道》などの建築素案の雰囲気と通じているのである。より大胆に述べることを許されるならば、我々はここで以下のようにまとめることができるだろう。すなわち、ロッシにとっての「徴候」とは、「ブローニの学校」の停止した時間内で起きた“何らかの事件”にある、と……。
また、H.S.サリヴァンのいう「パラタクシックな記憶」の概念もこの見解を補強する因子になるだろう。これは「記銘と想起の両過程で二つの質の異なる知覚形態のParataxis(重ね合わせ)が起こること」、すなわち「記憶の二重化」を意味している。
中井氏の「徴候」、サリヴァンの「パラタクシックな記憶」の概念を駆使して、田中氏はロッシの建築作品には、その起源に何か「不安」に彩られたイメージが位置し、このイメージが増殖し、反復(似姿=類似の反射)していったのだと解釈している。

サン・カタルドの墓地
《サン・カタルドの墓地、納骨堂》

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実現した彼の建築からいうと、《サン・カタルドの墓地、納骨堂》(1971-78)は、確かに「不安」だけでなく、「無気味さ」を感じさせるに十分な建物である。これはタイトル通り「墓地」であるにも関わらず、外観は「無味乾燥なマンションの抜殻」であり、まさに驚愕すべき形態と機能のズレを感じさせる作品である。田中氏はこの墓地=マンションを、「カフカのオドラデグに似た、無目的で虚ろけた機械のような代物」と表現している。
あるいは、よりパロディ的な感覚で設計されたであろう《チェントロ・トッリ》(1985-88)は、「タワー(TORRI)」と描かれたタワーが林立するパルマのショッピングセンターである。これも「形態」と「機能」の不一致、アンバランス、異常性を孕んだ建物である。これと似た雰囲気の作品として私がすぐに想起するのは、田中氏との共著も存在する俊英小澤京子氏の『都市の解剖学』のルドゥー論で掲載されていたパリの市庁舎である。機能主義的でシンプルなミニマリズムを感じさせる方向性とは別に、フーコーの『異常者たち』が引用されてその「怪物性」が言及されるほどの作品がルドゥーには存在し、《オイケマ》も含め、「形態」と「機能」に非合理的で“歪んだ装飾性”を感じさせる。革命期の建築家として、ルドゥーも間違いなく社会空間を支配する「不安」に脅かされていたはずだが、ロッシの場合、もっとデリケートで個人史的であったのだろう。
いずれにしても、私が田中氏のロッシ論で見た全ての写真が、「形態は機能に従わない」点で一貫している。骸骨化されたマンション状の墓地、ポツンと浮かぶ寂しい《世界劇場》、塔状に群化した奇妙なショッピングセンター、そして数々の、サイズを無視した積み木のような建築素案たち……これらどれもが、グロピウスらに代表される機能主義建築からの大きな跳躍であり、逸脱に他ならない。20世紀が終り、もうすぐ15年になる現在、機能主義のコンテキストからは除外されてきた20世紀の建築家がもっと復活し、再評価されて良いのかもしれない。


アルド・ロッシ自伝 (SD選書 (191))アルド・ロッシ自伝 (SD選書 (191))
(1984/12/05)
アルド・ロッシ

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 建築学書の中の必読文献に挙げられていたアルド・ロッシの『自伝』(1981)を読み終わったので、その記録を残しておく。
 まず、本書は訳者の三宅理一氏が述べられているように、自伝というよりも「意識の流れ」に基づいたロッシ自身の建築プロジェクトの書であり、意識や記憶をテーマにした「内面性」が重視された文体になっている。本人は「プロジェクトの地理学」と呼んでいたようだ。私が読んだ限り、W・G・ゼーバルトの『アウステルリッツ』に近い雰囲気を感じた。ある都市、建物についての記憶を辿る軌跡や、建築案への内省なども含めて、「建築論」とも「エッセー」とも表現し難い独特な味わいを持っている。むしろ、作家の中にはこういった「スタイル」に影響を受けた者もいたのではないだろうか。

れ
ジョージ・タイス撮影「メーン州ケープ・エリザベス、二つの灯台」(1971)

Edward Hopper
エドワード・ホッパー《灯台の丘》

灯台と建物
エドワード・ホッパー《灯台と建物》

 ロッシはエドワード・ホッパーのあの孤独感の漂う都市空間の絵と、自身の建築案が強く結び付いていることを本書で述べている。また、幼い頃にサクリ・モンティ(Sacri Monti)に感動した体験が綴られている。彼はスタンダールの「アンリ・ブリュラールの生涯」に多大な愛着を寄せているが、それはこの作家が「手書きの建築案」を残したからだ。地理学的関心としては、「オピチーノ・デ・カニストリスの地図」を、その人物、動物、性的結合、記憶がレリーフ状の地形学的要素と一体化している点で高く評価している。ロッシ自身の描くドローイングに対しては、当時から批判があったようだ。過去の悪評に応える形で、彼は以下のように述べている。

「ちなみに、ミラノ工科大学で私は最も出来の悪い学生の一人だったと信じて疑わないが、それでも、その当時私に向けてなされた批判は、これまでに私の受けた最大の讃辞だと今になって思っている。私が特に敬愛していたサビオーニ教授は、私のドローイングが、窓のおよその場所を示すのに石を放っておくだけの煉瓦職人か、田舎の業者程度のものだと言って、私に建築を思いとどまらせようとした。この見方に友人たちは声をあげて笑ったが、私は嬉しかった。今日でも、この経験不足と知識の無さと見間違えられたドローイングの幸運さを取り戻そうと努力している。このドローイングはその後、私の仕事を特徴付けるのだ」(p90)


 実際、彼のドローイングは私が見て正直に感じた感想を記せば、どこかメルヘンチックで少年の絵を感じさせる。しかし、それは作為的にあえてそう描かれているのである。ここにおいて、何故彼が、あたかも過去の記憶を、その過去の自身の手によって再現したかのような方法を取ったのかという、「記憶」にまつわる本源的な問いが誘発されるわけである。
 若い頃から、彼は煉瓦ドームの技法を先鋭化させたアレサンドロ・アントネッリ(Alessandro Antonelli)や、ガウディの建築における力学的な構造を高く評価していた。後年、アドルフ・ロースとミース・ファン・デル・ローエを「師」とみなしている。
 ロッシは「廃墟」、「壊れたオモチャ」、「写真」などといった〈断片〉性のテーマを持つ媒体を愛しており、これは人体とも相関している。その上で、田中純氏が『都市の詩学』の中で解説していたDeposizione(デポジツィオーネ/部位脱落)の概念が重要になる。
「廃墟」について、彼は以下のように述べている。

「廃墟を眺めていると、とりわけ都市の廃墟なのだが、事物の輪郭がおぼろげになり、混乱していることに気がついた。都市の夏を覆う途方もない沈黙の中で、私自身とともに対象と事物の変形を感じることとなった。事物がはっきりすればするほど逆に曖昧になっていくのを目の当たりにして、おそらくは何らかの戸惑いを感じるだろう」(p53)


 廃墟は事物の輪郭が朽ち果てて、曖昧になっている。だからこそ、そこに「物」が存在しているというリアリティーが感じられる。

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  「セヴィリアのコラル」

 また、ロッシはパックス・ロマーナ時代のヴィラに起源を持つ昔ながらの「コラル(囲い庭)」に愛着を感じており、庶民的なセヴィリアのコラルに宿る不思議な力を感じている。これは彼が若い頃に見た記憶であり、街路の上にいわば「庭」が存在する静謐でありながら神秘的な空間である。

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アルド・ロッシ《世界劇場》

 ロッシにとって「最も魔術的な力を持つ建築」とは、劇場であった。劇場は外部と内部で一種の「分裂」を生起させる場である。建築物としての劇場の外面は固定しているが、その内部空間では常に虚構的な場が仮設される。いわば、時間軸によって同じ建物でも全く異なる「内部」が存在することになり、これを「劇場を魔術」と呼称している。ロッシの代表作《世界劇場》のイメージの源流には、「水の中から浮かび上がってくる」光景が存在している。劇場は彼の個人史と深く繋がった記憶の場であり、モデナやクネオの建築プロジェクトでも核となるイメージを提供していた。《世界劇場》はフランセス・イェイツの同名の著作からも影響を少なからず受けている。
 ロッシは邸宅の中では、「室内」同士を連結させる「廊下」という特異な場に注目している。

「なぜなら、建築家は住宅の連なりが〈廊下〉に左右される――平面上の問題ではなくて――ということを見越していたのだ。私が廊下の続き具合をスケッチした際には、こうした〈道〉としての側面を考えていたし、おそらくはそうであるがゆえに、私のプロジェクトをそれ以上発展させることができなかった。〈廊下〉とは、それに沿って私的な行為、予測できない局面、情事、悔悟が生み出され、そうなることを前提とした空間の流れなのであった」(p79)


 上記のテクストは、青木淳の名高い「動線体」の概念のひとつの先駆的な概念として理解することもできるだろう。青木は機能主義に対する批判として、リノベーションを想定した幾つかの戦略素――そのシンボルとしての「原っぱ」――を提起したが、ロッシ自身も二十代の著作『都市の建築』(この本を執筆していた頃、彼はヴィオレ=ル・デュクを敬愛していたという)で既に素朴機能主義批判を展開している。また、上記のテクストで彼は「〈廊下〉とは、それに沿って私的な行為、予測できない局面、情事、悔悟が生み出され、そうなることを前提とした空間の流れ」と述べているが、おそらくこのテクストは、ヴィスコンティと並んで重要なイタリア映画界の巨匠であるミケランジェロ・アントニオーニの諸作品を半ばイメージしていたと考えられる。実際、彼の有名な《エルバ島の木小屋》のイメージの発火源には、アントニオーニの『レポーター』や、ルーセルの『アフリカの印象』の影響が濃いと本人も認めている。
 ロッシは建物の外面よりも、むしろ「室内空間」を重視していた。それに付帯して、彼は「デザインとは、事物のアイデンティティ獲得の中で類推が働き、それが再び沈黙に辿り着いた空間でしかない」(p80)と述べている。

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アルド・ロッシ《アルバ島の木小屋》

 先述した《エルバ島の木小屋》は、ロッシの全作品を紐解く上で極めて重要な作品であり、『自伝』でも特に言及される量が多いのも特徴である。これは海沿いに並ぶ平穏な木小屋のイメージであり、どこかノスタルジアを感じさせる「楽園」への回帰願望が漂っている。現代の都市空間が「居場所」を喪失させる傾向を持つのに対し、この南国的な場所に並ぶ静謐な木小屋たちは、我々の空間喪失を取り戻す鍵になっているかのようだ。このドローイングに関して、ロッシは「棕櫚の木」を「住宅のシンボル」であるとする驚くべき見解を提示している。アルド・ロッシという一人の建築家にとって、《エルバ島の木小屋》こそは「イメージの居場所」であり、自伝の中心地でもあった。興味深いことに、彼のイメージの中でこの木小屋たちは《世界劇場》という、「水に浮かぶ孤独な劇場」の姿をとったり、《モデナの墓地計画案》にも派生していく。つまりここでいう「木小屋」というイメージの居場所は、ドゥルーズ&ガタリの術語を使えば「生成変化」しているのであり、他の諸作品はいわば《エルバ島の木小屋》を原型とする多様な変奏なのである。木小屋が「生の家」として「生成変化」した作品が、《ファニャーノ・オローナの小学校》や《世界劇場》などであり、逆に「死の家」として対極的な位相にあるのが、《モデナの墓地計画案》である。

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アルド・ロッシ《ブローニの学校》

 ロッシといえば、建築物と「記憶」のテーマでも知られているが、彼の現代都市における「歴史地区」研究のベースになった場所として、スイスの古代ローマ都市カストルム・ルナトゥム(半月形城塞)が挙げられる。ここに彼は古代ローマの諸都市の、ひとつの「類型」を見出している。ある時代に属する諸都市を、ひとつの「類型」に帰すという「全体」と「部分」の交換可能生の概念は、ボルヘスなどのプラトニズムのイデア論を反映させた幻想作家にも見出されるものである。
 文学や映画からの影響としては、先述したようにスタンダール、レイモン・ルーセル(ロッシには《アフリカの印象》というオマージュ的なドローイングもある)、ルネ・ドーマル、アントニオーニなどが重要である。特にドーマルについて、彼の「類推の山」という作品が白水社の『小説のシュルレアリスム』に収録されているようだが、これをロッシは自分の思想の「まとめあげ」とまで評価している点は注目に値する。
 最後に、付記しておかねばならない点として、ロッシが20歳の頃にソ連に招待され、以後社会主義の文化に強い関心を持っていた事実がある。これはもしかすると、ロッシの「集合記憶」の概念が用意される上で特に目立った言葉としての「全体」、「集合」、「人民」などとも相関している可能性がある。実際、彼はずっとスターリン時代の建築を高く評価していた。






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~ Comment ~

Satoshi様

先日 送ったメールで 不快な想いをさせてしまったのなら お許し下さいm(__)m

私は よく親しい周りの人に 私の言動は普通の感覚ではないのだから・・・と注意されていますが自分ではいつもよく分からなくて・・・

変なメールをしてしまったのではないかと・・・
もし困惑させてしまったり不快な想いをさせてしまったのなら すみませんm(__)m

私は本当に莫迦正直だから 貴方とお友達になりたいなぁって想っただけなんです・・・



[2012/09/05 11:19]  Sacco  URL  [ 編集 ]

*聡子様、御心配させてしまい申し訳ございませんでした*

敬愛する聡子様、こんなお気を使わせてしまい大変申し訳ございませんでした。
貴女様を少しでも心配させてしまった私は、とても悪い男でございます。
どうか貴女様の寛容な慈悲でお赦し下されば幸いです。

*私も貴女様の大切な、魂のお友達になりたいです*
[2012/09/06 00:18]  satoshi  URL  [ 編集 ]















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