† ファッション †

西洋服飾史の基礎

 このページでは、西洋服飾史について学ぶ上での最初の基本的な知識をまとめておく。服飾史とは、換言すれば「シルエットの歴史」としてのヨーロッパ史の再構成である。
 そもそも、衣服には二種類の形態がある。一つは「窄衣型」で、身体を緊密に包み込むタイプである。もう一つは「懸衣型」で、着物のような布を身体にかけるタイプである。一世紀頃のローマのモードは、現代のリック・オウエンスやクリス・ヴァン・アッシュなどで見られる「ドレープ」状のモードが一般的であった。ヨーロッパ服飾の原型は、ゲルマン民族の服装にあり、ギリシア・ローマにはないといわれる。
 ゲルマンの服装は「マント+上着+脚衣」という三つの要素からなり、これがそのまま「中世服飾」の基本形式となる。800年頃の典礼書に描かれたカール大帝の服装などは代表例だ。
 
【12世紀】

 十字軍遠征によるイスラム文化の影響により、男性の服装が“女のような”優雅な長衣「bliaut(ブリオー)」になる。

【13世紀】

 現代のコートの原型である、襠を用いて上半身にフィットさせ、スカート部にはゆとりをもたせる「cotte(コット)」が一般的になる。この頃はボタンが存在しないため、着衣のたびに手首を縫い、脱衣時には再度解くというのが毎日の習慣であった。
 ブリオー、コットは共に「マント」との組み合わせが重要である。上流階級では、毛皮のマントで身体を隠すことがひとつの嗜みであったという。ちなみに、当時の毛皮には300匹の栗鼠が使用されたものも存在する。

【14~16世紀初頭(ルネサンス)】

 1370年~1420年の間に上流階級で流行したのが、「houppelande(ウープランド)」という、ひらひらしたマントである。首の周りに黄金の飾り付けがあったりして、美しいものが多い。
 14世紀になると、13世紀の「コット」は「cotardie(コタルディ)」という近代服飾の原点へと進化する。コタルディ成立には少なくとも二つのルーツが存在する。一つは、騎士が使う甲冑の下にある「刺し子」製の下着が、衣服という表層に変化したもの。もう一つは、元々「刺し子」にしていた農民服(jaque)に由来するというもの。農民用のジャックは甲冑の下着として使われていた。jaqueは現代のjacketの由来であり、jaquetteの英語表記である。
 コタルディの特徴は、胸と肩を詰め物で膨らませ、腰を細くしばり、全体はキルティングの手法で縫うものである。脚衣は白いフィットしたものか、タイツ型のズボンであった。ボタンは上流階級で使用され、まだ一般化してはいない。
 15世紀では「コタルディ」が「pourpoint(プールポワン)」と呼ばれるようになる。この名称は、コタルディの「刺し子にする(poindre)」に因んでいる。男性はプールポワンとズボンの組み合わせが基本形であり、女性はワンピース型のドレスである。十字軍の時代は男性も女性的な服装だったが、盛期ルネサンス期には男女の差異が明確化し、よりいっそう今日のファッションの基本形へと近づいていく。
 面白いのは、1430年頃の絵に残っている当時流行していた「poulaine(プーレーヌ)」という爪先が異常に長い靴である。トランプのジョーカーが履いているような道化的な特徴がある。また、女性に流行したのは「円錐帽」で、額の髪を抜き、広く見せることが美の基準であった。

【16世紀全般(盛期ルネサンス~マニエリスム)】

 ルネサンスはイタリアのフィレンツェを中心に始まったが、女性のスカートの最先端を走っていたのはスペイン・モードである。コルセットの意味のbasquine(バスキーヌ)は、バスク地方に由来している。スカートを広げるペチコート(英語ではfarthingale/ファージンゲール、フランス語ではvertugadin/ヴェルチュガダン)と、ジュエリー・コスチュームが流行したのも16世紀である。首の周りに円形の飾り「襞襟」を付けることも見られた。
 男性服では、プールポワンの装飾性が深化していく。ズボンの股間にbraguette(ブラゲット)、codpiece(コドピース)という性器を誇張した装飾が一部から批判されながらも流行した。これは排尿するための衣服の開口部にまで意匠を凝らすという、当時の装飾熱を浮き彫りにした現象であろう。因みに、ブラゲットを見て嫌悪したのはモンテーニュであり、逆に饒舌になったのはラブレーである。
 16世紀の特徴としてもう一つあげると、「スラッシュ装飾」がある。これは上着にスラッシュ(切れ込み、裂け目)を入れることで、下の服の色彩を見せる装飾性の高い技巧であるが、動作上の機能性向上の意図もある。こうした方法は、ディオール・オムのコレクション色の強いジャケットにも存在している。
 細かい点で印象的な要素をあげると、この時代は革製の手袋も流行した。また、指輪をはめるのは親指、人差し指、薬指の三本が基本的だった。ポケットの普及は17世紀になってからだが、これにはシャルル9世がそこに武器を隠すことを怖れたためだともいわれる。力仕事をする職人たちは、ズボンの布の紐が解けた状態でも作業することが多かったが、これは刺繍がまだ手製で弱いためであろう。

【17世紀(バロック)】

 バロック時代は現代に似ており、「肌の白さ」もひとつの装飾として美化され、男女ともに「美白」が重視された。身体への繊細さ、清潔さが何より重視され、白いレースや男女共に黒いリボンを付けることが流行した。女性ではmouche(ムーシュ)という付け黒子もファッションアイテムとして重視された。興味深いのは、ムーシュを付ける位置に女性の気分が反映され、それが認知されていた点である。例えば、目のそばに付けると「情熱」、唇の上は「コケットリー」、鼻の上は「高慢」などであった。大型の鬘も流行し、ルイ14世にとってはこれも権力の象徴であった。
 この時代のファッションを知る基礎文献に、1644年にシャルル・ソレルが刊行した『ギャラントリーの規範』がある。galanterie(ギャラントリー)とは、17世紀の上流階級を特徴付けるキータームであり、「女性を楽しませることのできる社交術」を意味する。礼儀作法、文化資本、そして典雅な服装に秀でた青年たちは、「リボン」を意味するgalant(ギャラン)と呼ばれた。ルイ14世に及んでは、体中をリボンで埋め尽くしたリボン・マニアであった。当時のギャランを知る重要な文学作品に、岩波文庫化もされている名高い『クレーブの奥方』がある。
 現代も根強い人気を誇る20世紀最大の哲学者の一人ジル・ドゥルーズは晩年に『襞』というバロック論を書いている。バロックは服飾史の観点からも、「レース」、「リボン」、「ヒールの付いた靴」などに代表される「襞の時代」であるといえるだろう。因みに、ベルニーニの彫刻にある、それ自体が自己目的化し無限に増殖していく衣服の襞は、この時代の装飾性の高度さを象徴しているようだ。

【18世紀(後期バロック〜ロココ)】

 18世紀はマリー・アントワネットの存在を中心にして把捉すると様々なテーマが見えてくる。まず、アントワネットお抱えの専属衣装係が、今日でいう「ファッションデザイナー」の原型として登場したことである。ローズ・ベルタン、エロフ夫人のような女性デザイナーはmarchande de modes(英語ではmilliner)と呼ばれ、装飾性に秀でた女性服の仕掛け役となった。女性服の職人は英語ではmantua maker(マンチュ・メーカー)、フランス語ではCouturie're(クチュリエール)と呼ばれ、この時代は男女の服がいっそう分化して発展し、tailor made(注文仕立ての)のシステムが確立する。いわば、衣服職人とデザイナー、そしてその需要者の間での経済システムが成立したわけである。

Robe a la francaise2
「ローブ・ア・ラ・フランセーズ」

Robe a la francaise
「ローブ・ア・ラ・フランセーズ」

 18世紀後半まで、女性たちの間ではpanie(パニエ/鳥かご)のスタイルが流行した。英語ではhoop petticoat(フープ・ペチコート)とも呼ばれる。フランス宮廷でパニエの正装はRobe a la francaise(ローブ・ア・ラ・フランセーズ)と呼ばれ、目を見張るような豪華絢爛で典雅なスタイルが特徴的である。同時代のロココ美術との関連でいえば、ヴァトーやフラゴナールの描いた宮廷風恋愛の情緒性を感じさせる優雅な貴婦人たちの姿に、この頃の流行が反映している。

Leonard Autie
アントワネット専属髪結い師「レオナール・オティエ」

Gallerie des Modes 1778 MFA boston
「《ギャルリー・デ・モード》誌(1788)のヘアスタイル特集」

 いつの時代もファッションにおいてはヘアスタイルも極めて重要で、18世紀にも優れたスタイリストが活躍した。代表的なのは、やはりマリー・アントワネットお抱えのレオナール、ポンパドゥール夫人お抱えのダジェー、そして1760年代に「ヘアスタイルの芸術家」として名を馳せたル・グロである。18世紀後半になると「ファッション誌」も続々と刊行され始める。特に、1778年にヘアスタイル誌として創刊された「Galerie des modes(ギャルリ・デ・モード)」誌の存在が特筆される。
 では、メンズファッションはどうだったのだろうか? 15世紀以来の「プールポワン」は消滅し、17世紀末の段階でフィットしたjustaucorps(ジュストコール)の下にveste(ベスト)を着て、culotte(半ズボン)、脚衣というスタイルが紳士たちの基本モードとなる。18世紀にジュストコールはhabit(アビ)と呼ばれる燕尾服になり、ここに現代的な紳士服のオーソドックスな形式が完成する。アビの仕立職人は服を各パーツごとに裁断し、縫合し、顧客の身体に合わせて注文仕立て(tailor made)の洋服を生産していた。

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「メルヴェイユーズの女性」

 それまでのファッションは、基本的に全て貴族階級の文化であった。そこに最初の変化が生じるのは、フランス革命以後の1795年〜99年のことである。この時期に、女性ではmerveilleuse(メルヴェイユーズ)という、ドレスの引き裾が長くなったスタイルが流行する。男性ではincroyable(アンクロヤーブル)と呼ばれる、首に幾重もスカーフを卷くスタイルが流行った。

【19世紀】

 この時代にまで及んで、我々は一つの興味深い相関に気付く。18世紀に流行したパニエは膨張した巨大なスカートが特徴的で、これが18世紀後半になるとメルヴェイユーズとしてシンプル化した。この「スカートの縮小」の間には、フランス革命が跨がっている。続く19世紀初頭でも、女性服はそれまでのバロック・ロココ文化の貴族性に対する自己批判のためか、いよいよシンプル化していくのだが、実はブルボン朝の王政復古以後の1930年代になると、再び「スカートの膨張」という興味深い再現が生起するのである。より具体化すれば、王政復古期に流行した女性のcrinoline(クリノリン)と、続くbustle(バッスル)がこの膨張に相当する。

フランツ・ヴィンターハルターウジェニー 皇后と女官たち1855
フランツ・ヴィンターハルター《ウジェニー皇后と女官たち》(1855)における「クリノリン」

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「バッスル」

Galerie des modes
「《ギャルリー・デ・モード》誌のバッスル」

 我々はまず、ここでプルーストの『失われた時を求めて』の言葉を想起しよう。彼は、ファッションが30年ごとに反復していると述べている。我々が服飾史を素描する上で観察できるのは、女性のスカートの膨張は、「宮廷制度」と不可分離的であり、時代が貴族的な調子を帯び始めると、スカートや装飾物の襞が増え、まるで「子宮」を保護するかのように衣服が重層的になるという現象である。換言すれば、スカートは庶民化すればするほど、簡素でシンプルなものになる。
 更に、より微分的に見ても興味深い事実が浮上する。パニエの後に、実はごく短期間だけポーランド風の「ローブ・ア・ラ・ポロネーズ」が流行しているのだが、これは19世紀のバッスル・スタイルに類似しているのである。パニエ、ローブ・ア・ラ・ポロネーズ、メルヴェイユーズ、クリノリン、バッスル・スタイルという18世紀〜19世紀を特徴付ける女性ファッションの五つの流れは、明らかに「再帰性」を持っており、これはスカートの肥大化、縮小化に注目することで平易に気付く循環性である。ゆえに、30年ごとという指標は不確かながら、プルーストの言説は少なくとも18世紀、19世紀のファッションにおいては妥当するといえるだろう。ちなみに、1858年のクリノリン・スタイルはスカートの再膨張の頂点であり、アントワネット時代の再来を髣髴とさせる。
 1852年に、パリ左岸にオープンしたデパート「ボン・マルシェ」と、右岸にオープンした「プランタン・デパート」は、クチュリエールからオートクチュールへと転換する機会となった。オートクチュールの創始者は、ナポレオン三世妃ウジェーニー皇后の衣装係であるフレデリック・ウォルトである。ウォルトは1858年、パリ中心にバッスル・スタイルの店舗をオープンする。こうして、デザイナー主導による店舗運営形式の「ファッション〈界〉」の地盤が確立したのである。
 19世紀後半のアール・ヌーヴォー様式と連動して、服飾でもシルエットはS字カーブを描いた優美なものになっていく。

【20世紀】

 1910年代に、ポール・ポワレが女性から「コルセット」を解放し、「ホッブル・シルエット」を押し出す。第一次世界大戦と共に、女性服にも合理的機能主義的な側面が表れる。20年代、フランスでは「ギャルソンヌ」と呼ばれた「新しい女性像とファッション」が成立する。特に、ガブリエル・シャネルの「シャネル・スーツ」が特筆される。
 以後、20世紀のファッションも過去の遺産から様々な「引用」を行いつつ、それぞれのブランドに差異化して互いに競合関係にある。




「参考文献」


図説 ヨーロッパ服飾史 (ふくろうの本/世界の歴史)図説 ヨーロッパ服飾史 (ふくろうの本/世界の歴史)
(2010/03/13)
徳井 淑子

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