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鈴村智久の研究室

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15世紀のウェヌス崇拝についてーーグウェンドリン・トロッテン 『ウェヌスの子どもたちールネサンスにおける美術と占星術』を読む

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ウェヌスの子どもたち―ルネサンスにおける美術と占星術ウェヌスの子どもたち―ルネサンスにおける美術と占星術
(2007/08)
グウェンドリン トロッテン

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 ウェヌス(ヴィーナス)は、キリスト教側からはどのように認識されていたのだろうか? これについて、グウェンドリン・トロッテンによる『ウェヌスの子どもたち』一章での研究が興味深い。
 氏の優れた研究によれば、ウェヌスは初期ルネサンスにおける異教的崇拝の象徴的な女神であった。古代にもウェヌス像は存在したが、中世キリスト教社会では13世紀までほとんど見られることがなかった。13世紀になると、少なくとも二つ重要な作品が登場する。一つは、アブー・マアシャルの『占星術の書』であり、ここではウェヌスが「女王」として描かれている。彼女は古代の楽器であるタンパノンを演奏してもいる。もう一つは、1288年と年代が判っている、プロヴァンス地方にあるマトフレ・エルメンガウの『愛の聖務日課』の挿絵《惑星ウェヌス》である。この挿絵は非常に簡素なものなのだが、ウェヌス生誕時の秘密を描いている点で興味深い。ヘシオドスが伝えるように、ウェヌスはウラノスの切断された男性自身が海に飛来し、その血と泡から生まれたという。この挿絵のウェヌスは「水中」に存在しており、やはり水と関連があることを暗示させる。
 ちなみに、アクィーノの聖トマスはウェヌスを「色欲」、更には最も罪深い「高慢」の罪の象徴として位置づけた。こうした異教の女神に対する負のジェンダー・ディバイスは、トマスがエヴァを罪の起源と結びつける思考とも相関している。ウェヌスは美と愛と官能の女神であり、この神話的属性には確かに神学的な見地からすると危うさを秘めている。しかし、中世キリスト教社会にもウェヌスに対して肯定的な認識を持つ者も存在したはずである。
 その証拠の一つとして、1365年にグアリエントの描いたフレスコ画《惑星ウェヌスの青春》が興味深い。これは若い愛し合う丸裸の男女のあいだにウェヌスが立って、二人の「恋の仲立ち」をしている様子を描いたものである。実は「愛し合う裸体の男女」こそは、ウェヌスのアトリビュートに他ならない。
 15世紀前半になると、パドヴァのラジョーネ宮殿サローネにおいて、我々はより刺激的なウェヌスを目にすることになるであろう。ここのフレスコ画はズアン・ミレットとフェッラーラの画家によって描かれたことが判っているが、そこでは「ウェヌス」とキリスト教神学において決定的に重要な存在である「マリア」が「一体化」しているのである。これは本来背反し合うキリスト教と異教・占星術のモチーフが相互に溶解した見事な例であり、我々はこのウェヌス=マリアに本来的な「女性性」への最初の急迫を見出すことができるだろう。聖母マリアとしてのウェヌスはあくまでも天上的な存在として神聖な価値を保っているが、
「音楽」や「化粧」の象徴的存在という異教的なウェヌスは、いわば「俗」の属性を帯びている。中世には、こうした聖と俗のアンビバレントな表象としてのウェヌスが好んで描き出された。

【15世紀に存在したウェヌス崇拝の痕跡】

 先述したように、聖トマスはウェヌスを異端の女神と規定し、クリスティーヌ・ド・ピザンは有名な『オテアの書簡』(1406-8)の中で、「ウェヌスを女神としてはならない」、もし彼女の信者になれば、「徒労に終わり、不名誉で危険」とまで説教している。ピザンは更に、ウェヌスの性格は「移り気で容易に多くの者に身を任せる」、「色欲の悪徳も(彼女からすれば)美徳である」などと述べている。そして15世紀以来、「ウェヌス崇拝」はunwurshipful(涜神)と規定された。
 しかし、人間は「異端」とされたものに内心では多大な関心を寄せる心理的傾向を持っている。実際、既に1400年頃のフィレンツェで、本書のカバー表紙絵にも起用されている極めて貴重な、それでいて刺激的なウェヌスが描かれている。作者不詳であるが、《伝説上の六人の愛人によって崇拝されるウェヌス》と呼ばれている絵がそれだ。これは、ウェヌスの性器から六つの光線が発せられていて、これを受けた六人の男たちがうっとりしながら、あるいは誇り高い面持ちで彼女を眺め、仰いでいるという謎めいた絵である。重要な点は、この絵がdesco da parto(出産盆)に描かれている事実である。出産とは女性の生殖能力の具現であり、そこに六人の愛人たちから崇拝されるウェヌスが描かれているということは、明らかに「身体的勝利(美、エロス)」への讃歌としてこの絵が描かれたことを物語っていると、著者は解釈している。
 既に15世紀の詩人たちの間では、肉欲はウェヌスによって成就されるという信仰が存在していたといわれる。このキリスト教の「愛」の概念にはない官能性を象徴した「愛の宗教」のシンボルこそが、ウェヌスなのである。したがって、《伝説上の六人の愛人によって崇拝されるウェヌス》もまたウェヌス崇拝の痕跡であり、この絵は「愛の楽園」を描いたものであると考えることができる。ちなみに、ここで描かれた六人の男たちとは、アキレス、トリスタン、ランスロー、サムソン、パリス、トロイラスであったことが判明している。
 「愛の楽園」には文学的な系譜がある。典拠の一つとして、ギヨーム・ド・マショーの『果樹園物語』には、「翼を持った盲目の美しい生物」が登場する。この生物は「クピド」か、それに近い役割を持った「愛の神の補佐役としての鳥」だと解釈されている。やがてギヨーム・ド・ロリスが『薔薇物語』の中で、「愛の神」を「クピド」と同一視したことにより、「愛の楽園」を支配する霊的存在たちの表象が成立した。それは「翼を持ったウェヌス」と、「空飛ぶ彼女のクピドたち」という一般化された図式である。
 このように、15世紀になるとウェヌスは文学と結びついて、宗教的な愛を越えた官能性、恋愛のシンボルとして受容され始めていたことが判る。

【マンテーニャのタロットの秘密】

 1460年〜65年頃に描かれたとされる、タロティストの間では知らぬ者のいない《マンテーニャのタロット》には、実に興味深い絵が存在する。そこには「目隠しをして矢を放とうとしているクピド」、「三美神」、そして「ウェヌス」が描かれている。三美神はクピドと同じく、「ウェヌスの子供たち」でありその侍女的女神である。三美神とウェヌスは同じような顔の女性として描かれているが、ウェヌスには貝殻(海で生誕した象徴)を持たせることで区別している。このタロット自体には、特に問題はないようだ。ただし、この絵のモデルになった1420年頃に描かれた《クピド、ウェヌス、三美神》という絵と比較すると、非常に興味深いテーマが見えてくるのである。
 こちらの絵では、目隠しをしたクピドがウェヌスに矢を射た状態が描かれてる。ウェヌスの腹部には矢が貫通しているが、彼女は竪琴を持って涼しそうな顔をしている。ただ、ウェヌスは涼しそうな顔をしながらもその下半身が「火」に包まれているのである。下腹部が「火」で包まれることは、「肉欲」のアレゴリーであり、これはウェヌスの本性を顕示した絵として興味深い。そして、タロット版ではこの本性が、いわばもうすぐ開示される直前の段階で描かれているのである。タロット占いの時に、この来歴を知っていれば、我々の見方はもっと奥深い洞察を伴うものになるだろう。
 
 さて、以上から判るように、著者のいう「ウェヌスの子どもたち」とはウェヌスの下で相思相愛になる男女であり、彼らの感じる「官能」や「愛」の神的顕現としてのクピドや三美神である。ちなみに、ルネサンスでは黄道十二宮における七つの惑星が神々として表象されており、以下のように対応している。惑星は同時に曜日をも意味する(Venus/ウェヌス=Vendredi/金曜日)。

・サトゥルヌス(土星)
・ユピテル(木星)
・マルス(火星)
・ウェヌス(金星)
・メルクリウス(水星)
・アポロン(太陽)
・ディアナ(月)



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