† 美術/アート †

ジャン=マリー・バールの「隠れ家」の情景ーー「見えないもの」の可能性を探るために


Trois fois rien
Trois fois rien

 ユベルマンの『イメージの前で』のフラ・アンジェリコ論を読んでいて、私が思い出していたのは、おそらく日本ではほとんど認知されていないJean-Marie Barre(ジャン=マリー・バール)の絵だった。この隠れ家のような世界には、独特な静謐さが感じられる。最初の絵において、自転車の前方の草叢を照らす光軸が人工的なものなのか、自然光なのかは判断できない。だが、私がバールのこれらの絵に惹かれるのは、私が大阪の淀川に昔から思い入れを持ってきたからなのかもしれない。
 淀川周辺は河川公園になっていて、サイクリングしたりするのに最適だ。休日になると野球部の少年たちがグラウンドで試合をしたり、点在するベンチには家族連れが休んでいたり、川縁まで来ると釣りをのんびりと愉しんでいる人々を見つけることができる。バールが描いたこのような「隠れ家」も、もしかすると河川公園のどこかに潜んでいるのかもしれない……そんな「イメージ」を私はこれらの画面の「余白」に感じるのだ。
 ユベルマンはアンジェリコの《受胎告知》において、聖母と天使の「あいだ」に存在する背景としての「白い面」に神学的な意味を読み取っていた。それは「見えないもの」への読解可能性へと繋がっていく新しいアプローチである。私にとって、これらの無人の風景はどれも「未だ見えていない空間」を予兆している。これらの絵に似た、あるいは異質でもある秘密の空間が、我々の暮らしている都市の中にも潜在しているのではないかーーそんな夢想をこれらは与えてくれるのだ。

Le pavillon du père
Le pavillon du père

Ecole buissonière
Ecole buissonière

Le canillon
Le canillon

C`était celle du docteur
C`était celle du docteur

関連記事
スポンサーサイト
*Edit TB(0) | CO(0)



~ Comment ~















管理者にだけ表示を許可する

~ Trackback ~


Back      Next