† 建築学 †

アール・ヌーヴォー様式の建築について



アール・ヌーヴォー様式


 世紀末1880年~第一次世界大戦前の1910年までのわずか30年間という短期間に流行したのが、ベルギー発のアール・ヌーヴォー様式である。イギリスではラスキン、ウィリアム・モリスを代表とする「アーツ・アンド・クラフツ運動」が始まっている。アール・ヌーヴォーはジャポニズムの影響も受け、「S字型の曲線」を基調とする優美な様式である。建築家としては、ヴィクトール・オルタの都市住宅シリーズ、アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデなどが代表的存在。

ヴェルデ 《ブロウメンウェルフ》
アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデ《ブロウメンウェルフ》


 オーストリアではヨーゼフ・マリア・オルブリヒの《ゼツェシオン館》もこの様式である。ウィーン市から寄贈された土地に、哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの父である実業家のカール・ウィトゲンシュタインの支援により建設されたという本作には、印象的な球体ドームが黄金色に輝いている。通称「金のキャベツ」。

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ヨーゼフ・マリア・オルブリヒ《ゼツェシオン館》

 東大大学院教授で表象文化論、西洋思想史の研究者である田中純氏は『建築のエロティシズム』の中で、19世紀から20世紀初頭のウィーンに見られる「装飾」について言及している。彼はオルブリヒも活躍した当時のウィーンについて、「極めつけの装飾の都」や「能天気な表層性」が見られると述べている。《ゼツェシオン館》もそうした建築の一つとして言及されている。ブルボン家の都であるパリはフランス革命で「19世紀の首都」にまで発展したが、ハプスブルク家のウィーンは「取り残されたバロック都市」のままであった。
 世紀末転換期に活躍したクリムト、ヨーゼフ・ホフマン、アンリ・ヴァン・ド・ヴェルデ、オットー・エックマンといった芸術家たちは「平面的装飾性」を進行させていく。いわば、「表面性」への過度な志向が働いていたのだ。こうした傾向は「ユーゲント・シュティール」などとも呼ばれたが、理論的背景としては1893年に刊行されたアロイス・リーグルの『様式の問題』が重要である。リーグルはその中で、「様式」は文化を横断していく引用可能な「形式言語」であると規定した。これは過去の様式からそれぞれの良い面を引用できるという点で、近代建築以前に横行していたリバイバリズムを準備した理論の一つといえるだろう。
 当時のウィーンでアカデミズムの中心にいたオットー・ヴァーグナーはリーグルの前掲書から二年後に刊行した『近代建築』という、タイトルもずばりな書物の中で「実際的でないものは美しくない」という、後のアドルフ・ロースの『装飾と犯罪』にも接続していく考えを表明する。ヴァーグナーはモダニズム的な集合住宅を設計していた。とはいえ、彼はまだ当時の「表面性」を意識した「装飾」熱を捨て去ることなどできず、代表作である《郵便貯金局》では「ボルト」という技術的な素材を「装飾」として応用するという方法論を用いている。いわば、技術的な記号性が同時に装飾機能へも転化されており、ここにはモダニズム建築への過渡期に位置した建築家の一種の葛藤も読み取ることができるだろう。ヴァーグナーの建築では、他に《アム・シュタインホーフ教会》も重要である。


 ドイツでは「ユーゲント・シュティール(青春様式)」が流行し、アウグスト・エンデルなどが活躍するが、ヒトラー政権によって大半が破壊されている。
スペインではモデルニスモ(モダニズム)が起きており、アントニオ・ガウディ、リュイス・ドゥメネク・イ・ムンタネーが重要である。
 ロココは少なくとも60年は続いていたが、アール・ヌーヴォーはその約半分と短命であった。双方が共に優美で装飾性の高い流行であったことは注目に値する。この後、ドイツではいよいよ装飾を排除し、アルド・ロッシのいう「素朴機能主義」を一貫させた近代建築の象徴的存在であるグロピウス《バウハウス》などの出現を目にすることになる。




「参考文献」


建築のエロティシズム―世紀転換期ヴィーンにおける装飾の運命 (平凡社新書)建築のエロティシズム―世紀転換期ヴィーンにおける装飾の運命 (平凡社新書)
(2011/10/17)
田中 純

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