† 建築学 †

「架空都市」の誕生――アルド・ロッシの『都市の建築』から出発する

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レミディオス・ヴァロ《螺旋状搬送機関》

 ヘルパッハによれば、「大都会は我々現代人の故郷である」。にも関わらず、都市生活における最近の日本の研究には「居場所の無さ」をテーマにした書物も刊行されている。ハイデッガーは既に有名な建築論「建てる 住む 思考する」において、以下のように述べていた。

「人間はあたかも言語の形成者であり師匠であるかのように振舞っているが、実は言語のほうが人間の女主人であり続けているのである。恐らく他の何にもまして、人間によって営まれているこの支配関係の転倒こそが、人間の本質を故郷にあらざるものdas Unheimischeへと駆り立てているのであろう」


 das Unheimische(故郷にあらざるもの)――これは現代の都市生活とどのように関係しているのであろうか? そもそも、「都市」とは何なのか? このページでは、現在も根強い人気を誇り世界的に高く評価されているアルド・ロッシが二十代の頃に執筆した『都市の建築』についての記録を残しておく。都市・建築論は現代思想、言語学、社会学、歴史学、地理学など広範囲の学問を導入して研究される極めて奥の深い学際的な学問であり、「都市とは何か」、「建築とは何か」、「都市と言語の関係とは何か」という問いかけは震災後の日本の思潮において特に重用であると考えられる。

ロッシ
アルド・ロッシ

 ロッシによれば、都市には少なくとも以下の三つの要素が存在する。それはまず「生活様式」であり、建物・空間としての「物理的形態」であり、そしてそこに住まう人々が各自持ち、また集合的にも抱いている「イメージ」である。このうち、「生活様式」としての都市の性格についてはハイデッガーも前掲の論文において言及していた――「建てることBauenは根源においては住むことWohnenである」。

ハイデッガー(右)と弟子の一人ハンス・ゲオルグ・ガダマー(左)1923年当時のトートナウベルクの山荘にて
ハイデッガー(右)と弟子の一人ハンス・ゲオルグ・ガダマー(左)/1923年当時のトートナウベルクの山荘にて

「住む」ことが「建てる」ことの本質であるとすれば、建築の本質はやはり「住居」にこそ求められる。古代ローマにおいては、独立した住宅はdomus(ドムス)、集合住宅はinsula(インスラ)と呼ばれていた。そしてロッシはinsulaについて、「都市それ自身を体現していた」とまで述べている。

ドムスの構図
「ドムス」復元図

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「インスラ」復元図

【Memoire collective(集合記憶)】


 アルド・ロッシは現在も光彩を放つ不朽の名著『都市の建築』(1966)の中で以下のように名高いcollective memory(集合記憶)の概念を提起している。

「都市それ自体は住民の集合記憶なのであり、記憶のように都市は対象や場所と関連付けられる。都市は集合記憶の場なのだ。そうだとすると、その場と住民との関係は、建築と風景両方の都市の支配的な〈イメージ〉になるのであり、ある人工物がその記憶の一部となるにつれて、新たな都市が生まれるのだ。この全体的に肯定的な意味においては、偉大な観念が都市の歴史を通じて流れ出てくるのであり、その観念が都市に形を与えるのである」(*1)


 ロッシの「記憶は都市の意識である」という考えに象徴されるcollective memoryは、20世紀の建築を機能主義以外の文脈で把捉する上で強力な力を発揮する概念である。「集合記憶」はもともとデュルケームの社会学に学んだアルブヴァクスの『集合記憶』という本のタイトルでもあった。以下のテクストはエイドリアン・フォーティーが先鋭的な『言葉と建築』の「記憶」の章で言及している箇所である。この概念がいかに当時の集団心理学から影響を受けていたかを示唆する点で興味深い。

エイドリアン・フォーティー
エイドリアン・フォーティー

「実のところ、『集合記憶』の中でアルブヴァクスがあえて論じた点は、社会集団が特定の場所についての共通の記憶を通じて集団としての同一性を保持する一方で、その記憶は実際に存在する物的空間に関係するのではなく、その集団によって心のうちに形成された集団特有の〈空間イメージ〉に関係しているということであった。言い換えれば、記憶の媒介物は都市の人工物ではなく、集団の心のうちにあるイメージなのである。アルブヴァクスについてのロッシの選択的で、まさに文字通りの読みは、アルブヴァクスが非常に多くの重要性を賦与していたニュアンスをほとんど気にも留めていなかった。また、ロッシの読みはデュルケームの社会学から受け継がれた弱点に対してもあまり注意を払わなかった――その弱点とは、特に経済的要因よりもむしろ社会的要因の中に疎外の原因を特定しようとしたことであった。また、社会の集団的行為のための満足のいく規範を個人心理学が提供するという前提もそれに当たる」(*2)


 厳密な社会学的方法論の観点からするとロッシの概念には弱点も存在するとフォーティーは指摘しているものの、彼の以下のテクストにはその「詩的」な力を確かに認めている。「過去と未来との結合は都市についての観念の中に存在する。その観念とは、記憶が人の生産を通じて流れていくように都市も流れていくのである」。ロッシのcollective memoryの概念は、論理的であるよりはむしろ「詩的」であると評されている。
 以下のロッシのテクストに、端的にそのポエティックな側面が表出しているといえるのではないか。

「都市そのものは民衆の集合記憶である」

「人間の記憶は都市の意識である」


 古代アテネでも、都市はなによりもまず人々にとって「精神的な場」であったとロッシはみなしている。
 20世紀は、それまでの建築を「記憶」という概念で再構成する建築理論家たちが出現した。フォーティーはその中でも、特筆すべき存在としてアルド・ロッシ、O・M・ウンガース、コーリン・ロウ、アンソニー・ヴィドラー、クリスティーヌ・ボイヤーらを挙げている。


【 fatti urbani(都市的創成物)について】


 都市構造の強固な一部として複数の機能を果たしながら、そうした機能とはほとんど無関係な形態によって強い印象を与える、《パラッツォ・デッラ・ラジョーネ》のような建築群のことである。この建物では、アドルフ・ロースの『装飾と犯罪』での定式(機能性重視による装飾性の排除)の倒置が起きており、「形態の存在感は機能構成の問題より上位である」(ロッシ)とされる。

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《フォルム・ロマヌム》

 都市的創生物の原型は、古代ローマの《フォルム・ロマヌム》である。この墓地は紀元前八世紀頃のラテン人たちにとっての葬送の場であり、ここにローマ帝国の都市が建築されていった。ローマ帝国終焉後も、「出会いの場」として多くの人に愛され、現代のパリに近い、人びとの夢が結晶化する都市の一つであったという。ロッシは《フォルム・ロマヌム》のこうした性格について、「ローマ(全体)を要約していると同時にローマの一部(部分)」と表現している。この「部分」が「全体」と等式で結ばれる図式こそが、「都市的創成物」の基本的な輪郭である。そこはローマの歴史的な地層を持つ場であり、集合的な記憶の場である。「部分」であると同時に「全体」を要約する――これをテクストの次元に還元すると、《フォルム・ロマヌム》はローマ史の文脈における「梗概」の機能を果たしているということである。
 パリにもまた人びとの多くの夢が集まるといわれるが、実は彼らは都市というよりも、正確には「都市が作り出すイメージ」の中に生活していると考えられる。都市の「伝記」という観点で書を残した人物として、『都市の詩学』で卓越したロッシ論を展開している東大大学院教授の田中純氏は、ロッシ以外にベンヤミン、コールハースを挙げている。特にロッシの「都市的創生物」の概念はベンヤミンの『パサージュ論』における19世紀パリのパサージュと相関しているようだ。また、W.G.ゼーバルトの『アウステルリッツ』は、「都市的創生物」をテーマにした都市の伝記の物語であり、「都市小説」というジャンルに含まれ、やはりロッシらの系譜に属している。また、都市的創成物とは膨大な集団的記憶の蓄積の「索引」であり、かつそれが何であるとは明言できない「何か」の到来を告げる「徴候」でもあったのではないか、と田中氏は解釈している。

「情動喚起的な記憶が重ね合わされた類型の数々は、自伝的な記憶の深みに沈み込むことで見出された、<メタ世界>のパラタクシックな索引=徴候ではなかったか。類推とは、不安な予感と憂鬱な余韻が混じり合う中で、過去の集積に<索引>としての<徴候>を読み取る営みだったのではないだろうか。<類推的都市>とは、ひとつの<メタ世界>ではないか」(*3)


 田中氏はロッシの建築論を分析する操作子として、中井久夫の術語を適用している。これは「都市の徴候学」と呼ばれ、精神分析学的な視座に立った分析方法であり、「予感」、「余韻」、「徴候」、「索引」など、幾つか本書でも簡略的に説明されている。その中でも特筆されているのが、「都市の徴候学」という表現にあるように、中井氏の「徴候」概念である。
 ロッシは『都市の建築』の中で、啓蒙主義時代の理論としてミリツィアの「要素還元主義」を参照している。ミリツィアにとって、「全体」と「部分」は有機的な一体を形成している――「美しい都市とは、良い建築のことである」。同様に、ロッシは都市の中のあるモニュメント(部分)が、都市(全体)の本性を開示すると考えていた。また、地理学者ジョルジュ・シャボの理論を受けて、ロッシは以下のように述べている。

「…都市は一個の総合体であって、それは自らの力で自らを創りあげ、またその中ではあらゆる要素が〈都市の心〉の形成に競い合っているのである。私はこれは都市研究における最も重要な到達点のひとつであると考えている。その地点は、都市的創成物の構造を具体的に見極めようとするとき、是非とも考慮しなければならないところなのだ」(*4)


 ここで重要なのは、我々には都市の「全域」はけして可視化されないという前提であり、だからこそ「部分」に「全体」の性質の一端が開示されるという考え方である。より原理的に述べると、都市の各要素は全体を表現するための重要なフラグメントである。これはフッサールが『論理学研究』でも考察したテーマである「全体と部分」という哲学史に古くから存在する問題と明らかに接点を持っている。ロッシは、原理的には都市的創成物が「都市」全体の集団的な記憶の場であると考えていた。これはある寺院とか、ある有名なビルがそれを含む都市全てを「代理」しているという意味ではない。この点がよく判るテクストは以下だ。そして同時に、以下のテクストは素朴機能主義批判の核心にもなっている。

「都市は本来的に単一の基本理念に還元できるようなものではない。このことは現代の大都会はもとより都市そのものの概念についても言えるところであって、その都市は沢山の部分や区域、地区などその性格が形態的にも社会的にも非常に異なり、個別化したものたちの総和なのである」(*5)


 ロッシがあえて「都市の心」という曖昧な表現を用いている点がポイントである。これはむしろ田中氏が述べていたように、「詩的」な理論でもあり、あるモニュメントが共通してそこで暮らす人々の歴史意識に刻み込まれているとき、そこは「都市」そのものの「心」であるとみなされているという意味である。ロッシが「都市的創成物は〈出来事〉と、その〈徴〉において始まった」と述べるとき、参照されているのはユゴーがモニュメントについて語った「社会的な地層」という表現である。換言すれば、ハイデッガーが「建てる」ことの本質を「住む」ことに見出したように、ロッシは「都市」の本質を「時間イメージ」に見出すのである。

「都市の形態は常に都市の時間の形態である。そして都市の形態の中には沢山の時間が存在する。一人の人間の生涯のあいだにも都市はそれを取り巻くものの相貌を変え、印象は同じではない。ボードレールは次のように書いている。“昔のパリは今は無し(街の姿は、嗚呼、人の心より速やかに変わりゆく”――我々の幼年時代の家は不思議なほど古びて見える。そして都市の変貌はしばしば我々の記憶をも消し去ったのだ」(*6)


 このテクストは特に印象的で、都市的創成物についてのエッセンスが結晶化しているような気がする。私たちが今暮らし、その断片を見て利用しているこの都市は、今後も発展していく都市が持つ「時間系列全体の部分」に他ならない。すなわち、都市は「時間」の内に存在する巨大な集団的「場」なのだ。コンビニエンスストアのように、たびたび取り壊されるような建物は明らかに機能主義的に建てられているといえるだろう。しかし、同じ都市の中には何百年も前から存在する神社があったり、樹齢千年を越える銀杏のある広い公園があったりする。これらは我々が生まれる何世代も前から、いわば「都市」を見つめてきたものであり、ロッシはそこにいわば古代都市における「ゲニウス・ロキ(地霊)」的なものの表象=代理としての「都市的創成物」を見出しているのだ。それは歴史的な地層を持っており、過去―現在―未来に属する都市の住民たちにとっての共通財産であり、かつ、集合的記憶なのである。
 ロッシはこのような文脈から、「都市史」(ベンヤミン、コールハース、ゼーバルトらに連なる〈都市伝〉を指す)の重要性を以下のように述べている。

「建物の中には、都市形成における基本的な出来事を体現し、かつ生き続け、時代の中でその当初の機能を変え、あるいは否定しつつ遂には都市の一部となってしまい、建築という観点よりはもっぱら都市の観点から眺めるべきであるようなものがある。また建物の中には、新しい形成の兆しとなるような、都市史の新しい時代の徴となるようなものがある。そうしたものはとりわけ革命の時期と深く結びつき、都市史の中の決定的事件を結び付いている」(*7)


 このテクストから理解できるのは、都市的創成物が「都市史の新しい時代の徴となる」ような性質を持ち、何らかの歴史的事件と相関しているということである。例えば広島における「原爆ドーム」は太平洋戦争の悲愴な記憶を刻印している、広島市という一都市というよりも日本全体にとっての重要な「平和」のシンボル――すなわち「モニュメント」である。都市的創成物には、特にその都市の「集合的イメージ」を生み出す「モニュメント」としての性格が極めて強い。ここで明らかになってくるのは、都市的創成物の概念を基盤から支えているのは「集団心理学」であるということであり、これはロッシも自著で認めている。
 都市的創成物は、建築として成り立った初めからその意味を持っていたのではない。ある建築物が歴史的な事件を通過し、その記憶を「記念」した者として後世から意味賦与されて初めて、建築は都市的創成物へと成長するのである。はじめは貴族の館であったものが、今では歴史的な建築遺産となって、その都市を代表する都市的創成物にまで成長した例も存在する。つまり、ロッシがなによりも重視しているのは建築物の「機能」とか「合理性」とか「立地条件」というよりも、むしろその建物への「イメージ」である。そして彼の概念は個人的なイメージというよりも集団的なものである点で、「全体」と「部分」の関係性からいえば明らかに「全体」に傾いている。だが、そもそも「全体」とは「部分」の集積であり、ある都市の行政官がある建物を都市的創成物とみなしてモニュメンタルなイベントを起こしたとしても、その建物について全く異なる別のイメージを持っている住人などいくらでも存在するだろう。だとすれば、「全体」というロッシの表現には一種の「文化貴族」によってイメージが直線的に固定化されてしまった「意味賦与の権力」を嗅ぎ取ることもまた可能となる。「集合的記憶」とは、そもそも存在するのだろうか?

「都市は――その大いなる広がりと美しさを備えた都市は――数知れぬ様々な形成の契機から生まれた創成物である。これらの契機の統合ということこそ都市をその複合的な状態において統合することなのであって、都市を連続的に解読するための可能性は、その形態や際立った空間の特質の中に潜んでいるのである」(*8)


 ここでもロッシのテクストでは「統合」という訳語が印象的である。なぜ、統合されるのだろうか? それは統合している人間が存在しているからに他ならない。これは個別的なイメージ喚起力の意図的な「フレーム化」であり、我々はロッシのテクストに登場するこのような「集合記憶」とか、「統合」といった用語に慎重にならねばならない。
 シューマッハーによれば、「都市は多くの部品からなり、各部品は独自の性格を備えている」という。これを換言すれば、以下のようになるだろう。すなわち、都市の一部分がその都市の中で別の「もう一つの都市」を形成している、と。特にロッシはアメリカの諸都市を「部品からなる都市」と表現している。ケヴィン・リンチもこの点では一致しており、ボストン、ニューヨークには独立した各「ゾーン」が存在しているという。
「ゾーン」とは一体何であろうか? ラインハルト・バウマイスターは都市の機能主義的位置付けに依存しない、そこだけ特殊化し自立した区域を「特化したゾーン」と呼称している。ゾーンを知る上で重要な前提になるのは、1870年代にバウマイスターが考案し、その後1923年にバージェスが提唱した「ゾーニング理論」である。この理論によると、都市は社会空間において同心円状に構成されており、中心街から周縁に近付くにつれて社会階層が低下していく現象が確認される。都心には行政地区、業務・商業センターなどが密集し、周縁には非定住の人々が暮らしている。バージェスはこの同心円モデルを考案する上でシカゴの都市空間を研究対象としたが、無論この原理は世界中のどの都市にもあまねく適用されるわけではない。ただし、ホイトが述べるように「交通軸」に沿って都市が成長するものである以上、あるいは主要都市機能は互いに近接している方が利便性に富む以上、やはり都市には「中心」と「周縁」が存在するというのは一般的規則であると考えられる。――ロッシはこうした理論をふまえて、都市には第三次産業のネットワークを構成する「センター」と、その都市の歴史的地層を持つ「モニュメント」、そして先述した「ゾーン」の三つを「都市の根本的要素」として規定している。
 再びロッシの都市論についての批判的思考に戻ると、「ゾーン」とは何かを考察することがおそらく彼の「集合」、「全体」、「統合」などといった権力的なキーワードを解体する鍵である。ここで我々が想起したいのは、ロッシも引用しているMIT教授ケヴィン・リンチの遺著『廃棄の文化誌』で、アナイス・ニンからインスピレーションを受けた以下の印象的なテクストである。

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ケヴィン・リンチ

Anaïs Nin
アナイス・ニン

「放棄された場所では、人間の直接的な目的から解放されると、今までよりも自由な行動や自由な精神の再構築が許容される。ニンの話の中で、主人公は子供の頃、両親から遊びに行ってはいけないと厳しくいわれていた。“都市の下にあるもうひとつの都市”のような、放棄され、途中までトンネルが掘られた、地下鉄の中で遊んだ時の感激を覚えている。子供たちはマットや蝋燭を持ち込み、そこで日常よりも強烈な秘密の生活を送った。そこはドキドキする危険な場所であった。地上の世界から忘れ去られる危険を冒していたのである。…廃棄された多くの場所にも、廃墟と同じように、様々な魅力がある。管理から解放され、行動や空想を求める自由な戯れや、様々な豊かな感動がある。子供たちは空き地や雑木林や裏通りや使われていない丘陵の斜面に魅惑される」


「捨てられたもの」、「誰もいない空き地」――デニス・ウッドはこうした「周縁にあり他者に迷惑のかからない行為に耽溺できる場所」を「影の空間」と呼称する。これと極めてよく似たノスタルジックな観念は、実は現代日本を代表する建築家の一人である青木淳の名著『原っぱと遊園地』でも展開されている。

「…原っぱが、子供たちにとって、日常的な絶好の遊び場だったことは、とても意義深いことだ。子供たちは、本能的に、原っぱを好んだ。それは、野球をしに行く場所ではなかった。…なにかの目的をもって行く場所ではなく、ともかくそこへ行って、それから何をして遊ぶかを決められる特別な場所だった。原っぱはそのままで楽しいのではない。そこでは、毎日のように新しい遊び方が開発されていた。風邪を引いて、二、三日行けなかったりすると、もうみんなが遊んでいるルールがわからなくなってしまった。子供たちは、いくらでも、原っぱを使った新しい遊びをそこから引き出すことができた。原っぱの楽しみは、その場所での遊びかたを発明する楽しみであり、そこで今日何が起きることになるのかが、あらかじめ判らないことの楽しみだった。それが、人間の空間に対する関わり方の自由ということの意味だ。この自由は、別の意味で同じくらい楽しかった遊園地と対極にある。遊園地は演出されている。どういう楽しさを子供が得られるか、それが最初に決められ、そこから逆算してつくられている。それもまたとても楽しいことに違いないけれど、そこには関わり方の自由が極めて少ない。ジェットコースターには、ジェットコースターとしての遊び方以外が許されていない」


 ここで重要なことは、ロッシのいう「都市的創成物」の根拠である「集団心理学」から導出されている「集合記憶」の概念に対して、リンチや青木が展開しているのが「個人的記憶」による空間の“聖別”に他ならないという点である。青木は更に前掲書で以下のように「空間の質」を規定している。

「…ぼくがまずは必要だと考えたのは、空間から目的を剥ぎ取ることであった。博物館から<博物館であること>を、劇場から<劇場であること>を、小学校から<小学校であること>を、まずは差し引こう、と考えたのである。例えば小学校を設計する。しかしそれが<小学校であること>をその出発点から葬り去る」

 
 リンチ、青木に見出せるこれらの視座は、共に「都市的創成物」という大掛かりな装置を必要としていない。むしろそれらは「近所にある秘密基地」とか、「森の隠れ家」、「路地裏」、「ひっそりした廃墟」、「空き地」など、都市の〈空隙〉とも呼ぶべきスペースを重視した思考なのである。ロッシのいう「都市的創成物」はモニュメンタルな集合記憶的な建物を前提にする限り、必然的に「記念物」という「意味」を恣意的に賦与することになる。これによって、そこが都市全体の記憶を集約した場所であるかのうようなイリュージョンが働く。しかし、実は都市の個別具体的な住民たちにとって本当に「居場所」となっていたのは、むしろ少年少女時代に遊んだ懐かしい「原―空間」だといえるのではないだろうか。そこには都市史としての歴史的地層は存在していないかもしれないが、少なくとも個人史の地層を持っている。大人になれば、その懐かしい場所は「イメージの土地」へと成長する。この心理的プロセス自体はロッシの「集合記憶」による「都市的創成物」の生成と原理的に同一である。そうである限り、我々は彼の「全体」ではなく、むしろ「部分」にこそ今日的な重要性を見出すことができるのではないだろうか。

レオン・スピリアールト《ムーンライトビーチ》
レオン・スピリアールト《ムーンライトビーチ》

海岸の湾曲
レオン・スピリアールト《海岸の湾曲》

「都市的創成物の特性の中には何かしら、たんなる比喩を越えて、その創成物自体をたんなる芸術作品と極めて似通ったものとなさしめるようなものがあることを認めざるを得ない」(*9)


 ロッシが引用しているストロースによれば、都市とは「自然的客体と文化的主体の中間」である。また、モーリス・アルブヴァクスによれば、都市の典型的な特質とはまず第一にその「想像力」、「集団的記憶」にこそあるという。ロッシのいう「都市的創成物」が孕む概念には、「記憶」、「場」、「個別性」、「意匠」、「機能」がある。
 ロッシはマルセル・ポエートの「持続性」の理論を参照して、「街路」の持つ歴史性を重視していた。ポエートによれば、「街路」こそ都市を知るための一つの基本公式であり、その歴史は「集団的有機体の生命」と表現されている。


【素朴機能主義批判】


 機能主義は近代建築を貫いている理念であり、ロッシによればもとは生理学における「形態=器官」に由来しているという。すなわち、最も合理的な形態はその機能を最適化したものであるというモデルは何よりもまず生体の「器官」にこそ帰せられるとされる。都市を全て機能主義的に解釈してしまうことで、ある建物をひとつの「機能」に単純に結び付けてしまい、「いかに合理的に使用されるべきか」という経済的属性に全てを還元してしまう弊害が生まれる。こうした傾向は特にロース、グロピウス、ライトなどに顕著に見出される。そしてロッシは、こうした素朴機能主義が現代建築の進展を疎外しているとみなした。
 例えば「住宅」ひとつとっても、そこには以下のような三つの実相が存在する。

(1)目的的与件
(2)土地所有構造と経済的データの影響
(3)歴史的=社会的影響



 素朴機能主義はこれら三つの実相のうち、とりわけ(3)歴史的影響を低く評価する点が反省のポイントとなる。歴史は深く都市と関わり合っており、単なる「機能性」だけでその総体を位置づけることなどできないのである。ロッシは今度は(3)のうち、住居とその社会的背景を以下のように類型化している。(資本主義=Capitalism、社会主義=Socialismの頭文字を取る)

(1)C外的住居――つまり所有者が収益をあげる目的抜きで造ったもの。
(2)C的住居――都市的な不動産収益事業の一形態で、賃貸目的で造られ、全てが収益性を優先して計画されているもの。こうした住居は富裕階層用、貧困階層用のどちらにも充てられる。しかし富裕層の場合には、要求の肥大化が進むために社会変化に伴って住居の地位低下が急速に生起する。こうした社会変化が一戸建ての住居に及ぶと、さびれた、つまり価値低下した一画が出来上がり、それが現代のC的都市の典型的な問題の一つとなるのである。そのような事柄が特に研究対象になっているのはアメリカであり、イタリアよりも顕著である。
(3)疑似C的住居――一フロアだけを一世帯に賃貸するもの。
(4)S的住居――私有の土地が存在しない社会主義国家や、民主化が進んだ国家などに見出せるという。ロッシの当時の研究によれば、第一世界大戦後のウィーン市当局が建設した住居群もこれに相当するという。


 都市の要素の社会的背景のパターンだけでもこのように複数存在している。都市は歴史的な厚み、地層を持っており、また国家間の各社会体制によって実質的な社会的意味も異なっている。同じ形態の建物でも、国家によって「意味」が異なるのである。したがって、機能主義のように建物を全て「機能性」にのみ結び付けて捉えてしまうことは、「歴史的背景」、「社会学的背景」を捨象してしまう危険性を帯びているというわけである。
 素朴機能主義が、建物の合理性を追求するためのモデルとして「生体器官」を参照していたという点についてロッシは言及していた。これによって20世紀に生み出された言葉が、「機能主義」と共に「有機的建築」である。しかし、ロッシはこの概念に対してその皮相さを指摘し、都市的創成物によってこそ都市の原理は解明されると述べている。
 都市的創成物についての概念を強力に押し出していること自体が、既にロッシの機能主義批判の骨格となっている。新しい建築は常に「時代状況」とリンクして出現するのであり、そうである限り、都市そのものの成長、歴史と不可分離的なのである。あらゆる建物には建てられている工事現場のプロセスから既に「歴史」を持っており、「形態/機能」のような単純な二文法で割り振りしてしまうことはできない。全ての建築物は常に「都市」という大きな文脈の中で把捉されるべきものであり、この「全体」の歴史的なコンテキストから切断してしまうことは素朴機能主義への退化なのである。


【トリカールの社会地理学】


 トリカールは都市を読解する上で基盤となるのはまず「社会的内容」にあると考えた。地理的要素よりもまず先行するのは社会学的な人文地理学であり、彼はこの方法論のために以下のような三つの位相を設定した。

(a)「街路」の規模段階――それを取り巻く建造物群や空き地までも含む。
(b)「区域」の規模段階――幾つかの地区の集合で、共通した性格を有するものからなる。
(c)「都市全域」の規模段階――区域群の集合を指す。



 ラトクリフによれば、都市的機構はその規模に関わり無く同じ自然的法則や社会的法則に従うとされる。


【都市小説における「イメージ」】


 例えば、ある青年Xは休日によく同じバーへ向かう。その店へ到達するまでに彼は駅前を通過し、様々なビルの群れを越える。普段Xは都心の建築会社で勤務している。彼にとって「都市」は、彼の暮らす「生活世界」から構成されている。無論、彼が暮らす都市の中で、まだ訪れたことのない場所も同じ都市の一部であるが、Xには馴染みのルートが存在するわけであり、それが必然的に彼にとっての「都市の記憶」を組成するだろう。同様に、別の青年YはXと同じ都市で暮らしているが、彼は休日になると図書館へ行ったり川縁の道をサイクリングしたりして過ごしている。Yは若くして作家になり、基本的に地元の馴染みのカフェで執筆したりして過ごしている。ここで重要なのは、XとYが「同じ都市」で暮らしていながら、「別の光景」に馴染んでいるという点であり、これが彼らの「都市のイメージ」の差異である。
 アルド・ロッシは、都市の「伝記」とは、そこで暮らす部分、断片的存在である個別具体的な人々の「自伝」の集積であると考えていた。つまり、ある一人の人間のプライベートな「日記」には、その都市の本質の一端が開示されているのである。換言すれば、住民たちの「伝記」(部分)は、よりマクロな単位としての「都市」(全体)のフラグメントなのだ。ロラン・バルトの意味深長なテクスト、「都市の中を彷徨う者は…(略)…ある種の〈読者〉である」とは、住民一人一人に、それぞれの都市への「レクチュール」が存在するということである。すなわち、同一の都市であっても読者の読みは無限に存在するのだ。こうした考えの基礎にある概念として、エイドリアン・フォーティーは『言葉と建築』の中で英語の「drift――都市の中を動く者が主観的に都市の各部分を再構成すること」を挙げている。都市の記号論的な編成というテーマにとって、やはりこの概念は基礎になっているといえるだろう。

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W・G・ゼーバルト『アウステルリッツ』(表紙)

 ここで、driftの概念を感じさせる20世紀の都市小説として田中純氏も挙げているW・G・ゼーバルトの代表作『アウステルリッツ』について言及しておきたい。私は鈴木仁子氏のゼーバルトの幾つかの翻訳に二十歳くらいの頃に出会って以来、このノーベル賞候補にも挙りながら不運な死を遂げたドイツ語作家に関心を抱き続けてきた。『土星の環』、『移民たち』、『目眩まし』などの独特なナラティブの構造には明らかに他の作家とは異質な特性を感じるし、何よりも一貫した強力な「概念」によって物語が構成されているような気配をも感じていた。建築論についてほぼ無知な当時の私にはゼーバルトの奥深さなど到底理解できず、ただ文体の異様な構造、静謐な詩情に惹かれてきたのである――それは雨の日にサティを流すような穏やかでありながら、どこかアンニュイな読書経験であった。
 以下に引用するのは、ゼーバルトの語る「ロンドン」をdriftしたテクストである。これは「集合記憶」によって意味付けされた「都市的創成物」ではなく、むしろゼーバルト自身の個人的な体験の記録なのだ。

「庭で書き物を破り捨て、家を整理していたあの頃は、当時いよいよ私を悩ませつつあった不眠から逃れるべく、ロンドンの街を夜な夜な彷徨い歩くようになった時でもありました。ゆうに一年は続いたと思いますが、とアウステルリッツは語った。夕闇が降り始めると家を出て、ひたすら遠くへ遠くへと歩くのです、マイル・エンド、ボウ・ロードから、ストラットフォードを越えチグウェルやロムフォードまで、あるいはベスナル・グリーンを突っ切ってキャノンベリーからホロウェー、さらにケンティッシュ・タウン、ハムステッド・ヒースまで、南は河を越えてペッカムやダリッジ、西はリッチモンド公園にまで足を伸ばしました。本当にただ一晩のうちに、この巨大な都市のほぼ端から端までを徒歩で行けてしまうのですよ、とアウステルリッツは語った。そして夜半にふらつく輩にたまさかしか出会わない、この孤独な夜歩きにいったん慣れてしまうと、グリニッジやベイズウォーターやケンジントンの無数の家々に籠ったロンドン市民が、老いも若きも、太古よりの約定に従っているつもりでおのがじし床につき、毛布にくるまり、安全な屋根の下にいると信じているそのことが――実のところは砂漠行の途上で束の間の休息をとった古の旅人と変わらぬ恐怖に突っ伏しているに過ぎないのに――じきに不思議でたまらなくなってくるのでした。私は普段ならけして訪れないような果ての地区、巨大都市のはずれにまで足を伸ばし、そして夜明けと共に地下鉄に乗って、そして時間帯に周縁から中心へと流れ込む哀れな人々と共にホワイトチャペルに戻ったのです」(*10)



W・G・ゼーバルト
W・G・ゼーバルト

 ゼーバルトの文体は、このように無数の「地名」がテクストを「地図帳」のように埋め尽くす点でも特異である。そして何より、テクストに添えられている「モノクロ写真」も、テクストを補う効果的な余白として活かされている。モノクロ写真を小説に有機的に取り込む手法は安部公房の実験的な作品『箱男』や、他でもない我々のアルド・ロッシの『自伝』にも見受けられる。私はロッシの『自伝』を読んでいて、ゼーバルトもまたこの本のナラティブの特異性に引き寄せられていたのではないか、という感慨を覚えたのだった。

「そんなとき、駅で何度となく経験したのが、タイル張りの通路をこちらに向かってくる顔、急傾斜のエスカレーターをこちらに下って来る顔、あるいは動き始めた電車の曇りガラスの向こうに垣間見える顔の中に、私がずっと昔から見知っていた面立ちを見つけた気のすることでした。それらの知った顔のなかに、私がずっと昔から見知っていた面立ちを見つけたと言えばよいのか、そんな感じがあって、それが私に一日中つきまとって心を乱しました。確かに当時、とりわけ夜歩きからの帰途には、一種靄がヴェールのようなものを透かして、いわば物質性の希薄になったものの色や形、朧になり消え去った世界の像が見えてくるようになったのです」(*10)


 ここで描写されているのは、ベンヤミンも行っていた都市の「遊歩者」としての観察行為のはずである。しかし、奇妙にもアウステルリッツは「朧になり消え去った世界の像が見えてくるようになった」と、いわば「幻想性」に足を踏み込み始めている。彼は更に以下のように続けている。

「それは夕陽に煌めくテムズ河口から翳さす海原に出帆する一群の帆船であったり、スピタルフィールズを疾駆する馬車とシルクハットを頭に乗せた御者であったり、私とすれ違いざまにすっと眼を伏せていった、三十年代の服装に身を包んだ婦人であったりしました。そのような幻覚が生じたのは、これ以上はもうだめだという境涯にあった、真実弱り切った頃でした」(*10)


 現在の都市の風景に過去の風景が重なって見えること――これは「視覚」のパリンプセストであり、いうまでもなくイリュージョンである。ゼーバルトは『土星の環』で、おそらく高く評価していた幻想作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスやサー・トマス・ブラウンについて言及しているが、『アウステルリッツ』の主人公には「都市の幻視者」という側面もあることを忘れるべきではない。これはロッシが都市の性質として重視していた「イメージ」の個別的なひとつの展開である。ここに描かれているのは、単なる都市の遊歩者の孤独な散策に過ぎないのであろうか? 明らかにそうではない。実は、フォーティ―が提起していたdriftの概念から判るように、これは「夜のロンドン」そのものでもあるのだ。アウステルリッツというロンドンを歩き回る孤独者が実際に歩行によって体験し、かつそこから「幻想性」を膨らましてイメージしているロンドンは、いわば現実のロンドンに重なる二重化された「架空都市」でもある。そこでは一昔前の服装に身を包んだ人々が徘徊していたり、ありもしない物体や建物がふっと湧出する。換言すれば、都市を生きる主体はこのように現実の物理的空間としての「都市」に、「イメージの都市」を重ねているのである。ある人間にとってとりとめもない片隅が、もしかすると昨夜プラットホームで擦れ違った人間には掛け替えの無い「聖域」である可能性も存在する。ひとつの都市に住むということは、それぞれの人が独自に形成していく「個人史としての都市伝」を尊重するということでもあるのだろう。
 また、たとえ「都市小説」というスタイルを意識していなくとも、あらゆる物語は往々にして「都市」を背景にした物語を展開する。例えば私が未だに時々開いているサルトルの『嘔吐』には、サルトル自身の緒言として冒頭に以下のようなテクストが添えられている。

「当時、アントワーヌ・ロカンタンは中央ヨーロッパ、北アフリカ、極東方面を旅行したのち、ド・ロルボン侯爵に関する史的研究を完成するため、ブーヴィルに三年前から滞在していた」(*11)


 ブーヴィルはどこにあるのだろうか? 実は、これはサルトルが作り出した「架空の都市」なのである。だとすると、ロッシの「自伝」、「都市伝」についての田中純氏の考察を踏まえてそこから発展的に考えると、『嘔吐』は実はブーヴィルに暮らす一人の人間の記録――すなわち「都市伝」の一部になるということにはならないであろうか。本作の主人公は実はロカンタンではなく、ブーヴィルという「都市」そのものであり、これは我々が暮らす都市の異名でもあったのではないだろうか……?

 

「註」


*1――エイドリアン・フォーティー『言葉と建築』p323
*2――同書、p324
*3――田中純『都市の詩学』p45
*4――アルド・ロッシ『都市の建築』p52
*5――同書p76
*6――同書p65
*7――同書p184
*8――同書p76
*9――同書p24
*10――W・G・ゼーバルト『アウステルリッツ』p124
*11――J-P・サルトル『嘔吐』p4


「参考文献」



都市の建築都市の建築
(1991/12)
アルド・ロッシ、ダニエーレ・ヴィターレ 他

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~ Comment ~

こんにちは。サルトルファンです!!宜しくお願いを致します!!RRS登録しました!!またおじゃまさせて頂きます!
[2012/11/17 04:39]  RALLY NEW WAVE  URL  [ 編集 ]

ゼーバルトって読んだことないけど、こんど読んでみよう。
スピタルフィールズのあたりの幻想は、ジャック・ロンドンのどん底の人々のイメージを持ってきてるのかな。
[2013/09/21 00:24]  こむこむ  URL  [ 編集 ]

Re: タイトルなし

こむこむ様

コメントに気付くのが遅れて申し訳ございませんでした。
ゼーバルト文学は都市小説という読みも可能な秀逸な世界です*
[2013/10/20 12:27]  TOMOHISA  URL  [ 編集 ]















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