† 建築学 †

都市空間のメランコリアーー現代ヨーロッパを代表する建築理論家アンソニー・ヴィドラーの代表作『歪んだ建築空間』の世界

ニューヨークのオフィス
エドワード・ホッパー《ニューヨークのオフィス 》

 現代は空間の消滅の時代である。あるいは、画像化された空間イメージが世界を覆い尽くす時代である。1970年以降、建築学は空間概念において文学や地理学、Webなどの異領域を参照するようになった。現代を代表する建築理論家として国際的な評価を得ているアンソニー・ヴィドラーは今日的な意味でラディカルな「空間」概念を少なくとも六つ提示している。

(1)歪んだ空間

(2)空虚な空間

(3)反―空間

(4)遊牧空間

(5)空間を食べる

(6)電脳空間


「空間」概念は、ソーシャルメディアの発展ともリンクする現代思想にとって極めて重要な奥深いテーマの一つである。近代までの空間概念が、テクノロジーの飛躍的な発展に伴って人間の認知構造そのものが変化したことを受けて根本的に変わりつつあるとヴィドラーは考えている。
 特に(5)の「space-eating(空間を食べる)」という奇妙な表現について、最初に若干述べておきたい。ヴィドラーはこの概念をダニエル・リベスキンドの《ユダヤ博物館》において見出している。リベスキンドについてはこのページでまた後述するが、ヴィドラーはこの建物にハイデガーのいう「不気味さ」の空間的な実現を見ている。この他、ゲーリーの《グッゲンハイム美術館》、ピーター・アイゼンマンの《ホロコースト記念碑》案、リチャード・ロジャースの《サウス・バンク》計画案なども「空間を食べる」テーマと密接に関与すると解釈されている。
 これらの近代的空間に代わる新しい「ポスト空間」について、このページではヴィドラーの卓越した論稿をまとめつつ考察していきたい。ヴィドラーは本書で、特に(1)、(2)について深く掘り下げて分析している。

【歪んだ空間・空虚な空間】

街路の神秘と憂鬱
ジョルジョ・デ・キリコ《街路の神秘と憂鬱》

「歪んだ空間」について考える上で、まず1871年にドイツの生理学者ヴェストファルが命名したagoraphobia(アゴラフォビア:広場恐怖症)の概念を抑えておく必要がある。この最初の症例はプレーズ・パスカルであり、彼は以下のような恐怖症を患っていたとされる。ある日、パスカルが馬車に乗っていると、何かの拍子で馬車馬が暴走して断崖に引き摺り落されそうになった。結果的には九死に一生を得たパスカルだが、以後は部屋の足下などに突然「断崖」のイメージが広がるという恐怖に憑かれるようになったという。この恐ろしい体験は信仰から遠ざかっていたパスカルに回心の機会を与え、四年後には「虚空の幾何学的認識」について熱心に考察し始める。ヴィドラーはここで、パスカルの空間恐怖が「虚空」への分析へ向かうというプロセスに重要性を見出している。
 アゴラフォビアは、具体的にいえばtopophobia(トポフォビア:場所恐怖)の一種であり、他にstreetphobia(ストリートフォビア:街路恐怖)なども存在する。パスカルの場合は、室内などでも段差になっていたりするとそこに「断崖」が出現していたようだ。アゴラフォビアに見られるこうした空間恐怖症は、実は19世紀末期から多くの都市がメトロポリス化したことと相関している。都市が拡大し大規模化することで、人々は多様なストレスを感じるようになった。特に多くの人々が擦れ違う雑踏、朝のラッシュのような光景、そしてオープンスペース――こうした空間に対する不安も広がっていく。「歪んだ空間」を考える上で、近代都市におけるこうした「都市病理」の構造的背景が浮き彫りになってくる。
 都市空間の病理には幾つかパターンが存在する。

(a)広場恐怖症
(b)閉所恐怖症
(c)放浪癖
(d)病的徘徊



 これら四つは広義において全てトポフォビアの様々な様態である。実はこれらの空間恐怖は社会階層とも相関しており、統計学的にブルジョワ階級に多いのが(a)、(b)である。他方、労働者階級に多く見られるのが(c)、(d)である。ベンヤミンは、こうした空間恐怖に「近代の新しい空間の条件」を見出してすらいる。とりわけアオゴラフォビアは、「がらんとした空虚な場所に対する深刻な不安・不快」として特別に注目されている。ちなみにベンヤミンは『パサージュ論』の資料収集のために好んで都市をスローウォーキングしていたという。カミロ・ジッテも、アゴラフォビアを近代建築による都市計画から固有に出現した現象であると規定していた。

バーバーポール 日曜日の早朝
エドワード・ホッパー《バーバーポール 日曜日の早朝》

 確かに、我々の暮らす都市には歩いていてどこか不安感を煽られるような場所が存在するのも事実である。例えば私は地下鉄のラッシュなどには窮屈さ以上に特に何も感じることはないが、地下街の所狭しと蟄居している雑多な店舗の列には不快感を抱くことがある。ある学者は、都市には必ず「マラリア・ウルバナ(都市の瘴気)」が漂うスペースがあることを告げている。心理学者ウィリアム・ジェイムズは、太古の昔、人類が樹上生活をして木々に囲まれながら生活していた記憶が潜在的にDNAに書き込まれており、だからこそ広場などのオープンスペースに出ると奇妙な不安感を抱くのだと指摘した。こうした習性はなにも人間だけではなく、野生動物にも見られるのだという。
 空間恐怖症の徴候を見せていた人間は、やはりモダニズム小説にも特徴的に描かれている。そうした人物を描いた作家として、ヴィドラーはアイン・ランド、ヴァージニア・ウルフ、マルセル・プルーストの名を挙げている。ランドはその小説の中で、以下のようにドミニク・フランコンという女性の心理について語っている。この描写は空間恐怖症についての核心を衝いている。

「彼女はいつも都会の街路を憎んでいた。彼女は自分を追い越して行く顔、顔、顔を眺めた。その顔は怖れで同じように見えた。怖れは共通分母だった。自分自身の怖れだった。全員の、お互いに対する怖れだった。その怖れは、彼らが知り合った誰か一人が大事にしているものがあればたちまち襲いかかろうとした。彼女はその怖れがどういう謂れで、どういうものか、とても言えなかった。ただ、彼女は怖れをたえず感じていた。彼女はいつも清潔にして、ひとつのことに夢中にならなかった。何ものにも触れなかったのである」(*1)



夜更けの人々
エドワード・ホッパー《夜更けの人々》

 ウルフの小説では、ロンドンに暮らすミセス・ダロウェイもこうした感覚を共有している人物として描かれている。また、彼女の同じ作品に登場するセプティマスの死はウルフ自身の自殺を予兆していると解釈されてもいる。興味深いのはプルーストのシャルリュス男爵についての以下の描写である。

「(彼は)曲げた首を揺らしながら入って来た。その手は小さな手提鞄をぶらぶらさせるような仕草をしていたが、それは育ちの良いブルジョワ女性によく見かける特徴で、ドイツ人たちが同性愛者と呼んでいる人たちの癖であった。それは広場恐怖症に似たようなもので、その広場とはサロンの女主人公が座っている肘掛け椅子とドアとのあいだのサロン空間であった」(*2)


 近代小説においては、アゴラフォビアに対して敏感なのがとりわけ女性として描かれている点にも留意しておかねばならない。こうした症例は特に女性において特有であると解釈されていたのである。フロイトはアゴラフォビアの原因を、「性的欲求」の不満足として位置づけた。また、それだけでなく内面的な危険が街路において平凡に存在している色々な「物」に「転換」されることで引き起こされていると解釈した。換言すれば、幻想的に主体の過去のイメージが都市空間の現実的視覚に「アマルガメイト(合成)」されるというのである。フロイトの傑出した視座は、パブリックスペースと家とを繋ぐ通路ともいうべき「窓」にこそ、「不安」の現前を見出した点である。名高い「ハンス症例」でも重視されているのは、彼が暮らしている生活環境であり、そこは「駅の高架下」という特異な場であったことが注目される。
 ヴィルヘルム・ヴォーリンガーの研究によれば、トポフォビアの本質は「宇宙を彷徨っている感覚」に近い「本能的恐怖」であると規定されている。また、彼はこのような「恐怖」の感覚は芸術創造における根源的力にも転換すると考えた。
 現在も汲み尽くし得ない魅力を放ち続けているかのヴァールブルクの『蛇儀礼』によれば、インディアンは「世界(宇宙)」を「家」として象徴化しているが、そこには女主人が存在しており、その姿は「大蛇」であるという。ここには宇宙原理を「家」という住居空間に見出す上で、既にして「恐怖」の象徴たる「大蛇」が忍び込んでいるという神話的原型に見られるパターンを垣間みることができる。空間への恐怖症は近代人において顕著になり始めたが、神話的な構造においても同様のものが見受けられるということである。

時の謎
ジョルジョ・デ・キリコ《時の謎》

 モダニズム建築においてとりわけアゴラフォビアが目立ち始めたという点は、近代建築家たちの建築理念に、我々を「不安」へと導くような「何か」が潜在していたのではないかという根本的な疑義の念を沸き起こさせるに十分である。ヴィドラーはこの点を分析する上で、ル・コルビュジエが若い頃にアクロポリスのパルテノン神殿を目の当たりにして、その「優美と恐怖」の同居に思わず絶叫して感嘆したというエピソードを紹介している。近代建築の権化ともいうべきル・コルビュジエがその建築理念において「立方体のボリューム」を重視し、これを建築のタイプ・フォームとした点は磯崎新も既に論稿で述べていた。つまり、近代建築のモデルには間違いなくパルテノン神殿という「廃墟」に対する「崇高」体験が存在しているのである。
 実はル・コルビュジエにも空間恐怖が働いていたというから驚きである。彼は以下のテクスト(1929年の新聞寄稿で題は「街路」)で、「街路」を「不安」の根源的な場として規定している。

「街路は人々で溢れている。人は自分がどこに行くのかに気をつけなくてはならない。ここ数年の間に、街は素早く走る車でいっぱいになっている。道路の縁石から縁石へ渡る間では、一歩ごとに死の危険がわれわれを待っている。だが、われわれはその間で潰されそうになる危険な目に合うのにすっかり慣れてしまった。日曜日、人々がいなくなると、街は恐怖をいっぱいに現す……人間生活のあらゆる側面がいたるところに見られるようになる……欲望と虚飾の海だ。劇場など足下にも及ばないし、小説で読むよりも面白い……街はわれわれを疲れさせる。とどのつまり、われわれは街が嫌らしいものだと認めなければならなくなる」(*3)


 ジンメルはこのような「不安」や「恐怖」を生み出す「都市空間」という場所を社会学的に掘り下げた。彼はestrangement(エストランジメント:疎隔)という概念を提起して、都市・階級・個人間・仕事・自我からの疎隔を研究対象にした。そして、「個性はメトロポリスに太刀打ちできない」と述べている。

パンチボウルと画架のある室内
ヴィルヘルム・ハンマースホイ《パンチボウルと画架のある室内》

 ジンメルに学んだ弟子ジークフリート・クラカウアーもまた、「街路」を近代人に特有な「メランコリア」の場所と規定している。また印象的なことに、クラカウアーは「ホテルのロビー」に「近代推理小説」のパラダイム空間を見出している(ヴィドラーにいたっては、「小説」そのものを「空間」として把捉する)。なぜ、ホテルのロビーなのか? クラカウアーによれば、そこは「モダン生活を〈無名性〉と〈断片性〉によって縮図化した場所」であるという。文学でもヴィスコンティが映画化したトーマス・マンの『ヴェニスに死す』には、ホテルのロビーについて「宗教的静けさの支配」を強調している特異な記述が存在する。確かにホテルのチェックイン時に我々は記入用紙に氏名、連絡先などを記入する。フロントは彼らの顔を識別するが、基本的には画面上で客室や滞在日数などをチェックする。常連でもない限り、フロントが客の顔を記憶することなどない。それは地下鉄の朝のラッシュ(ヴィドラーは「地下鉄」について、「都市の無意識」の象徴的な場であると解釈している)に近い感覚であり、そこでは誰もが「誰でもない人」として空間をただ通過するだけである。ロビーには往々にしてソファーが存在するが、それは常に何かを「待つ」ための場所である。これと相関する空間として、ヴィドラーが述べているのが「渋滞での待ち時間」に他ならない。実は自動車で長い渋滞に巻き込まれる瞬間というのは、我々が「都市空間」の特異な時間性に否応無く巻き込まれている象徴的な出来事でもあるのだ。
 クラカウアーはホテルのロビーという近代都市の象徴的空間について、以下のように述べている。

「個人個人の痕跡はくつろぎの寝がんのなかに滑り落ちてゆく。あの顔もこの顔も新聞紙の影に隠れて見えない。遮られることのない人工照明が照らすのはマネキンたちだけだ。互いにかけあう合言葉も忘れて抜け殻に返信した見知らぬ者同士が行き交っている。彼らは見せびらかし合っているけれど、中国人の影のように感知できない。彼らに内面性があるにしても、そこには窓などあろうはずがない」(*4)


 アイン・ランド女史のテクストも含め、クラカウアーの描写は絵画的にはルネ・マグリットの匿名的紳士たちの群化、デ・キリコ初期の孤独で寂寥たるアゴラのイメージ、あるいはエドワード・ホッパーの奇妙にも閑散として都市の断片、アルド・ロッシの童話化されたひと気の無いドロイーングの数々などと通底するだろう。

【バロック的空間】

 ヴィドラーはベンヤミンの都市論を高く評価しており、彼が近代都市を「モダン・バロック」(あるいは「迷宮」)として把捉していたことに注目している。特にバロックの「宮廷空間」が近代的空間と深く相関していると考えられるばかりか、「宮廷人」は疎外されたモダン・メトロポリスの市民そのものとして解釈されている。この点については、ノルベルト・エリアスの『宮廷社会』が貴重な参照軸になるだろう。実際、エリアスの宮廷社会の概念は、資本主義社会における官僚的企業の特性と一致する点が多いのである。また、ベンヤミンは都市空間におけるdistraction(気晴らし・娯楽)の概念に着目しており、特に「映画館」が市民生活の「習慣」となり、それが大衆的「放心」へ繋がると述べていた。
 今日でもバロックの定義において引用されることが多いヴェルフリンにとって、バロック的空間はambiguous(アンビギュアス:多義的な、不明確な)な特性を持っていると解釈されていた。換言すれば、この空間は「形態の崩壊」を志向している。また、バロックの芸術家の多くが「メランコリア」を病んでいたという言及も見過ごすことはできない。何故なら、近代の参照軸としての17世紀バロックこそが、近代都市空間の「不安」表象のプロトタイプに相当するからである。19世紀後半から始まるモダニズムは、本質的にイタリア・バロックと著しく類似していると解釈することができる。こうしたヴェルフリンの考察は、ベンヤミンのバロック観にも大きな影響を与えた。ベンヤミンもやはり、バロック的空間を「極端さ・過剰さ・醜さ・崇高さ」として規定している、とヴィドラーは解釈する(※1)。
 ここで一度、日本を代表する美学者の一人である谷川渥が『表象の迷宮』のバロック論で展開した、以下の特徴を思い出しておこう。

バロック的テマティスム



・ベルニーニの《聖女テレサの法悦》、《アルベルトーニ》は、「バロックの原光景」とされ、衣服の「襞」は「自己増殖する形象」と把捉される。

・バロックとオペラは等根源的である(ドミニク・フェルナンデス『天使の饗宴』(1984))。双方は共に「苦悩と恍惚、官能の極み」を体現している。また、オペラはそもそも「音楽が見世物に変じたもの」と解釈されている。

・バロックの核心となる概念は、représentation(表象=代理)。

・バロック的メタファーは「襞」。

・「個々の形象を支えるローマ的なもの、カトリック的なものこそが、バロック世界の本質をなす」



「バロック世界の構成要素」



・廃墟

・断片

・官能

・苦痛

・死

・眠り

・大理石

・襞

・光と闇

・記憶

・美



フェルナン・クノップフ《見捨てられた街》
フェルナン・クノップフ《見捨てられた街》

 ヴィドラーはポーの作品やベンヤミンの考察を受けて、「道に迷う」(とくに暗闇の中で)経験こそが、「空間」の本源的な「質」を開示すると考えている。空間の本質を「迷う」経験に見て取るヴィドラーの思考は、オットー・フリードリッヒ・ボルノウの空間論が「霧」や「暗闇」に包まれた空間にまで分析を拡大していたことと相関して、極めて鋭い見解だといえるだろう。実際、夜の古典主義的な迷路園を歩くと、我々は「手探り」で周囲を探らざるを得ない。普段は視覚的にしか認知されていない空間性が、その時初めて、「触感的」なものとなる。すなわち「道に迷う」とは、いわば辺りを確認し、それまで見えていなかった何気ない通路や人の無表情な冷たい顔、迫り来る時間などに顧慮しつつ、「不安」の最中で我々を「空間」そのものへと対峙させるのである。
 近代の空間概念は「不安」や「孤独」などといった心象を不可避的に湧出させるものである。例えば、ヴィドラーも高く評価しているマーサ・ロズラーの80年代のロサンゼルスの空港写真は、明らかに「不安」(それも抑圧の痕跡を濃密に感じさせる)を表象したものである。ロズラーの空港においては、飛行機は『城』の主人がいつまで経っても姿を現さないように、離陸することがない。つまり、飛行機便は無限に延長され続けるのである。その時、空港とはいかなる場所になるのであろうか? このような虚無的な設定そのものが、近代的空間の延長として、現代都市空間がその「不安」を相続していることを示唆するに十分である。ヴィドラーはベンヤミンの「窒息しかけているperspective」という表現をこうした近代的な空間概念に当てはめている。
 1966年の時点で、既にロバート・スミッソンは以下のようなテクストを論文に残している。

「今日の多くの芸術家にとって、〈砂漠〉とは〈未来の都市〉のことである。それはゼロの構造物や表層から成り立っている。この〈都市〉は当たり前の機能をまったく果たさない。ただ、精神と物質の中間に存在しているのだ」(*5)


 確かに、都市は一面として〈砂漠〉的な空間であるといえるだろう。〈砂漠〉には往々にして〈オアシス〉が存在する。ここを我々にとって居心地の良い特定の、幾つかの「居場所」であると規定すると、〈砂漠〉の意味もまた我々の都市イメージに急迫して来るのではないだろうか。

ユダヤ博物館 2
ダニエル・リベスキンド《ユダヤ博物館》

 本書でヴィドラーはダニエル・リベスキンドの《ユダヤ博物館》について言及しているが、それもまたバロック的な空間のテーマと関わるものとして読解することができる。

「リベスキンドの博物館の外観は(その形状といい、あるいはその形態といい、どのような特権的位置からでも理解でき難いという意味で)認識不可能であり、また、その内部空間は(ベンヤミンの言い方によれば、映画だけがどうやら解釈に十分なモンタージュのメカニズムを与えてくれるという意味で)〈写像不可能〉であり、この外部と内部の特徴から、この建築の経験は触覚的モデルであるといってよく、通常の視野の距離を突き返し、視点を崩壊あるいは増殖させることによって、世界におけるパースペクティブの同時的崩壊に連携していると思われる。ここで、リベスンキンドはモダンなものと神秘的なものとを結び付けることになる。それはちょうど、ベンヤミンがカフカの〈楕円〉を参照したのと同じである」(*6)


ユダヤ博物館
ダニエル・リベスキンド《ユダヤ博物館》(階段)

 ヴィドラーはこのような、「視点を崩壊あるいは増殖させる」効果を持つこの《ユダヤ博物館》について、「迷宮の内部」に「出口」があると述べている。この表現はバロック的な「襞」、あるいは「入れ子」のテーマを感じさせる。そしてこの「出口」は、リベスキンドにとって「ヴォイド(虚空)」であり、この虚空こそが彼の空間概念の本質であったと解釈されている。

【建築家フランツ・カフカ】

 ヴィドラーは本書で、ドゥルーズ=ガタリのカフカ論に対する秀逸な読解から、カフカ文学そのものを「都市」の観点から分析している。いわば、カフカを一人の「建築家」として解釈した場合、作品で描かれている空間は何を意味するのか、ということである。建築家フランツ・カフカはその謎に包まれた文学空間の総体において、以下のように二つの国家モデルを展開していた。

(A)「帝国的・専制的権力

代表例『万里の長城』――「無限的で、限界があり、不連続的で、近接し、離れている」

(B)「社会主義的官僚制度(あるいは新しい資本主義)

代表例『審判』――「非限定的で、連続的で、有限で、遠くて、近接している」



(A)を空間モデルにすると、以下のような中世的な「理想都市」の建築案になる。まず、この都市は切れ切れの円弧に周りを囲まれており、中央には螺旋状の塔が屹立している。円弧については、「バベルの塔」の横倒しになった形式であると表現される。この空間モデルは近代アメリカにおけるマンハッタニズムのメタファーになっているだろう。続いて、(B)を空間化すると、Kが勤務していた裁判所の「事務局」になる。この事務局は各フロアが密接しているものの、そこで勤務している職員たちの心理的な距離は無限に遠く離れている。「遠くて、近接している」とは、まさにこのことを言う。また、Kは地理的にいえばこの事務局の反対側の「郊外」に住んでいる。
 このように一人の作家の描く空間が二つに分裂しているという事実そのものが、「近代全体の持つ空間的ディレンマ」であるとヴィドラーは解釈するのである。二つの空間モデルは実は一つの国家の中で共存しているものである。このミックスされた「国家」こそが、『城』である。カフカの描いた「城」の特徴は少なくとも三つ存在する。一つ目は、非常な高さを有すること。二つ目は、オフィス的な階層性/隣接性を有すること。三つ目は、境界は常に可動式であるということ。極めて興味深いことに、ヴィドラーはここで「城」を「オフィス」と、はっきり換言しているのである。いわば、カフカの「城」とは実は資本主義社会における「官僚的企業体制」そのものの空間的アナロジーとして読解することができるのである。その場合、カナダの映画監督ヴィンチェンゾ・ナタリの知られざる名作『カンパニー・マン』のように、「社長」の姿が常に秘匿されているという図式が再現されるわけである。(そしてナタリの物語によれば、社長とは実は記憶喪失の自分自身だったのである)。
 以上から、ヴィドラーはカフカ的建築の特徴について「人物の性格によって形態そのものが変わる」ものとして規定する。例えば、無限に続く廊下や、マーサ・ロズラーの「延発」する空港など――「不安」の表象として空間が生成する場合がこれに相当する。実際、ボルノウも『人間と空間』の中で、デュルクハイムの『生きられている空間に関する研究』の中の以下の重要なテクストを引用している。

「具体的な空間は、それを自分の空間とする存在のそれぞれに応じて、またこの空間の中で実現されているそれぞれの生活に応じて別のものである。この具体的な空間は、その中でふるまっている人間と共に変化し、また程度の差こそあれその時に自己の全体を支配している特定の観点や精神的態度の現状と共に変化する」


 ヴィドラーはカフカ的空間を感じさせる建築家集団として、モーフォシスの「オフィス集合体」を挙げている。





歪んだ建築空間―現代文化と不安の表象歪んだ建築空間―現代文化と不安の表象
(2006/09)
アンソニー ヴィドラー

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ヴィドラーの本書のカバー絵に使用されているのは、ヴァルター・ライマンの《カリガリ博士の部屋》のためのスケッチである。

「註」

*1)p110
*2)p75
*3)p114
*4)p132
*5)p404
*6)p388
※1 ちなみに、ベンヤミンは演劇史のプロセスについて、(1)バロック(2)古典主義(3)ロマン主義を繰り返すと解釈していた。
 
 
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