† 映画 †

トム・フォード『シングルマン』――ヴィスコンティの新しい遺産相続者としての


シングルマン コレクターズ・エディション [DVD]シングルマン コレクターズ・エディション [DVD]
(2011/03/04)
コリン・ファース、ジュリアン・ムーア 他

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 才能のある人間は自分の持っている資本種を別の〈界〉に交換することに長けているようだ。トム・フォード――私も彼のブランドの洋服を何着か持っているが、丈夫で長持ちすることはいうまでもなく、紳士的な威厳を湛えたそのエレガントなスタイルには年を重ねた男性たちからもコアな顧客が多いはずだ。今回、私はトム・フォードが制作したコリン・ファース主演の映画『シングルマン』(2009)を観た。
 舞台は1962年のロサンゼルスである。主人公は大学教授で同性愛者として男性の恋人を持っていた。しかし冒頭から彼の痛ましくも美しい死が描かれ、彼は最愛の人を喪失した心の空隙を満たすことができない。「この一日を生き抜け」――そんな憂鬱な朝を迎える毎日である。偏在する自殺の徴候を持つ彼は、出勤時の鞄には書物とピストルを携帯している。ファッションスタイルはフォーマルで無駄がなく、常に洗練されている。小指にはシュヴァリエール(貴族が左手の小指にする家紋入りの金の指輪)らしきものをはめているので、ロンドンからやって来たという彼はおそらくブルジョワ階級かそれ以上の出自であることが推察される。
 同性愛者特有の繊細な描写は随所に挿入されている。例えば、事務員のきっちりした華やかな若い女性を褒めるエピソード。ここは異性愛の男性の場合、明らかに彼女に好意を寄せて褒めるところだが、彼の場合、そこには女性の外見に対する「嫉妬」を読み取ることができる。それは自分のもう一人の分身であるかのような愛する少年が、平凡な少女と恋愛しているという事実を知って、激しく苦悩し悲嘆したありし日の「痕跡」を我々に想像させる。さり気ない場面に、複雑な心象が醸し出されている。
 この映画のもう一人の美しい主役、それは言うまでもなく、主人公を密かに敬愛する美青年ポッター君(ニコラス・ホルト)だ。彼が控えめに教授と接点を持とうとする繊細な心理は本当に素晴らしい。簡素なバーで主人公がポッター君と親密な深い話をする場面は、観ている私に大きな安らぎと穏やかな感覚を与えるに十分だった。ポッター君は「人間は常に一人で、孤独だと思います」と告げる。しかし、二人はその後、夜の海を裸体で泳ぎ合う。年を隔てて二人の男が「友愛」の絆に結ばれて無邪気に戯れ合う光景――私はここに何か非常に古典主義的で研ぎ澄まされた「美」を見出すのである。思い出そう、かのヴィスコンティ家の血筋を引くルキノの名作『ヴェニスに死す』を、あるいはその原作者であるマンを。彼らに私が作家の中でボルヘスに匹敵するほど敬愛しているマルセル・プルーストも含めれば、ここに一つのファンタン=ラトゥール的な「同性愛的集団肖像画」が描き出されるのではなかろうか。トム・フォード、プルースト、ヴィスコンティ、そしてマン――彼らは時空を隔てて互いに「友愛」の絆で結ばれている。彼らは「少年」であり、女友達と話したり親密になることはあるものの、基本的にギリシア的な恋愛論を信奉している。

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アンリ・ファンタン=ラトゥール《ドラクロワへのオマージュ》

 映画で二人がベッドで愛し合うことはなかった。だが、二人は夜の海で裸で笑いながら戯れ合ったのである。やがてかつての最愛の恋人の姿をした「死」が主人公の前に訪れる。このラストといい、海の舞台といい、教授と青年の友愛的関係といい、我々はトム・フォードに対するヴィスコンティの明らかな影響関係を読み取ることができるだろう。カナダの文芸理論家であるリンダ・ハッチオンがそのラディカルな書物の中で述べたように、イタリアの古典的映画として最早殿堂入りしているルキノの諸作品を、もしかするとトム・フォードはアメリカ的にadaptation(解釈を踏まえた翻案)したのかもしれない。だとすれば、ルキノがマンの原作を忠実に再現しようとして描き出すことはできなかった、「アシェンバッハとタージオの会話」を、我々は数十年の時を隔ててトム・フォードの手によって目にすることができたということである。この意義はとても大きく深い。二人はやはりどこかで「孤独」を共有しているのである。
 デリダはかつて『友愛のポリティクス』の中で、アリストテレスの以下の名言を引用していた。「おお友よ! わたしには友がいない!」――彼らはマイノリティであり、常に男性の伴侶を求めている。それは「兄」、あるいは「弟」の面影なのかもしれない。あるいは「父」の、「祖父」の。この映画には他にも、「アメリカ的なもの」と「イギリス的なもの」の共存というヘンリー・ジェイムズ的な要素を見出すこともできる。主人公はロサンゼルスの素朴な人々の中で、やはりどこかイギリス上流階級的な「孤高」を感じさせるわけである。
 映画の質はファッションデザイナーだけあって、極めて静謐かつスタイリッシュである。私がトム・フォードというブランドに対して抱いてきたイメージは、この映画によって正統文化的なレベルにまで昇華された。ゲイ文化に関心のない女性たちにも、是非一度観ていただきたい作品の一つといえるだろう。






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