† 表象文化論 †

文化の多面体、松浦寿輝の主著『平面論――1880年代西欧』の世界ーーイメージの分裂、記号の錯乱

Keira Knightley by Mert  Marcus
Keira Knightley by Mert Marcus

 松浦寿輝の評論活動における代表作の一つであり、最近新たに復刊されて注目を浴び始めている『平面論』(1994)を読了したので、その記録を残す。本書を読解する上でのメリットには極めて大きなものがある。まず一つ目は、表象文化論の見地から「近代」がいったいどの時点から開始されたのかを明確化した点。二つ目は、今後のWeb社会において、我々は間違いなく松浦のいう「像」の概念について様々なかたちで触れ合う機会が増すと予測できるが、本書はそうした「Web社会における視覚性の優越」をテーマにした議論において、常に一つの巨大な参照軸を用意してくれている点である。第一版が刊行された1994年から、既に二十年ほど経過している現在、『平面論』はいかに読まれるべきなのだろうか? 例えばWeb社会を牽引するGoogleの新しいサービスの提供、AppleのMacBookシリーズの高機能化と更なる「薄さ」への追求――こうした果てに見えてくるのは、スピルバーグが映画化した『マイノリティ・リポート』のように、いわば画面が空中に表示され、最早「機体」を必要としない世界なのだろうか? そのような近未来社会を想定した時に、改めて「平面」とは何かといった問題が重視されるはずである。
 松浦は、イメージにおける「近代」の開始地点を明確に1880年代と規定している。80年代の、特にフランスでは一体何が起こっていたのだろうか? 松浦は以下のようにこの年代を整理している。

「1880年代のフランス(ベル・エポック期の第三共和制)」

・「エッフェル塔」の建造とパリ万博
・フロイトがヒステリー研究を本格化
・マレーが「クロノトグラフィ」を完成
・マラルメ『詩集』(87)
・ユゴーの死(85)
・ヴェルレーヌ『呪われた詩人たち』(83)
・ユイスマンス『さかしま』(84)
・ニーチェ『ツァラトゥストラ』(83~85)、『悦ばしき知識』(81~82)
・リュミエール兄弟「シネマトグラフィ」(95)



 特徴的な文化的・思想的出来事を列挙すると上記のようになる。ニーチェの「神の死」を最初の宣告は『悦ばしき知識』において登場するが、これがやはり80年代である(ニーチェはドイツ人だがフランスに共鳴していた)。
 松浦は80年代の特徴を「空間」性からも解釈している。彼によれば、「近代的空間」とは「無人空間」と「群衆空間」という二つの極に分裂した特徴を持っている。「無人空間」は全ての名が等価なものとなった空間であり、人はここに自己を浸すことで安穏さを見出すこともできる。例えば空き地、タルコフスキー的な廃墟、森の抜け道、隠れ家、静謐な川縁である。「群衆空間」は「蝟集空間」とも呼ばれ、名を顔を決定的に喪失する危機に常に曝される空間である。例えば、満員電車から下りたばかりのホーム、地下街、大通り、デパートの混雑などである。ここでは「顔を棄てること」、いわば「仮面の体制」が支配的であり、一言で言えば「匿名性」が前景化する。「無人空間」も「群衆空間」も、共に「イメージの匿名性」の概念に基づいていることには変わらないが、近代において明確な棲み分け(差異化)が生起したとされる。「無人空間」における「無名性」のテーマはその後、フロイト、ラカン、ブランショなどによって考察されていく。他方、「群衆空間」についてはベンヤミン、カネッティ、マクルーハンなどに引き継がれていく。1880年代は、近代的なイメージが初めて出現した時代であり、いわば20世紀の「表層性」だけになったイメージ空間の萌芽を見ることができるのである。
 近代的なイメージを特徴付ける概念として、松浦は「空虚、不在、鏡、書物、距離、消滅、無意識、断片化、解体、砂漠、荒野」といったテマティスムを列挙している。マラルメ、フロイト、ベケット、後期の吉岡実などには特にこうした傾向を見て取れる。「無人空間」と「群衆空間」の双方のテーマを持っていたのはカフカであり、マラルメであった。

【群衆(蝟集)空間】

 アンソール、ピカソ、ウォーホルらが人々に「群衆空間」のイメージを与える上での「メタ・イメージ」を提供した。例えば、80年代にエッフェル塔の絵が大量に印刷されて各地に出回ったが、ここには距離を無化するイメージの「再現性」という性質が既に芽生えている。遠くにありながら、あたかも近くで演じられているような「等距離性」(距離感の抹消)が特に際立ち始めるのはこの時期である。今でいえば、Googleのストリートビューで外国の街並を詳しく見ることが可能であることや、リアルタイムでいつでも画面を通して友人たちとコミュニケーションできるシステム(Macに搭載されているような)などにこの発展形式を見出すことができる。Web2.0以降、近代的な「再現性」と「等距離性」の概念は、それぞれ「透明性」と「同期性」に進化していると考えられる。
「等距離性」は遠さと近さの弁証法の消滅として規定される。これはハイデッガーの『ブレーメン講演』でも最初に印象的に述べられていたテーマであり、彼はこの問題を「距離の圧縮」とか、「遠ざかりの奪取」などと表現している。
「再現性」は、イメージの大量複製によってオリジナルが宿していた「アウラ」が喪失する現象である。いつでもどこでも再現できる・コピーできる以上、「一回性の神秘」の魅力は喪失してしまっていると良い。ベンヤミンによれば、「等距離性」と「再現性」は「アウラの消滅」の後に起こった状況として規定されている。彼はそもそも「アウラ」を以下のように規定していた。

「アウラの定義は、どんなに近距離にあっても近付くことのできない唯一性の現象、ということである。ある夏の日の午後、寝そべったまま、地平線をかぎる山並みや、影を投げかける樹の枝を眼で追う――これが山並みの、あるは樹の枝のアウラを呼吸することである」(p27)


 ここで重要なのは、何か画像を「見る」ことではない点である。「アウラ」は「見る」というより、むしろ「吸う」ものであるとベンヤミンは考えている。「アウラを〈呼吸すること〉」――それは換言すれば、超越的な彼方を「触知」することである。例えば、森の中をランニングしている時に、我々が目にした花の香りを嗅いでみること、あるいは柔らかい植物の葉を指で撫でてみること――それは「森の画像」や「花の画像」ではけして伝わらない、何かオリジナルで掛け替えの無い神秘を孕んでいる。これが「アウラ」であって、それは「視覚」よりも「触覚」性によって把捉される感覚的な概念である。「瞳でアウラを吸い込むこと」が起きるためには、実際に森まで向かわねばならない。「森の画像」は大量複製できるが、最初に見たオリジナルな景色、そこで得た触感などは再現できないのである。
 本来は限りなく遠いはずのもの、体験すらしていないものが、「像」によって簡単に見られてしまう。手頃な画像だと思えば、即座にコピーされる。このような状況においては、「遠さ」と「近さ」の遠近法はばらばらに粉砕されている。最早、「近く」にある物体までもが、限りなく「遠い」物体と同一の平面で同居するのである。遠近の概念はこのように「ゲル化」(レジス・ドゥブレ)しているのである。また、これは派生的なことかもしれないが、ウィリアム・ギブスンが『ニューロマンサー』で展開したような、Web空間というそもそもアウラが限りなく萎縮した世界において、「聖域」が存在するという設定もここに言及しておくべきだろう。アウラの見えない、遠近法の解体されてしまった「像」の支配する世界(Web=ポスト空間)においては、アウラのない世界において「疑似アウラ」が産出されるのである。
 ベンヤミンが定義した「アウラ」の概念を、より深く整理しておこう。「アウラの時代」、それは「礼拝」に価値が置かれた時代を指している。アウラの主体は「祈祷師」であり、彼らは「患者の上に手を置く」ことによって病者を治癒する。ここで大切なのは、彼らが「メス」という「メディウム」(科学的かつ物理的な媒介項)を使用せず、直接生身の「手」で患者の「肌」に接触している点である。ここには、森の中を実際に歩いて、その中に咲く花の香りを嗅ぐという生身の体験と等しい「触知性」が現前してる。他方、「神の死後」の時代、換言すれば資本主義社会によって世俗化し、「アウラの喪失」が常態化した近代以降においては、「礼拝」よりも「展示」されていることに価値が置かれる。展示されるとはすなわち直接そこに「像」を並べ立てることである。アウラを司る祈祷師に代わって、近代になると「外科医」がこの役目を果たす。外科医は「メスを使って人体を解体する」存在であり、生身の手を使って肌に「触れる」のではない。彼らは「メス」によって肌に触れるわけであり、ここには近代における「遠近法の粉砕」の最初の萌芽が、既に見出せるのである。外科医は、祈祷師よりも真の肉体から遠ざかったわけである。
 松浦の思考が傑出しているのは、この外科医と患者の「距離」が、実は先の「群衆空間」における人間同士の「距離」として規定されている点である。つまり、どちらにしても、この二つの「距離」には近代の洗礼が行われているのだ。人と人との距離、そして人と物との距離――これは端的に1880年代を境にして概念的に変革されたのである。換言すれば、近代における「距離」とは、ただそこに「人・物」があるだけで、「触感」(アウラ)は最早ないのだ。それは、病者を癒しながらほとんど素足で歩いていたナザレのイエスの「アウラ」から、決定的な遠さを持っている。
 群衆空間では、絶えず「顔」が交通し、同じようなポスターが無数に並んでいる。このような空間を特徴付ける概念として、「アウラの喪失」が挙げられる。他方、「アウラ」のある空間とは、松浦が述べているように教会の中のひそやかな「聖母子のイコン」を発見した瞬間である。この二つは「アウラ」において対極的であり、「近代」と「前近代」を分割する参照軸になっている。

【無人空間】

 無人空間を考える上で、松浦はプルーストの『ソドムとゴモラ』の「心の間歇」を考察している。ここで、プルーストは既に逝去した祖母の記憶を再現している。祖母は亡くなっているので、最早主人公「わたし」の傍にはいない。しかし、彼には何故彼女がそこにいないのか理解できない。ここで現前しているのは、「絶対的な遠さ」でありつつ、限りなく「近い」感覚――換言すれば、「密着的な不在」という名状し難い感覚なのである。
 ここで、松浦はアウラについて再び考察している。アウラは「現世を越えた非在のトポスに温存された光の秘儀」、あるいは「彼方の光」などと規定される概念である。アウラを経験することは、そもそも本質的に「不可能」であり、だからこそ人々はそれを欲して「触知性」に向かうのである。この願望は、いわば現代でも見出される「神秘体験への志向性」にも通底している。松浦は、プルーストの「わたし」を、世俗化された社会の中で「アウラ」を求める存在者として規定する。他方、今や亡き「祖母」は伝統的なカトリックの教えを信じる教養豊かな女性であり、彼に癒しを齎していた存在者であるという点で、いわば「アウラ」の時代を象徴する「祈祷師」の役割を帯びている。プルーストにとって、「祖母」、「母」という母系列的存在が、「記憶」を引き出す上での神秘的な効果を持っていたこともここで想起せねばならない。アルベルチーヌの死においてもそうだったが、「わたし」は今や現実には存在していない死者の「不在」の苦悩から、彼らとの「近さ」を快復させようと試みるのである。それは「苦悩」に満ちた軌跡であるという他ない。
 以下の松浦のテクストは、プルーストという作家の本質を捉える上で極めて豊かな示唆を与えてくれる。

「プルーストの〈わたし〉の前に立ち現れたものは、まさに特権的な〈貴重さ〉そのものに他ならないのである。繰り返し再生されることで、ただ一度しか起こらなかった出来事の意味が磨り減り、等価な複数映像の中に拡散していってしまうといった平準化作用ほど、〈心の間歇〉から遠いものはない。その瞬間はいくらでも再現可能だと高を括り、同じものをいつでも見られるはずだと安心して日常を上の空でやり過ごしている〈蝟集空間〉の群衆ほど、プルーストの〈わたし〉から遠い意識のありかたはない。唐突に出来して〈わたし〉を〈密着的〉に冒す祖母の〈生き生きした現実〉は、つまりはその生々しい不在の現前は、掛け替えの無いものなのだ」(p45)


 私はこの箇所を読んでいて、松浦寿輝という一人の作家が、詩人が、というよりも一人の「読者」が、どれ程マルセル・プルーストという一人の作家を強靭に愛しているのかということを深く感じた。松浦にとって、プルーストのナラティブそのものが、というよりも彼の「無意志的で完全な記憶」そのものが、近代的な「群衆空間」のマリオネットたちに対する強烈なアンチテーゼになっているのである。しかも、それは中世社会におけるような「アウラ」とは異質であり、「無秩序さと無根拠さ」によって、リゾーム的に蘇生・再現される「記憶」のあり方なのだ。ここには、「たまたま思い出す」という「奇蹟」がある。それは「間歇的な想起」であり、その度ごとに過去のイメージを新しく「活かす」経験である。ここにこそ、プルーストの「記憶」のあり方が持つ最もラディカルな魅力がある。本来、人間は思い出すその度ごとに「記憶イメージ」を差異化させる。体験した出来事に夢の内容や書物での見解などが「意味賦与」されて、いわば体験がタマネギの皮のようにイメージの外皮を纏うのである。この考察はフッサールの現象学において厳密に展開されているが、松浦もまたプルーストは思い出す度ごとに過去の出来事を「更新」していたと考えている。それは「コピー」ではなく、「差異」を孕んだ「反復」なのだ。「再現」は「反復」とは異なり、ただ同じものをコピーすることしかできない。
 このように、プルーストのナラティブは「密着的な不在」と「反復性」の概念に支えられている。群衆空間の基底概念には「再現性」と「等距離性」があったが、プルースト的な「無人空間」を規定するのは「密着的な不在」と「反復性」である。つまり、近代的なイメージにはこれら二つが準備されたわけである。一方は、TVのリアルタイム中継や、フェイス会話などに代表される、極めてメディア性の高い「イメージ」である。他方は、その人個人が過去に体験した素朴な、けしてコピー不可能な掛け替えの無いノスタルジックで悲哀さえ漂う「イメージ」である。
 この二つを更に綿密に規定する上で、松浦は「群衆空間」を支配するイメージを「像」(かたち/イメージ)と呼ぶ。像のリアリティを保証するものは「数量性」である。他方、プルースト的な「無人空間」を規定するイメージを「貌」(かお/イマージュ)と呼ぶ。「貌」のリアリティを保証するものは数量ではなく、今は亡き「祖母」がそこにいるという「湧出の強度」である。

【像と貌】

 松浦の「貌」の概念は、プルーストの『ソドムとゴモラ』の「心の間歇」を読解する過程で生まれた概念であり、近代的な「像」の概念に対する強力なアンチテーゼを持っている。同時に、「貌」は像と対極的であるがゆえに同じく「近代的なイメージ」を特徴付けるわけでもある。松浦が「貌」の概念でイメージしているのは、とりわけ「遺影」である。遺影は、プルーストの祖母がそうであるように、平面によってかつてここにいた人の姿を映し出している。亡くなった人との掛け替えの無い記憶を探る上で、いわば「遺影」とは「想起」における中心的かつ主導的なイメージの扉を担うわけである。そして、松浦はプルーストの祖母についての描写を読んでいる時に、「なぜか密接な」感覚として、「顔」とその「欠如」を意識したのだという。彼の思考は、いわばこの時の「直観」に基づいて鋭く思考を掘り下げられているわけである。
「貌」という漢字は、「豸」(ち)を取り除いた場合、「白(面)」の下に「人」=「儿」(じん)と書く。このイデオグラム自体に、実は「顔」の哲学的な概念が宿っているという。これは、「面」としての「露出性」が、人それ自身の「素顔」にもなっているという表象文化論的なテーマへと波及していく漢字なのである。「貌」は、人間の「顔」がそれぞれ個別具体的であるのと同じで、「アウラ」側に属している。端的にいえば、プルーストの「わたし」における「祖母」のイメージは「貌」であって、「像」ではない。「貌」はもうこの世界にいない人間のイメージであり、一瞬だけ過る眼差しのようなものだ。そこにはノスタルジアが宿っていて、その人自身の過去の記憶を結合しているがゆえに、絶えず「忘却」に曝されている。「貌」は「魅惑してくるその強度」によって測られるのであり、その輪郭は常に「不鮮明」であり続ける。
 では、「像」とは何か? 「像」はメディアを通して絶えず再生産され、コピーされ続けている。ニーチェの有名な横顔の写真も、確かに「遺影」としての価値を持ってはいるが、今では世界中でコピーされ、ポスター化され、完全に「貌」から「像」へとイメージの定型化が起こっている。松浦が述べるように、「死の〈像〉、ないし〈像〉と化した死はありえても、〈像〉の死そのものはありえない」のであり、これは絶え間なく増殖し続けるのである。「像」は消費的で、「貌」よりも直接的に我々の前に現れる。それは「数量性」によって計測され、「楽しませはしても、魅惑されはしない」産物である。いわば、「像」には「貌」が持つような「アウラの残滓」が存在しないのである。「像」がコピーされ、メディアなどを通して流されるものであるのに対して、「貌」は我々の意識に「憑依」するものであるとも解釈できる。
 松浦久輝は、この「像」と「貌」の二つを合わせたものとして、「イメージ」という概念を設定する。換言すれば、1880年代に「イメージ」の概念は「像」と「貌」に分裂し、記号は「錯乱」を来したのである。この二つは、「斥力によって結び付いた相互排除の力学」を持っている。「イメージ」の定義はそれゆえ、困難を伴うものになるが、たとえ厳密に規定しようとしても、それは「それであり、かつ、それでない」(思い出すたびに変わる記憶)という表現にならざるをえない。あるいは、「わたしを、わたし自身ではない何かへと横滑りさせてやまないもの」――それこそが「イメージ」である。イメージの分裂化は、具体的な出来事と相関させて言うと、1889年のパリ万博における近代的な大衆の登場と密接に関与している。「エッフェル塔」は、この博覧会でシンボルの役割を果たし、「像」として大量に生産された。
 パリではなく、地方に暮らしていた人間が手にした「エッフェル塔」の「像」は何を意味しているのだろうか? 彼にとって、その「像」は「他処」からやって来たものという他無い。そして、その突然到来した「像」は、あくまでも「パリ万博」というイベントのイメージを決定付けている。換言すれば、「イメージ」の「像」としての側面は、対象の本質を覆い隠す傾向を持っているのである。ある貴族の城館に嫁いだ花嫁が、里親に夫と笑顔で映っている写真を送付したとしよう。両親は彼女の微笑みを見て安堵するだろうが、それはあくまでも「娘の平穏なイメージ」に過ぎない。平面では微笑んでいても、実態は真逆であるなどということは往々にして起こりうるからである。これと同じように、「イメージ」はある社会階級に対する「像」を捏造することも可能である。例えば、「芸術家」は社会にとってアウトサイダーであり、常に反時代的であるなどというステレオタイプ化された「像」もまた、イメージによる捏造に過ぎない。ここに、メディアが流す安直な「イメージ」に集団的に飛び込むことの危険性が現れているといえるだろう。
 このように、松浦の「イメージ」概念はブルデュー社会学における「眼は文化的産物である」といった定式や、フッサール現象学における「知覚」が、本質的に「虚構的直観」を基礎にしていたこととも相関している。イメージこそは、文化的・社会的に「捏造」される最たるものなのだ。このように考えると、「マス・イメージ」もまた、「マス」という一つの「イメージ」に過ぎないことが判然となる。同じく、我々が「イメージ」という言葉に対して持っている見解もまた、不可避的に「イメージ」のイメージという二重性を帯びていることが曝け出されるのである。「像」は、「像」の像に過ぎない――このような二重構造は、イメージがそもそも人間の手で作り出される虚構的産物であるという前提によって、初めて可能となる。

「我々はただ、〈現実的なるもの〉の露出と隠蔽の力学が、1880年代に始まる〈近代〉を〈前近代〉から隔てている決定的な要素なのであり、それは、しばしば実体論から関係論へといった定式で語られるパラダイム転換などより、はるかに重大な帰結を孕む出来事であるはずだという点を確認しておきたいのだ。20世紀とは、〈レアリスム〉の時代である」(p77)


 我々にとっての「現実」は常に「像」であるに過ぎず、それは作り出されたものである。その作り主は最早誰か判らない「他者」・「他処」である。このようなイメージの「像」としての性格に対し、プルーストが描いたような「貌」としての側面も存在する点は、いくら強調してもし過ぎることはないだろう。「貌」は、デリダ的な「喪」の概念を前提にしている。「貌」は他者の「死」を通して、その人の存在の「痕跡」が喚起してくる「イメージ」の様態なのだ。「像」が常に「写真」とか、「ページ」とか、「スクリーン」とか、そういう「枠」を持つのに対して、「貌」は「枠」付けられることから常に跳躍を試みる。「貌」は「枠」からはみ出していき、逃走し続ける。「貌」はそれゆえに常にオリジナルであり、他者性の本質を指す倫理的概念(レヴィナスとは異なる回路を辿った上での)なのだ。




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