† 映画 †

フィリップ・カウフマン『クイルズ』


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(2012/03/16)
ジェフリー・ラッシュ、ケイト・ウィンスレット 他

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 フィリップ・カウフマンによる、サド侯爵の「エクリチュール」をテーマにした映画『クイルズ』(2000)を観た。最初に書いておかねばならないが、本作は全編英語であり、アメリカ映画である。
 舞台は1794年のシャラントン精神病院で、ケイト・ウィンスレット演じるマドレーヌは院内の家政婦として働いている。院内で信頼も厚い若き神父ド・クルミエはホアキン・フェニックスが演じている。マルキ・ド・サド役は『英国王のスピーチ』でも味のある補佐役を演じたジェフリー・ラッシュであるが、本作で彼はサドを明らかに好演していた。この映画はR15指定で、冒頭に「必ずや淫らな物語を御見せしよう」などと語られるのだが、テーマになっているのはエロティシズムではない。これは「書く」とはいかなることか? この問いについての素朴な一つの答えである。
「邪悪な考えをページに吐き出せば、心は清められる」――神父はそう反抗的なサドに諭す。サドに与えられている「治療」とは、心の毒を文字化して浄化することである。注目しなければならないのは、サドというよりも、サドを演じているジェフリー・ラッシュの「身体」である。彼は文字通り、爆発的に書く。羽ペン(クイルズ)を奪われると、食事用に独房に差し出されるチキンの骨を取り出し、それを鉛筆代わりにワインに浸して文字を書く。「逆境にあってこそ芸術は花開く」――これはなかなか印象的な台詞だ。この映画におけるサドは、あくまでも近代以前のキリスト教神学への「道化」的な敵対者、あるいは破天荒な明るさを持つアンチテーゼという程度に描かれている。聖書にサドが唾棄する場面があるが、この敵対心そのものがキリスト教的道徳律そのものに支配されている心理の裏面として読解できるだろう。彼が獣欲を先鋭化させればさせるほど、逆説的に若い神父をコインの「表」と見た場合の、その半ばチープな「裏面」としての側面が浮き彫りになるのである。
 あまり品のある映画ではないので、女性には推薦したくない作品ではあるが、新しい院長の若い妻(修道院育ち)が、サドの小説に耽溺し、若い建築家を誘惑する場面には、真の「物語の萌芽」を感じた。精神病院の中で繰り広げられるバッカナリーア――ミハイル・バフチンがそのラブレー論で述べていた中世の「阿呆劇」や、ピエロ・デ・コジモのシレノスの絵を想起せざるを得なかったが――よりも、私にはこの貴族的で官能的な雰囲気の方に惹き寄せられる。『クイルズ』を美的範疇論に当てはめると、このように「醜」(グロテスク)、「滑稽」という要素において際立っている。








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