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アキ・カウリスマキ『過去のない男』――全ての記憶を喪失した男の「再生」の物語

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過去のない男 [DVD]

 フィンランドを代表する映画監督アキ・カウリスマキがカンヌ国際映画祭でグランプリに輝いた『過去のない男』(2002)を観た。主人公は記憶喪失の壮年の男性で、「名前」まで自分についての大半の記憶を失っている。流れ着いた先で、川縁のコンテナハウスに暮らしている心優しい家族に助けられる。カウリスマキの映画は、社会的に見ても最下層の人々が必死で健気に生きる姿を瑞々しく描き出す点で一定の評価を得ているようだ。実際、この映画はフィンランドの中でも、特に社会階層の低い人々を描いている。その象徴こそが、家も金も記憶までをも喪失した「無垢」としての主人公だろう。大まかな流れとしては、彼が人々の人間性に触れながら、次第に人間として「快復」していく、そんな「再出発」の物語である。
 重要なのは、本作では「音楽」(特にロック)が、人と人を繋ぐ架橋として描き出されている点だ。貧しく厳しい生活の中でも、人は互いに歌い合い、音楽には真剣に耳を澄ませる。とはいえ、主人公には過去が抹消されてしまっているわけだから、行く先々で社会的な「疎外」を被る姿も描き出されている。それは、貧しい者に対する社会の偏見の具象化であり、いわば「過去のない男」の無垢な視線(逆らわず、反抗せず、喚かず、全てをただ受け入れる)を通して、我々は現実の社会空間がどれ程「地位」や「肩書き」、「見た目」という偏見に満ちているのかを教えられるのだ。作中ではキリスト教的な歌詞や台詞が随所に登場するが、これらは「神のいない俗世の哀しみ」の直中にあって、生きる希望を与えるのはやはり「人間の優しさ」であることを物語っている。
 また、警察が「権力」の高圧さを示す具体例として描かれている点も本作の特徴の一つだろう。主人公が警察から不条理な扱いを受けるたびに、救世軍(そこの職員である女性イルマ)の助けが入る。徹底的に人権が脅かされかねないカフカ的状況にまで至るかと思いきや、派遣された弁護士が「法」を持ち出して警察機構をやり込める描写は印象的である。
 イルマとの仲が次第に深まっていく中で、本当の妻が名乗り上げる。しかし、彼女には既に別の男性がいて、主人公はあっさりと「過去」を清算する。そして、主人公から記憶を奪った冒頭の悪漢三人組も、「罰」を受けて決着がつけられる。こうして、主人公はイルマと共に手を繋ぎ合って生きていくことなる――ストーリー全体としては、キリスト教的道徳観に基づく善悪のはっきりした描写とヒューマニズムを感じた。俳優、女優の演技は意図的に感情に抑止がかかっているが、これはどこか管理社会の中で不自由ながらも「自由」に生きていこうとする政治的主体のイメージと結び付く。丁寧に作り込まれた、後味の良い良作である。












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