† 美学 †

石井洋二郎「唇・皺・傷――マルドロールの〈身体なき器官〉」読解――『身体のフランス文学――ラブレーからプルーストまで』

Natalie Portman and Scarlett Johansson
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 ピエール・ブルデューの日本における研究者として名高い東京大学大学院総合文化研究科教授の石井洋二郎氏の論稿「唇・皺・傷――マルドロールの〈身体なき器官〉」(『身体のフランス文学――ラブレーからプルーストまで』京都大学学術出版会)を読解したので、その記録を残す。本論稿はまことに驚嘆すべき刺激的なマルドロール論の一つであると言える。ちなみに、本書は『都市の解剖学』の著者であり表象文化論の注目すべき若手の研究者である小澤京子氏の選書リストの一冊に入っている。
 イジドール・デュカス(1840〜1870)こと、ロートレアモンは今日、19世紀フランス最大の詩人と称され、シュルレアリスムの原典の一つとして『マルドロールの歌』は位置付けられる。しかし、生前彼は無名であり、二十四歳の若さで逝去した。本作は散文詩でありつつ、戯曲、小説などの形式もキメラ的に配合されており、あらゆるジャンルを拒絶する点でも特異な作品である。以下に、石井氏のマルドロール読解の中核となる幾つかのテーマを抽出する。

【傷A、あるいは唇】

 ロートレアモンにとって、「唇」とは「傷の両縁」を意味する。それは顔面の中で唯一開閉可能な器官である点で、唯一の「傷」として規定される。堕天使であるマルドロールは笑うために自身の唇を切り裂き、大量の血を流すが、その姿を他の人間と比較して、自分がけして「笑っていない」ことを発見する(第一歌第五章)。また、「唇」=「傷」という等式が成立する限りで、「キス」は「傷口と傷口を押し付け合う行為」を意味する。唇――それは身体の内部と外部を交通させる「開口部」、「孔」である。また、マルドロールにとって、他者に毒を注入するための幻想的な器官である。

【傷B、あるいは皺】

 マルドロールの額には「緑色の皺」が存在し、これは悪のスティグマ、ないし恥辱の痕跡であるとされる。これは堕天使である彼が志向存在から傷つけられたことを示す身体記号であり、この「皺」もやはり特権的な「傷」に他ならない。なぜ、しかし額なのか? これに対し、ロートレアモンは端的にそこが「目につき易い」点と、アポカリプスに登場するかの大淫婦の額にも、「秘められた意味の名」が刻まれているという共通項を挙げている。

【身体なき器官/グロテスクと美の交叉配列】

 18世紀にドイツ美学でテーマになった美的範疇論において、「美」の対立項は「醜」である(デッソワー)。しかし、「醜」も美的範疇である限り、「美」の開示にとって必要な操作子に他ならない。ロートレアモンもこれを本能的に嗅ぎ取っており、マルドロール的身体においては「醜」が「美」として表現されている。そして、「醜」の場は身体記号としての「皺」、「唇」、「畸形」、「傷口」などに集中して表現されている。
 ロートレアモンの作品では、至高存在が「一本の毛髪」と化したり、額や唇、皺などの特定部位への極端なまでのフェティシズムが表出している。こうした身体の「部分」への狂熱を、石井氏はジジェクのコンテクストとは異なる意味で、ドゥルーズ&ガタリを慣用しつつ「身体なき器官」と呼称する。
 更に、石井氏は本論稿で、griffer(ひっかく)という言葉は、griffoner(殴り書きする)行為の本質であると述べている。つまり、エクリチュール(書く行為)は、マテリアルな次元で紙をペン先で「ひっかく」行為である以上、一種の「自傷行為」的な現象なのだ。我々が何か自身の魂の地下水脈にまで降下したテクストを生成させる時、常に血肉を削るような痛みを感じるのも、griffer/griffonerの語義的類縁性から解釈することができるだろう。「作者」とは、マルドロール的な表現を借りれば、いわば「二つの傷、A(唇)、B(皺)」を有する「女体(テクスト)」の「皮膚」上を這い続ける「ハイエナ」に他ならない。





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