† 表象文化論 †

近代が仕掛けた幾つかの「罠」――岡田温司『アルスとビオス』、バーバラ・マリア・スタフォード『ボディ・クリティシズム』を中心に


芸術(アルス)と生政治(ビオス)芸術(アルス)と生政治(ビオス)
(2006/04/18)
岡田 温司

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 このページでは、日本を代表する西洋美術の卓越した研究者である京都大学総合人間学部教授の岡田温司(1954-)の代表作の一つである『アルスとビオス』と、近世ヨーロッパ美術から今日のマルチメディアまで幅広い射程範囲で生物科学を参照軸に研究に取り込むシカゴ大学美術史学科W・B・オグデン殊勲教授のバーバラ・マリア・スタフォード(Barbara Maria Stafford)が美術学界に衝撃を与えた主著『ボディ・クリティシズム』を中心に記録を残す。取り上げた箇所において共通するのは近代知の背景として際立っている「観相学」という思考フレームであり、この枠組みが古代スパルタから近代ヨーロッパまでいかに西洋人の思考を限定付けてきたかを示す。

【美術館の本質としてのパノプティコン】(一章)

 1980年代の美術史のテーマは、フーコーの近代―権力論の遺産をいかに継承するかにかかっていた。
 フーコーは『監獄の誕生』の中で、ベンサムの描き出す理想的監獄「パノプティコン(一望監視装置)」を、近代的な主権と統治を象徴する装置として分析した。中央に監視塔を置き、周囲に独房を配した円形プランのその建築的構造は、誰からも見られることなく、全囚人を監視できるという要請に応えたものである。内部で起こることを完全に見えるものにしようとするパノプティコンは、まさしく「眼差し」をコントロールする空間の権力装置である。
 ドナルド・プレツィオージは『美術史再考――内気な科学への省察』(1989)で以下のように述べている。

後期フーコーが示唆したのは、パノプティコンの建築術的な論理と、近代の規律的な知のフォーマットとのあいだには強い結びつきが存在するということであった。この切り口に関するフーコーの議論は、広い範囲に及ぶものであったが、私がここで明らかにしたいと思うのは、美術史という言説装置の特異な論理が、何を前提としているかということである。すなわち、ルネサンスの遠近法主義、記憶術、科学的方法の構築論にとってのみならず、更には記号過程や意味作用におけるある種のロゴス中心主義的な構造の形成にとっても、大きな役割を果たしてきたものを前提としている、ということである。(P13)


 プレツィオージによれば、パノプティコンの論理は美術館において、鑑賞者の眼差しを導く展示空間の組織化として表面化しているのだという。美術館における「展示コンプレックス」、換言すれば「権力―知のディスプレー」がここで問題となる。

…まず、装置としてのパノプティコンとミュージアムには、深い繋がりがあるということ。しかも、パノプティコンからミュージアムへという流れではなく、逆に、ベンサムの着想それ自体が、むしろミュージアムにそのひとつの起源を持つ、ということ。次に、一見したところ正反対のように思われる、全体主義的なパノプティコンの「眼差し」と、民主主義的なミュージアムの「眼差し」とは、実は内在的に連動し交差し合っているということ。そして、その連動の中で、美術史の歴史主義的な言説が育まれてきたということ、である。確かに、ミュージアムとパノプティコンとは、まるで正反対の性格を持つように思われる。パノプティコンに象徴される近代の監獄制度は、囚人の身体を、公の眼差しから隔離し、内部を眼差す権力の網目の中に取り込もうとする。この装置は、ルネサンスやバロックの壮麗な宮殿のような眺められる対象でも、ファサードなどの外部空間に意匠を凝らすものでもなくなり、反対に、内部のコントロールを高め、その内部にいる人間をくまなく観察し、その身体と行動を掌握することで、権力の効果を発揮しようとする。人間が、見るという可能性を奪われたまま、ひたすら見られている状態に置かれるという構造は、監獄ばかりでなく、更に病院や学校、兵舎や工場などにも敷衍されるものである。(p15)


 ルーヴル美術館の開館は1793年であり、時期的にも近代の黎明に位置している。この時点で、展示は民主化され、その担い手も貴族から市民へ譲渡されたかに見える。
 岡田氏によれば、近代国家の「生政治」の中心的モデルには以下のように二種類存在する。

(1)監獄、病院、学校、工場
(2)ミュージアム


 このうち、近代ミュージアムのモデルとしては、エティエンヌ=ルイ・ブレーの《ムセウム案》(1783)、そして彼の弟子であり“最初”の機能主義建築家でもあるジャン=ニコラ=ルイ・デュランの《ムセウム案》(1805)が挙げられている。ブレーの建築案は、古代アレキサンドリアの女神ムーサの神殿ムセイオンを範にしたロマネスク式ドームのような集中式プランである。ルネサンスでは、ブラマンテの《テンピエット》などとも相関するこの構造は、宇宙の調和のシンボルであり、学問・技芸の権威的な場として構成されてきた。フランス革命期にも、「球体」や「ドーム」型の建築案が好んで制作されてきた。ブレーによる《ニュートン記念堂》、ルドゥー《ショーの製塩所の墓地計画》、モーペルテュイ《小作監視人の館の計画案》、ルクー《平等の神殿のための計画案》などは革命期にこれらの形態を採った代表例である。
 なぜ、球体だったのだろうか? 球体は全てを受け入れ(ルクー)、全てを監視する(ルドゥー)。円形プランないし円形建造物には、《平等の神殿》のような民主主義的側面と、ルドゥーの《ショー》のような全体主義的なパノプティコン的側面が共存しているというわけである。岡田氏は、むしろカフカ的な「城」の制度として球体を把捉している――すなわち、それは「秩序と監視」、「権威と全体化」、「排除と階層化」を意味しているのである。
 このように解釈すると、《ショー》こそはパノプティコンの代表例であり、近代的な政治的理想界の具体化に他ならない。因みに、アントワーヌ・プティの《パリ市立病院案》(1774)も円形であるが、これは一種の都市の中に存在するもう一つの「理想都市」的な側面を持っている。

『言葉と物』でフーコーは、19世紀の知がその位置を占めているのは、小文字の歴史と大文字の歴史、出来事と根源とのあいだに引き裂かれた領域であると分析したが、ルーヴル美術館こそ逸早く、この「大文字の歴史」あるいは「根源」を、展示のレトリックによって上演してみせようとしていたのである。制作年代や流派に応じて秩序よく絵画が並べられなければならないとすれば、それは、民族や国家の「芸術の歴史」というアイデンティティがこの方法によって成型されるからに他ならない。(p32)


 ここで重要なのは、美術館の「展示する」という行為そのものに何らかのイデオロギー、文化的な概念の枠組みによる「取捨選別」が働き、ディスプレーは自ずと「構成されたもの」として現前するということである。新たに画家が再発見されるのは、その画家が属する国家ぐるみのナショナリズムと結合しているケースが存在することをこの図式は物語る。美術館は素朴に絵画を観に行くための場所ではなく、実は展示する側による「権力」によって絵画がカテゴライズされ、「取捨選択」された空間なのである。ここに権力を見出す岡田氏の眼差しは限りなく鋭い。パノプティコンは、現代の美術館だけでなく、それに付随する構成された文化的施設(公共的な知的空間であれば尚更)においても再現前しているのである。
 美術館は、自己監視のシステムの完成された場である。そこでは、主体と客体がその立場を交換し合い、群衆は、権力の統制的な視覚から「見られたもの」としての自己の理想的光景を内在化することによって、自己を受け入れ、自己を規制することになる。フーコーの定式を忘れないようにしよう――「権力は、私たちの外にあるというよりも、私たちの内へと浸透している」。

全体を見渡すことのできるパノプティコンの特権的な中心を、ミュージアムは多くの人に提供しようとした。その意味で、ミュージアムはパノプティコンの全体主義的な眼差しを民主化したものと言えるだろう。それは、多くの人に、見ることと知ることの主体となる権利を保証し、促すものであった。しかし、このことは同時に、巧妙な権力装置のモデルとしてミュージアムが機能することを含意していた。つまり、ミュージアムは権力の側から見られる理想的な客体としてこの主体を統制する自己監視のシステムでもある、ということである。(p36)


 フーコーの解釈によると、ベンサムのパノプティコンとルソーの民主主義は概念的には等根源的であり、共犯関係にあるという。パノプティコンに象徴される全体主義は、その最果てに「強制収容所」を用意している。他方、一見透明性に溢れ、全ての人にあまねく開かれている民主主義の象徴として「美術館」が存在する。双方はしかし、同じシステムの表裏に過ぎないのである。全ての人に開かれているということは、裏を返せば全ての人から監視されていることに他ならない。
 展覧会は、政治的な場である。そこには、近代の国民国家によるナショナリズムの発揚という機能が存在する。「国家的巨匠」の大回顧展や、ある潮流の発祥地を自国に策定する論理の背景には、ミュージアムという制度を利用したナショナリズムに他ならない。かくして、「芸術」は「政治」に利用されるのである。このように、人間の「視」は常に文化的に「生産」されるのであり、これはブルデューの『美術愛好』の定式でもあった。ここで概念として浮上するのは、scopic regime(視の制度)である。「視える」とは、実は制度的産物であり、制度なくして「視える」ことはない。常に人間は何らかの色眼鏡を通して物事を見ているのであり、この色眼鏡に当たるものを無意識に我々に与えているのが、社会なのである。
 美術館のシステムの中でも、非文明的地域に対するシミュレーション的「展示」は、まさにscopic regimeの組織化・管理に他ならない。先進国が後発国の文化の中から、自分たち好みの文化だけを都合よく陳列する行為には、既に排他的な「権力」が芽生えている。この代表例が1889年のパリ万博であった。
 かくして、美術史の「巨匠」たちは国家によって「作り出される」ということができる。あるいは、「流派」、その発祥地をめぐる熾烈な国家間の知的競争が生起する。このように「権力」というテーマで美術史を横断すると、美術史そのものが実は「構成されたもの」である事実が明らかになるのである。

つまり、西洋の近代社会において、「他者」への空間的投影――他者としての未開――が、自己のアイデンティティの想像的構成のために利用されたとすれば、時間的投影――他者としての過去――は、そのアイデンティティの根源ないし「真正性」を保証するものとして要請されたのである。ベンサムによるパノプティコンの理想とルソーによる透明性への夢想とが、奇妙な――しかし、ある意味で必然的な――相補性を見せていたように、ここでも、ホッブス的な「無知な野蛮」とルソー的な「高貴な野蛮」とが、同じコインの表裏として不可分に結び付いている。(p44)


【近代における「規律化された身体」の系譜】(三章)

 オランダの解剖学者カンペル(1722-1789)は、理想的なギリシア彫刻の「美」を頂点として美的規準として「顔面角」なる尺度を提唱した。彼は初めて、建築的透視図法(正射影)によって解剖図を描いたことで知られている。解剖図は、それまでヴェサリウスやビュフォン、アルビヌスのように自然風景の中の人物として描かれてきたに過ぎなかった。カンペルの「顔面角」は骨相学の始祖たるガル、そしてラヴァーターにも影響を与えたという。
 

ラヴァーター自身、骨相学における動物から人間へ至る美的・道徳的階梯を、科学者と芸術家の双方から得たものであることを隠そうとはしない。事実、動物から人間へ、醜から美へ、サタン的な悪意から神の善意へ、獣性から天才へという序列を打ち立てようとした人たちの中に、デューラー、ヴィンケルマン、ビュフォン、ブルーメンバッハ、ガルらの名前を挙げ、最後に、カンペルこそが誰よりも「自然の真実」に近付いている、と断言しているのである。(p95)


 カンペルの「顔面角」は、レオナルドの《ウィトルウィウス的人間》における人体の美的比率の論理と深く相関している。つまり、これはルネサンス的な美的秩序であり、調和である。「美」が規律化され、制度として計測されるものにまで還元されていた事例として重要である。ラヴァーターは、「顔の美しさと醜さは、人間の道徳的な性格と密接な関係を有している。人は、道徳的に完璧であればあるほど美しく、道徳的に堕落していればいるほど醜い」(p99)と表明している。この内面=外面という等式は、パラケルススの名高い「特徴表示説」とも相関している。この錬金術の祖もまた、人の見えていないもの(性格、内面)は、人の見えているところ(顔、仕草、外面)に余すところなく表示されていると考えていた。これは、近代を語る上で参照軸として頻繁に持ち出される「観相学」との接点である。
 ゴンブリッチは、「心が美しければ外見は必然的に美しいはずだ」というこうした考えを「観相学的誤謬」と呼んで批判した。岡田氏は、テプフェル『観相学試論』を読解しながら以下のように本質的な命題を提示する。

顔とは、何か一貫性を持つマトリックスに刻々と変化が刻印されていく、という類いのものではない。いってみれば、より強い特徴とより弱い特徴があるのであり、ある種の一貫性は絶えざる変化それ自体の中から引き出されるのである。あるいは、逆説的な言い方をするなら、顔の一貫性とは、まさしく一貫性がないという事実それ自体にあるのだ。…顔は、もはやいかなる現実のモデルを指示することも、いかなる内面性へと送り返されることもなく、ただひたすら架空のアイデンティティと、その変幻自在の変容を、表象レヴェルで上演してみせることになる。(p104)


 いわば、「顔」は表層であり、性格をそのまま表示するとみなすことが危険なのである。顔、特に「表情」は海辺を漂う流木のように、絶えず揺れ動いている。顔は漂流物なのであり、性格の外的なメルクマールにはなりえない。そこに定式を見出すことは不可能なのである。顔は常に演じられるのであり、そうである限り、それは「表面」、「平面」、「スクリーン」の側に属している。

 19世紀の科学的で芸術的な想像力において、「顔面角」がいかに大きな役回りを演じていたかを証言している、もう一つの興味深い事例に建築がある。建築における観相学、あるいは「顔面角」の展開を、ここで少し辿っておくことにしよう。建築のファサードはまさしく建築の「顔」である。このスローガンは、ベルサイユ宮殿風の古典主義がもはや時代遅れとなり、ロココの奔放な装飾趣味も断罪された、18世紀の後半から特に顕著となってきた。
 例えば、カンペルとほぼ同じ頃、フランスの建築家で理論家のブロンデルは、『建築講義』(1771)において、イタリア・ルネサンスの建築家たちに改めて立ち返り、彼らの建築形式を、人間の横顔に重ね合わせて図解している。パラディオとスカモッツィとヴィニョーラによる、トスカーナ式のエンタブラチュアの刳型形式がそれである。16世紀を代表する建築家にして理論家たちの蛇腹のプロフィールが、順にそれぞれ、老年、壮年、若者の横顔に対応させられる。ここでは明らかに、建築オーダーを人間の尺度に擬えてきたウィトルウィウス以来の古い伝統と、カンペル=ラファーター流の観相学とが合流しているのである。ブロンデルの狙いはどこにあったのか。建築はジャンルや品格によって、その「カラクテール」を異にするのであり、その原理は観相学から学ばれる、というわけである。(p107)



 小澤京子氏の『都市の解剖学』では、建築の表面が「皮膚」として捉えられている。ここで一つ重要な視座として浮かび上がってくるのは、「観相学」という近代的な一つの象徴ともなる科学的アプローチが、表象文化論における「外部」と「内部」のキアスムのテーマとして改めて注目されているということではないだろうか。建築のファサードを「顔」とみなすことは、革命期の建築家ルクーの透視的な建築=人体のドローイングからも窺えることであり、近代の黎明期において「建築」と「人体」の相関は類書でも繰り返し述べられてきた主題である。建築を「人体」とみなすことができる以上、その表面を「皮膚」と等号で結んだような思考のフレームまでの道はもう少しだ。
 「建築の観相学」――それは19世紀に興隆した「視の制度」に他ならない。ブロンデルに始まり、特にルドゥーにはラファーターの観相学、ガルの骨相学からの影響が知られている。「建築」と「解剖学」という二つの興味深い学問が溶け合うめくるめく時代は、まさにこの頃に芽生えていた。ルドゥーだけでなく、アンリ・エスペランデュ、ヴィオレ=ル=デュクらには人種主義や病理学との交差も見受けられる。「建築の観相学」の基本的な信条、それは「顔という記号の場から、余すところなく性格は読解可能である」というものである。彼らは松浦寿輝の規定する意味での「平面」(スクリーン)を過信しているのであり、スクリーンに展開されているものがそのまま生産者の「性格」であると策定してしまう。ここに「近代の罠」があるのだろう。けれども、この時代に共有されていた観相学は、「顔」それ自体を「テクスト」=「平面」として記号論的に読解するだけの地平を開かせた点にこそ求められるべきだろう。
 ラファーターは、理想的身体は必然的に理想的精神を伴うと信じていたが、これは19世紀ベルギーの数学者にして社会統計学者であるアドルフ・ケトレによって提唱されたI'homme moyen(平均人)の理論でも確認することができるという。これも、人間の身体の平均値を計測し、そこから理想的身体を統計学的に導出するという、近代的な「身体の規範」が提示されている。こうした調和・秩序を科学的に導き出す美的原理それ自体は、ルネサンスの時代にレオナルドが描いた《ウィトルウィウス的人間》だけでなく、アルベルティ『彫刻論』、カスティリオーネ『宮廷人』、フィレンツオーラ『女性の美しさについて』、デューラー『人体比例四書』においても確認することができる。そして、こうした「理想的身体」という神話は、1871年に普仏戦争でフランスが敗北したことを受けて、男性たちの間で「ボディビル」が流行し、肉体美を称揚したこととも相関する。ナチズムがアーリア・モデルとしての身体イメージを重視したことの背景にも、ギリシア的理想を有する肉体美を重視したことがあげられる。ここで重要なことは、ルネサンス以来、ヨーロッパにおいては「美」が規律化され、その秩序に基づいて「身体」までもが統制されてきたという事実である。理想的な「顔」を理論化したカンペルの「顔面角」、統計的なレベルで理想的身体を弾き出したケトレの「平均人」――こうした理論の系譜に共通しているのは、人間の「外面」は「内面」を表現しているという図式である。

※ヴィンケルマンは、ギリシア彫刻には血が通っていると考え、それを欲望の対象であると認めていた。


【ジェリコーにみる近代的な「断片知」について】(六章)

 新古典主義に属し、ダヴィッドに学んだ画家テオドール・ジェリコーがなぜ、今注目されているのだろうか?
 岡田氏によれば、ジェリコーが描いた寸断された身体は、その「視座」の点で空間的・時間的に断片化された近代的な知の在り方を象徴しているのだという。いわば、彼は「断片知」の先駆者である。その上で、岡田氏は画家の「五つのモノマニー(偏執狂)」シリーズに注目している。このシリーズは、どの顔にも意図的に「意味」を賦与できることを表現している。我々は、例えば健康的で正常な人間の怒っている顔の写真を観て、医師から「この写真の男は偏執狂の特徴を持っています」と説明されると、その賦与された「意味」をあるいは信じるかもしれない。「顔」に「意味」が賦与されるのであって、「意味」はあくまでも我々が生産しているものに過ぎない。ジェリコーのモノマニーシリーズは、まずもってこの顔の記号学を我々に示唆している。
 「モノマニー」という言葉自体は「偏執狂」と訳されることがあるが、1850年代のフランスでは既に批判され始め、世紀末になると今日でいう「ヒステリー」、「パラノイア」という言葉が取って代わる。ジェリコーのモノマニ―シリーズは、元はジョルジュという精神科医が彼に依頼したものだが、この医師も観相学――特に「狂気」の徴候は何らかの形で必ず身体的特徴として表示されているという考え――に関心を深く寄せていた人物である。当時の医学界では、「錯乱」した人間の顔には、既にその病魔の「深い痕跡」が現れているという。この限りで、「顔」はまさに読解されるべき「平面」として解釈されている。
 モノマニーとジェリコーの関係性については、幾つかの説が存在する。一つ目は、ジェリコー自身が患者だったとする説だ。これは彼が偏執狂をテーマにした肖像画シリーズを描いた動機として説得的である。もう一つは、先述したように精神科医ジョルジュが、あくまでも科学的な資料としてジェリコーにモノマニー患者の「徴候」を描いて欲しいと依頼したというものだ。もしかすると、事実はこの二つを同時に満たしていたのかもしれないし、そうではないのかもしれない。しかし、いずれにしても、フランス革命以後の1820年代に、モノマニーを患った犯罪者の「司法的責任」をめぐる論争が学界で活発化していたという事実である。当然、こうした議論の活発化には、「モノマニー」と診断される犯罪者の増加が顕著であったという背景が存在するわけであり、ここに我々はフランス革命が心性に与えた社会的「後遺症」の顕れを読み取ることもできるだろう。
 ところで、ジェリコーは代表作《メデュース号の筏》のために、わざわざアトリエに死体を設置してくまなく観察したという。彼は、この絵によって「極限状況下」に置かれた人間の存在形式を問うている。この画家の才能に逸早く気付いていたのはドラクロワであった。ドラクロワは日記の中でジェリコーの「解剖学的断片」を美術史における最初の「主題なき絵画」とみなし、更に彼の寸断された身体について「崇高」であると評価している。ドラクロワはダヴィッドが生きたモデルを死者へと変貌させてしまうことに対して、ジェリコーは死んだ断片さえもが「生命の息」を吹き込まれている、と表現している。明らかに、ドラクロワはジェリコーの身体の断片化された絵に、死んでいるはずの肉体に瞬いているauraの残滓を嗅ぎ取っているのだ。
 このように捉えると、ジェリコーの「寸断された身体」の持つ重要性が自ずと判然としてくる。彼はバタイユのアセファル(無頭人)、ベンヤミンの思考断片とアレゴリーの優位、そして美術における「コラージュ」などを先取っているだけではない。ジェリコーこそは、前近代までに中心的であった有機体論的な統一モデルに対する強烈なアンチテーゼ――近代的「断片知」――の先駆なのである。
 ジェリコーの細切れにされた身体は、確かにまるでまだ生きているかのようだ。断片的身体は部分的にまだ生きているのだろうか? 岡田氏によれば、それは外的生命である「ひと」としては死んでいるのだが、血液の内部循環においては、断片であっても「短時間」はその「内的生命」を維持するのだという。ここに、ダニエル・アラスのいう「ギロチンのパラドックス」が生起する。もしも、切断された首が短時間はまだ生きているのだとすると、「処刑(ギロチン)」と「死」を同時性において結ぶことへの懐疑が必然的に生まれるはずである。「首はしばらく生きていて、〈己の死〉を自覚しているのではないか」――この命題は、19世紀において医学界で論議されたテーマであった。もしそうであれば、斬首されたと伝えられる洗礼者聖ヨハネも、斬られた胴体や微笑みを浮かべるサロメの姿を、薄れ行く意識の残滓のはざまで感じ取ったのかもしれない……。
 実は、ジェリコーもこうした当時の医学的論議を共有していたからこそ、あのような生き生きとした断片的身体を描けたのだ、とする説が存在する。しかし、そもそもジェリコーが自らの作品を解説しているわけでもなく、何故こうした絵を残したのかという真意は謎に包まれたままだ。岡田氏はジェリコーを、あらゆる意味系列が作り出す制度の「外部」、生と死、子供と大人、正常と異常などといった「境界性」の侵犯そのものとして、ラディカルに把捉している。
 

ボディ・クリティシズム―啓蒙時代のアートと医学における見えざるもののイメージ化ボディ・クリティシズム―啓蒙時代のアートと医学における見えざるもののイメージ化
(2006/12)
バーバラ・M. スタフォード

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【バーバラ・マリア・スタフォードによる近代的「身体病理」の再構成】

 スタフォードも、「精神」すなわち内部が、外部である「身体」にそのまま表出するという観相学について、主著『ボディ・クリティシズム』第四章「徴化」で言及している。観相学の大家として登場するのは、やはりラファーターである。彼は、ある少女が「毛の生えたイボのようなもので覆われている上に、背には鹿のような色の瘤がいっぱいあった」ケースについて言及している。彼の考えによれば、この異形の少女は、母親が妊娠中に隣人と「鹿肉か何かのことで争ったことがある」からこそ、この時の精神状態が胎内の赤子にmaking at a distance(徴化)として表出するのだという。ラファーターは以下のように、今日から観れば「奇説」であるところの考えを自信たっぷりに表明している。

想像力が欲望、愛憎に激しく突き動かされる場合、それが創るか滅ぼすか、大きくするか小さくするか、巨人を創るか矮人を創るか、美を生むか醜を生むかが瞬時にして決まるのである。胎児はこの想像力によって成長か矮小化か、智慧が愚か、均整か不体裁かの胚を仕込まれ……この胚は後に、一定の時間を置いてある条件下にその姿を現すのである。(p412)


 こうした観相学特有の、ある種「平面的」ですらある素朴な思考は、実はマルブランシュの神学――アウグスティヌスの神学に伝統を持つものとしての――とも結び付いている。スタフォードによれば、キリスト教の神学者の中には、持って生まれた皮膚の病は「原罪」の表れであると解釈する者たちも存在した(ナザレのイエスは聖書の中で、病理の原因を「罪」に帰してはいない点に注意せよ)。彼女は以下のようにこうした野蛮な考えを説明している。

加えて、頭脳の痕跡を他の人間の肉体に残す動物精気の奔流の生理学的作用についても縷説している。妊婦が経験した激しい感情――が、発達中の胎児の繊細極まる繊維の上に病理学的、怪物学的な恐怖を雨霰と注いでしまうのである。かくて、自然環境、人工環境に弱いのは、性関係を結び、受精の瞬間を迎える両親なのではなく、もっぱら母親一人なのである。(p407)


 スタフォードは、「病の伝染、あるいは身体から身体へと病が移ること」をContagionという術語のもとにまとめている。興味深いのは、彼女が人間の身体の「腐乱」、「腐敗」もまた、普遍的な「衣裳」であると規定している点ではないだろうか。元々、ギリシア語で「皮膚」を意味する「クロス」は、「色」を意味する「クローマ」と同義語である。スタフォードは、皮膚上に生起した「病理」は、異端者のシャツを穢すためのシンボリックな「寓意記号(エンブレム)」と同類の記号表現であるとみなしている。すなわち、皮膚の「病理」とは、テクスト、平面上に生起するシーニュ(記号)として図式化することが可能となる。スタフォードの関心は皮膚病を表象した数々の図像にも向けられているが、中でもジャン=ルイ・アリベール(1766-1837)の『聖ルイ病院臨床学』(1833)を高く評価している。彼はこの時代の名高い皮膚科医であり、ルイ18世の侍医にして男爵であった。スタフォードはアリベールの図版に注目しながら、「皮膚の鉱物化・植物化」というテーマを前景化させている。いわば、皮膚が「廃墟」になった状態への知的関心である。
 観相学がいかに「迷信」に起源を持っているかについて強調するために、スタフォードは古代スパルタで流行していた奇怪な風説を紹介している。曰く、彼らは妊娠中の母親がイメージした「空想の産物」が、確実に胎児の姿形に影響を与えると信じていた。ゆえに彼女たちはナルキッソス、ヒアキントス、アポロンなどの画像を見て、胎児の姿を美しくするように「念じ」たのだという(これは“facial transplants/顔うつし”、と呼ばれる)。この考えは、「精神」的な「見えないもの」が、「肉体」的な「見えるもの」として表出するという観相学的図式と同一であり、原理的なアーカイブであるとみなすことが可能である。彼女はこうした「印象の刻印」を、maternal impressionsと表記している。





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