† 貴族文化 †

「恋の神」が支配する宮廷――12世紀の恋愛論の白眉、アンドレアス・カペルラヌス『宮廷風恋愛の技術』の世界

François Boucher
フランソワ・ブーシェ《春》(1755)

【「宮廷風恋愛」の成立背景】

 アンドレアス・カペルラヌス(Andreas Capellanus)の『宮廷風恋愛の技術(The Art of Courtly Love)』(1184〜1186年)を編集したジョン・ジェイ・パリ(John Jay Parry/1889-1954)は冒頭の「編者序文」を書いているが、これは中世から連綿と読み継がれてきたヨーロッパにおける「恋愛論」を上手くまとめた格好の紹介文となっている。最初に、この「編者序文」をまとめておこう。
 古代における恋愛論の白眉は、アウグストゥス時代のローマの詩人オウィディウス(Publius Ovidius Naso, 紀元前43年3月20日 - 紀元17年)による『アルス・アマトリア(恋の技術)』、『レメディア・アモリス(恋の治療)』、『アモレス(恋について)』の三冊である。オウィディウスの恋愛論はその後、「宮廷風恋愛(仏:Amour courtois, 英:Courtly love)」の概念を形成する上で重大な影響を及ぼした。彼の考えを、ジョン・ジェイ・パリは以下のようにまとめている。

恋は一種の「戦争」であり、恋する者はすべて「兵士」である。恋の神クピドが総司令官であって、女たちも彼の指揮下にあり、その権力は男に対して絶対である。男は可能ならば、女を騙してもいいが、女のほんの微かな願望にも逆らうところを見せてはならない。女の気に入るためなら、男は彼女の家の戸口で夜っぴいで見張っていなければならず、ありとあらゆる艱難辛苦に耐え、ありとあらゆる馬鹿げた行為を遂行しなければならない。恋ゆえに、男は顔色も蒼褪め、痩せ細り、眠りを失わなければならない。何をしようと、いかなる動機であろうと、全ては女のためであると、男は女を納得させなければならない。このような愛情表現をいくら見せても依然、女が頑なに留まっているなら、男は女の嫉妬を掻き立てなければならない。よその女を恋しているふりをしなくてはならない。男を失ったと思えば、女はたぶん降参しよう、男は嗚咽する女をしっかと胸に抱き留めることができよう。(p4)


 ここで表明されているのは、一人の男が一人の女を純真に愛するその「美徳」に他ならない。彼は恋する女性のために尽くすナイトであり、ここには古代から教えられてきた恋愛における「女性の優位」が窺える。尽くすべきなのは男性なのであり、女性はその捧げものを味わうという図式がここに現前する。
 しかしながら、オウィディウスは「情事」は秘密にすればするほどいっそう楽しくなるとも述べている。12、13世紀のヨーロッパは多様な形でオウィディウスが再読された「オウィディウスの時代」といっても過言ではない。貴族階級の恋の「美徳」の模範ともなった、いわゆる「宮廷風恋愛」が成立した背景には、オウィディウス、そしてイスラム教のアラビア文学における恋愛物語の影響を受けた南フランスの「トルバドゥール(Troubadour/中世のオック語抒情詩の詩人、作曲家、歌手)」たちの存在が極めて重要である。トルバドゥールたちの存在なくして、これほどオウィディウスのルネサンスが起きることはなかった。
 イスラムの恋愛論が「宮廷風恋愛」に影響を与えた例として、中世イスラム世界の神学者にして詩人でもあったイブン・ハズム(أبو محمد علي بن احمد بن سعيد بن حزم, Ibn Hazm, 994年11月7日 - 1064年8月15日)の恋愛論『鳩の首輪(Ṭawq al-Ḥamāmah)』(1022頃)が挙げられる。この本によれば、オウィディウスと同じく恋をすると痩せ細り、蒼褪め、苦悩するという「恋の病」を「身体」的に表現する伝統的な形式が見出せる。恋――それは甘美なものである以前に、まず「メランコリア」として身体的に表現されていたのである。イブン・ハズムによれば、「恋」は多くの点において人を以前よりも「善く」するという。また、プラトンの『饗宴』での名高いアリストファネスの「魂のシュンボロン(割り符)」説を受容して、どんな人間も生まれる以前の天界においてはアンドロギュノス(両性具有)であり、地上に降下すると片方の性別しか獲得できないために、我々はかつて所有していたもう一人の運命的な「自己」、すなわち掛け替えの無い「恋人」を探さねばならないという。イブン・ハズムは「美徳」を重視しており、人妻には恋をしてはならないと強調しているが、オウィディウスを受容した中世キリスト教社会では、人妻こそが情事の対象になるという恋愛観も流布していた。とはいえ、オウィディウスにもイブン・ハズムにも共通していたのは、男は恋をすると「彼女の奴隷」になり、相手を「我が主君」と呼んでいたということである。――このように、トルバドゥールたちはラテン世界の恋愛神話だけでなく、ギリシア思想の影響を受けたアラビア文学における恋愛論という、二つの源流を持っていた。それが南仏において開花したというわけである。
 12世紀の「宮廷風恋愛」文化を学ぶ上で、ギヨーム公の孫娘アリエノール・ダキテーヌ(Aliénor d'Aquitaine, 1122年 - 1204年4月1日)とフランス王ルイ7世の娘マリー・ド・シャンパーニュの存在は見過ごすことができない。母親アリエノール自身もトルバドゥールで知られるギヨーム9世を祖父に持っており、ベルナール・ド・ヴァンタドゥールら吟遊詩人を庇護して多くの文芸作品を誕生させ、洗練された宮廷文化をフランス、イングランドに広めた存在として知られている。
 マリー・ド・シャンパーニュが開いた文学サロンに参加していた者たちの中からも、この時代を象徴する重要な恋愛文学が花開いた。その一人が、『クリジェス(Cligès)』( 1176年)、『荷車の騎士ランスロ(Lancelot, le Chevalier de la Charrette) 』(1177〜1181年)の作者クレティアン・ド・トロワ(Chrétien de Troyes)であり、これらの作品は女主人マリーに献呈されたものである。18世紀にやはり雅な恋愛を描き出したロココ文化が、マリー・アントワネットやポンパドゥール夫人といったシンボリックな女主人を抱えていたように、この時代の宮廷においてマリーの存在は非常に重要であった。マリーの義妹であるアデル・ド・シャンパーニュのサロンもやはり「恋愛」をテーマにした作品を推薦していた。マリーの夫はシャンパーニュ伯爵で自由主義者として知られたアンリ1世であり、彼の領地がトロワであった。
 このマリーの「礼拝堂付き司祭」であったのが『宮廷風恋愛の技術』の著者アンドレアス・カペルラヌスに他ならない。この本は、マリーの母親エレアノールの時代の華やいだ宮廷の様子(1170〜1174年までの期間)を背景にして、1184〜1186年にかけて執筆されたと考えられている。カペルラヌス自身は聖職に就く男ではあったが、神への聖なる愛を知るためには、まず何よりも男女の愛を知らねばならないと考えていたようだ。1277年になると、パリの司教ステファン・タンピエが本書を「恋ないし恋の神に関する書物」として危険視し、弾劾するに至る。しかし、17世紀まで幾度も印刷されては大きな人気を博し、14世紀のスペインでは「恋のための宮廷用教科書」として神聖視されたという。


【「宮廷風恋愛」における恋の定義】

 アンドレアス・カペルラヌスによれば、恋(amor)とは一種生得の「苦悩」に他ならない。

恋するに相応しく、自分の趣味に叶った姿形の女を目にすると、男はすぐさま心の中で彼女を欲し始める。女のことを思えば思うほど、男は恋心に燃え、ついには更にいっそう深い物思いに耽ることになる。やがて女の体の造りをとつおいつ思い、彼女の手足の美しさを他の女たちのそれと区別して鮮やかに思い浮かべ、彼女の立ち振る舞いに想いを致し、彼女の肉体の秘密を詮索し始める。そして男は秘められた女の肉体のどの部位をも十分に活用したいと希う。かくして、物思いが完了するや、逸る恋心の駿馬はもはや手綱の制止もきかず、ただちに行動に移る。ひたすら男は助っ人を得て仲介人を見出さんと闇雲に悶える。恋する女の意を迎えるにはどうしたら良いかと計画を練り、口をきく絶好の場所と時を求めてやまぬ。束の間の一時が長い一年のように思える、男は己の熱烈な心に応えるほど速やかに事を運ぶことができないからだ。こんなふうに色々なことが男に起こるのは、世間周知のとおりである。かくいう次第で、この生得の苦悩が生まれるのは、目に見え、そして物思うところからである。全ての物思いが恋の源だとは限らない、過度の物思いが必要なのである。(p31~32)


 カペルラヌスは、人は恋をすると、各個人がそれぞれ持つ何らかの「怖れ」を誘発させるとも述べている。恋する者は急速に自分の弱点や短所が気になり始め、ほんの些細なことで深い物思いに沈む。いわば、カペルラヌスは「恋のメランコリア」の魔を語っているのだ。
 「恋(amor)」の名の由来について、彼は以下のように説明している。

恋はその名(amor)を鉤を意味する言葉(amus)から得ている、もともと「捕える」、「捕えられる」の謂いである。恋する者は欲望の鎖に捕えられ、そして自分の鉤で他の誰かを捕えようと希う。ちょうど熟練の漁師が餌で魚をおびきよせ、曲がった鉤でひっ捕えるのと同じように、恋の虜となった男は彼の魅力で他の誰かを惹き付け、二つの別々の心を一つの無形の絆によって結び付けようと全力を注ぐ。既に結び合った仲なら、その関係を永遠に保とうと努力する。(p34)


 カペルラヌスによれば、恋する男は己の「貞潔の美徳」で飾るという。恋のメランコリアは相手に好かれようと本能的に内省へ転じるため、男は自然に「貞潔」で身を纏うようになる。しかし、彼は「恋の神」に全幅の信頼を置いているわけではない。幾つかの場合において、恋が未熟に終わることがある。例えば、カペルラヌスは「十八歳以前では男は真の恋人たりえない」と述べているが、それは彼がまだ精神的に不安定で、経験が足りないからである。また、「過度の情欲」もまた、「恋」の果実に毒を刺してしまうことがあると彼は注意を呼びかけている。

過度の情欲は恋の妨げである。なんとなれば、激しい欲情の奴隷であるあまり、恋の絆に繋がれていることができぬ男たちがあり――彼らはある女について長いこと物思いに耽った後でも、いや彼女を我がものとした後でも、別の女を目にすると、たちまちその女の抱擁を望んで、最初の恋人から得た色々な献身的奉仕のことも忘れ、感謝の気持ちなど露ばかりも感じなくなるからである。この種の手合いは目にするあらゆる女に欲情する。彼らの恋は恥知らずな犬畜生のそれと異ならぬ。いや、むしろ彼らは駿馬にたとえた方が良いと私は信じる。これらの男たちを動かしているのは、理性の違いによって他のすべての動物から我々人間を区別している真の本性ではなく、他の動物たちと異ならぬ段階に生きていることを示す低劣な性質のみだからだ。(p37)


 このように、彼は男性が過度の情欲を多くの女性たちに向けることについて、獣性に支配された堕落であると退ける。では、カペルラヌスは「恋」において、男性にいかなる態度を求めているのだろうか? 核心となるその作法は以下である。

男に真の高貴さを与え、彼が溌剌たる美しさに華やぐのは、ひとえに優れた人格の力なのである。我々人間のすべては元々同じ根株から派生したもので、当然のことながら万人の祖先は同じと言い得るのであれば、最初に人間のあいだに尊卑の差を生み出し、階級の区別を作り出したのは、肉体の美でも入念な化粧でもない、所有財産の豊かさでさえない、ただに人格の優秀さのみであったのだ。(p40)


 彼は恋愛において「人格の優秀さ」を第一として、美醜や社会的地位、財産などを除外している。これは、ギヨーム・ド・ロリス、ジャン・ド・マンによる『薔薇物語(Le Roman de la Rose)』で、男性にもギャラントリー(galanterie)が推薦されていた「愛の教え」とは異なる点である。この中世の愛の教科書によれば、恋愛のためには男性も外見的な「雅」を心掛けるべきであり、いかなる場合でも常に優先される第一原理は「愛する女性を愉しませること」なのであった。参考のため、以下に『薔薇物語』における「愛の十戒」の要点となるものを紹介しよう。

Ⅰ 下賎を遠ざけよ。

Ⅱ 他人の中傷を口にするな。

Ⅲ 自分からすすんで挨拶せよ。

Ⅳ 雅な言葉を心がけよ

Ⅴ あらゆる女性を敬い、奉仕せよ。女性の悪口をいうものがいたら、その人を咎め、黙らせること。婦人や娘たちの気に入るようなことをせよ。

Ⅵ 謙遜を心がけよ。高慢は避けよ。

Ⅶ 美しい服や飾り物を男性も心がけよ。
  男性は「優雅」を意志せよ。

Ⅷ 快活さを保ち、楽しみや気晴らしに専念せよ。
  音楽を演奏し、ダンスし、スポーツせよ。

Ⅸ 気前よく、相手にものを与えよ。

Ⅹ 心を常に<愛>のみに集中させよ。常に<甘美な時>を思い起こして生きなさい。



 しかし、カペルラヌスは司祭であったため、伝統的な美徳を男性が恋において「高貴さ」を発揮する第一原理と規定している。また、「〈恋の神〉の宮廷において身分の上下は存在しない」とも述べているように、彼はいわゆる「格差恋愛」(社会的ステータスの顕著な差異が見受けられるような恋愛関係、例えば貴族の女性と庶民の男性)を容認しない。
 
【「恋の神の宮廷」の地理について】

 カペルラヌスによれば、「恋の神」が支配する宮廷は以下のような同心円構造になっている。

・「喜悦の園」(第一の園)

 ここは恋の宮廷の中心であり、「恋の王妃」と「恋の王」が君臨している。この二人は世界中に存在する恋する男女の守護神である。

・「湿気の園」(第二の園)

 この園は中心から外れており、ふしだらで堕落した男女が「喜悦の園」への激しい嫉妬と願望に苛まれながら生きている。この園を支配するのは「嘆き」であり、ここに恋の神は存在しない。

・「乾きの園」(第三の園)

 ここには「湿気の園」にかろうじて存在した「恋の神」への願望すらも存在せず、ただ恐ろしい地獄のような「乾き」と恒久的な「飢餓」のみが存在する。



 以上の三層構造が「恋の神の宮廷」の地理である。御気付きだと思われるが、中心に向かうほど「美徳」、「高貴さ」が高くなり、最終的に恋の神に認可された精神的な深い絆によって結ばれる。カペルラヌスは、この中心の園には「人間の舌で語ることのできないほどの快楽」に満たされていると述べている。
 また、別のページでカペルラヌスは世界には四つの極めて美しい東西南北の宮殿が存在すると述べている。「恋の神」は日の出ずるところ、すなわち「東」の宮殿を使っている。それゆえ、「東方に住まう恋の神の光」などという表現が用いられる。その他の宮殿には、この神にあやかろうとする大勢の女性たちが存在するが、堕落と頽廃に支配されている。





「参考文献」

978-4-588-00297-7.jpg

宮廷風恋愛の技術 (叢書・ウニベルシタス)











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