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白日夢の不倫――フランスの女流作家ダニエル・サルナーヴ『幻の生活』の世界

Miranda Kerr by Tom Munro
Miranda Kerr by Tom Munro

 フランス現代文学の一翼を担う女流作家として本国で高く評価されているダニエル・サルナーヴの『幻の生活』を読み終えたので、記録を残しておく。本作は教師をしている既婚者の男性ピエールと、その愛人であり図書館司書をしている若い女性ロールが織り成す「不倫」を、リアリスティックに、時には官能的な筆致で細やかに描いている。
 
【妻帯者を愛する女性の孤独】

 ロールという二十六歳の女性は上品で大人しく、読書好きで辛抱強い。他方、彼女の友人であるジスレーヌは対極的であり、冒険的で情熱的、恋愛遍歴も数多いが、その分男運はない。本作には随所に、妻アニーがいながらも自分を愛してくれるピエールに対する複雑な感情が、ロールの繊細な心理描写を通じて描かれている。以下の場面は、ロールが一人で海沿いのホテルで宿泊している描写である。

西の方を見ると、一条の薄雲が赤く染まり、水平線に低く靄が立ち昇っていた。一方、河が海に合流している辺りには、クレーンの列が黒く浮かび上がっていた。烈しく、絶え間なく、一見無秩序に見えるひとつの活動のありさまに直面して、彼女は面食らった。肉薄してきたのは、騒々しい音を立てて存在する、まやかしでない何か、本質的な何かだった。それを前にして、彼女は漠然とだが、自分が無意味なことと偽りの中で生きているように、幸福感と自分だけの愁いの中に過剰に浸って生きているように感じた。自分があとにしてきたものの重みが突如、取るに足らないものに思えた。眼前の世界を構成しているのは確かなものばかりだった。汗を流して働くあの人々、あれらのクレーン、積み上げられているあの沢山の袋、船体の一部を大きく開けて荷物を積み込んだり、降ろしたりしているあれらの貨物船……。時刻がもうかなり遅いのに、太陽がなお、車のボディの鋼板に、船体の側面に、港の倉庫の屋根に、無数の黄色い光の粒を投げかけている。それを海の風が勢いよく運び去り、辺りのすべてを一掃している。これに較べれば、粗野なまでに力強い労働のリズムに従うこうした生命活動に較べれば、愛――彼女がどこへ行く時もその秘密と重みを持ち運んでいる愛とは、今この瞬間もどこかのレジ係の女と港の倉庫係の男が営んでいるに違いない《アヴァンチュール》なるものの一つに他ならない。彼女が大切にしている《秘密》も質的に異なりはしない。(p43~44)


 ここで彼女が目にしている光景は、日本のどのビジネスホテルでも容易に見出し得るものである。つまり、ホテルの傍では工事が行われていて、様々な工事道具(クレーン、無数の作業袋、荷物など)に燦爛と陽光が降り注いでるわけだ。時刻がもう遅いと表現されているので、ロールが見ているのは夕暮れの平穏な街並の一つだろう。この光景に、ロールはおそらくベンヤミンのいう意味でのauraを感じたのだろう。「肉薄してきたのは、騒々しい音を立てて存在する、まやかしでない何か、本質的な何かだった」――この重要な直観は、一見何気ない平穏な街並に潜在していたというわけだ。ロールはここで、いわば自分の生活におけるピエールの存在について内省を促されるのである。ピエールは妻帯者であり、妻アニーをやはり愛している。にも関わらず、ピエールは自分をも愛してくれる。しかしロールにとってそれが「純愛」のように感じられても、ピエールがしているのは客観的に見ればやはり「不倫」なのだ。ロールはその時、自分がピエールに提供しているのは「アヴァンチュール」に過ぎず、本質的に空虚な愛であることを自覚するのだ。ロールは二十六歳の大人しく、やや厳格な印象も与える女性である。普段、彼女は図書館司書として好きな本という存在に囲まれながら働いている。それは幸せで堅実的な仕事だが、やはりどこかに「退屈さ」も存在している。ロールにとって、ピエールとの不倫関係が専らベッドで情熱的に抱き合うことに没入するものとして登場するのも、この反動なのだろう。ロールはピエールから身体で愛されることを欲している。同時に、ピエールもロールの身体の全ての部分が愛しくてたまらない。そんな二人だからこそ、二人は昼下がりから肌を重ね合い、タイトルにもあるような「幻の生活」を送るのである。
 ロールがピエールの妻アニーに「嫉妬」を覚えている時の内面心理については、例えば以下のように記されている。

アニーがベッドの中で彼に体を寄せるだろう。あるいは、アニーが動かなくても、ピエールの伸ばす手が彼女の肩に、彼女の背中に、また、ピエールが昔からなんて美しい形なんだろうと感心している彼女の乳房に出会うだろう。すると彼は彼女を愛撫し始め、アニーは幸せそうな溜息とともに彼の方へ寝返りをうつ。それからしばらく後に彼はベッドから起き上がるだろうが、その時も――ピエールには確信があった――ロールに対する彼の愛、彼の欲望は失せるどころか、無傷でそこに残っているだろう。(p178) 

 
【「不倫」の空間における二つの質――「ホテルの廊下」と「ベッドルーム」】

 サルナーヴは本作において、二人の愛し合う姿を実に情熱的に表現している。二人の関係は世間的には許されない愛であり、妻も認知しきれていないということが、いわば情熱の炎をいよいよ白熱させるのだ。二人だけの秘密の時間は、以下のように描写されている。

この時、彼らはまるで当惑しているかのようだった。何をすればいいのかほとんどわからないでいた。感動が、再会の喜びがあまりにも大きくて、いっさいの力が抜けてしまっていたのだ。どうかすれば泣き出したかもしれないくらいだった。やがて彼らは互いに身をかがめ、目を閉じたまま、手を大きく拡げて相手の体を探りつつ、自分たちの体の再発見に昂揚し、没入していった。ふたりを隔てた時間のことはもう頭になかった。ヴァカンスの間の別れなど現実ではなかったかのようだった。そして、ふたりの体が合体した時でも、双方の手はシーツの上でなおも行き当たりばったりに求め合っていた。(p86)


 再会があまりにも嬉し過ぎて、目前に迫ったベッドタイムへの期待と昂揚で「当惑」すらしていると表現されている。そして、抱き合っている時は、「双方の手はシーツの上でなおも行き当たりばったりに求め合っていた」。これは、ホテルで静かな内省に耽り、所詮不倫は不倫に過ぎないと冷めた見方をしていた時のロールとは完全に異なる。ここでの彼女は、喜悦に満ち、仕事場では考えられないほど「世界」を満喫している。サルナーヴは男女の性愛を、明らかに一回性の、掛け替えの無い神秘的瞬間として描き出している。二人が退屈でメランコリアに見張られたこの世界を、本当の意味で心底味わい、体感し、所有し、征服できるのは、生まれた状態の赤子の姿になって汗を流しながら全身全霊で抱き合うことだけである。この点で、『幻の生活』における生の道は、徹頭徹尾、性愛の大いなる肯定へと開かれているのだ。だが、この作品はロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』のように、都市からは離れた森の奥での性愛を描き出してはいない。もっと我々に近い現代的な空間での一つの「救い」の在り方を指し示している。それは、この都市という密林の中で見つけた「秘密のパートナー」と、昼下がりから原始的に愛し合うという、パラドキシカルな現代人の欲望のスタイルなのだ。換言すれば、それは「狩猟」としての恋、あるいはベッドの上で男女が繰り広げるある種の動物的な「闘い」であるとも言えるだろう。
 ピエールには、けれどもどこか女性という存在を「肉体」としてのみ観ているかのような側面も存在する。女流作家が、明らかに好感を寄せつつ描出した男性であるだけに、一方的に「男性視点」的な小説であるとも言えないのだが。その一端が窺い知れる章には、ピエールが情熱を持ってロールにクンニをしてあげ、彼もその行為に夢中になるような刺激的な場面も登場する――「ふたりの情熱の素晴らしい〈無目的性〉」。
 しかし、ロールは一人になると深い孤独感と悲哀に襲われる。ピエールと二人でいる時はあれ程の悦びに浸っていた彼女だが、一人になると不意に涙が零れてくる、とサルナーヴはその心情を表現している。この物語には心性と結び付いたシンボリックな空間が少なくとも二つ登場する。一つは、自身の不倫生活を内省し、愛欲から理性に目覚める空間としての「ホテルの廊下」である。そこは孤独だが、高度に瞑想的で静寂に包まれている。他方、理性が後退し愛欲が現前する空間は「昼下がりのベッド」である。そこには理性は存在しないが、深い悦びと全てを忘れさせてくれる儀式的な歓喜と快楽が待っている。このように、不倫は本作において、上記の二つを代表とする空間の質に分極化して展開される。ロールの一人だけの部屋と、一人で宿泊するホテルの廊下は等質である。不倫は情熱だけでなく、我々に内省を強いる。というよりも、情熱と内省が主成分となった一つの純化された恋愛形式こそが、おそらく不倫なのであろう。

【不倫とは常にその度ごとに更新される「初恋」である】

 二人が出会った最初期はどのような様子だったのだろうか? この時の興味深い心理について、サルナーヴは「ふたりの間には既に、男と女の関係が終わったあとに継続することのあるあの友情があった。しかし彼らは双方とも、そのままの状態が続きはしないと知っていた」(p115)と表現している。いわば、二人は出会った「起源」の時点で、既に直感的に自分たちが愛欲によって互いに烈しく結ばれ合うことを感じていたというのである。これは換言すれば、ひとつの「運命」に他ならない。マリーとの結婚がピエールにとって幸福で平穏なものであり、だからこそ退屈ですらあったのとは異なり、ロールとの関係はその「起源」からして既に肉体関係を予兆した「期待」を秘め隠した情熱を燻らせているのである。そして、二人は「愛が熟す」よりも前に、先に「肌」が互いを欲した。その後、二人は待ち切れないほど互いを求める情熱が強くなり、汗を流し合うベッドタイムの直後には、並木道に射す木漏れ日にすら近いようなauraを感じているのである。

そして逢い引きの後は、彼らの疲れがあらゆるものに彩りを与えるのだった。大通りの並木が陽に映えていて、その木々の浴びた暗緑色の葉叢の豊かさに、彼らは彼らの内部に目覚めたものに呼応するある気配、呼びかけ、ほとんど脅かすように迫って来るものを感じた。あたかも、目に見える世界の背後から、彼らの体の一致を通してもう一つの世界、より深い、あるいは高い、より輝かしい、漆黒の世界が現出したかのようだった。(p117)


 ここで描かれているのは、単に互いに肉体関係を持った男女が、行為の後の心地よいエクスタシスの余韻に耽っているというだけではない。そうではなく、重要なのは彼らがまだベッドタイムに向かう以前から、いわば出会った時点から行為の後の余韻を「予兆」していたという、その新鮮な感覚なのである。しかも、それはピエールの場合、ロールとの行為が終われば別の新しい女性にすぐさま移行してしまうような、軽はずみの欲望であったわけでもない。いわば、彼らは出会った当初からある種の「老いたるアダムとイヴ」の記憶を所持しているような関係性にあり、少しずつ抱き合うことで、かつて抱き合っていた時代の記憶を蘇生させているのだ。換言すれば、彼らにとってベッドタイムは、かつて愛し合った記憶を時を隔てて「前世想起(アナムネーシス)」するための神秘的な「儀式」に相当するということである。だからこそ、快楽の味はこれ程までに二人を圧倒し、甘美な恍惚へと誘うのだ。

昂奮がおさまり、満足しきったふたりが、午後の終わりの穏やかな光の中で体を寄せ合い、一対の恋人をテーマとする中世の表象に見られるように唇と唇をくっつけ、額と額をくっつけているとき、時間は彼らから何も奪うこともなくゆっくり過ぎていく。彼らは力が抜けてしまっていた。ピエールは仕事の一部や、彼女に見せたい一節、読んで聞かせたいくだりのある本を持ってきていた。しかし彼らはそんな本も開いてみなかった。ただその場にじっとして、目を閉じているのだった。ロールがピエールを両腕で抱きかかえ、ピエールがロールを両腕で抱きかかえているとき、どんな災いが彼らを襲い得ただろうか。(p113)


 二人の愛し合い方は、あくまでも純愛のそれである。ここには、ゴダールの『女と男のいる舗道』で見出されたようなクールでコケティッシュな雰囲気は存在せず、むしろ頭が下がるほど彼らの「不倫」は「純粋」なのだ。純粋な不倫とは、半ばアンビヴァレントな表現であろうが、これは一面でやはり「恋」の本質をついていると言い得るのではなかろうか。たとえ妻がいても、自分にとって魅力的であるような運命的な女性は、徹頭徹尾「初恋的に夢中になれる」男性――それがピエールの美点であり、弱さなのである。
 この物語には、どこかバルテュスの描いた街路に近い奇妙な「不安」が宿っている。二人の男女が過ごす秘密の愛の日々は、常に彼らが一人になった時間に訪れる「メランコリア」と隣り合わせである。タイトルである『幻の生活』が、いっそう絡まり合う裸体が白昼夢のようにして味わう逢瀬の快楽を、神秘的でイリュージョニスティックなものへと変容させている。本作は通常の意味での「不倫」の物語ではなく、どこかでおそらく「夢」という虚構が介在しているに相違ない。実際、作者は意図してか、ベッドタイムを白昼という時間帯において多く描き出しているのである。行為の後にぼんやりと遠くから響いて来る「教会の鐘の音」が、いっそうその印象を強めている。
 物語が進むに連れて、ピエールは自分の二人の子供について会話にのぼらせるほど、ロールを信頼し始める。しかし、ロールは彼の言葉の節々に、それが果たして本心なのか、「甘い演出」に過ぎないのかと疑念を抱かざるを得ない。ロールはいわば、恋愛における「盲目性」に対しては従順になれないのであり、身体的には彼を求めていても、常にアニーというピエールの「妻」の影を悲哀と共に意識しているのである。
 二人は「本」を中心にした会話によって関係を深めていく。彼らはベッドの上でも本を開く。ロールは内心ではピエールとのプラトニックな恋愛を大切にしており、公然とエロティシズムを仄めかすような野暮ったさを見せはしない。
 興味深いのは二人の電話でのやり取りだ。二人は自然に「婉曲語法」を多用する。例えば、「二時間空いた」は、〈二時間は君と二人でベッドで時間を過ごせる〉を意味するなど、会話はどこか暗号めいた秘密のディスクールへと向かっていく。こうした「逢瀬における婉曲語法」というサルナーヴの着眼点は、どこか記号的なユーモアを感じさせて面白い。
 月日は流れ、二人が出会って関係を持ち始めてから四年後も、彼らは互いにベッドタイムを大切にしている。ロールには設定上のためか、新しい恋人はあくまでも現れない。ピエールはこの四年間で妻と愛人の間で葛藤してきた内面を、遂に恩師であるローティエという老人に相談する。しかし、ローティエは書物の世界にのみ「生」を見出してきたようなタイプの教授であり、彼に根源的な示唆を与えようとはしない。ピエールはどちらの女性も傷つけたくはないと考えている。どちらも傷つけずに済む「魔法」が欲しいのである。

【不倫の結末】

 この小説には、実は「落ち」が存在しない。不倫をテーマにした小説の場合、妻が愛人の存在に気付いて苦悩の末に自殺したり、あるいは妻が逆に愛人を作ることで夫に復讐したり、男性が二人の女性との愛に迷妄を感じ、挙げ句に死を選ぶなどという劇的な展開も十分に起こりうるものである。むしろ、我々は文学の世界にそういった「ドラマ」を往々にして求めがちだ。だが、サルナーヴはこの点で、極めて現実主義的である。この物語における「不倫」は、けして終わることがない。そればかりか、ピエールとロールは四年経過した後も一ヶ月に六度は会い、ベッドの上で互いに歓喜を共にしている。アニーはこれに気付くことすらなく、終わりの章でようやくロールと対面した時も、感じの良い美しい女性に感じて挨拶し、「気付かぬ妻」として描かれ続けるのである。ここまで秘密が守り通され、愛欲の閉ざされた円環の中で二人が時間を共にする小説も珍しいだろう。本作のテーマは必ずしも性愛ではないが、実質的にピエールはロールの肉体の虜になっており、これは冒頭から終盤まで全く変化しない。彼はロールにいつまでも夢中な男として描かれている。一方で、ロールにも特定の同年代の男性が現れず、終始ピエールとの歪な「純愛」が成立している。作者は女性であり、本作はヒロインであるロールを視点にして多くの場面が描かれているが、ピエールにも視点は変化する。そして、ピエールの女性に対する欲望の描き方は、本作の場合かなりの頻度において肉体中心的である。このようなエロティックな女性の肉体への欲望は、男性作家であれば自然に描き出せるものだろうが、サルナーヴはロールにおそらく心理的に同一化しつつも、ピエールを「女好き」の男として描出することにある種の快を感じているかのようだ。サルナーヴの文体も、ところどころにサルトルの『嘔吐』(というより、ソレルスの文体だろうか?)に通底するような思弁的、観念的随想が入るスタイルであり、彼女がノルマリアンで《テル・ケル》誌などに寄稿していた履歴も鑑みると、どちらかというと「男性的な哲学的思考」が得意な才媛だったと考えられる。ヒロインが図書館司書で、相手が教師であるという堅い設定も、そうした雰囲気を感じさせる。
 恋愛をテーマにした現代文学の中でも、特に妻帯者との「不倫」生活を細やかに描いた秀作を探している方には、本作を推薦することができる。妻がいるという設定を仮に除外すれば、二人の関係は完全に「純愛」のそれである。月日が流れても途絶えることなく続いていく甘美でどこか寂寥感も漂う関係――それはもしかすると、人間の「人生」の象徴的な縮図であるのかもしれない……。





「参考文献」


幻の生活幻の生活
(1997/03)
ダニエル サルナーヴ

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