† ポール・ド・マン †

ポール・ド・マンの「モダニティ」、「瞬間」の概念について――『盲目と洞察――現代批評の修辞学における試論』読解(2)

Fashion Photography by Aneta Kowalczyk
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【創造の「瞬間」】

 二十世紀において最も重要な作家であるJ・L・ボルヘスは「タデオ・イシドロ・クルスの生涯」の中で、人間には己が何者であるかを悟る「瞬間」が存在すると述べている。ド・マンがジョルジュ・プーレ論(六章)で展開しているのも、このような特異な「瞬間」を巡る思考である。
 作家はどのような瞬間に作品を創出するのだろうか? 例えば、ルソーとジュリアン・グリーンは書く前の「出発点」において幸福な感覚を共有していた、とド・マンは述べる。しかし、プルーストとバンジャミン・コンスタンはそうではなかった。プーレの述べる「出発点」は、「あらゆる事物の基底を構成し先在する永続的な不断の〈運動〉の再-発見として現れてくる」。バラバラになっている時間断片をひとつの「瞬間」にまとめあげるような一つの時点――それはボルヘスの言う「自己とは何であるかを決定的に悟る〈瞬間〉」の観念にも近接している。ド・マンはこのような名状し難い創造の原-時点とも呼ぶべき瞬間について、「かつての生のしがらみの一切を断ち切らせることを本質的な特徴とする〈瞬間〉」と述べている。ド・マンは八章でもやはりこうした「瞬間」の概念を取り上げており、そこでは文学とは、このような瞬間の連続(複数の諸瞬間)として規定されている。
 プルーストの場合、「想起」は「永遠」へと入り込んで行くための一種の儀礼行為であった。それは一つの神話的過去の創出であり、まさに「創造的瞬間」である。プーレによれば、「瞬間」は人生を統一するような輝かしく詩的な神秘を宿した一瞬として規定される。ここにはベルクソン哲学からの影響も窺える。こうした「瞬間」概念を一つの基軸として、プーレは作家としての鋭い観察眼で批評も行っていた。ド・マンが注目する作家は、ブランショにせよプーレにせよ、批評と小説に跨がり、双発的に進化させていくような創造者に他ならない。「つまりどの作家も、唯一無二の未来の己自身の存在を、自らの作品という企図の中に投げ入れるのである」(P172)

【「モダニティ」について】

 八章でド・マンはまず「モダニティ」の定義の困難さ、その錯綜さを示唆する。モダニティという概念にもしアントニムが存在するとすれば、それはおそらく「歴史的」(伝統的、ないし古典的)であろう、と彼は考える。ニーチェの考えによれば、近代人はギリシア人と対立していたが、ド・マンはこれを受容して「モダニティ」とは一過性の流行ではなく、より実践的で根底的な何かであると把捉している。何か、とはすなわち、「衝動」である。例えば「動物」という存在は、いつでも「瞬間」を生き、過去を振り返らず、非歴史的である。なおかつ、ニーチェは彼らを「ある種の幸福の内に生きている」とみなしていた。ニーチェのいう「衝動」とは、このような動物存在を看取した上で成立しており、それは行動に没入する際のある種の「盲目性」を担っている。モダニティとは、どのような衝動であるのか? ド・マンによれば、それは「自分自身に向かって批判的な裁きを下す」ことの可能な、「それ自体が生成力」となるものである。モダニティとは、新しい出発を印付ける原点へ到達しようと試みつつ、どんなものであれ先行するものの一切を払拭しようとする欲望というかたちをとって存在する。それは「意図的な忘却」と、「新しい起源への意志」の結合である。モダニティとは、「自分自身を否定し、かつ破壊する」衝動であり、また「自分自身に矛盾すること」である。これはニーチェの規定する文学の本性でもあり、そして「生」それ自体であった――ド・マンは、このように「近代」の概念を再構築する上で、その発火源に位置するニーチェのモダニティ概念を採用している。そして、彼はこうしたニーチェの解釈を、「語の最深の意味で歴史的」だと解釈している。
 ド・マンはニーチェのモダニティについての考え方を、「歴史」概念の核心として位置付けている。ド・マンは言う、「文学は常に本質的にはモダンである」。そして、作家の言語はやはり一つの「行為」として、また「解釈のプロセス」として規定できる。ニーチェが「自分自身を否定し、かつ破壊する」衝動を「モダニティ」として定義する時、結局ここで言われているのはある作家、詩人における「苦悩」の「瞬間」なのであり、その後全ての創造の「出発点」に位置するような源泉のことである。こうして、全ての書き手は同時代から超脱しようと前衛的な身振り(それはモダニティ概念そのものが持つ運動を意味する)を試みるが、彼らの破壊的な意志にも関わらず、批評家は彼らのテクストに常に先人たちという起源を見出さざるを得ない。というより、書き手自身が己の起源を先人たちに見出すことが不可避的に生起するのである。このような例は、演劇を根本的に革新しようとしたアントナン・アルトーが、結局「バリ島」の人々の儀式という先例に自己の起源を見出したことや、晩期ボードレールの散文詩がルソーという先達を見出している点などからも明らかである。作家は自分がモダニスト、あるいは前衛の旗手にはなりえないと自覚することで、伝統的な文学形式の内部へと引き返すことになるが、だからといって彼らが真にそこで慰められるわけでもない。ド・マンは、もし彼らが文学の古巣で安逸してしまえば、「彼は最早作家ではなくなる」(p282)とすら述べている。ここでド・マンが我々に伝えていることは作家たちの創造原理である。それはまず、モダニティを自己体現しようとする欲望を通して生成する。しかし、いかなる作家もけして自らが望むモダニティを完全に実現し尽くすことはできない。ここで彼らが「古典」へと反転衝動のように立ち返り、文学そのものの遺産へと「折り返される」瞬間――まさにそれは、モダニティの概念が文学の歴史性と手を結ぶ瞬間に他ならない。前衛たらんと意志する者は、その「挫折」、「断念」を通して初めて文学史そのものの連続性、反復性を半ば苦渋に満ちた面持ちで受容せざるを得なくなるのであり、ここにこそ読者がその作家をして真に革新的であるとみなすテーマ、概念が前景化する。かくして、モダニティそのものは根本的に文学からの離脱であり歴史の拒否として規定できるが、それはまた文学に歴史性を与える根本原理としても作用する。
 実際、我々は多くの作家志望者、あるいは新進気鋭の作家たちの中にこのような「モダニティ」と「歴史性」の共存を見出すことが可能である。彼らはデビュー当時は華々しい前衛主義を表明し、注目を集め新時代の文学の幕開けを予告するが、しかしいわゆる彼らをして「後期形式」と呼ばれる時代にまで時間が流れれば、そのスタイルが最早当時の前衛とは一線を画していることに気付く時が来るだろう。しかし、このように文学の古典的形式へと回帰したスタイルの中にも、彼のモダニティは盲目的なかたちで埋め込まれているのであり、文学史はこのようにモダニティによって支えられていると解釈することが可能である。モダニティ――それは伝統的、歴史的な文学史を「祖父」とみなした場合における、反抗的な「孫」の身振りに他ならない。しかし、孫もまたいつかは「祖父」となる。こうした作家のプロセス自体が、ド・マンによれば「文学言語の本性」に由来した現象として規定されていることは重要である。ただ、彼は以下のように注意深く付記してもいる。「あたかも文学テクスト(ないし文学的使命)が一定期間その中心から離れ、次に方向転換し、特定の一瞬へと折り返されてその真の原点に立ち戻ったかのように、事態が順序だてて生ずるわけではないのだ」(p283)。文学の中心的な場から離れる瞬間、あるいは再び中心に回帰する瞬間が、どの作家にも交替して出現するなどということではなく、彼らの創造の軌跡においてこうした諸瞬間は脈絡なく断片的に生起する。何らかの文学史上に画期を齎す出来事が、なるほどそれまで伝統的形式に身を委ねていた書き手に「前衛」を意識させることはあり得るだろうが、かといって全ての作家が共通して「中心化」、「脱中心化」という順序を踏襲するわけではない。繰り返すが、これらは各自の持つ固有の出来事として生起する。
 本論(八章)を読解しながら考えたことを書いておきたい。作家がモダニティから再び伝統的形式へと回帰した時に、エクリチュールの次元ではやはり古典性の中にもモダニティが「痕跡」化して保存されるということである。つまり、スタイル上の前衛主義が伝統主義と敵対関係にあるわけではなく、むしろ前衛主義のスタイル上の技巧性や時代状況との即応性、過激な身振りなどは次の形式において再現前する、と言えるのではないだろうか。この時に生起するのは、古典性を持ちつつも高度に洗練された新しいエクリチュールである。したがって、文学における最新鋭の理論を吸収し、常に前衛を意識して書こうとする試みは、やがて彼らが「古典」へと回帰した時にこそ、最も華やかな美的特質を備えた形式へと生まれ変わると言える。
 また、本論でド・マンは文学を社会科学的に厳密にアプローチしていく理論に対して批判的な見解を表明している。作家の社会学的な背景を分析することによってのみ作品の解明が可能だとする厳格な「実証主義」(例えばブルデューの社会科学的な作家へのアプローチも、ド・マンからすれば批判の対象になり得るだろう)が、ここで問題視される。




「参考文献」


盲目と洞察―現代批評の修辞学における試論 (叢書・エクリチュールの冒険)盲目と洞察―現代批評の修辞学における試論 (叢書・エクリチュールの冒険)
(2012/09)
ポール ド・マン

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