† キリスト教神学 †

アルベルトゥス・マグヌスとボナヴェントゥラの説教の記録

【アルベルトゥス・マグヌスの説教の記録】

マグヌス
アルベルトゥス・マグヌス(Albertus Magnus, 1193年頃 - 1280年11月15日・ケルン)

「聖マルティヌスの祝日」のミサ(11月11日)

 マグヌスによれば、我々は皆、霊的意味においては「司教」だと言う。司教は聖なるものを分け与え、他の人々を見守り、神官として地上から天へ橋を建てることができる。また、監督として人々を先導する。「私たちが聖なるもの、すなわち、秘蹟と呼ばれているものをお互いに分かち合うとき、霊的な意味で司祭なのです」(p260)。また、「生活ぶり、知識、弁舌に秀で」、これらが我々のものとなっている時、霊的な意味において我々は「司祭」である。
 マグヌスはまた、「堅信の秘蹟」によって悪魔にも抵抗できるようになると述べている。「悪魔に抵抗するのは司祭たちだけではなく、全ての信者によって行われなければならないことなのです。私たちが皆、堅信で聖霊を強められるために与えられているように、断固として悪魔とその業に立ち向かう時には、私たちはそれによってある意味で堅信の聖性を分ち与えるのです。注意しなさい。堅信によって十字架が額に記されることを」(p262)。
 彼は人間が口にする食べ物とは別に、「神的な食べ物」が存在するとも述べている。その食べ物は我々を「神の生命の中に保つ」ものであり、口は一般的な食べ物と同じくそれに触れるが、霊魂もまた神性に触れることができる――これは言うまでもなくエウカリスティアを指している。
 マグヌスは「知恵の書」(16・20)と、「ヨハネによる福音」(6・32)を引用している。

あなたは天使の食べ物で民を養われ、
神が用意された天のパンを、
民は苦労することなく手に入れた。
それはこの上なく美味で、だれの口にも合った。

「知恵の書」(16・20)

わたしの父が天からのまことのパンを御与えになる。神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。

「ヨハネによる福音」(6・32)



【ボナヴェントゥラの説教の記録】

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ボナヴェントゥラ(Bonaventura, 1221年? - 1274年7月15日)

「聖霊降誕の日」のミサ

 ボナヴェントゥラは「マタイによる福音」を引用して、我々が話す時の真の主体は実は我々ではなく、「父の霊」であると述べている。彼は無知を「暗黒」と呼び、真理を「純粋な光線」に喩えている。彼はキリストの「復活」の神秘について、以下のように語っている。「今日、預言者たちがはっきりとしない言葉、隠喩的な語り、比喩的な喩えで告げ知らせた事柄、すなわちキリストが神の子であり、死者のうちから蘇ったということをはっきりとした言葉で告げ知らせる知能ほど至高なものがあるでしょうか。わたしは問いたいのです。わたしたちのうちの誰がそのようなことをそれほどはっきりと、明らかに述べることを教えたのでしょうか」(p280)




「参考文献」


中世の説教 (シリーズ・世界の説教)中世の説教 (シリーズ・世界の説教)
(2012/03)
高柳 俊一

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