† 美学 †

美学において「かわいい」とは何か?――四方田犬彦『「かわいい」論』を紹介


「かわいい」論 (ちくま新書)「かわいい」論 (ちくま新書)
(2006/01)
四方田 犬彦

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 四方田犬彦氏の『「かわいい」論』によれば、女子大生、若いOLたちが統計学的に「かわいい」と表現するものには、実は「グロテスク」である要素が介入しているという。例えば、「トトロ」、「七人の小人」、「ET」、そして様々な、自然の動物とは完全に異なる姿をした「ぬいぐるみ」。「かわいい」と女性たちがみなす対象は、実は弱小程度でこそあれ、グロテスクな要素が入っている。それを「かわいい」と表現できるところに、いわば「かわいい」という言葉が持つ本質的な「醜」との相関が読み取れるのであり、これは実は「きもかわ」(キモイけど、なんかかわいい!)が「かわいい」の本質であることによって説明可能なのである。「かわいい」という日本特有の世俗的な美意識は、美的範疇論で言えば、「美」と「醜」のいずれにも属さない「宙吊り」である。ちなみに、「美」と「かわいい」は判断の基準自体に差異がある。前者は端的にグレタ・ガルボのような女優には相応しい表現だが、後者はオードリー・ヘップバーンに好んで用いられる表現である。「かわいい」は、いわば「優美」とも異なる独特な美意識であることが、今や判然となるのであり、ここにはメニングハウスの『吐き気』と接続する重要な要素が眠っている。
 「美」と「吐き気」――換言すれば、「美」と「醜」について考える上で、ヴィーナスの誕生秘話にまつわるヘシオドスのかの有名な説を紹介しておくべきだろう。ヴィーナスは神々の中でも最も「美」を体現した女神であることはいうまでもないが、実は彼女は切断されたウラノスのペニスが海に飛来し、海面に生じた無数の「血と泡」の塊から創造されたという、強烈なグロテスクさを持つエピソードを秘めた女神でもある。ヴィーナス、すなわち「美」は、その存在の根本原因からして既に「吐き気」を内在させているのである。これを芸術的な次元にまで拡張すると、以下のような考えが展開できるのではないだろうか。すなわち、美として我々を襲うもののヴェールが剥がされた時――この瞬間をメニングハウスは「美(それ自体)の錯覚」と呼称する――「吐き気」が浮上するのである。この限りで、四方田犬彦氏の大衆文化における美意識「かわいい」の研究でも展開されているように、「かわいい」と「きもい」は根源的には「一つ」のものの分岐した姉妹概念に他ならない。「かわいい」と「きもい」の差異が紙一重であるように、「美」と「吐き気」も常に反転する可能性を帯びている流動的な美的概念である。






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